46. 『リストレイト』
夢を、見ている。
漠然と、メアはそう感じた。
懐かしい名前を聞いたからか、かつての記憶が夢として現れたのかもしれない。
二番隊隊長の前に、メアは立っていた。隣には、ステラがいる。
「帝国兵が国境付近で目撃された。調査のため、ステラ、メア。お前達に向かってもらいたい」
隊長が報告書を片手にそう言った。それを聞いたステラは不満そうな表情を浮かべる。
「私は構わないけど、メアにはちょっと早すぎるんじゃない?」
「実力は十分にある。それに、機械人形を2機同行させることになっているが……それでも不満か?」
その言葉に、ステラは興味深そうな笑みを浮かべた。
「へぇー、考えたね。なんて報告したかは知らないけど、そこまでするんだ」
王都防衛の要を2機も国境まで動かすことは本来あり得ないことだった。この国では人の命の方が替えが利く。発掘された際の状態が十分で無ければ稼働しない上、生産する技術もない。
流石は二番隊の権限ということだろうか。あれはあれでメアのことを案じてはいるらしい。
「私は、構わない」
メアが口を開いた。
「まぁー偵察だけなら大丈夫かなぁ。極力戦闘は避けて、ちゃちゃっと終わらせてって感じで」
「実際のところ、この情報が誰から齎されたのかは分からんのだ。匿名の情報は信憑性も薄い。誘い出すにしても数人の兵士にそこまで帝国が何かを見出しているとは思えん」
「戦闘になってもメアは逃がすから安心していいよー」
ステラが楽観的に笑いながら言う。その言葉に、メアは思わず反応した。
「私も戦える! そのために訓練もしたんだ!」
「うーん、そうなんだけどね。ほら、メアに怪我でもさせたらこの怖いおじさん怒るから」
ステラは隊長を指差した。当人は一切表情を変えない。
「まだおじさんじゃない」
「そこなんだ……」
そんないつもの調子の二人の間に、メアはしびれを切らして入った。
「とにかく、私も戦う。尻尾巻いて逃げるなんてできるかよ」
メアの好戦的な様子に、ステラは肩をすくめた。隊長も表情こそ変えてはいないが、ステラと同意見の様だった。
視界が変わる。
「ステラは、どうして戦闘課に入ったんだ?」
国境へ続く道を馬車で移動しながら、メアはステラにそう訪ねた。国境に近付くにつれ、整備が届かなくなっているのか、揺れが激しくなっていた。
「え、今聞く? 舌噛みそうなんだけどどど」
「ごめん……」
上下に小刻みに揺れているステラに少し引いた様子でメアが謝った。
「理由かぁ……。うーん、色々あって難しいんだけど……強いて言うなら、『そうするしかなかった』から、かな」
「そうするしか……?」
「王国の出身じゃないんだよ、私。元々はエイカフっていうちょっと離れたところにある国から来たんだけど、家族もいなかったし、頼れる人もいなかった。だから手っ取り早く住むところ、食べるもの、着るものを手に入れるにはってなったとき、それが軍だった訳。そんで試験で監督をぼっこぼこにしたら戦闘課に入っちゃった」
そう言って笑うステラから、メアは眩しそうに目を逸らした。
「……私も、ステラみたいになれるかな」
「なーに言ってんの! 私を超えてもらわなきゃ困るね。目指せ一番隊!って感じで。帰ったらまずうちの隊長に下剋上でもしちゃう?」
「やめとく」
あれからメアは、隊長に一撃も入れることができなかった。クリップを使用できることを知られてしまった状態では、隊長に隙を作ることができないのだ。悔しそうにしているメアに隊長は、あの時ナイフで攻撃されていれば死んでいた、気にすることはない、と慰めの言葉を投げかけているものの、本人は納得できていなかった。
