39. 『模索』
「王国の人間は賢い」
メアと刃を交えながら、男はそう言葉を漏らした。
「……」
メアは何も応えない。いや、答える余裕もない。致命傷を受けないように捌くのが精一杯で、代わりに大量の浅い切り傷を肌に刻んでいる。打ち合うたびに、腹部から血液が漏れ出すのを感じる。
男の剣に刻印された薔薇の模様が、メアの血で赤く彩られていく。
「王国は上層部から選ばれた者が次期国王とする代表制。しかし、建国から汚職、腐敗、あらゆる不正を起こさず、ただ『国を存続させる』という一点をもとに国を運営している。まさに異常集団だ」
男の剣が少しずつ重くなる。さらに、メアが持つブレードの重さも増している。これは、血を失いすぎたことを意味していた。
ブレードが弾き飛ばされる。首を狙った刃先を、メアは手甲で受け止める。衝撃で姿勢を崩し、地面へ倒れ込んだ。転がるように姿勢を立て直すも、ブレードを構えるより早く、男はメアに接近していた。
「その毒は帝国を滅ぼすだろう。だから貴様らをひとり残らず消す。思想を殺すのだ」
切っ先がメアに向かって突き出される。その速度は、誰が見ても避けられないと感じてしまうだろう。
しかし。
「……ふむ」
剣はメアの体をすり抜け、空を切った。
反撃に振られたブレードを男は難なく交わすと、僅かに距離を取った。
「魔術ではないな。とすれば純粋な体術……あぁ、その動き、見たことがある」
「何?」
「ステラ・リストレイト」
思いがけぬ名前に、メアの持つブレードの切っ先が僅かに下がる。
「なんで、その名前を」
答える気がないと言わんばかりに、男は剣を振り上げ、メアに振り下ろす。慌てて受け流すが、動揺しているメアの動きはかなり固まっている。
数度打ち合う頃には、ブレードはメアの手から離れ、メア自身も地面に倒れ込んでいる。そして、その首元には男の剣が添えられていた。
しかし、男はメアを殺そうとしない。それどころか、その視線はメアに向いてすらいなかった。
「……なるほど。だからγ型が破壊されたのか」
男の視線の先には、ブレードを展開しながら佇んでいるレヴェルがいた。
「貴君が指揮官か」
レヴェルが問いかけると男は頷いた。
「そうだ」
「当機は貴君に停戦を要求する」
「断れば皆殺し、といったところか。貴様、その中身は機械だな。それも、王国が運用している訳ではないようだ。目的も単純、これを守りに来た、ただそれだけ。だからすぐには攻撃しない。それが目的ではないから」
そう言って男はレヴェルに向き直った。
「分かった。これより当部隊は王国より撤退することを約束しよう」
男は表情を変えず、剣を鞘に収める。
「……」
「精々頭上に注意することだ。──撤退を伝えろ」
男が近くの帝国兵に命令すると、その帝国兵は腰の銃を上に向けて引き金を引く。発射された弾丸は空へと飛び、轟音とともに空中で炸裂した。
「……ま、て」
男は視線を下に向ける。メアが男の足を掴んでいた。男が軽く足を動かすと、メアの手は簡単に離れた。しかし、その目だけは男を捉え続けている。
「惜しいな。実に、惜しい」
そう一言告げ、男は去っていった。
*
ラインが腰のブレードに手を伸ばし、帝国兵と一触即発の空気が流れる。
「イーシェ・インペリタだな」
「……そうだ」
「我々と同行してもらう。これは皇帝からの命令だ」
イーシェは目を見開いた。そして、怒りを抑えるかのように目を逸らす。
「あぁ、そうかよ」
「……」
ラインが庇うようにイーシェの前に出た。イーシェからは見えないが、ラインの目は無機質な物になっている。
「下がれ、機械人形。こちらは戦闘を目的としていない」
ラインは何も応えず、ブレードを展開した。
「イーシェ・インペリタ。この機械人形を下げろ。一時間後にここをアシストカノンで吹き飛ばすことになっている。貴様も死にたいか?」
「……俺がどうしようが、ここを吹き飛ばす気なのか」
「そうだ」
帝国兵が頷くと、イーシェは小さく息を吐いた。
「ライン、下がって」
ラインの肩を掴み、イーシェは更に一歩、前へ出た。それを同意と受け取った帝国兵は銃口を下ろす。
「連行しろ」
「──なら、断る」
遠くで、何かが爆発する音がした。両者の間に、沈黙が流れる。
「……撤退だ」
