54. 『一人』
「ラインッ!!!」
凶弾に倒れるラインに、イーシェは声を上げた。
駆け寄ろうとするも、一人の帝国兵がイーシェを殺すために襲いかかる。
「邪魔、するなッ!」
イーシェは右手で剣を受け止める。魔術で強化された腕は刃を通さない。《剣、炎》は対象を剣に見立て鍛造するという意味が込められた身体強化魔術である。腕限定ではあるが、その魔術の効果が残っている間、イーシェは腕の形をした金属を振り回している状態に近い。
僅かな拮抗により、帝国兵は腕を切るため更に力を込める。しかし、イーシェにとってそれは隙でしかなかった。
下から伸びたイーシェの左手が帝国兵の顔を掴む。
「むぐっ!?」
「お前達を相手にしてる時間は無いんだ……!」
イーシェは左手に力を込める。強化された関節から発揮される力は工具と等しく、枯れた木片を握るように帝国兵の顔がひしゃげていく。
「や、やめ、ぁががッ……!?!?」
イーシェが手を離すと、帝国兵は顔面から大量の血を吹き出しながら崩れ落ちた。倒れ伏す帝国兵に一瞥すらもせず、イーシェはもう一人の帝国兵を見る。
「助けようともしないか」
「二人で同時に戦うのは得意では無いのでな」
薔薇の名を冠する部隊。その隊長の男は表情も変えずにそう言った。
「……」
イーシェが構えると、男は首を振った。
「止めておく」
「怖気づいたのかよ。隊長ともあろう人間が。戦うために隊長にまで登り詰めたんじゃないのか」
イーシェは煽るように言葉を投げかけるも、男は眉ひとつ動かさずに答える。
「確かに俺は強い。機械人形も数機なら同時に相手をすることもできるだろう」
男は剣を下ろした。イーシェは警戒を解かずに男を睨む。
「……それがどうした」
「だが、それだけだ。俺は魔術も使えん。ただこの手で剣を振るうしかない。つまり、魔術を使える貴様の方が強い……かもしれない。それが理由だ」
イーシェは驚きに目を見開いた。この男は、負けることを恐れている。部隊を率いる人間が、イーシェ一人相手に戦うことを避けたのだ。
「……は、そんな偉そうな口で、言うことが"負けるかもしれない"だと?」
「貴様が今倒したその男は戦える人間だ。当然、俺もそうだ。だが、部隊を維持できるのは俺しかいない。俺には俺の役目がある。薔薇は戦闘の為の部隊ではない。ここで俺が死ぬのは、戦いを避けるよりも愚かだと貴様は思わないか」
淡々とそう述べる男に、イーシェは眉をしかめる。
「……あんたと話してると、機械人形を前にしてるのかって錯覚する」
「そうか。少なくとも、これ以上俺は貴様の相手はしない。──俺はな」
男がそう言った瞬間、イーシェに向かって伸びる光の線。それが剣に光が反射したものだとイーシェが気付く前に、イーシェは両手で体を守った。
ブレードと打ち合っていた時とは異なる、鈍い音。その剣を振るったのはステラだった。
「すっごい偉そうなこと言ってるけど何かダサいの、面白くない?」
ステラは笑ってイーシェに問いかける。イーシェは答えない。焦った表情を浮かべないように何とか押さえながらも、イーシェは頭を回している。
イーシェは、ステラが敢えてイーシェの防御に剣をぶつけてきたことに気が付いていた。防御を見てから振り下ろしたということは、イーシェの防御を掻い潜って刃を届かせることも可能だったことを意味している。
このままでは、勝てない。僅かな時間の中、イーシェが考えられるのはそれだけだった。
「《炎》ッ!」
「おぉっと」
ステラが飛び退くと、小さな爆発のようなものがその場に生じる。その炎が人に当たれば、その箇所の組織が抉れるであろう威力を持つことは明白だった。
「後はお前に任せる」
