52. 『浮上』
「……大丈夫ですか?」
ラインは壁を抜けてすぐに息を切らして蹲ってしまったイーシェの背中をさすった。
「……あぁ……大丈夫だ。エーテル切れを起こしただけだし、少しすれば回復すると思う」
王国を覆う程の魔術を単独行使したことによる影響は大きい。非常に膨大なエーテル量を保有していたイーシェだったが、今では一度の魔術行使でエーテルが尽きてしまう程だった。
それを思い出したラインはふと、言葉を零す。
「今のも、ベースエーテルを……?」
心配そうにラインがイーシェの顔を覗き込むと、イーシェは首を振った。
「ベースエーテルを消費すると保有できるエーテルの総量も減る。今ぐらいの魔術はエーテルだけで行使できるし、暫くすればまた使えるくらいには回復できるさ」
「……極力、使わないようにして下さい。戦闘があれば私がイーシェさんを守ります」
「なんか、うん……ラインの方が強いってのはわかるんだけど……うーん……ありがとう……」
複雑な表情を見せるイーシェにラインが気付いた様子はない。イーシェは息を整えて立ち上がると、周囲に人の気配がないことを確認した。
「これから俺達がするのは陽動……ラインはどう思う? ……本当に俺達のこの動きが必要だと思うか?」
「必要、ですか?」
ラインが首を傾げると、イーシェは近くに積まれている木箱に座った。その表情はどこか辛そうで、息を整えても魔術の影響が未だ隠しきれない程にあるらしい。
「俺である必要がないんだ。俺に皇帝を殺されることを避けたいなら尚更だ。別にクレックスが抱えている兵士にやらせても結果は同じことの筈……。皇帝の前に躍り出ることが俺にしかできない役目とは思えない。クレックスの成そうとしていることに、どう考えても俺を使う理由が無い」
「……つまり、イーシェさんのことも殺そうとしている、と」
「考えたくないな。クレックスには俺を帝国から逃してくれた恩がある。だけど、帝国を手に入れる為に俺もまとめて消すことを選択できる人間でもあるのも事実だ。入った瞬間に撃たれる、なんて事も十分考えられる」
「そうであれば、このまま行くのはリスクが大きすぎるのではないでしょうか。本当にイーシェさんを殺したいなら宿で殺せたと思います。無論、私が止めたでしょうが、イーシェさんがそう言うのであれば協力するには難しい相手だと思います……」
「……ラインの言う通りだ。この作戦には不自然で不確定な部分が多い。もし、これがちゃんとクレックスの作戦だったとしても、死ぬ危険はどちらにせよある。でもさ、行かなきゃいけないって思うのは、これで死ぬのは俺の父親で、家族だからだ。少しでもそれに加担したなら、最後までやるしかないって思う」
家族。その言葉を聞いてラインは無意識の内に手を強く握りしめていた。
ラインの自我が生まれるきっかけになった事を、イーシェは今から行おうとしているのだ。その関係性に差異はあれど、本質はきっと同じだった。
「……」
「勿論、人の命を救う仕事をしてた奴がこんなことするなんてって思う自分もいる。覚悟はあるさ。どれだけ離れても俺は皇族の席に名前を連ねる人間に変わりはない」
そう零したイーシェは木箱から降りる。既に普段の顔つきに戻っており、魔術の疲労は感じさせなかった。
「……役目があるなら、それを果たすべきです。きっと、自分が自分で役目だって、そう思うなら後悔しないと思いますから」
ラインが役目を重要視しているのは、命令を遂行する機械人形であるが故か。ラインは己に課せられた命令を無視したことをずっと考え続けている。機械人形の存在意義を自身の手で否定したために浮上する強烈な違和感と、それに後悔はないという相反する2つの思考が常に電脳の一部を圧迫していた。
「そっか。……うん。そうだな。俺もそうする」
イーシェはそう言って小さく笑う。ラインが頷くと、イーシェは静かに扉に手をかけた。
隙間を見る。外には誰も居ない。異様な静けさが廊下に沈殿していた。警戒を強めながらイーシェはゆっくりと扉を開ける。
「……よし、行こ────」
ぱん。
乾いた破裂音が響き渡った。
固まるイーシェの体。それが銃声であることに気が付いたラインはすぐに駆け寄ろうとするが、寸前で踏み止まる。
「……遠い?」
ラインがそう言葉を漏らすと、イーシェはラインの方を向いて頷いた。
「玉座の間へ急ごう。この音で他の兵が集まってくるかもしれない」
イーシェとラインは部屋から出ると、早足で目的の場所へ向かう。足音を抑えながら周囲を伺うが、他の兵士が集まってくる様子は無い。
そのことに気が付いた時、再び銃声が響く。
「一体どうなってるんだ……!」
「玉座の間へは私が先に入ります。イーシェさんは私の後に」
入れ替わるようにラインが前へ出ようとしたときだった。イーシェは少し悩むような素振りを見せた後、口を開く。
「……《剣、炎》」
何かに罅が入るような音と共にイーシェは手首を押さえる。
「それは……ラダーさんの……」
「師匠ほど練度が高くないから身体には負担が大きいが、今のエーテル量で使える魔術だとこれが限界になる」
イーシェの腕をよく見ると火花のような物が散っている。ラダーほどの制御が効かず、魔術が一部腕から漏れ出しているのだろう。
「……気をつけてくださいね」
玉座の間の前に着くと、ラインがイーシェの前に出る。扉の前に立っているが、未だに静けさが周囲を包んでいた。イーシェは腕を苦しそうに押さえているが、じっと扉を見つめている。
「行こう」
イーシェのその一言で、ラインは扉を押す。玉座の間は明るい。
