56. 『前輪』
6章です。よろしくお願いいたします。
王都の壁が見えた。ラインは近付く王都を眺めながら、淡々と歩みを進める。
こうして一人になるのは、初めてだった。聴覚センサーは正常に稼働していることを数値は示しているが、やけに足音が大きく聞こえる。
首から下げられている一つの結晶は、帝国を後にしてからも仄かな熱を帯び続けており、ラインにその存在を常に感じさせる。
その存在が王都の門の前に立ったとき、あることをラインに気付かせた。
──王都からイーシェと共に出て、ラインだけが帰還しているということである。
ラインは王都に来て期間が浅い。イーシェと共に行動していたからこそ自由な出入りが行えていただけで、ライン単独では通してもらえるかは分からなかった。
足を止めたラインは、一度考える。その光景は衛兵にとって目についたらしく、ラインに気付いて歩み寄ってきてしまった。
これは王都に戻れないかもしれないとラインは思いながら、衛兵の方を見る。
「今門を開けた。通りなさい」
衛兵から発せられた予想外の言葉に、ラインは目を僅かに大きく開いた。
「え、あ……分かりました。ありがとうございます」
衛兵の言葉通り、門が開いていく。ラインは訳の分からぬまま、取り敢えず診療所へ向かうことにした。しかしラインは一つ、不可解な点を頭から拭うことができない。
門を抜けながらラインは考える。
……あの衛兵はイーシェと特に仲の良かった人物ではなかっただろうか。
王都に入ると、既に破壊された壁周辺の復旧が始まっていた。アシストカノンによって穿たれた穴には布がかけられ、住民は普段通りの生活を取り戻しつつある。
「あぁ、ラインさん」
ふと、ラインに声がかけられる。声のした方を向くと、医療用の鞄を抱えたラダーがそこに立っていた。
「……すみません。私は……」
ラインがイーシェのことを伝えようとすると、ラダーは軽く手でそれを制した。
「まぁ、そうなるだろうとは思っていました。彼の体は、王都を出た時点で動いている事すら奇跡に近い状態でしたから。……帰りましょう」
「……はい」
ラダーと並んでラインは歩く。診療所への道が、いつもより遠く感じてしまう。
「──彼には才能がありました」
ラダーは言葉を零す。
「地位もありました。人望も、高い知能もありました」
ラインがラダーの顔を見ると、ラダーは静かな表情で前を向いていた。
「そして、自分を優先することはありませんでした。誰かを助けられるのなら、平気で自身の命を乗せてしまえるんです。王都に砲撃が直撃していれば、この国の殆どの人が死んでいたでしょう。事実として、彼の命と引き換えに、王国の人々を救えるなら安いものですよ。お釣りが出るほどに」
ラダーは僅かに笑いながらそう言っているが、ラインにはラダーがそれを肯定するために言っているのではないことを理解していた。
「ですが、私はそれを肯定も否定もしません。彼の覚悟に正誤など私には付けられないですから」
「……イーシェさんによって、帝国の頭は完全に機能を停止しました。指導者がいなくなったことで、周辺国から帝国に侵攻があるかもしれません。そうなれば、きっと多くの人が死にます。そうなれば、イーシェさんは……無駄、死にに」
「それも、私達が決められることではないでしょうね。彼だけがそれを無駄だったかどうか分かっているはずです。大きな善意や強い覚悟が、必ずしも人を良い方向へ運ぶことなどないのですから」
ラダーはそう言って悲しげに笑った。それを見て目を伏せたラインは、首にかけられた結晶を取りラダーに差し出す。ラダーは立ち止まった。
「これを」
「それは………………そう、ですか」
ラダーはラインから結晶を受け取ると、それを握って自身の額にそっと当てる。日は暮れつつあり、夕日に照らされる中、ラダーは何かを想うように目を瞑っていた。
やがて目を開けると、ラダーは結晶をラインに返す。
「あっ……」
「これは貴女が持っていてください。私が持っているより、ずっと良いでしょう」
「ですが……」
「私より貴女は永く生きていけます。やがては知らない誰かに渡っていくこともあるでしょうが、できるだけ彼を知っている存在に持っていて欲しいのです」
ラダーがそう言うと、ラインは結晶を受け取り、再び首にかけた。日の光が淡く結晶の表面で跳ね返っている。
「私は私で彼の生きた証を残します。そうすれば、人の心の中でずっと生きていられますから」
「生きた証、ですか」
「イーシェ、という名前は古い言葉で氷という意味があるそうです。本人の性格とは随分似合いませんね」
そう言われて、ラインも小さく笑った。
「私の作った魔術体系は医療系に特化した物です。これに彼の残した魔術研究を加えて昇華させ、世に広めていきます。この先、私の作った魔術体系以外にも様々な魔術体系が生まれ、広がっていくでしょう。そして、いつかそれらが混ざって忘れられないように、私はこれに名前を付けようと思います」
