61. 『魔神』
「純水だ。お前にはそっちの方がいいんだろう」
そう言って魔神と名乗る少年はコップに注がれた水を差し出す。
現在、ライン達は少年によってとある家に移動していた。
ラインの正常な動作が困難になっているため、少年が自宅へ案内すると提案したのだ。
症状がある程度和らいだラインは差し出された水を飲み干す。
「……ありがとうございます」
「鉄屑に感謝される日が来るとはね。長生きもしてみるものだ」
皮肉に対し、ラインは何も答えない。レヴェルも大きな反応は示さず、ただメアの少し前に立っている。
「……こいつは何なんだ」
状況を最も理解していないメアが、レヴェルの背後に近付いて小さな声で問いかける。
「当機は該当存在の情報を所有していない」
「お前は……γ型だったか。物理的な破壊力しか持たない欠陥品。意思疎通の能力も乏しい人間が最後に作って結局役に立たなかった悪足掻き人形……と思っていたがどうやらそうでも無いらしい。さっきからお前、その女を僕から守れるように立ち位置を変えているだろう」
レヴェルは言葉を返さない。しかし、その代わりにラインが口を開く。
「……魔神は、討伐された筈です」
「されたとも。あぁ、なるほど、お前達はお前達が神と呼ぶ機構の詳細を知らないんだな?」
「機構……?」
「神を神たらしめるのは"座"だ。僕達はあくまで、事象の管理権限を与えられているだけの一生命体に過ぎないんだよ。だから神を殺した所で別の者に"座"は引き継ぐことができる。現在の僕が"魔座"を担っているように」
「……しかし、火神討伐の際も……復活したという記録は……」
「"座"を引き継ぐには適正が必要になる。無理に引き継ぐ事もできなくはないけど、代償は高くつく。"火座"は適正者が見つけられなかった。他もそうだ。引き継ぐことができると言っておいてなんだけど、"魔座"のみが引き継がれたことのある"座"と言ってもいい」
饒舌に話す少年は一度言葉を止め、ため息を吐いた。それは当たり前の事を丁寧に答えさせられているような、面倒だと感じている者の表情である。
「……」
「誰も、何にも知らないんだな。賢神の眷属になっておきながら、僕達の事をおとぎ話か何かの存在だと思ってるんじゃないか? というか鉄屑、その機体はβ型だろう? こっちに潜入してたんじゃないのか?」
「……はい。ですが天界の存在と近しい位置で行動できていたβ型は私だけで、その私も特に天界の生活に関して情報収集していた訳では無いので……」
「天界! 天界と来たか。全く本当に嫌になるな……。いいか? 確かに管理している世界はいくつもあるし、こっちが作った世界もある。でもお前達の世界には何も関わっちゃいないし、勝手に天界とか言われても困るんだよ。そのうえ難癖付けられて攻め込まれて迷惑極まりないと思わないか?
