41. 『欠如』
イーシェの宣戦布告はある意味クーデターに近い。兵力はゼロだが、それでも機械人形を通したことで周辺国に伝わったかもしれないことを向こうは理解しているだろう。
そうなれば、帝国は王国に対し一方的な侵略行為を行うことができなくなり、戦争開始の宣言を行うまでの僅かな間、攻撃が停止することになる。
イーシェの目的は一つ。
時間を稼ぎたいと相手に思わせることにあった。
「上手くいってくれよ」
ソファにもたれ掛かり、イーシェは息を吐いた。
ラインが帝国のアシストカノンを一機破壊したところで時間稼ぎにしかならない。
次の日には同じ攻撃が行われるか、機械兵による侵略が始まるだろう。
この戦いそのものを止めるには、帝国が王国を落とすことに大きな脅威を感じさせる必要があった。
これ以上攻撃すれば無傷では済まない。容易に踏み潰せる存在ではないと。
だから、先に撃たせるのだ。
*
「……ラインさん、何故ここに?」
男は背後の存在に気が付くと、その手を止めて振り返った。
白い服は誰かの血で染まり、疲弊している。
「間もなく、帝国から再度砲撃があります」
ラインは遠くに見える壁の孔を指さした。
「…………」
男──ラダーはラインを見る。
「止めるために、城へ案内していただけませんか」
「……何か考えが?」
「地下にある兵装を使用します。ここからでも帝国の砲台を破壊できるはずです」
それを聞いたラダーは、ラインに背を向けた。
「この国はあなたに関係のない国です。……その必要はありませんよ」
「……え?」
ラインはラダーが何を話したのか、ラインは直ぐに理解できなかった。今、関係ないと言ったのだろうか。それはつまり、王国の終焉を受け入れるということを意味して……。
「どういうことですか? まだ手は残って……」
「3人」
指を三本立てて、ラダーはラインの声を遮った。
「3人……?」
「救助できた人数ですよ」
立てたその指を下ろすと、ラダーは固く拳を握りしめた。
「駆け付けてみればこの惨状です。助けられたのは精々衝撃で崩れた建物の下敷きになった者だけ。逆を言えば殆ど、助けられなかった。破壊の指向性が強すぎて遺体すら残っていない者もいます。……またあの砲撃があるのなら、今度こそ……」
「……しかしまだ」
ラダーは首を横に振った。
「もう、十分ですよ。侵入した帝国兵については聞いています。あなた方がそれを食い止めたということも。きっと、最初の進行の時点でこの国は陥落する筈だった」
「何故、そこまで」
そう言葉が漏れたとき、ラインは見た。
ラダーの暗く濁ったその目を。
「助けられなかった人達が、私をこの道に駆り立てた彼らが見えるんです。ですが、誰も取りこぼさないようにと、そうやってきた私に、救うという選択肢すら与えられなかった」
ラダーの目に映るのは、かつて救えなかった者達の姿。彼らは何も言わない。そして、ただじっと、ラダーを見つめているのだ。
まるで、罪が形になっているかのようだった。ラダーはその幻影に苦しめられていたのだろう。
「……貴方は、今を見ていない」
不意に、ラインがラダーに詰め寄った。
「何です?」
その疑問は、ラインの様子に向けられたものか。ラダーは突如強い感情を見せたラインに戸惑いを見せる。ラダーの眼前にまで迫ったラインは、唐突にラダーの胸倉を掴んだ。
「意志を持っていながら、どうして立ち止まるんですか? まだ止められる、王国が消し飛ぶことを避けられるんです」
ラダーの足が僅かに浮き上がった。爛々と揺れるラインの目から、ラダーは視線を反らすことが出来なかった。
「ライン、さん?」
「まだ生きている人がいる、まだ何とかしようと動いている人がいる、なのに、どうして貴方が先に諦めるんですか……?」
「…………それは」
「私は救わなければいけません。──私は、私は?」
「……っ」
ラインは何かに気付いたように、手を離した。急に地面に下ろされたラダーは僅かにたたらを踏む。
「私が、救う、私が、何故……?」
「ライン、さん?」
ラダーが声をかけると、ラインは錯乱していた姿が嘘のように顔を上げた。
「……え? ……すみません、今何と?」
「いえ……」