帝国兵の男はそう言うとイーシェに背を向けた。
「女の子に戦わせて自分逃げますって言ったほうがわかりやすいと思うな」
ステラは男の言葉に笑いながら返す。男はそれに答えない。代わりに、黙っていたクレックスに視線を向ける。
「構わないな」
「あぁ、ここでお前に無駄死にされるのは俺も困る。ステラだけで十分だ」
ステラはその言葉を聞いて、面倒そうに顔をしかめた。
「酷いよねぇ」
「緊張感が足りてないな。油断は足を掬われるぞ」
イーシェは時間を稼ぐために会話を繋げる。ステラはそれに気が付いているのかいないのか、嬉しそうに目を細める。
「でも、私には勝てない。そうでしょ? それに、私が話をするのにも理由があるの。だってね、こうやってずっと話してないと────」
ステラがイーシェの視界から消える。背中に冷たい気配を感じたイーシェは、考える前に右手を背後に振るった。
「ぐ、ぁッ……!」
致命傷は避けられた。しかし、右腕に衝突した刃の位置は、魔術の通っていない箇所だった。
鮮血が舞うと共にイーシェの右腕が地面に落ちる。
「──君達が憎くてすぐに殺しちゃうからさ」
「くっそ……!!」
ステラと距離を開けようとイーシェは飛び退くが、ステラはそれを許さない。
「接近戦できる魔術師って初めてだったから、面白かったよ」
ステラはイーシェの右側へ踏み込む。片腕を失ったイーシェは防ぐことができない。
だが、ステラはイーシェが最も得意とする魔術を知らなかった。
「あれ?」
イーシェの体を通り抜ける刃。ステラの使う"クリップ"とは違う。クリップは体の一部だけを逸らすことですり抜けたと錯覚させる技術。しかしこれは、明らかに刃が体をすり抜けている。
ステラの首をイーシェが掴む。
「《炎》ッッッ!!!」
イーシェの手のひら、つまり首の内部に照準された爆発は、ステラに直撃した。左手の残った強化魔術を利用して打ち出したことで、強化魔術が解除される。
「う……げほッ……」
たたらを踏んで血液を吐き出すステラ。苦しそうな顔をしているが、人であれば確実に即死している筈の一撃を耐えられたことに、イーシェは絶望した。
「倒れも、しないのかよ」
「あ゛、あーーー。げほ、うッん。……結構痛かったよ」
ステラは笑う。先程見せた苦しそうな表情すら、既に跡形もない。
右腕からの大量の出血で、イーシェは崩れ落ちた。治療用の麻酔効果がある魔術により、ショック死は避けているが、このままでは失血が理由で死ぬことになる。
どちらにせよ、このままでは確実に死ぬだろう。イーシェはそう悟った。
イーシェは左手で右腕を掴む。痛覚は麻痺しているが、右腕ががくがくと震える。それでも、イーシェは力を振り絞って口を開いた。
「……《生命、回転、心臓》」
右腕の断面を覆うように皮膚組織が形成される。それが止血のためであると、ステラは理解した。しかし、その考えをすぐに捨てることになる。
「魔術って、そんなことも……?」
組織の形成がいつまでも終わらないのだ。それはやがて腕の形にまで成長し、完全にイーシェの右腕を再生した。
「《繁栄》」
そして、失血で意識が朦朧としている筈のイーシェが立ち上がる。ステラは初めて剣を正面に構えた。イーシェの表情を見て、ステラは確信する。こいつは今、テーブルに己の命を載せたのだと。
「やるじゃん」
「……《剣、炎》」
再びイーシェの両腕から火花が散る。ステラがイーシェの出方を伺っていたその時、ステラの背後で何かが動く音がした。
「加速」
「え────」
ステラが振り返った時には、既にラインが目の前に接近していた。その姿勢は低く、僅かに上を向く横方向の斬撃。
確実に到達したブレードはステラの腹部に深く到達し、内部を破壊する。
