58. 『旅歩』
グレインヴァニアの国境を超えることは容易であった。帝国との交易を行っていたこともあり、一度帝国側に移動してから街道を進んだのだ。
道中、ラインは帝国で起こったことを話した。イーシェと共に潜入したこと。クレックスというイーシェの兄に裏切られたこと。人の姿をしたα-1型に遭遇したこと。
──イーシェが、死んだこと。
「……残念だ。彼は人を救う立場の人間だった。魔術の腕もよく、人望もあったと聞く。……大きな損失だな」
目を伏せてメアはそう言った。メアとイーシェはあまり面と向かって話したことはない。しかし、診療所の話はたまに耳にすることもあった。
「帝国に向かった時点で、イーシェさんの体は限界だったんだと思います。……ずっと苦しそうにしてましたから」
そう言ってラインは首にかけていた赤い結晶が収められた円筒状のケースを胸元から取り出した。
「それは?」
「イーシェさんの、ベースエーテル、と呼ばれるものらしいです。魔術の過剰行使によって体表に析出する、と聞きました。ラダーさんに渡そうとしたんですが、私に持っていて欲しいと」
それを聞いたメアは部下の兵士の一人を思い出した。火の魔術を行使する際、彼の体にも似たような結晶が析出していたのだ。
「……そうか。大事にしたほうがいい。ラインに同行出来て、彼も喜ぶだろう」
そう言ってメアは悲しげに笑った。一方、ラインの話を聞いてから何かを考えていたレヴェルが口を開いた。
「人の姿をしたα-1型、と貴機はそう述べたが、不可解な点がある。α型は人の脳が搭載されて初めて機能する性質上、β型やγ型に換装するのは不可能だ」
レヴェルはラインの話した存在に疑問を呈する。
「確かに識別信号はα-1型でした。γ程早い動きではありませんでしたが……それでもβ型以上の性能を有しているのは間違いありません。特に体をすり抜けたと錯覚するような動きからの反撃は対処が難しいと思います」
「了解。遭遇時はその動作を演算に入れておく」
「……待て、ライン。すり抜ける動き、と言ったか?」
メアは思わずと言った様子でラインに問いかけた。ラインはその気迫に押されながら頷く。
「え、あ、はい。そうですが……」
「……その人物は女性で、こう……今は分からないが、肩ぐらいの高さで金色の髪を揃えて、背が高くて、どんなときでも日常みたいな話し方をして、剣が上手くて……」
まるでその場に居たかの様に、α-1型の特徴を列挙していくメア。ラインは驚きの表情を見せた。
「知って、いるんですか。彼女を」
ラインの様子で、メアは己の知っている存在と、ラインが話した存在が同一の人物であることを理解した。メアは空を仰ぎながら息を吐いた。
「……名前は、ステラ・リストレイト。私が戦闘課に入って間もない頃の副隊長で、親みたいな存在で、過去にあった帝国軍との衝突以降行方が分からなくなっていた。が、そうか……帝国に付いていたのか。人間離れした強さだとは思っていたが、人ですらなかったなんてな」
メアにはステラが帝国に付いていたことを咎める気持ちは無かった。それどころか、生きていて良かったと思ってすらいる。メアが悲しいと感じるのは、ステラが機械人形であることをメアに隠していたことだった。
「ところでライン、ステラとも戦ったのだろう? ……倒したのか?」
殺したか、破壊したかと聞かなかったのは、メアに抵抗があったからだった。
「交戦しましたが、破壊に失敗しました。寸前まで追い詰めましたが、逃げられてしまい……。ナノマシンがあれば数日で復旧可能な範囲の損傷しか与えられなかったので、どこかで遭遇することもあるかもしれません」
「そう、か」
メアはそう言って目を伏せた。ステラが今後敵対する存在として再び邂逅する可能性があること、ステラがまだ生きていること。様々な理由が重なり、メアは複雑な心情であった。
「帝国にはもう現れないでしょう。帝国軍、という様子ではありませんでしたし……。どちらかと言うと傭兵のような……雇われている様子に近かったかもしれません」
「……何か、ステラには目的があるのかもしれないな。ライン、次にステラと出会った時、可能であれば私が対応したい。話を聞きたいのだ。勿論無理は言わない。対話が難しければ交戦もやむを得ないだろう。だが……」
メアは言い淀んだ。躊躇というよりは、言葉を選んでいるという表現が正しい。暫くの間、沈黙が続く。
「……?」
「なんというか、"何かに救われたがってた"んだ」
その言葉が適切か悩んでいる様子のまま、メアは言葉を発した。
「救われたがっている、ですか」
「訓練のあと、何度か聞こえたことがある。肝心な部分は聞き取れなかったが、何かが私を救ってくれると隊長に繰り返し言っていた。……こうなる前に、隊長に詳しく聞いておけば良かったな」
「内容によっては敵対は避けられるかもしれない、ということですか」
「まぁ、そうだな。ステラが何かに悩んでいるなら、私がステラを救う存在でありたい。いつかの日に私を救ってくれたように、私もそうしたい」
「……あまり、無理はしないで下さい。傷も……治っていないのではないですか?」
王都での戦いで、メアは瀕死の重症であったと聞く。そこから数日でここまで歩いているのだ。本来ならあと一ヶ月は安静が必要だろう。ラインの心配を受け取ったメアは笑った。
「傷なら治った」
「それができるのはナノマシンを搭載した機械人形くらいですけど……」
ラインの呟きに、これまで静かに見守っていたレヴェルが反応を見せる。
「事実だ」
「えっ?」
「彼女に傷はない」
どこか遠回しなレヴェルの言い方にラインは違和感を覚える。メアの方を見ると、メアは服の裾をたくし上げ、腹部をラインに見せた。
──皮膚の半分以上が、金属のプレートで覆われていた。
「な……」
「貴機が帝国へ向かっている間に、内臓のいくつかが壊死した。延命処置としてナノマシンでの修復を試みたが、死んだ細胞を再利用することは出来ず、限界があった。このまま治療を停止させるか、一部を機械人形の部品で置き換えるかの二択を提示したところ、彼女は後者を選択した」
「あー……だから、まぁ、傷は治った、って訳だな」
「現在は機械化を行った部分と肉体を継続して繋げるために常時ナノマシンを当機が代理演算している。故に、一定以上の距離が当機とメアの間に生じた場合は数日で死亡する」
「手足は私の物だからか、あまり実感は無いのだがな」
肩を竦めてそう言ったメアに、ラインはすぐに言葉を発することが出来なかった。あの時、もっと早くγ型の接近に気がついていれば、メアは無事で済んだのだろうか。
「……すみませんでした。助けられなくて」
「気にするな。私が望んだことだ。それに……なんだったか?」
メアが何かを思い出そうとレヴェルを見る。レヴェルはメアの視線に気が付くと、代わりに答えた。
「α型のコアは人と繋げられる可能性がある。入手できれば代理演算無しでの自律稼働が実現できるかもしれない、ということだ」
「そういうことだ。……さて、見えてきたぞ」
メアが指を指す先には巨大な橋があった。その先には大地が迫り上がったような島が存在している。それはまるで天然の要塞、帝国をして落とすことができないと判断された場所。
目的地であるグレインヴァニアの中心。
宗教都市リドルラドがラインの目前にあった。




