50. 『経路』
「……俺は、どうすればいい?」
イーシェがそう言うと、クレックスは笑う。そのまま床に座ると、懐から地図を取り出し地面に広げた。
薄暗い中目を凝らして見ると、それは城の内部の地図だということをイーシェは理解した。
内部構造を記した地図は、帝国の最高機密の一つであることは想像に難くない。そんな代物をクレックスは平然と取り出したため、イーシェは内心驚愕していた。
「まずは城へ入るところからだ。幾つか経路は考えられるが……そうだな、明日であれば食料の移動に乗じるのが最も上手くいくだろう。そうすれば、食料庫……これだ。ここなら中央に繋がる階段が近くにある。この地点までは昔イーシェも入ったことがあるから分かるだろうが……問題はここからだ」
地図の上を指で辿りながら、クレックスはある一点で指を止めた。
「明日、玉座の間で 他国の大使と会談を行う。ここからだと少し遠回りにはなるが道は繋がっているだろう。だがその分兵士の数も多くなるのだ」
「配置されるのはここと……ここか? でも、どこにも分岐がないこの通路を通るのは無理だぞ」
「その点に関しては問題ない。俺の指揮下にある兵を配置しておく。そうすればお前のことなど路傍の石の様に気にも留められないだろう」
そう言って笑うクレックス。確実性は無いものの、実行する価値はあった。
「……そうだな。それで、その後は?」
「その後?」
「皇帝の前に辿り着いたとして、だ。交渉でもするのか? 殺す訳にはいかないだろ」
その言葉を受けて呆気に取られたクレックスは、イーシェの言ったことを理解したのか、笑い出した。
「は、ははははッ! お前らしいな! 俺としても殺すのは不本意だ。だが、今回ばかりはそうせざるを得まい。我々は国を根底からひっくり返そうとしているのだ。なりふり構っていられんよ。……だが」
クレックスは目を細めてイーシェを見る。決意に満ちたその目は、皇帝の血を感じさせる程の覇気があった。
「──皇帝は、俺自らの手で討つ。会談には俺も参加することになっているが、近衛兵は俺の動きでさえも警戒しているために不審な身動きを一切取れん。お前には皇帝の周りを固めている兵士の気を一瞬気を引くだけで構わないのだ。一瞬でも隙を見せれば、俺が皇帝をこいつで撃つ」
クレックスが懐から取り出したのは小型の銃だった。鈍く光るそれは、使われた形跡が一切無い。僅かな間それをクレックスは眺めていたが、それを懐に戻すと、イーシェに向き直る。
「……そうか」
そう呟いたイーシェの不安げな表情を見たクレックスは、優しくイーシェの肩に手を置いた。
「心配するな。間違ってもお前が皇帝を殺す必要は無い。……これは、綺麗事ではないのだ。お前が皇帝を殺してしまえば求心力が分散する恐れがある。皇帝を殺した者という重い名前には、それだけ人が付くからな。無論、お前の手を汚させたくないという気持ちはある。しかし、俺が確実に皇帝の座に付くにはお前は俺の功績を超えてはならない。お前にも皇帝の血が流れている以上は配下として扱うことも出来ないからな」
「分かってる。俺も皇帝の座に興味は無い。これ以上の侵略行為を起こさないために、俺は戻って来たんだ」
「……本来であれば、事を成した後はお前にも役職を与えることも考えていたが……やはり必要無いか」
「あぁ。俺には、帰る場所がもうあるんだ」
イーシェは胸の辺りに手を当てた。残された時間が限りなく短かったとしても、イーシェは王国に帰ることを考えていた。一ヶ月の間に、謝らなければならない人が多すぎることに罪悪感を覚えつつも、それでも、イーシェは帰りたいと思った。
「……ふっ、その方がいいな。確かにこの腐った世界はお前に合わんだろう」
クレックスは地図を片付けて立ち上がる。そして、紙の切れ端のようなものを取り出すと、イーシェに手渡した。イーシェがそれを見ると、そこに書かれていたのは住所だった。
「明日の朝、此処に来てくれ。そこで積荷の中にお前達を入れる」
「分かった」
部屋を後にするため、クレックスは扉に手をかけたが、そのまま動きを止めた。そして手を下ろすと、振り向かずに話し始める。
「……本音を言うと、俺はお前が来なければいいと願っていた。先程も言ったが、この世界はお前に合わん。苦しむお前を見ていられなかった俺は、あの日お前が逃げられる様に手助けをした。……だが、お前はこうして戻ってきてしまった」
「クレックス……」
イーシェが名前を零すと、クレックスはようやく振り向いた。酷く悲しそうに、クレックスはイーシェを見た。
「ここまで状況を変えられずに来てしまったのは、俺の所為だ。……すまなかった」
その言葉を最後に、クレックスは宿屋を去った。残されたイーシェとラインは、自然と顔を見合わせる。
「……まぁ、向いてないと思うよ、俺も。あの人は根が優しい癖に、冷徹になることもできる。本当なら俺を使うことすら嫌がってる筈だ。そんな人が皇帝を殺すって言うには、相当の決意が必要だっただろう。見ただろ、小型銃を持っているのに一回も使った形跡が無かった」
イーシェはベッドに腰掛けると、完全に暗くなった外を見て溜め息を吐いた。
「全てが終わった後、帝国に戻らなくても良いのですか?」
「あぁ。そもそも、俺が残ったら邪魔だろうし。今回で第二皇子であるクレックスに付いていなかった勢力は大きく地位を落とすことになる。そうなれば俺の方に付いてもう一度同じことをしようと考えるだろう。そしたらクレックスと血塗れの戦いをさせられるかもしれない。俺はそんなの嫌だ。……まぁ、王国に帰りたいってのが一番の理由だけどさ」
「王国へ帰ったら、もう無理はしないで下さいね」
「……そうする。あー……帰ったら怒られそうだなぁ」
「その時は大人しく謝ってみては?」
少し笑ってラインがそう言うと、イーシェは気まずそうに俯いた。
「う……そうだな。……まぁとにかく、今日はもう寝るよ。かなり早くに起きなきゃいけないからな」
「分かりました」
そう言ってイーシェはベッドに潜る。それを見ているラインには当然睡眠の必要が無い。しかし、ラインは何となくイーシェの真似をしてベッドに入った。口元の辺りまで布を持ち上げ、暗い天井を眺める。
『今回の作戦で、イーシェ・インペリタに身の危険が生じるのなら、当機はODSを使用してでもその危険の排除を行います』
もう一人の自分と言うにはかけ離れつつある声。ラインは表情を変えることなくその声を聞いていた。当初、この声は己と等しい存在であると主張していたが、最早それは否定されるべきだろう。これは自分でもなければ、かつて感情模倣演算プログラムが機能していたときの自分でもない。
恐らく、この人格こそが本来のラインだ。
レヴェルと同じような形で感情を手に入れた存在が、この声なのだ。
「……」
そして、これはイーシェに対してあまりにも強い執着を持っている。自分の中の世界が小さすぎるが故に、イーシェという存在の占める割合が多すぎるのだ。一つの機体に二つの人格。共通の目的を持たなくなった以上、いつかはどちらかによって破綻する。
そうなった場合、消えるのは"ライン"ではなく、ラインだろう。
それを自分は受け入れられるか、ラインにはそれを想像することができなかった。時間で考えれば、感情を手に入れてからの期間はそう変わらないにも関わらず、"ライン"の執着はラインから見ても大きな差がある程に強く、歪な形をしていた。