「まぁ、なんていうか、さ。大丈夫だと思うよ。クリップを習得できたのはメアだけなんだから。その時点で殆ど私と並んでるようなもんだぜ」
「……ありがとう」
そう呟くメアの頭にステラは手を置き、楽しそうに笑った。
「いーのいーの。帰ったらご飯でも行こ」
そうしている内に、国境に限りなく近付いたものの、もはや道らしい道は無くなっていた。その代わりにとでも言うように、帝国へと繋がる先には森が広がっている。馬車を止め、メアとステラは馬車から降りた。
「一旦機械人形はここで待機。あっちも同じの連れてたらすぐ気付かれるかもしれないから。一応信号は隠すように言ってあるけど、念の為」
「分かった」
「んで、もし遭遇しても極力戦闘は避けるってことで、行きますかね」
ステラを先頭に、メアは森の中へ入っていく。人の気配は無く、鳥の鳴き声が不気味に聞こえた。倒木によるものか、ある程度開けた場所もあり、視界はそれなりに確保できている。
メアとステラは一言も発することなく森を進んでいたが、国境に限りなく近付いた所で足を止めた。
「特に変わった様子は無いな」
ステラもメアのその言葉に同意するように頷いた。
「……そうね。まぁ匿名の報告だし────」
不意に、ステラの言葉が止まった。訝しげな顔でメアはステラの顔を覗き込む。
「ステラ?」
「いる」
一言、ステラはそう零した。
「え?」
「姿勢を低くして」
言われるがまま、メアは屈む。ステラがじっと一点を見ていることに気が付いたメアは、その視線の先を見る。
やがて、見知らぬ軍服を着た男が、離れた所で立ち上がる様子が見えた。
「……っ!」
「……帝国兵。剣に入っている模様は薔薇、か」
ステラはそう呟きながら、男から目を離さない。暫く様子を伺っていると、奥から少女が1人現れた。何かを話しているが、風で木々が音を立てて掻き消してしまう。
「あれは……機械人形か……?」
「……どちらにせよ、このままやり過ごせればいいんだけど」
安易に動けば補足されるため、メアとステラは同じ体勢のまま、帝国兵の男が去るのを待っていた。あちらはメア達に気が付いていない。数分ほど周囲を見渡す素振りをしていた男だったが、何かを諦めたのか、メア達に背を向けた。
少し安堵しながらも、メアは姿勢を崩さない。帝国の方へ帰っていく背中を逃さないように見ていると、男の後ろを付いて歩いていた少女が不意に振り返り、メアの方を見た。
目が、合った。
メアの心臓が、跳ね上がる。
「────発見」
少女──機械人形が発したその言葉に、男も振り返った。
「あ? ってーことは……はぁ、当たりかよ。……おい、出てこい!」
位置が補足されている。男はまだ把握出来ていない様子だが、機械人形は完全にメアとステラの隠れている場所を見ていた。
諦めたように、ステラが立ち上がる。メアもそれに合わせて立ち上がった。
「帝国兵が、こんな国境で何の用かな」
ようやくステラを見た男は、呆れて頭を掻いた。
「そりゃお互い様ってモンだろう。そっちこそ、そんな所で何してる。可愛い兵士様が国境まで来て何の用だ」
「君達みたいな怪し~い人達を見張るための巡回だよ」
ステラがそう返すも、男は冷めた目でステラを見返す。暫くの沈黙の後、男は口を開いた。
「埒があかねぇな。おい、捕まえて聞き出すぞ。無理そうなら消しても良い」
機械人形が一歩、前に出る。1機だけなら2人がかりで倒せる可能性が高い。メアとステラは抜剣して構えた。
────しかし、それを嘲笑うかのように奥から2機の機械人形が現れる。
「ちょっ……とまずいかな」
メアの額を冷や汗が流れる。状況は一気に逆転した。2機の機械人形がメアの方に向かってくる。男の側に居る機械人形は動かない。恐らく男の身を守るためだろうが、それでも状況が悪いことに変わりはなかった。
