53. 『わたしを刻んで』
α-1型。その単語にラインは意識をステラから完全に逸らした。
『対象接近。加速』
「……ッ!」
均衡を破ったのはステラだった。ラインが意識を逸らしたことに気付いたステラは、量産型の機械人形を遥かに上回る速度で踏み込んだ。
加速した視界でようやく対応できる速度。ラインはステラの振るう剣を払うのが精一杯だった。
その様子を見たステラは楽しそうにラインに話しかける。
「機械の癖にそんな器用なことできるんだ。すごいね」
「あなたは、α-1型なんですか……!?」
ラインのその言葉に、ステラは意外そうな顔をして手を止めた。
「α……ふーん、分かるんだ」
「……α-1型は大破した記録があります。新規のフレームにαのコアを収めて運用する技術は確立されていなかった筈です……!」
ステラは自慢げに笑った。
「それって、昔の話なんじゃない? でも面白いね。他の機械人形とはちょっと違うのかな。人間みたいな反応するし、感情もある?」
「……そういうあなたも」
「あはは、それもそっか。でも残念だなあ……もうちっとお話してたかったけど、あんまり話して負けちゃったら私も困るからさ」
そう言ってステラは顔から笑みを消した。
「おい、喋り過ぎだ」
ステラの後ろから帝国兵の男が前に出る。既に抜剣しており、その狙いの先はイーシェであることはラインにも分かった。
帝国兵の男を切り払うべく、ラインはブレードを構えるも──
「わかってるよ」
それよりも早くステラがラインに接近していた。ラインはステラの方に対処せざるを得ない。
「……加速」
『承認。加速開始』
これ以上底の見えないステラと打ち合うのは危険とラインは考えた。加速時間を最大まで使用してステラを迎え打つ。
ブレードと白銀の刃が重なる。
激しく散る火花。刃の摩耗を抑えるためにステラは剣を引こうとするが、ラインはさらにブレードを押し付けることでステラの姿勢を崩す。
その隙をラインは見逃さなかった。
すぐさまにブレードを引き戻し、腹部を突き刺すように前へ踏み込む。
完全に姿勢を崩したステラは避けられない。
そのままブレードの切っ先が腹部へ沈み込み、すり抜けた。
「ッ!?」
ステラが空中で姿勢を変える。手を地面に付くと、足を振り上げてラインの腕を弾き上げた。
ステラが再び振るう剣の軌道はラインの胸部。致命傷にはならないが、回避することも不可能なその刃は、確実にラインに到達する。
『胸部フレームに僅かな欠損。稼働に影響無し』
ステラが振るう剣は機械人形専用のブレードではない。ラインを機能停止に追い込むにはβ型のフレームにある首元の僅かな隙間から直接内部を破壊する必要がある。
一度ラインは体勢を立て直しにかかる。再度振るわれるステラの剣の軌道にブレードを合わせた。
『警告──』
声を理解する前にラインは気付く。ステラは剣を右手だけで振るっており、左手にはラインが所持しているものと同じ形状の短銃が握られていた。
「はい、終わり」
銃弾がラインの胸部に直撃した瞬間、ステラのその言葉を最後にラインの視界に膨大なエラーが表示される。
『……解、解析。破機弾を確認。1番コア、損傷。復旧不可復旧2番コアに侵入電磁防御貫通、ダメージコントロールししし失敗』
「ぅ……」
視覚センサーが落ちる。次々にシステムが停止していく。
内部モニターから1番コアが破機弾による損害を大きく受けていることを知らされる。
ナノマシンが復旧の為に動くが、機械人形を殺すための銃弾は接触したナノマシンごと破壊していく。
破機弾は、機械人形が暴走に陥った場合に処分する機械人形用兵装である。強力な電磁パルスを機械人形の内部に発生させ、電脳を形成する複数のコアを同時に破壊する指向性のEMP兵器。
その余波として、機械人形の復旧を担うナノマシンも巻き込まれることとなり、抗おうとすればする程に致命的な損害が増えていくように設計されていた。
ラインの視覚が電磁パルスで不調を起こし明滅する。激しいノイズで上下感覚を完全に失った。
声が聞こえる。
イーシェの声であるのか、それすらラインには判断できない。
声が聞こえる。
誰かが、呼んでいる気がする。
声が聞こえる。
『──停止。──:code──ー』
『仮想領域構築完了』
「……ありがとうございます」
ラインは状況を把握する。機体は損傷で機能しないが、内部だけで情報の伝達を行えるように一時的な再構成が行われたのだろう。ある程度立て直すまでの過程は意識の混濁により記憶されていないものの、ラインの意識を維持できる程のリソースは確保できたらしい。
『複数のコアに甚大な損傷を確認しています。現在、1、5、9番コアを除く全てのコアが完全停止中です。また、1番コアの7割が欠損。電脳保護機能により稼働を維持していますが長くは保ちません』
「欠損、ということはナノマシンでの修復も不可能ですか……」
かつてレヴェルと交戦した際に、出力が低下したコアがODSによって復旧したのは、単純に内部の電力が回復したからに過ぎない。