部屋の中心には絢爛な服を着た男と、小太りの若い男が並んで地に伏せている。
その下には血溜まりが広がり、それを見下ろすようにクレックスが椅子に座っていた。両脇には兵士が二人、何も言わずに立っている。
「少し遅かったな、イーシェ。いや、問題があった割には早かったのか」
「……第一皇子まで、必要だったのか?」
恐らく、小太りの若い男が第一皇子だったのだろう。
「こいつは使い道が無い。皇帝の言いなりで動く操り人形でしかなかったからな」
皇帝を撃ったであろう短銃を布で拭きながら、クレックスは嘆息して倒れている二人を見下ろした。
ラインは宿で会った時と様子がまるで変わらないクレックスに警戒心を強める。
「近衛兵はどうした? 俺はクレックスが身動きが取れないから陽動として来ることになっていた筈だ」
「それなら全員始末した。うちの兵士達がな」
クレックスが横にいる兵士を指差すと、兵士の一人がラインの前に出る。腰にある剣の鞘には薔薇の模様。
「お久し振りです」
その兵士はイーシェの知っている顔をしていた。
黒い森で出会った薔薇を掲げる帝国兵。イーシェと一戦を交え、イーシェの正体に気付いて去っていったその男だった。
「どうして薔薇が……」
イーシェの言葉に、クレックスは表情を変えず顔を上げた。
「薔薇はうちの兵士だ。既に面識があるらしいが、王国侵攻時に会ったか?」
「……あれも、あんたが命令して動かしてたのか」
「いいや、あれは皇帝の要請に従っただけだ。俺としても王国への侵攻は否定的な立場に在りたかったが……まぁそんなことはいい。お前が気になっているのは、何故この場にお前が必要だったか、ということだろう」
銃を懐に仕舞い、クレックスは立ち上がる。兵士の男は、再び一歩下がってクレックスの横に控えた。
「────お前は天才だった。皇帝に匹敵する頭脳を持ちながら、民に寄り添うことができる人間だった。だから邪魔だった。殺すことも考えたがそれはできなかったよ。お前に付いていた兵士は異常な数だったからな。あぁ、直属の兵士じゃない。イーシェ、お前を信奉していた兵士達だ。だが幸いお前も皇帝の立場に収まる気は無かった。俺がお前を王国へ逃したのはそれが理由だ。あそこにいればお前は王国から出ないだろうからな」
苦笑いしてクレックスは窓の外を見る。足元の血溜まりが尚も広がっていく様とクレックスの口調はやはり一致していない。
「最初から、自分が皇帝になるために? 別に俺の方に兵士が付いていたとしても、俺は皇帝になる気なんてなかったって知ってたんだろ。それに、クレックスなら第一皇子にだって……」
「俺の目的は皇帝の座を奪い、俺が皇帝の治世を継承することにあった。最初から、俺のやり方とお前のやり方は相反するんだよ。お前は常に邪魔な存在だったが、俺は帝王学をかじっただけの凡人だ。天才のお前を簡単に殺せるなんて思っちゃいない。準備って奴がいる。天才のお前が覆せないほどの状況で、瓶の中の虫に油を流し込むような作戦が必要だ。あぁ……王国にずっと居てさえくれれば、皇帝が王国の領土さえ狙わなければこんなことにはならなかったんだ」
クレックスはイーシェを振り返る。その顔は酷く悲しそうで、寂しそうだった。ラインは二人の兵士の動きを注視しているが、薔薇を掲げる兵士達は微動だにしない。
「……その作戦ってのは、うまくいったのか?」
「これから分かるさ」
『──熱源反応検知』
「加速ッ!」
ラインが瞬時にブレードを展開して、反応がある方へ向けると、凄まじい速度でイーシェの首に向かっていた銀の刃と衝突した。
甲高い不快な音が響く。ブレードよりも硬度が無いのか、超振動するブレードによって僅かに相手の刀身が削れる。剣の持ち主は身を翻してクレックスの前に降り立った。
帝国兵の軍服ではない。見慣れない服装を身に纏っているのは、女だった。
『加速停止。通信システムを再起動……完了。全機能を復帰』
「速すぎる……!」
「そいつ、使用人か護衛のどちらかとは思ったが。……その剣、機械人形か。まったくイーシェ、お前は恵まれていて羨ましい限りだよ。なぁ────ステラ?」
ステラ。そう呼ばれた女は肩を竦めた。
「いいねー、かわいい女の子が男の子守るっていうのは。私もそういうのやりたかったなぁって感じ」
「やれそうか?」
クレックスがステラに声をかけると、ステラは剣をくるりと回す。
「さぁね。量産型なら勝てるけど、γ型だったら結構キツいかも。でも今の感じで分かった。……そんなに強くないね、アレ。あ、男の子の方はそっちでやってねー」
「あぁ。……おい、出番だとよ」
クレックスがそう声をかけると漸く兵士二人が前に出る。
一触即発の空気が流れるも、お互いに動こうとしない。誰かが動けば、それがきっかけになるからだ。
『……信号を検知』
その声へ、ラインは僅かに意識を向ける。これ以上敵が増えるならラインでもイーシェを守り切るのは難しくなる。
『信号強度……識別……?』
声が困惑しているような様子は初めてだった。互いに暗号化する必要のない機械人形間において、識別ができないなどということはない。
「……何か問題でもありましたか」
『これから報告する結果は、何らかの暗号化等によって正確なものではない可能性があります』
剣をゆらゆらと動かしながら、ステラは楽しそうにラインを見ている。
『通信強度レベルは26。指向性は持たず。交信波応答なし。第一世代機械人形間交信系。管理番号────』
α-1型、識別名────"ネフィラ"。




