45. 『SIGNAL』
「な、にを」
イーシェは顔を引きつらせながらも、そう言葉を零した。それは取り繕う為に出たものではなく、ただ、動揺を隠しきれなかったものだった。
「私が落とした紙を貴方から受け取ったとき、エーテルが殆ど流れませんでした。隠していた様でしたが、あれほどの魔術行使がエーテルだけで為せる筈がありません。それに、本来なら倒れていてもおかしくはない体をよくもまぁそこまで動かしているものですね」
ラダーは表情を変えることなく腕を組み、イーシェを見下ろす。
「……」
「いえ、その体すら魔術で無理やり動かしているのでしょう。私の構築した魔術式に最も触れていた貴方なら、医療を手に人体を学んだ貴方なら、操り人形のように魔術で体を動かすことなど造作も無いのは、確かめるまでもありません」
ラダーは、淡々と言葉を並べていく。責める訳でもなく、悲しむ訳でもなく、事実だけを並べている。イーシェは返す言葉を考えたが、上手く言葉をまとめることができない。
「……俺は、後悔してない。これで帝国は王国を安易に攻められなくなった。どうやってアシストカノンを防いだのかを把握するまでは、不可侵条約を結ぼうとする筈だ」
顔を伏せたイーシェは、しかし、はっきりとした口調でそう言った。次の瞬間、イーシェの胸ぐらが掴まれ、凄まじい力でラダーの元に引き寄せられる。
「私は、自己犠牲を尊いものとは思わないし認めることもしないッ!!!」
「…………そう、だろうな」
イーシェは、ラダーを見る。かつて見たこともない師の激高を前にしても、イーシェ・インペリタは己の行いを悔いることはない。
ラダーも、これ以上の言葉を続けることは出来なかった。イーシェの自己犠牲により、自身と、多くの王国民の命が救われたのだから。ただ、イーシェが敢えて帝国の砲撃を早めたことまでは知る由も無い。イーシェも、わざわざそれを話すつもりもなかった。
「ただ、救われたのは事実です。それに関して、私は貴方に感謝しなくてはいけません」
「……はは。そんな、顔しながら言われてもな。……今も俺の体をずっと調べてるんだろ? …………あと、どれくらい残ってるかも分かってるんじゃないのか」
ラダーはイーシェから手を離した。バランスを崩したイーシェは、病室のベッドに座り込んだ。
「既に状態を維持できず崩壊が始まっています。安静にしたとしても、一ヶ月で全てのベースエーテルが消失するでしょう」
その口調は、先程の激高が嘘の様な静けさだった。イーシェはラダーの言葉を反芻する。
「一ヶ月、一ヶ月か。まぁ、思ったよりは残ったか」
そう言って、イーシェは懐から一冊の本を取り出した。擦り切れ、汚れも多く、本と言うには適当な紙を束にして紐で繋いだだけのもの。それを、イーシェはラダーに差し出した。
「……これは?」
ラダーは訝しげな顔でその本を見る。
「俺が作った魔術が纏めてある。殆どが未完成だけど、多分師匠なら分かると思う」
「……弟子が作った魔術を私が引き継げと言うのですか」
「まぁ無理そうなら他の人に任せてもいい。身体強化系ばっかり得意で、医療系ですら習得に手間取ったんだろ」
「……言ってくれますね」
ラダーは本を受け取ると、イーシェが用意した包帯などが収められた袋を手にし、扉の方へ歩き出す。扉に手をかけたとき、ラダーは再びイーシェの方を向いた。
僅かな間をおいて、ラダーは口を開く。
「まだ、やることが残っているんでしょう」
「……あぁ」
「行きなさい。そして、いつかまた。イーシェ・インペリタ」
「ッ……」
扉が閉まる。時計の針の音が残る部屋の中、イーシェは顔を手で覆う。後悔は無かった。
ただ、皇族に名を連ねる者として、己を国の歯車の一部として組み込まれる運命にあったために、イーシェは他者から人として扱われていることを考慮していなかった。
"ライン"がイーシェの己を削る行為を咎めても、理解できなかった。ラダーが激高した意味も、理解できなかった。
しかし、行動の結果、己のために涙を流す者がいることを、イーシェは知ったのだった。
*
「──帝国に行く」
イーシェはラインにそう言った。
「帝国、ですか」
イーシェが戻ったとき、既にラダーは診療所を後にしていた。レトはレヴェルがメアを助けに行った際に城から呼び出しがあり、ここにはいない。二人だけの診療所は、ひどく広く見えた。
「やらなきゃいけないことがあるからな」
