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β-Type3/MOD  作者: Stairs
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33/77

33. 『ステラ』

 


 メアは、ステラに連れられ兵士が集まっている施設に案内されていた。宿舎だろうか、比較的軽装の兵士達が食事を取りながら談笑している。中には寝起きであろう者もいた。


 そんな雰囲気の施設で、なにやら机に書類を広げて文字を書いている男の方へステラは向かって歩いて行く。メアは何も言わずにその後を追った。


 背中を向けていた男はステラに気が付いたのか、ペンを持つ手を止めるとゆっくり振り返った。ステラを一瞬見るも、男はその後ろにいるメアに気付く。


「なんだ、その汚い子供は」


 メアがこれまで感じたこともないような冷たい雰囲気を漂わせる男は、メアを指さしてそう言った。ステラは気にした様子もなく男に言葉を返す。


「貧民街から連れて来た。見込みあるんだよこの子」


 ステラはメアの頭に手を乗せ、笑った。固まっているメアは、頭に手が乗せられていることすら気付いていない。


「そうか。体を洗ってやれ」


 男はメアに興味を持たなかったのか、背を向けて書類のようなものを再び書き出す。萎縮しているメアは、何も言うことができなかった。


「うん。じゃあメア、こっちこっち」


 どうやら男がメアのことを汚いと言ったのは、貧民街の人間だから汚いということではなく、単純に汚れのことを言っていたらしい。確かにメアは体を洗うことができるような環境で生活しておらず、かなり汚い状態であった。


 ステラに案内されるがまま、シャワー室にメアは移動させられる。ボロ布でできた服を脱がされ、中に放り込まれた。


「使い方分かる?」


「いや……」


「しょーがないなぁ」


 制服の上着を脱ぎ、袖を捲ったステラがシャワー室の中に入ってきた。メアはなされるがまま座らされ、頭からお湯をかけられる。


「あっづッ」


「温度調節できないんだよねこれ。まぁ慣れればこんなもんだから」


「だからっていきなり……わぷっ」


 ぐしゃぐしゃと髪を洗われ、メアについた汚れが洗い流されていく。


「うっわきったないなぁ。どんだけ汚れ溜まってんのさ」


「仕方ないだろ……体を洗う水なんて手に入らないんだから」


「それもそうか。ま、これからはここで汚れを落としてね。体が汚れてると心に余裕が持てなくなる。有事の際はそんなこと関係ないけどさ、普段はそうしとかないとうちの課は馬鹿にされるからね」


「……分かったよ」


 全身を丸洗いされたメアは、シャワー室から出て脱衣所に戻った。しかし、着慣れた小汚い服はどこにも無く、その代わりにステラと同じ見た目の制服が置かれていた。


「じゃ、これ着てね。君が着てたあの服汚れ過ぎてて一応洗いに出してるけど、いる? 捨てる?」


「捨てていい」


 窃盗団を抜けるとき、仲の良かった仲間から餞別に渡され、それから着続けていたのがあの服だった。


 だがメアは捨てると言い放った。唯一の持ち物を捨てるという行為は、メアにとって過去との決別を意味する。


「そか。じゃあ明日から訓練だから、今日はゆっくり休んでいいよ」


「……訓練?」


「そ、君がこれから過ごすのは最前線で敵を全部ぶっ殺すのが仕事の部隊だからね」


「普通の、兵士じゃないのか」


「兵士に普通なんてないよ。色んな人がいて、色んな役目がある。そんで、ここは戦闘課。一番死にやすいけど一番死んじゃいけない生き地獄」


 私はそこの副隊長、とステラは自身を指さして笑った。


「二番目に偉い、ってことか」


「そんなんじゃないよ。戦闘課も戦闘課で複数に別れてて、私がいるのは二番隊。ずっと城を守らなきゃいけない一番隊を除くなら、最強の部隊なんだぜ」


「だから、死んじゃいけないってのは……」


「そ。私達が負けたらどの部隊でも勝てないってみんな気付いて士気が落ちるから。あ、いや、三番隊の隊長なら分からないけど、まぁあの人は人間じゃないから数に含めなくてもいいか……」


 メアは支給された制服の袖に腕を通した。新しいからか、これまで着ていたボロ布に比べればかなり硬い。


「……大きい」


「戦闘課に子供なんて入れるわけないんだから仕方ないよねー。ま、今後の成長に期待ってことで」


「その子供を簡単に入れて良かったのかよ」


 髪の水気を拭き取りながら、


「隊長がいいよって言ったからね」


「隊長?」


「ここに来たとき、最初に会ったあの怖そうな人。『そうか』って言ってたから多分大丈夫なんじゃないかな」


「……興味がないって目をしてたけど」


「案外そうでもないんだよ」




 *



「遅い」


「あんたが速すぎ……いったぁッ!?」


 メアが戦闘課と呼ばれる施設にやって来てから、数か月が経過した。


「一つを認識した時点で次の攻撃に備えている点に関しては問題ない。だがそれは貴様がここに来たとき既に持っていたものだ。フェイントを挟まれても動けるようにしておけ」


「うぐ……」


 当初、訓練はステラが色々教えるものだとメアは考えていた。しかし、蓋を開けてみれば初日から隊長が登場し、メアを立てなくなるまでボコボコにしたのである。無論、メアが立てなくなったのは怪我の所為ではなく、疲労のためであるが。


