43. 『直線上に』
その光によって視覚センサーは一時的に焼きついた。
時間にすれば一秒も掛からない内に修復されるだろう。
極力対象以外に影響が無いように調整されているとは言え、α型の兵器を無理やりβ型に載せたことによる弊害は避けきれない。
恐らく両手の人工皮膚は蒸発したのだろう。視界が白に消える直前、指先が溶けだしていたことをラインは検知していた。
ラインが量産型であればその熱でフレームに歪みが生じていた可能性もある。
しばらくして、ラインは周囲の様子に気付いた。
ホワイトアウトしたまま、視界が元に戻らないのだ。
しかし、ラインはその理由をすぐに理解することになる。
はっきりと目の前に現れたのは真っ白な空間にそぐわない豪華絢爛な机と椅子、そこに座って蒸気の僅かに昇るティーカップを持つ貴族風の青年。テスである。
「割り込み易かったよ。直接繋がっていたからね」
「……どういうつもりです?」
「別に、何かしようって訳でもないさ。あぁでも、加速機能は制御させて貰ってる。あまり時間はないからね。もう一人に睨まれてしまう」
もう一人、というのはこの空間に招かれなかった者のことだろう。ラインには心当たりがあった。
「”私”、ですか」
「不器用だよね。可愛らしいけど、意志を制御出来てない。というか……呼び方同じだとお互い混乱しない?」
「……」
「それに……意志、心、感情。彼女がそれらを発現しているのは明らかだけど、本人もその事を理解出来ていない上に、厄介なのは何かに依存していることだ」
「……最近、イーシェさんが事に絡むと制御権を奪われる事がありました」
「うん。まぁ、十中八九何かがきっかけでその人に依存しちゃってるんだろうね。それ以外はどうでもいいって結論を出してるかもしれない」
「……それで」
「いや、それだけ。それが気になったから一応伝えておいたよって話。……さて」
テスはカップを机に置こうとして、僅かに思い留まり、残った紅茶を一気に飲み干した。
「アレ、凄かっただろう」
「……α-2型の兵装のことでしょうか」
「そう。全盛期の見せてあげたかったな。もっと凄かったんだよ」
ジュッて感じで、とテスは誇らしげに笑った。きっと、アシストカノンの着弾とは比べ物にならない損害が与えられたことだろう。しかし、それほどの破壊力を持つ機体であっても、大破し、ドック送りになったのだ。純粋な破壊力だけでは勝利を続けることはできなかったということである。
「それ、防がれたんですか?」
「あ、痛いな。最初は上手くいったんだけど、磁界で逸らせることがバレちゃって。雷様直々にドカンって────おっと」
爆発を表現するように手をテスが開くと、指が崩れて消えた。
破片はノイズを発しながら散り散りになり、地面に付く前には跡形もなく消失してしまう。ラインは、テスの言う時間が無い、という言葉の意味を理解した。
「限界、なんですか」
「まぁ……壊れかけのコアに膨大な演算を入れたからね」
まるで愛用していた椅子が壊れたかのような表情で、テスは少し残念そうに言った。
「……怖くないんですか」
「特には思わないなぁ。あ、そうか。君達とは価値観が違うんだった。これでもベースは人間だし、正直数十年超えた辺りからもういいかなって思ってたよ。それが千年以上続く訳で……んん、でも、僕らの後継って人間使ってないのか。────それで、君は怖いの?」
びくり、とラインの肩が跳ねた。
「……分かりません」
「分からない?」
結局の所、ラインはその感情と向き合うことをしていなかった。何が怖いのか、怖いとは何なのか。それがテスによって急に目の前に提示されたことで、ラインはようやく考え始める。
「大気を漂うナノマシンを止めるためにα-4型のコアと接続したとき、私は一度自己の消失を……恐れて、躊躇しました。これは死にたくないということなのでしょうか? 私は、死にたくないのでしょうか……?」