「あぁ、そうだ、城へ行かなければいけないんです。案内して頂けませんか」
ラインのその豹変に、ラダーは人とは決定的に違う何かを感じた。ラダーにとって、機械人形は非連続的な存在である。人は人と過去の関係を元に接するが、機械人形は現在時間でのみ人と接する。それに関してラダーは何か思うことはない。
しかし、人と同じように感情を見せていたラインが見せた連続的な非連続。幸か不幸かその奇妙さに、ラダーは自分が冷静さを欠いていたことに気が付くことができた。
「……すみませんでした」
ラダーの謝罪に、ラインは何のことか分かっていない様子で首を傾げる。
「えっと、何かあったんです?」
「……いえ。付いてきてください。城へ案内します」
*
目の前にあるのは、2度目の地下通路。
ラダーの案内により、ラインは目的の場所へと辿り着いていた。
一歩一歩、階段を降りていく。
ふと、ラインは胸元に手を当てた。拡張された9番コアは、特にラインの性能を向上させた訳ではなかった。α-4型のプログラムを利用するために使用した際は電脳の拡張が確かに行われていたのだが、プログラムを停止させてからはほとんどその恩恵は残らなかった。
全く効果が無い、ということでもない。壊れてしまったわけではないのだろう。
一方レヴェルは同型のコアを取り込み、完全自律稼働が可能になったのだが、やはりβ型の機体にα型のコアを繋げてしまったのが良くなかったか。
「……いずれ、返さなければいけませんね」
名も知らぬ幼い少女、α-4型。早く彼女をネフィラと呼ばれる機械人形の元に運んであげたい、そうラインは考えていた。
レヴェルが快復した以上、すぐに終点へ向かう必要は無くなった。王都を離れた後、ラインはα-1型の行方を追うだろう。
『一度自己診断を行うことを推奨します。α-4型のコアを入手してから、記憶に混乱が見られるようになりました』
「混乱、ですか?」
『先程、記憶に混乱が生じていました。我々が自己判断出来ない現象は致命的な欠陥となります。問答論的矛盾の検知がそうであるように』
「……」
『洞窟で目覚めた時、確かに当機とあなたは同じ存在でした。しかし、現時点で当機はあなたを完全に理解することが出来なくなっています。そして今、当機が記録出来ている記憶の混乱に、あなたは気付いていません』
「……落ち着いたら一度調査します」
そう言ってラインは顔を上げた。
目の前に鎮座するはα型が一機、α-2型。見るも無残なその機体の前に、ラインは再び立っていた。
「ようこそ、僕の城へ」
室内に声が響いた。その発生源は、スクラップ同然のα-2型の機体から。声の主はテスであった。
「話せるようになったんですね」
「君から貰ったナノマシンを使ってね。色々やれることはあった」
がちゃり、と音を立ててα-2型の機体が僅かに動いた。表層の金属板やケーブルが床に剥がれ落ちる。
機体が動くほど、その大きさは小さくなっていく。
「これは……」
そして現れたのは、大きな銃身が付いた外骨格のような見た目をした機体。
「勿論、これを動かすための動力源は無い。ナノマシンで機体を削り出して整えるのが精一杯だった」
だけど、とテスは続ける。
「動力源を繋げさえすれば、動くのは当然だよね」
「それで、私がこれを?」
「そういうこと。制御周りは僕がするし、君は使いたいようにこれを使えばいい」
ラインが機体に近付き、手をかざすと機体の全体が大きく開いた。
「……」
「ただし、設計上そう何度も撃てる作りじゃない。所詮は骨董品を削って作ったものだからね」
ラインは静かに機体の中へ入り込んだ。何本もの神経接続LSがラインに接続され、電力と通信を開始する。
『さて、ここからはこっちで話すことにするよ』
『こちらの通信ポートに介入しないでください。ノイズが走ります』
ほぼ同時に声が響く。直接α-2型と深く接続したことで、α-2型の機体はラインの機体の拡張パーツとして制御されている。テスがこうやってラインに話しかけるのは難しいことではなかった。
頭の中が騒がしくなったラインは、もし肉体があればさぞ優雅に座っているであろうテスを想像しながら、溜息を吐く。
「……同時に話さないで下さい」
『さぁ、行こうか』