47. 『喪演』
走る、走る。
メアは待機させていた機械人形2機を連れてステラの居る方へ戻っていた。
既に発砲音が9度鳴っている。激しい戦闘が起こっていることは間違いないだろう。
その銃声が、ステラの放ったものであって欲しいとメアは祈っていた。
「はっ……はっ……はっ」
人の手が入っていない森は足元が悪く、思うように進めない。目の前にある枝を払いながら進んだためか、メアの腕には切り傷がいくつか増えていた。
もどかしさに歯噛みしながら走っていると、見覚えのある開けた場所へ出た。
「ステラ!」
しかし、その場には誰もいない。道を間違ったのかもしれない、とメアは呼吸を早める。来た道を戻るべきか悩んだその時だった。
「っと」
メアは姿勢を僅かに崩す。足元がぬかるんでいたのだ。よろめいた所為か、ばしゃりと足を強く地面に付けてしまう。雨水が残っていたのかと思いながら、靴に付着した泥をメアは見た。
赤い。
「な」
地面を見る。飛び散った泥が、足元の草を赤く斑に染めていた。
それが誰かの血液であることを、メアは遅れて理解する。
「ステラ……?」
周囲を見渡すが、人の気配は何処にもない。つまり、これが人の血であるという確証もない。メアは咄嗟にそう自分に言い聞かせた。
恐らく道を間違えたのだ。これは森に住む動物の血だろうと判断し、振り返る。そして、2機の機械人形に命令を出そうとした時、メアは機械人形の1機が何かを持っていることに気が付いた。
「……それは?」
無機質な目がメアを捉える。そのまま、その手の中にある物を見せるように機械人形は手を開いて見せた。
「薬莢と推測。地面に落ちていたため拾得しました」
「……聞いてもいいか」
メアは独り言を話すように、声を絞り出す。機械人形はメアの言葉を待ったまま、微動だにしない。
「……この……血が、人の物だとしたら、その人物は生きていると、思うか」
「地面の状態と観測可能な量を元に推測するに、最低でも致死量に達しているかと」
「そう、か」
メアは、体をよろめかせ、近くの木の幹にもたれかかった。
何度もステラが生きている可能性を考えるが、泡のように消えていく。暫くして立ち上がったメアは、機械人形と共に馬車へ戻り、王都へ帰還した。
起きたことを報告するべく、現実を直視できないまま、メアは隊長の元へ向かう。
「……メア」
「ステラは、戻ってないのか?」
「……」
ステラを探すように周囲を見渡してから、メアは縋るような目で隊長を見た。隊長はメアから目を逸らすと、小さく首を振る。
「ッ────」
メアが崩れ落ちる。隊長は悲痛そうな顔で俯いた。
「……目撃したという帝国兵、薔薇の模様が入った剣を持っていたらしいが、薔薇の象徴を持つ者は帝国兵の中でも我々に近い立ち位置の存在だ。証拠隠滅のため、恐らくステラの遺体は回収されているだろう」
遺体、という言葉を聞き、メアは唇を強く噛んだ。
「……もっと早く、戻れていたら」
「それでも、二人死んで何も残らないよりは良い。貴様が生き残ったことで貴重な情報を持ち帰ることが出来たのだ」
メアの後悔を、隊長は慰めるように否定した。しかし、それを聞いたメアは激高する。
「ステラは私に戻れと言った! 逃げろではなく、機械人形を連れて戻ってこいと言ったんだ! ステラは私を必要としていたんだ……なのに、なのにッ!!」
メアは拳を床に叩きつける。鈍い音が何度も響くが、隊長はそれを止めなかった。
「……もう休め。詳しい話は後日また聞こう」
「すてら、ぁ……」
涙を流しながら、メアは蹲った。メアの元へ近付いた隊長は、静かにメアの背中へ手を当てた。
メアは何度も思い返す。
ステラを殺した帝国兵を。
薔薇の紋章の剣を。
薔薇を。
……薔薇?