しかし、それだけでは終わらない。続け様に、イーシェの魔術で強化された拳がステラの頬に突き刺さる。盾にした剣もろとも叩き壊す程の一撃による衝撃で、ステラは殴り飛ばされる。柱に叩きつけられ、その衝撃で柱が崩れる。
「……加速……終了」
ブレードを床に突き刺し、ラインは倒れ込む。ステラが倒されたことによる衝撃で、クレックスは動けない。
「なんだ、これは。おい、ステラ!! まだ戦えるだろう!!」
クレックスがステラの飛ばされた方を見る。散乱した瓦礫の山から、ステラは起き上がった。
「いやぁ……これ以上はちょっと。今あんまり見えないし」
ステラは出血する腹部を押さえながら苦笑いしている。
「は? 何を言って……」
「それじゃ。ちょっとこっちも限界なんで」
「なッ、待て!」
そう言い残してステラは窓を突き破って飛び出していく。慌ててクレックスが窓の方へ向かうが、既にステラの姿は無い。
「……クレックス」
クレックスが振り向くと、イーシェが目の前に立っていた。
「俺はまだ終わってない! 策はまだ……ッ!」
「あんたの負けだ」
激しく火花を散らすその手を、クレックスの胸に当てる。怒りか、絶望か、肩を震わせていたクレックスだったが、すぐに落ち着いて目を伏せた。
「……そうか」
「《炎》」
鈍い爆発音と共に、クレックスの体が崩れ落ちる。イーシェはクレックスの体を支えると、静かに床に寝かせた。
「……これで、終わった……んですか」
床に倒れ込んだまま、ラインは声を漏らした。
「全部終わった。ラインは……大丈夫か?」
「はい……。しばらく修復にかかりますが……大丈夫、です」
「……そっか」
強化魔術を解除すると、イーシェはラインの横に座る。
「すみません……少しだけ、意識を待機状態に落とします……。数分でいいので、それまでこの機体を、お願い……しま……す」
「あぁ、分かった」
そう言って意識を失ったラインを、イーシェは見る。ラインの目にかかった髪を払ってやろうとイーシェが腕を伸ばそうとした時、その腕が動かないことに気が付いた。
「……そりゃ、そうだよな」
度重なる魔術行使により、イーシェの体から、既にほぼ全てのベースエーテルが失われていた。
確率変動魔術もイーシェの寿命を縮めたが、致命的な損傷を与えたのは腕を再生するために使用した魔術である。
片腕を生成するために、ありったけのベースエーテルが必要になることは、イーシェも承知の上であった。あの時、イーシェは命のすべてを戦いのテーブルに載せた。
そして、その代償は確実に支払われていた。
力なく、イーシェは仰向けに倒れる。顔を僅かに動かすと、ラインの寝顔が見えた。
「……やっぱ、綺麗な顔してるんだよなぁ」
そう零して、イーシェはラインのことを見つめ続ける。もし、ただの王国民の一人として生まれて、たまたまラダーに弟子入りして。そしてラインと出会い、仲良くなって、ラインの旅の仲間として着いて行けたら、そんな"もしも"があったら。
これから帝国はどうなっていくのだろう。皇帝と三人の皇子が死に、残された皇子は国外に出ている一人のみ。少なくとも、彼が戻れば多少は上手くやってくれるに違いない。そうでなくとも、皇帝に仕えていた人間はどれも優秀な者ばかりではあった。
ただ、帝国の滅びの一途となる可能性を齎した原因をイーシェが生じさせたのは間違いない。そのことにイーシェは負い目を感じていた。
「なぁ、ライン……帰ったら……なんて言うかな……」
強烈な眠気の中、イーシェは目を閉じないように抗う。意識がゆっくりと大気に溶けていき、音が遠ざかっていく。
やがて、イーシェは小さく、一度だけ息を吐いた。
部屋に静寂が訪れる。