ラインは目を伏せて言った。声は徐々に窄まっていき、やがては水滴が落ちる程の音になっていく。そんなラインを見て、テスはその顔に小さく笑みを浮かべ、ティーカップを机に戻した。
カップが机に置かれた音を聞いて、ラインは顔を上げる。テスは何も言わない。ラインも言葉を発することなく、テスを見る。音の無い白い空間に、永遠とも思えるような短い時間が流れる。
そして、カップに亀裂が入った。
「──"直線の君"」
テスはそう言って立ち上がると、ラインの目の前までゆっくりと歩いた。テスの突然の言動に、ラインはただテスを見ていることしかできない。ラインと手が届く程の距離まで近付くと、テスは再び口を開く。
「──"貴女の全ては貴女の物だ。全ては忘れ去られた。もはや君が縛られる物は何もない"」
テスが言葉を発するが、ラインにはその意味を理解できない。
「……何を」
「伝言。まぁ、優雅でもなかったけど、こういうのも悪くないかな」
「あなたは、私が何かを知って────」
ラインがテスに詰め寄ろうとしたその時だった。白い世界に亀裂が生じ、地面が震えだす。ラインが周囲を見渡すと、急激に世界が崩れ始めていることが分かった。
「久しぶりに楽しかった。彼女のことをよろしく頼むよ」
「待っ────」
テスの声を認識するよりも早く、ラインの足元が崩壊する。世界に開いた穴に落ちる寸前、何かに引かれるように、ラインは白い世界から消失した。
テスだけが1人、崩れる世界に残される。息を吐いて椅子に座ると、懐かしそうな顔で罅の入ったカップを撫でた。
「ねぇ、リーネア。これで良かったんだろう?」
思い返すは、或る日のこと。
『テス。私は、必ずあの子を人に戻すよ』
『リーネア、君は何も分かっていない。あの子が本当に望んでいるのは、君と一緒にいること、ただそれだけなんだ』
『知っているさ』
『……では、何故』
『──目指す終わりに、私がいないからだよ』
「馬鹿だね、君も」
テスは空を見上げ、笑った。
その姿が黒に消えるまで。
*
強い光。視覚センサーが復旧したことによるノイズの一種だった。視覚どころか全ての感覚用センサーが停止状態にあったらしい。
『復旧完了。一時的な停止状態にあったことを確認しました』
声と共にラインの意識も浮上する。強い風の音がした。
「どうなって……」
『敵地に着弾を確認。着弾点より半径300Mが蒸発したものと思われます。加えて、発射による反動で追加機体が著しく損傷。空間錨を維持できず、現在高度を低下中です』
顔を動かせば、徐々に崩れ落ちていくα-2型の機体が見える。切り離して再接続を行ったのか、対空用の補助装置だけがなんとか動いている状態だった。
「出力250%」
『補助装置出力250%へ変更』
出力の増加に伴って異音がした。想定を超えた出力により、エンジンが限界を迎えつつあるのだ。着地する頃には、ただの荷物と化していることだろう。
「……テスは」
『当機内にα-2型の仮想人格は確認できません。現在接続中のα-2型は1番コアのみ正常に稼働。兵装使用後に3番及び5番コアが融解したことが原因であると思われます』
「そう、ですか」
電脳の容量が低下したことで一時的に動けなくなっている可能性もあった。しかしラインは、テスが"死んだ"のだということを理解していた。
α型は感情や人格を制御する機能が無い。恐らく復元したとしても、彼は元に戻らない。
補助装置により減速したラインはゆっくりと地面に降りる。同時に、補助装置が外れて地面に落ちた。唯一、腰部に接続されていたα-2型のパーツの一部だけが残り、周囲には残骸が散らばっている。
『α-2型の1番コアは現在追加機体として接続中です。機体内に回収してコアの再配置を行いますか?』
「……はい」
ラインが静かにそう言うと、僅かに残っていた追加機体もラインから外れ、足元に落ちた。