「……大丈夫なんですか?」
「まぁ、多分」
「帝国はイーシェさんの魔術で侵攻できなくなったのでは? 少し休んだ方が……」
イーシェが首を振る。
「今じゃないと、駄目だ」
「そうしなければならない、理由が?」
ラインの言葉に、イーシェは黙って頷いた。
「……そうですか」
ラインはそう言って立ち上がると、壁にかけられていた薄手のコートを手に取る。イーシェはラインの不可解な行動に声を上げる。
「何を……」
「何って、帝国に行くのでは?」
ラインは首を傾げてそう言った。イーシェは、ラインの行動の理由を理解する。
「いや、いやいやいや、付いてこなくていいって。危険だし──あっ」
イーシェは慌てて己の口元に手をやった。
「危険、なんですね」
ラインがイーシェの失言を繰り返すと、イーシェは溜め息を吐いた。
「……まぁ、そうだな。一応帝国から逃げ出してるし、アシストカノン撃たせるために名前使って宣戦布告までしちゃったし」
「また無茶なことをするつもりなのではないですか?」
「……するかも」
イーシェが白状するようにそう言うと、ラインはイーシェの目の前まで歩いて近付いた。そして、α-4型のコアが格納されている箇所に手を当てる。
「私は、死ぬということを恐れている……のかもしれません。腐敗病というナノマシンの暴走を止める際に、私はα-4型のコアに接続することを躊躇しました。私という存在が消える可能性があったからです」
ラインは語る。未だ理解し得ない己の感情について。ひとつひとつ、確かめるように、言葉を続けていく。その感情を、理解するために。
「ですが、意識を失った貴方を見て、確かに私は自分の意思でコアへの接続を実行しました。──あなたに、死んでほしくないと思ったから」
イーシェが血を吐き、意識を失ったとき、ラインの天秤は僅かに傾いた。それはイーシェを気にかける素振りを見せる"ライン"の干渉によるものではない。ラインが、そうしたいと思ったからこそ、ラインはα-4型のコアに接続を行ったのだ。
「……」
イーシェは何も言わずに、ラインの言葉を聞いている。
「きっと、私は自己の消失を恐れています。しかし、それでも、あの時の私にとっては、それ以上に優先したい物があったのです。……いえ、今も同じ選択をするでしょう」
これは、"恐怖"だった。ラインはようやくそれをそうだと認めたのだ。
イーシェが僅かに逸らしていた目をラインに合わせる。
「────」
「──イーシェさんも、例え自分の死と引き換えになったとしてでも成し遂げたい、そんな何かがあるのではないですか?」
イーシェはラインを見る。ラインは、相変わらず表情を変えずにイーシェをじっと見ている。目が合った状態が数秒続き、イーシェは自分の髪をぐしゃりと握る。ラインはイーシェに死んでほしくないと言った。そして、イーシェは帝国から生きて戻れなくとも構わないと思っていた。
ならば、イーシェがどれだけ断ろうとも、ラインはイーシェを助けようとするのだろう。
「あー! 分かったよ! 一緒に来てくれ! これでいいか!?」
ラインは僅かに口角を上げた。
「はい」
イーシェは、ラインがもし帝国へ同行したことで破壊されるようなことがあることが分かっていたとしても、帝国へ行くことを止めることは無いだろう。イーシェは、自分のためにラインを危険に誘うのだということを何度も己に言い聞かせる。体の隅々にその罪が染み込むまで。
「巻き込んで、悪い。……ありがとう」
残された時間は一ヶ月。イーシェは己の死が誰かを悲しませることをようやく理解していた。
無事に帝国から戻ることができたとしても、結局は────。
そんな思いを頭から振り払うと、イーシェはラインと共に診療所の外に出る。遠くには巨大な城壁には煙の晴れた大穴が見えた。その周囲に目立った損害がないのは、レヴェルやメアが敵の侵攻を食い止めていたのだろう。城の方を見ると、下の地区から未だ火が立ち昇っている。ラダーもきっと、そこにいるのだろう。城内ではレトが慣れない機械人形全体の統率を任されているのかもしれない。
「それで、帝国へは何をしに行くんですか?」
ラインの問いかけにイーシェは振り向いた。煙の匂いのする風が吹き、二人の間を駆け抜けていく。
イーシェは不敵に笑って答える。
「国を墜としに」
ちまちま進んでいます。
なんとか風呂敷を畳めるよう努めております。
次章もよろしくお願いいたします。