だから世界丸ごとリセットされてわざわざ再配置されることになるんだよ」
「──え?」
「全く……。これだから神代戦争の人間は嫌いなんだ」
「リセット、された……と、言いましたか?」
「あぁそうさ。それも管理外の世界を丸ごとだ。その所為で創造神は仮死状態になるし散々だよ。……まぁ過去の話を鉄屑にしても仕方ないがな」
そう言って少年は立ち上がると、ラインに顔を近づける。
「それより、だ。その魂、どうやって手に入れた?」
ラインは胸元の結晶が入ったケースを見る。
「……イーシェさんが死んだとき、勝手に体が燃え上がって、これだけが残ったんです」
「体が? あぁ、魔術の使いすぎか。それにしては大きすぎる気がするが……ちょっと見せてみろ」
そう言って少年が手を伸ばす。そして、ケースに触れようかという瞬間、弾ける音とともに少年の手が反発する。
「……そんなになってもまだ魔術が使えるのか」
ラインは突如反応を示した結晶を見る。先程の反応が無かったかのように沈黙を続けており、変わらず仄かな熱を発している。
少年はため息を吐くと、再度椅子に座る。しかし興味を失った訳では無いようだった。
「相当この魂の持ち主は鉄屑、お前を守りたいらしい。本来結晶化した魂は人には利用できない物だが、それは指向性がある。内部のエーテルを引き出すこともお前なら出来るだろう」
「エーテルを……引き出す?」
「あぁ。魔術の内容までは自由に指定できないだろうが、少なくともそれはお前から危険を遠ざけようとする。精々大切に取っておくことだな。そんな形になってでも自分の色を保てる魂なんてそうは無い」
ラインは結晶の入ったケースを握りしめた。
「……はい」
「とりあえず、その結晶についての話はもういい。お前が人から魂をぶち抜いてアクセサリーにした訳じゃないことも分かった。……本題に入ろう。僕が聞きたいのはお前の目的だ」
「この国を訪れた理由は……ここに住んでいる人物を尋ねる為でした」
そう言ってラインはラダーから受け取った紙を取り出し、魔神の少年に見せる。それを見た少年は、ふん、と息を吐いてその紙を眺めた。
「なるほどな、ラダーがお前達をここへ寄越した訳だ」
ラインはこれまでの会話から半ば確信を得ている。眼の前の魔神こそが、ラダーの魔術の師であるのだと。
「やはり、ラダーさんの師というのは」
「そうだ。……あの才能無しがわざわざ僕を頼るということは、王都で何かあったな? 話してみろ」
ラインは話す。突如王都で住民全てがラインに敵対したこと、メアとラダーのような一部の人間は何故か影響を受けていないこと、ラダーにこの紙を渡され、ラダー自身は王都に残ったこと。
話を聞いた少年は何かを考えている。その表情は険しく、少なくとも少年にとって状況が良くないことを示していた。
「……この紙だけでは正確な目的地が分からなかったので、この都市で一番大きな施設に場所を訪ねようと教会へ向かいました」
「情報が少ないな。住民全てを洗脳するような魔術はある、が。一度もその魔術は公開していない。住民はお前に何か言っていたか?」
「はい。"世界の権利を取り戻す、創造の座を手に入れる"、と」
「なるほど。最悪だな」
そう一言返して少年は頭を抱えた。
「創造の座を手に入れる、というのは……創造を司る"座"を奪い、自身が創造神に成り代わるということでしょうか」
「あぁ、そうだろうな。普通なら面白い冗談だと笑ってやるところだが、それを言っている相手がまずい」
心底不愉快だという表情を浮かべながら、少年は続ける。
「恐らくだが──操られた住民の先にいるのは賢神だ」
「賢神……人類を先導した神、ですか? それとも"座"を引き継いだ誰か……」
「ほぼ確実に本人だ。正確には元賢神、になるか。座はこっちで奪うも、殺すことはできずに逃げられていた。別の世界に逃げたと思っていたが……何故この世界にまだ残っている……?」
「もし、その相手が賢神だとして……元、であるのに脅威になり得るのでしょうか」
「あれは元々別の世界の神だ。管理世界を失って相当弱っているが、"座"なんざ無くとも元々眷属化はできる。自身が管理する国の人間なら全員自動的に眷属化してるだろうし、思いのままだろうよ」
しかしラインは操られていなかった人間のことを考える。メア、ラダー、そして、操られてはいたが暫く抗えていたレト。彼らの共通点は何か。
「……そこにいるメアも王国の人間です。ラダーさんもそうですが、影響が無かった理由が分かりません」
「ラダーは王国の生まれでは無いし、王国に住むようになってから十年も経っていない。近くに居るだけの人間まで眷属として扱う力はあれにはない。そこの人間についてはもっと単純だな」
少年はメアに指を向けた。メアは警戒するように一歩後退する。
「お前、神に人間判定されないくらい機械に体を置き換えただろう」




