55. 『ENTRANCE』
ラインは意識を再起動させた。視界内に機体の状況が表示されておらず、静かな内側を感じる。
1番コアは完全に失われた。他のコアは修復され、正常に動作している。内部が完全に復旧した訳ではないが、多少動けるほどに機体の修理が行われたらしい。
ラインが目を開けると、誰かの衣服が見えた。顔を少し上げると、それがイーシェであることに気が付く。
「っ!?」
慌てて体を起こし、イーシェに手を当てる。
呼吸は完全に止まっており、心臓が動いている気配もない。ナノマシンで状態を調べるが、肉体に大きな損傷は無い。
まるで、中身だけが無いかのようだった。
「イーシェ、さん」
救うどころか、多くを失った。"ライン"を殺し、イーシェと生きて王国に帰ることすらできなかった。
目的は果たせたのだろうか。長を失った帝国だが、その周辺にはこれまで略奪を繰り返した国家が点在する。王国との戦いで大きく国力を落とした帝国では、領土を細かくパイのように刻まれることになる。
イーシェの命に変えても成し遂げたかったことは、何一つ成されぬまま、終わってしまったのではないだろうか。
「こんなところで、まだ……」
小さくイーシェの体を揺するが、イーシェが目覚めることは無い。これで、終わりなのだという実感が徐々にラインを蝕んでいく。
ラインの頬を涙が伝う。
イーシェの服の端を強く握りしめ、ラインは肩を震わせる。この部屋には誰もいない。しかし、それも長くは続かないだろう。すぐに帝国兵や機械兵がこの部屋にやって来る可能性は十分にあった。
「……すみません。私が、戦闘用の機体を持っていたら、もっとイーシェさんを……」
ラインがイーシェを王国へ連れて帰るため、背負おうと姿勢を変える。その時だった。
イーシェの心臓の辺りから、炎が立ち昇ったのだ。
「え、あっ……」
ラインは思わずその炎を消し止めようと手を置いてしまった。しかし、その炎はラインをすり抜けるようにイーシェの体をゆっくり覆う。
この炎は何故かラインを焼くことはなかったが、それ以外の一切を焼き尽くす勢いで周辺にまで燃え移っていく。その火力は、炭化して黒くなるよりも早く、灰に変わってしまう程だった。
「待って……ください……」
ラインの腕の中で、イーシェが崩れていく。気が付けば、部屋のすべてに火が移っていた。それでも、その火はラインだけを避ける。
ボロボロと小さくなっていくイーシェの体を燃やす火を、ラインはどうすることもできなかった。呆然自失とするラインに、燃えた天井が崩れ落ちる。
しかし、ラインがそれに気が付いた瞬間、イーシェから立ち昇る炎はその天井を燃やし尽くした。穴の開いた天井から、空が見え、煙と灰が吸い込まれていく。
巻き上げられた灰に視界が遮られ、ラインは思わず目を瞑った。ラインの手には、灰すらも残らないのだろう。風が収まり、ラインは目を開く。既にイーシェの体は全て灰に変わってしまったのか、何も残っていない。
ただ、イーシェを抱えていたラインの手の中に、赤い石が残されていた。
それは、魔術の負荷で析出したベースエーテル結晶。
イーシェの、魂の残骸だった。
ラインは結晶を強く握りしめる。
「帰りましょう。イーシェさん」
懐からラインが取り出したのは、銀のチェーンと小さな円筒状のケース。α-4型のコアを固定し、首から下げるために使用していた物だった。ケースを開け、結晶を中に入れると、ラインはそれを首から下げた。
この火災であれば、この階に帝国兵が立ち入ることはできないだろう。しかし、床もその大部分が崩落している。ラインは残った柱の上を通りながら、窓のあった部分から外に降りた。
消火のため、表で兵士達が何かを叫んでいる。恐らく、この火を水で消せないのだろう。この棟を全て消し炭にするまで、火の勢いはきっと止まらない。ラインは何故かそう感じた。
幸いにも、棟の裏に降りたラインの存在には誰も気付いていない。
帝国兵が全て動いているこの状況で、ラインが帝国の外へ出ることは容易い。気付かれぬよう、国外へ出たラインは、もと来た道を一人で歩く。それは、ラインにとって初めて孤独な時間となった。
「……」
ただ、首にかけた結晶が放つ僅かな熱を、それだけをラインは感じながら、王国へ歩みを進めるのだった。