ラダーは再び歩き出す。
「──氷の皇。“氷皇式”は、これから多くの人を救っていくのです」
ラダーは寂しそうに笑った。
「……きっと、残ります」
「その為にも、もっと頑張らなければ……おや?」
ラダーは目の前の何かを見ていた。ラインも同じように前を見ると、診療所の前にレトが立っている。C-6αも側に控えており、普段引きこもっている二人が外に居るのは珍しい光景だった。
「レトさん、ですね。何かあったのでしょうか」
「ふむ、もしかすると患者が来て私を探しているのかもしれません。急ぎましょう」
早足で向かうと、レトはラインとラダーに気が付いた。
「あぁ、お帰りなさい」
「患者ですか?」
「いえ、そういう訳ではないんですが……」
ラダーの問いかけに、レトは首を振って歯切れの悪そうに答える。
「では他に何か……?」
「そうですね……いや、うーん……」
レトは何かを考えるようにラインを見ている。訝しげにラダーがその様子を見ていると、C-6αがラインに一歩近付いて声をかける。
「なぁ、ライン」
「……はい?」
「レトのやつ、さっきからおかしいんだ。急に銃なんか持ち出して外に出るしさ──」
C-6αがそう言った瞬間、レトは声を零した。
「理解しました」
「え?」
ラインがレトの方を見ると、レトがラインに銃口を向けている。咄嗟にラインの中で演算が行われ、銃弾の予測軌道がラインの胸部を通過して表示された。レトの指は引き金にかかっている。
「何をッ────」
ラダーが慌ててレトを止めようとするも、強化を使用していない状態では間に合わない。C-6αは何が起こっているのか理解できていない様子だった。
ラインは、小さく起動の言葉を放つ。
「……加速、実行」
ラインの意思のみで初めて実行される加速。暗くなった視界の中、上体を捻ることで予測された軌道から外れるように動く。
実時間にてコンマ1秒にも満たない短時間での加速が停止した瞬間、ラインの居た箇所を発砲音と銃弾が通過する。
あのライフルは自動で次弾が薬室に送られない。もう一度引き金を引くだけで再び銃弾を発射できる訳ではないことをラインは知っている。レトが次の動作を行う前に止めようとラインが考えた時だった。
「……シルファ、僕を止めなさい」
「了解」
最も近い位置に立つC-6αがレトを素早く拘束する。ライフルは落ちて転がり、レトはC-6αの手によって地面に押し倒された。
「どういうつもりですか!?」
ラダーがレトに問いかけると、レトは何故か口から血を流しながら額に汗を浮かべたまま何も答えない。C-6αも困惑したままレトを抑え続ける。
「これは……」
いつの間にか音のしなくなった王都。ラインが背後を見ると、何体もの機械人形がゆっくりと向かってきている。その手にはラインが所持している物と似た短銃。
「お、おい、動きたいのか止めればいいのかどっちだよ」
レトがC-6αの拘束を解こうともがく。異質な光景にラダーもラインも判断が出来ない。やがて暴れるのを止めたレトは顔を上げてラインの方を向く。
「──……私はお前を知っているぞ、バールデアの意志よ。人類を滅ぼそうとしたα-1型のため、もう一つの破滅機構として生み出された病原菌よ」
機械人形だけではなく、王都の住民でさえもラインを取り囲むように歩いている。人間である筈の彼らの表情は機械人形と区別が付かない程であった。
「──私はもう一度、世界の権利を取り戻す」
すべての住民達が声を揃えてそう言うと、虚ろな表情のまま、機械人形達は立ち止まった。ラインは住民達が包丁や剣、農具など、まるで近くにあった武器になりそうなものを掴んで来たかのような様子であることに気が付く。
「──天界の門を穿ち、最奥で眠り続ける創造の座を手に入れる」
王都中から声が聞こえる。王都のあらゆる存在が、ラインを見ている。
「──この時代に、お前という存在は邪魔だ」
レトがそう言い放った瞬間、機械人形が一斉に銃口をラインに向ける。機械人形が持つ短銃には破機弾が装填されている可能性がある。
無数の予測軌道がラインを通過する。
「ラインさん!」
「破壊しろ」
──ラダーとレトの声が重なった瞬間、ラインと機械人形達の間に何か大きな物体が落ちた。土煙が激しく立ち昇り、周囲の石畳が捲れ上がる。遅れて大量の銃声が響くが、金属のような何かに弾かれるような音がしてラインには届かない。
視界が遮られる中、火花が幾重にも散っているのが見える。
「ラインッ!!」
土煙の中から聞こえたラインの知っている声。ラインは目の前の存在に目を向ける。
そこには大きな金属の盾を構えているレヴェルと、その肩に抱えられながらラインに手を伸ばすメアが居た。