凄まじい勢いで接近する機械人形が振るったブレードを、ステラが弾く。メアはそれに合わせるように、姿勢を崩した機械人形の胴に剣を払った。
「かっ、てぇ……!」
メアの攻撃に反応した機械人形は腕を盾にして剣を受け止めた。剣先は微動だにせず、メアはなんとか押し込もうとするも、そのまま剣を振り払われ、空いたメアの体にブレードの柄が打ち込まれる。
「ぐっ、ぅ」
帝国兵の男はメア達を捕らえようとしていた。刃ではなく柄だったのはそのためだろう。追い打ちをかけるべく動く機械人形を、ステラが抑え込む。
「大丈夫?」
「あぁ……げほっ……、一旦引くか……?」
メアがそうステラに投げかけると、ステラは黙って首を振った。機械人形が振るうブレードによって、ステラの頬に赤い線が走る。それを見たメアは再度機械人形へと踏み込み、剣を突き出した。それを防ぐために僅かな隙を生じさせた機械人形をステラは見逃さなかったが、別の機械人形に阻まれ、互いに距離をとる形になった。
「逃げてもあっちの方が速い。……メア」
「何だ」
機械人形達は徐々に距離を詰めるように動いている。これを撃退することは不可能だと、メアは体の何処かで感じていた。
「待機させてある機械人形達を連れてきて。ここで追い返すしかない」
ステラの放ったその言葉に、メアは慌てる。
「それまで1人で戦うつもりか!?」
頬を伝う血液を拭ってステラは前を向く。こちらは敵に一切の損失を与えられていない。メアが離脱すれば、状況はさらに悪くなるだろう。メアにとって、ステラを見殺しにする行為を行える筈もなかった。しかし、抗議の言葉を続けようとするメアを、ステラは片手で制す。
「あんまり話し合ってる時間は無いの。……行って」
ステラが浮かべていたのは、悲しみと決意が混ざった表情だった。メアもそれを理解し、奥歯を強く噛み締めた。ぎり、という音が鳴り、メアは迷いを振り払うように剣を握る力を強める。
「ッ……! すぐ戻る!!」
*
メアは後ろを向いて走り出した。1機の機械人形が後を追おうとするも、ステラの振るう剣によって阻まれる。
「あー、まずい。1人逃した。怒られるな……でもなんか帰ってきそうだしいいか……。取り敢えずそっちは殺しちゃっていいよ」
その男の言葉に、機械人形の動きが大きく変わる。弱らせるような攻撃ではなく、直接ステラを害するように動き出した。数機による同時攻撃を捌ける筈もなく、ステラに切り傷が増えていく。クリップは一対一で最も真価を発揮する動作であるが故に、多数との戦闘では使用できない。体勢を崩したステラに機械人形がブレードを振り上げる────
「──と、思ったかな」
重く響く音。続き、機械人形の崩れ落ちる音。その向こうで顔に笑みを貼り付けるステラの手には、煙を細く立ち昇らせる拳銃があった。
それを見た男は狼狽している。
「おい、おいおいおい、一撃って、冗談だろ」
「どうかな、大切な大切な機械ちゃんがあと2機失くなってもいいなら続けるけど」
機械人形は警戒した様子で、ステラに接近する動きを止めていた。男は頭を抱えながら、溜め息を吐く。
「はぁ……これ絶対怒られるな……うん。始末書か……こうなりゃ、1機も10機も変わんないだろ」
その言葉を皮切りに、木々の後ろから機械人形が現れる。その数、7。ステラの顔が引きつった。
「えー……」
「殺せ」
ステラは残る機械人形に銃口を向ける。同時に、総数9機もの機械人形が、ステラに向かって駆け出した。ステラはメアに戻らず王都まで下がるように言えば良かった、と後悔しながら呟いた。
「最悪……」
銃声が、森に響き渡った。