51. 『重量』
早朝。
イーシェとラインは木箱の中に押し込められ、馬車に載せられていた。
「……盲点だった」
イーシェが顔を背けながら呟く。車輪の音は大きく、多少の声は容易にかき消してしまうため、外に漏れることはない。
「盲点、ですか?」
イーシェの至近距離で、ラインはそう返した。イーシェがラインを直視できていないのは、狭い木箱による距離感から来る羞恥心である。しかし、イーシェが盲点と言った対象は他にあった。
「……まさか機械人形がそんなに重いなんて知らなかったんだ」
*
「話はクレックス様から聞いています。この木箱の中に入って食料品として偽装し、城内の食料庫まで運びます」
どうぞ、と帝国兵が手を向けた先には、人が入る程の大きな木箱。イーシェは言われるがまま、木箱の中へ入る。中々窮屈だが、人一人が入るには十分な大きさだろう。
「……ん?」
イーシェは気付いた。
その木箱はもう一人入るには小さかったのだ。
「失礼します」
イーシェが固まっていると、ラインがそこへ滑り込んでくる。不意に密着することになったイーシェは驚きの声を慌てて抑える。
「少し狭いですが、蓋を乗せて馬車へ運びます」
帝国兵はそう言って木箱の上に蓋を置いた。視界が薄暗くなり、木箱の小さな隙間から外の光が見える。何故二つ木箱が用意されていなかったのだろう。イーシェはそれだけを思うばかりだった。
「おい、お前はこっちを持て」
外から兵士の声がする。木箱に手がかけられ、木材が軋む音がした。しかし、一向に持ち上げられるような気配はない。何度か手の位置が変わっている様だが、やはり、木箱が動かされることはなかった。
「あれ? ……おかしいな」
「馬鹿、同時に持ち上げるぞ。一人で二人を持ち上げられる訳ないだろう」
「それもそうです。すみません。いつもの荷物の癖で……」
「ほら行くぞ、せーのッ…………………んん?」
やはり木箱が動く様子は無かった。それから数分、兵士の掛け声と唸る声が何度も聞こえ、イーシェが首を傾げたその時、木箱の蓋が開けられた。
申し訳無さそうな表情で帝国兵がイーシェを覗き込む。
「お手数をおかけしますが、先に木箱を馬車の上に乗せるので……そこに入って貰えませんか。恐らくもう一人いれば持ち上げられそうなんですが、多分、その……底が抜けるというか」
「……え?」
「あ」
イーシェが疑問の声を漏らすと同時に、ラインは何かを思い出したかのように声を上げた。
*
「気が付かなくてすみませんでした」
ラインが申し訳無さそうに謝ると、イーシェは苦笑いした。
「いや、俺もあんなに素早く動けるラインからそんなこと考えたことも無かったからな……」
「いえ、王都に存在するような機械人形は人間に近い重量に調整されています。ただ、私のような初期のβ型は男性3人分程度の重量がありまして……」
「3人分……!? 他の機体と何が違うんだ……?」
「……ほとんどは骨格フレームですね。私は量産型より高熱や衝撃に耐えられるよう設計されているので、その分の重量が……」
「まさかそれがこんな所で響くなんて設計した人も思わなかったんだろうな……」
振動を全身に感じながら、イーシェはそうぼやいた。
そう話していると、僅かな間だが、木箱の中に入る光が少なくなった。イーシェは、城の門を抜けたことを理解する。
イーシェは息を潜め、周囲の様子を音を頼りに探る。早朝であるためか、帝国兵の話し声は少ない。一方のラインは、通信系を全て閉じ、別の機械人形から検知されないように内部の設定を変えていた。
これは、かつてレトが連れているC6αの接近に気が付かなかった原理である。当時は未知のステルス技術だと考えていたラインだったが、王都で機械人形同士が通信を行うことによって位置を把握し合い、情報を全体に行き渡らせている様子を見て、機械人形は常にそうするように設定されていることに気付いたのだ。
それはまるで、自分が無意識に呼吸していることに気が付いた人と同じようであった。気が付いてしまえば後は簡単である。呼吸を意識的に止めるように、全ての通信系を閉じるだけで他の機械人形はラインを検知できなくなる。
その代わり、レヴェルのような味方と通信を行うこともできないため、レヴェルの演算の一部を肩代わりしていた頃にそれは使用することはできなかった。
しかし今は完全に独立した状態のライン。いまの状態は人が呼吸を止めるようなものだが、ラインは人ではなく機械である。どれだけ止めていても支障を来すことはない。
やがて馬車は止まり、振動と車輪の音が消えた。
誰かが馬車に乗り込む音がし、直ぐに木箱が小さく叩かれる。
「食料庫の前に到着しました。本来なら中まで運ぶ予定でしたが、ここから食料庫の裏まで回って下さい。馬車の陰になって周囲からは見えない筈です。お気をつけて」
そして木箱の蓋が持ち上げられた。布で覆われた馬車の一部が開かれ、待機している帝国兵が周囲を見ている。
「……ありがとう」
そう言ってイーシェとラインは馬車から降りると、足音を立てないように食料庫の裏まで移動した。
「これからどうしますか。本来の計画であれば食料庫の中で待機することになっていましたが」
「そうだな……」
食料庫の裏は清掃用具が乱雑に置かれており、行き止まりとなっている。ここから移動するとなると、結局食料庫の前に戻らなければならなかった。
イーシェは記憶を頼りに城の地図を組み立てる。
ここで待機し続けるのはリスクが大きすぎる。できるだけ早く移動しなければならない。
計画では食料庫内で木箱を受け取った兵士がいなくなった後、食料庫の内部と繋がる南棟を経由して西棟にある皇帝の執務室へ向かう予定だった。
しかしそれを実行に移すことは今更できない。何とか南棟へ入る方法は無いか、イーシェは壁にもたれ掛かって考える。そして不意に、ある事に気が付いたイーシェは顔を上げた。
「……いや、そうか! 南棟へ行かなくても西棟には入れる……!」
ラインもクレックスが見せた城の地図は詳細に記録している。イーシェが言っているのは、南棟の内部から西棟へ入る経路ではなく、直接外部の入り口へ向かうということだろう。
「西棟の外の入り口へ回るにはかなりの距離があります。確かに理論上は可能かもしれませんが、敷地内を一周して……この……後ろの、棟へ…………」
ラインは上を見る。イーシェがもたれ掛かっている壁は、食料庫の真裏に位置する西棟の壁。
「この向こうは今はもう使用されていない部屋だ」
「……まさか」
イーシェがこの壁を抜けようとしていることを、ラインは理解した。
「ライン、手を」
イーシェがラインに手のひらを差し出した。
「待って下さい、体の方は大丈夫なんですか?」
「正直この一回でかなりきつい。できても、もう一回が限界になる」
「……分かりました」
ラインはイーシェの手を取った。年不相応のまだ幼さが残る手。そよ風に揺れた袖から覗くイーシェの肌に、小さな結晶が析出しているのが見えた。
「《釘、風、結目。……偶像、基盤、自由……繁栄》」
物体が壁をすり抜ける確率は0%に近いが0%ではない。人の様な大きさの物体が壁を抜ける場合も同様である。
そして、イーシェが得意とする魔術は、その確率の操作。
限りなく0に近いそれを100%まで引き上げることにより、どれだけ頑丈に施錠されている扉であろうと、あらゆるものを通過できる。
厚い石の壁を通り抜けるという奇妙な光景を視界に収めながら、ラインとイーシェは西棟内部へ侵入した。