*
「──そうか、皇帝が死んだか」
王国の一室。
宰相と呼ばれる男を除き、誰も立ち入ることのできない部屋で宰相ではない男が呟いた。
「その様です」
その男の前に跪き、言葉を返したのは宰相。
「私は長い間、この王国を盤石な物にするために動いてきたが、今回はそれが全て無に帰す所だった」
「我々の力不足です。返す言葉もございません」
静かに言葉を並べるこの男こそ、国の王と呼ばれる存在であった。
「帝国の民が一人、王国を守るため尽力したと聞いたが」
「……はい。彼は、この国に流れ着き、診療所で医師の手伝いをしておりました」
「ふむ。では帝国の民と呼ぶべきではない、か。その者も王国の民の一人であったのだな」
「はい」
王は肯定を返す宰相に頷く。
「そうか。その者に何か礼をしたい所だが……生憎眷属ではない者は追えん。もしその者が王国へ戻り、姿を見かけたら城へ案内せよ」
「は。ところで……帝国へ向かったとされるその者と共に行動していた存在についてですが……」
「あぁ、あのγ試作初期型の事か。いや、あれも一応β型、と呼称すべきだな。その名称は実際には使われなかったのだから。どうせ直接戦うことに意味は無かったのだ。私はあの方式でも構わんと思ったが、奴は結局……いや、話が逸れたな。それで……あれは……そう、感情を持っていると、お前は言ったな?」
「はい。最初に城で会った際、私は彼女を人だと思いこんでいました。……しかし、場内の機械人形にその者の調査をさせた所、報告に上がってきたのは彼女が機械人形であるというものだったのです」
「お前、その機械人形が自ら何かを提案したのを見たか?」
不可思議な質問に、宰相は首を傾げながらも思い返す。
「そうですね……地下の空間について、話し始めたことがありました。それが、一体……ッ!?」
静かに座っている王から、突如として押し潰されそうになるほどの重圧感が宰相に伝わった。冷や汗を大量に流す宰相の前で、王は何かを考えている様子だった。
「……それは感情模倣演算プログラムが行わない行動だ。とすれば、感情を発露しているのは事実、か。しかし機械人形にその可能性を齎す機構を乗せることは禁じた筈だが……」
「……申し訳ございません。何か、私に不手際が……?」
宰相のその問いかけに、王は重圧を急に収めた。宰相は咳をするように息を吐く。
「いや、お前はよく働いてくれている。少し考えなければならないことがあってな」
王はそう言って、側のテーブルに置かれたボードゲームの駒をいくつか立てる。
「4型、リラ。3型、ルーク。2型、テスタ・レイクス。どれも私の基準により選ばれた者だった」
そう言って王は駒を一つずつ倒す。宰相は、王が零す名前の一切に覚えがなかった。しかし、それを尋ねることもできず、ただ黙って頭を下げ続けている。
「そして……1型、リーネア・レクタ──唯一自ら志願した……あぁ、そういうことか」
最後の駒を倒した時、王は納得した声を零した。
「テミス、貴様……最初からその機構を全ての機械人形に仕込んだのだな。この私を欺いて、何万と機械人形を作っても、たった一体しか感情が発現しないほどの低確率の何かを引き金とする機構を」
「……私の理解が及ばぬ話ですが、何かお力になれることは……」
宰相が楽しそうに笑う王に恐る恐る問いかけると、王は口角を上げて立ち上がり、宰相を見下ろした。
「あれは我々を滅ぼす敵になり得る存在だ。感情を発露した機体の一部でも他の機械人形が取り込んでみろ。恐らく感情を持った機械人形は簡単に増えるぞ。そうなればいくらでも増やせる金属の兵士が我々を滅ぼそうとするだろう。何故か分からないか? その機構が、私を滅ぼすために作られた物だからだ。故にその機械人形は一刻も早く破壊しなければならない。分かるな?」
「はい。必ず、その機械人形を破壊します」
宰相が部屋を後にすると、王は一人、顔を手で覆って笑う。
「──あぁ、テミス・バールデア。終ぞ私の眷属にならなかった者。お前が神代戦争を旧神話時代と名付けた理由がようやく分かったぞ」
白い髪の老人の姿をした男はひとしきり笑った後、椅子に座り直した。静かになった部屋で、楽しそうに男は呟く。
「これから、神話時代が始まるのだな?」