一人の帝国兵がそう零すと、他の帝国兵は何も言わずに診療所から走り去っていった。
残った帝国兵が、イーシェに銃口を向ける。
「断った場合、殺害するように言われている」
ラインがブレードを構えようとするのを、イーシェが手で制し、ラインの方を見て首を振った。ラインは困惑しながらも、ブレードを下ろす。
イーシェは帝国兵に向き直ると、正面から見つめ返す。
「……撃つなら、撃てよ」
「では」
イーシェの制止を振り切り、ラインが前に出ようとした瞬間。
……帝国兵は銃口を真下に向けて数度発砲した。イーシェは、表情を変えずに帝国兵を見ている。
「私には、できません」
俯き、悔しそうな声で帝国兵は言った。
「……馬鹿だな」
「まだ、逃げられます。北に兵は割けていません。機械兵は配置されていますが、あなただけは抜けられます」
イーシェが呟くと、捲し立てるように帝国兵は話す。状況が飲み込めないラインは、困惑した様子で立ち尽くしている。
「俺は、逃げない。まだ、ここが更地になるのは止められる」
「……無理です。もう命令は下されてしまった。先程の音は発射命令です。何らかの理由であなたの捜索が打ち切られたという意味なんです!」
「じゃあ、お前こそ早く逃げないと」
イーシェは笑ってそう言った。帝国兵の顔が歪む。
「……わかりました。どうか、どうかご無事で、皇子」
そう言って帝国兵は診療所を去っていく。イーシェとラインに、再び静寂が訪れた。
「皇子、というのは……?」
ラインがイーシェに問いかけると、イーシェは頬を掻いた。
「一応、ね。継承順位も四位だし、名ばかりのものなんだけど……」
一旦そこで言葉を止めたイーシェだが、再び口を開く。
「……インペリタって、皇帝の家系なんだ。でも領土拡大のやり方に口出ししたらこの様。一応あの帝国兵は元々直属の兵士だったんだよ」
「だから、連れ戻そうとしていたと?」
「うーん、多分。生きてても死んでてもいいから、帝国の敵にならないようにしたかったんじゃないかって思う。継承権を失っても、皇帝の血筋であることは変わらないし……俺を祭り上げた謀反が起こる危険性もある」
「……これから、どうするんですか」
ラインの問いかけに、イーシェは肩を竦めた。
「まだ、やれることはあるさ。……そういえば、王国の地下。昔の施設があったらしいけど、なんかこう、防御力あるものって無いのか?」
「地下、ですか」
地下には、α-2型がその残骸を横たえている。地下内の機械兵を利用してもアシストカノンの前には塵に等しいだろう。
『α-2型に通信を接続することは可能です』
「……繋いでください」
空気中のナノマシンを経由して、即席で音声系の通話回線を作成する。α型は人間がベースとなっていることもあり、音声での通信が可能なのだ。
ラインがα-2型に繋ぐと、想定より早く返答があった。
『やぁ。専用の回線を作成して連絡してくるとは思わなかった。これはナノマシンを経由しているのかな。うん、あぁ……そうか。そうか』
急に一人で何かを話し始めたα-2型──テスにラインは話しかける。
「……現在30機以上のアシストカノンがこちらに向けられています。これを防ぐ設備はそちらにありますか」
『無いよ』
きっぱりとそう言いきったテス。想定していた答えだったが、ラインは少し落胆した。
「……そうですか」
『でも、止めることはできる』
「え?」
その言葉に、ラインは顔を上げる。
『アシストカノンを連動させるにはどれか一機を親として接続する必要がある。それがどれかなんて割り出すのは簡単だし、あとはそれを破壊すればいい。独立させて動かすにも再設定が必要になる』
「破壊って……どうすれば」
『"SAgittarius"』
一言、テスはそう言った。
「……それは?」
『α-2型に搭載された兵器の名前だよ。長距離の敵をまるっと消し飛ばす最強の矢さ』
「それで、帝国のアシストカノンを……?」
『まぁここがアシストカノンの射程内なら確実に当たるね』
「しかしα-2型の機体は損傷しているはずです。稼働させるのは困難と聞きましたが」
機体は動くこともままならないほど機体は損傷していた筈である。テス自体も司令塔となる己の肉体を失ってしまっているため、機体が無事だったとしても運用は不可能だった。
『だから君が使えばいい』