*
「……薔薇か」
レヴェルの治療後に病院へ運ばれていたメアは、目を覚ましてから一言、そう零した。
「目が覚めたか」
天井を呆けたように見ていたメアに声がかけられた。その声を認識したメアは、声のする方へ首を動かした。
「あ……」
隣にはベッドがもう一台。そこに包帯で全身が巻かれ、誰かも分からない状態になった隊長が本を読んでいた。
「生きて、たんですね」
「お互いな」
「動いていいんですか?」
それを聞いた隊長は、咳き込むように小さく笑った。
「駄目に決まっているだろう」
「……怒られますよ」
「国が滅ぶよりも恐ろしいものなどないとも」
メアはそれを聞いて黙り込んだ。あの時、不可解な現象によって帝国の砲撃を回避できていなければ、国民の殆どが死んでいたかもしれなかったのだ。
そう言われると、メアは隊長に何も言うことができなかった。
「我々だけでは、帝国を止められなかったでしょう。ライン、レヴェル、砲撃を防いだ誰か。余りにも関係の無い者達が王都を守るために前へ出てしまった」
「不甲斐ないばかりだな。帝国が動かした……γ型機械人形だったか、あれは余りに異質だった。こちらの機械人形など足元にも及ばなかっただろう。……どうやって退けた?」
「あれと同型の機械人形が、助けてくれました」
「所属している国は?」
「断定は出来ませんが、何処にも属してはいないでしょう。自律して行動している様です」
「信じがたい話だな。……いや、そう確証を持つ理由があるのか」
隊長の言葉に、メアは僅かに押し黙る。
「その……、同じく行動していたラインと名乗る機械人形と……友人になりました。機械人形でありながら、人と見分けが付かない程の感情があり、王城の地下施設で怪我をした私を心配までしてくれたのです」
「ふむ……」
嬉しそうに話すメアに思うところがあったのか、隊長は何かを考えている様だった。メアには友人らしい友人がいない。もっとも、メアもラインのことを戦友だと呼んだだけにしか過ぎないが、メアにとっては友人と同義である。
隊長は、メアが友人だと言う存在を得たことを嬉しく思っているのだ。
「そのラインとやら、一度会ってみたいものだな」
そして、静寂が訪れる。隊長が本を捲る音が、まるで夜中に聞こえる時計の針のような心地よさを持っていた。メアは帝国兵との戦闘を思い出したのか、少し険しい表情になる。
「……あの時、王都へ侵入した帝国兵には薔薇の紋章がありました」
沈黙を破り、メアはそう呟く。小さい声だったが、静かな空間で声を届けるには十分な声量でもあった。
「そうか」
「その中の一人が、私のクリップを見て、まるでステラを知っているような事を言っていました」
「……そうか。先程、薔薇と呟いていたのはその帝国兵のことか?」
「はい。……いえ、厳密には、あの時、ステラが殺された時のことです」
メアから何かを察したのか、隊長は静かに本を閉じる。メアは、拳を握りしめ、帝国兵の男を思い出す。
「あの時、ステラを殺した帝国兵も……薔薇だった……! あいつが、ステラを殺したのかもしれないんですッ……!」
帝国兵が一人で国境まで動いている筈もない。最低でもステラとメアの様に二人以上で行動していただろう。恐らく、メアと刃を交えた男もあの場にいたに違いなかった。メアはそう結論付け、憎しみの感情を募らせる。
拳を強く握ったことで、メアのベッドシーツに細かい皺が付く。それは、一人で王都へ戻ってきた時のメアの姿と、酷似していた。
「……怪我に響くぞ。焼いて塞いだ傷が開いたのだろう? 血も足りていない筈だ。今は休んだ方が良い」
その言葉で、メアは我に返った。握りしめていたシーツを放すと、放心したように再び天井を見つめだす。
「いつか、奴らに報いを受けさせます。今はまだ勝てなくとも、必ず」