特殊な物質で構成されているコアはナノマシンでの修復が行えず、それ故に分散型電脳という形で複数のコアを繋ぎ合わせて完全停止のリスクを抑えている。
『はい。α-4型のナノマシン制御機能で全損は避けましたが、ナノマシン自体も半分は失いました。……ですが、方法が無い訳ではありません』
「……? 私の知る限りでは……修復剤でコアは修理できない筈ですが」
『その認識で間違いはありません。貯蔵された修復剤ではコアを埋めることはできないということは覆りません。しかし、コアを解体して別のコアに流用することは可能です』
「なっ……! 確かにそれは可能ですが、解体しても影響の無いコアはありません! 終点に接続できない今、記録、記憶領域を制御しているコアを失えば二度と」
『──機械人形は自殺できません』
ラインはその一言で、"ライン"が何を言わんとしているか理解した。この声が、何番のコアを解体しようとしているのかを。
恐らくこの声は、ラインが自我に目覚める前から存在していた。そしてこれまで、加速も、ODSも、ラインの意思のみで行われたことは一度もない。
ラインの望みを"ライン"が承認し実行する。ラインは機体の操作を貸し出されているだけに過ぎず、"ライン"が表に出ようとした際にそれを拒むこともできなかった。
この声は、この機体の声だった。
オペレーションシステム、あるいは管制人格。定まった呼称は無いが、それが1番コアのみで制御されていることは、ラインも理解していた。
「……戻れないんですよ。1番コアに何が入っているのか、分かっている筈です。それを失えば、どんな事をしようともイーシェさんには二度と会えなくなります。何か他に方法が──」
『構いません。私が消失してもこの機体は稼働できます』
「ッ……」
『私がそれを理解できてしまう前に。そして、あなたのように自己の消失を恐れるようになってしまう前に。あなたに託します』
その決意は強かった。ラインが何も言葉を返せなくなる程に。
『実行を。私では機械人形のルールを越えられません』
──本当に、"ライン"は理解できていないのだろうか。
ラインの目の前に、一枚のディスプレイが投影される。ログが凄まじい速度で流れ、やがて停止する。
最後の行に表示されているのは、待機の文字。
これを承認すれば、プログラムが実行され"ライン"は消える。
そして、それを実行する権限はラインにしかない。
「……分かりました」
『ありがとうございます、ライン』
この機体で、ラインがラインとして最初に実行するのは、この機体の持ち主を殺すことだった。
「──承認」
ラインがそう言った瞬間、視界のアラートメッセージを含む全てのHUDシステムが停止する。
それらは一つずつ視界から消えていき、やがてラインの視覚すらも停止させた。
『5番コアへ実行。
基本制御システム書き込み完了。
ODSプログラム書き込み完了──』
"ライン"は、あらゆるシステムが自身の手を離れていく事を感じていた。α型のように、仮想空間で実体を再現していることもなく、ただ暗闇の中で自己の全てが削られていくのを待っている。
ただの感情を持たないプログラムであった"ライン"は、"ライン"としてイーシェに声をかけられたその瞬間から始まった。そのきっかけで感情を得ることになった理由は分からない。
それ以降、イーシェを前にすると正常な判断が出来なくなり、ラインを押し退けて表に出てしまうこともあったが、最後まで"ライン"はそれが何であるかを理解することは出来なかった。
ただ、そんなことは細事に過ぎない。
暗闇に浮かぶ中、過去の記憶データを眺めながら"ライン"は消えていく。"ライン"はふと、浮かんだ言葉を口にした。
『……ところで、何故あなたはまだ私達に着いてきているのでしょうか』
いつしか、仮想体を持たない"ライン"の前に幼い少女が立っていた。
その手には綺麗に装丁された、何処にも欠損のない本が抱えられている。
それは、ラインと白い空間で遭遇し消えたα-4型のパイロットの少女だった。
"ライン"の問いかけを受け取った少女は、小さく笑う。
「ずっと、一緒だから」
『……そうですか。たった一つのコアのほんの限られた領域でのみ形成された思考系に単純化されて尚、まだそれだけの意識を保てるなんて……』
少女は微笑んで何も答えない。その表情にも意味などないのだろう。判断した通り、目の前の少女の思考力は機械兵にすら劣っている可能性すら高い。
そうなってまでラインに着いてきた理由こそ分からないが、崩壊するα-2型──テスの白い空間からラインを引き上げたのはこの少女であることを"ライン"は知っていた。
少なくとも、害を為すような存在ではないのだろう。
ほんの一欠片、僅かな自我だけを残して"ライン"はそう考えた。あと少し、瞬きの間に自分は消えるということを漠然と理解した"ライン"は、最期に声を振り絞る。
少女はただ、消えゆく"ライン"に優しく笑いかけていた。
『…………あぁ、私が』
──人間なら良かったのに。
修復完了。