 トレーニングの内容を渡され、一日中それをこなす。最後には隊長自ら確認しに登場し、ボコボコにされるのがメアの日常になりつつあった。


 次の日のためのトレーニング表をメアに手渡し、隊長は去っていく。その背中をメアは憎らしげに睨みつけていた。


「今日も派手にやられたね」


「……ステラ」


「さっきの見てたけど、あれ、避けられるんだ」


 あれと言うのは、完全に殺す気の目の隊長がメアに対して拳を振るい、メアがそれを回避する訓練のことだろう。一発目を避けることはメアでもなんとかできるが、次の一撃にフェイントが混ざってくるために避けられず、吹っ飛ばされたのである。


「あれぐらいは……ってか、最初の一発だけだ。あいつ、そのままあたしのこと殺す気だろ絶対」


「あれぐらいっていうけど、隊長の攻撃は一発でも避けられない人って戦闘課でも結構いるからね」


「ステラは?」


「私? 避けられるよ。こう見えても私はそこそこ強いんだぜ?」


 しゅっしゅっ……と言いながら左右に動くステラ。どこからどう見ても、その華奢な体と細い腕でまともに戦えるとは思えない。


「……そうかよ」


「え? もしかして疑ってる?」


「そういう訳じゃない。ただ、悔しくて」


「ふーん……。じゃあ、いいもの教えてあげよっか」


「え?」


 そう言って、ステラはメアに手袋を渡す。促されるままメアが手袋をはめると、訓練場の中央にステラは立った。


「おいで」


 腕を脱力させ、姿勢はそのまま。隙だらけの姿。


「……」


 メアは重たい体に鞭打って立ち上がると、黙ってステラの前に立ち両手を構える。メアが構えたのを見たステラはにっこりと笑った。


「お好きに?」


 メアはステラに向かって足を踏み込んだ。その衝撃を腕に乗せ、下から突き上げるように拳を振るう。


 ステラはいつものようにニコニコとした表情を崩すことなく立っている。このままメアの拳がステラに当たると思われたその瞬間だった。


「なッ!?」


 ステラの体を拳が()()()()()のだ。


「はい、これで一回ね」


 気が付けば、メアの心臓の位置にステラの拳が添えられていた。もしこれが戦闘なら、心臓を衝撃が貫いてメアは絶命していただろう。額に冷たい汗が流れた。


「なんだ……今の」


「クリップ、っていう体の動かし方。体の一部を残すように回避することで、どう避けたのか相手に悟らせないようにするの。つまり、防御のフェイントってところだね」


「……お前ら全員こんな動きできるのかよ」


「今のところは私だけだね。でも、君ならできると思うんだよな」


「ステラが言うなら……」


「お、嬉しいこと言ってくれるじゃん。また明日見てあげるから、練習しといてね」


「分かった」


 メアはいつも、避けるという行為を、受け身を取り、攻撃を受け流すことに意識を割いていた。


 しかし、先程の"クリップ"と呼ばれる技術を見て、その考えを改めることになる。防御に立ったとしても、攻撃なのだ。互いの駆け引きこそを攻防と呼び、ただ攻撃を受けるだけでは初めから負けているのと同じなのである。


「こう……こうか」


 メアは目を瞑り、ステラの動きを思い返しながら動きを再現していく。それは、熱中したメアが疲れて気を失いかけるまで続いた。





 翌日、いつものように訓練場でメアが倒れ込んでいると、約束通りステラが現れた。


「やっほ」


「……何度か試したけど、避けたことを分からないようにするってのが出来ない」


「んじゃ、ちょっと見せてよ」


 メアは体を起こすと、ステラに促されて昨日と同じように立つ。


「そい」


 ステラは構えると、軽く拳を打ち出した。メアは、自身と拳が接触する寸前、腹部を捩じる。ステラの拳は滑るようにメアを通り抜けた。


「ほら……何か、違うだろ」


 目を伏せて不満げに言ったメアに、ステラは顔を引き攣らせた。


「へぇ……一回しか、見せてないんだけどな」


「相手の動きを見る癖があって。ある程度は覚えてられるけど、だからといって動きを真似できるわけじゃないし」


「いやいや、上出来だよ。一日でここまでできるなんて思わなかった。……うーん、そうだね、確かに受け流せてはいるけど、これじゃあどう避けたかは分かるかな」


「何が足りない?」


「足りないっていうより、考え方が違うね。多分、当たらないように体を動かしてるんだと思うけど、クリップは"攻撃の位置だけ体を置かない"ってことが大切なんだ」


「攻撃の位置だけ、体を置かない……か」


「そ、てか、え? なんかもうできるようになってきてない?」


 言葉の通りに体を動かし始めたメアを見て、ステラは信じられないものを見るように驚いた顔をした。


「……あと三日あれば、できると思う」


「もっと時間かかると思ってたけど……いやぁ、君を見つけて良かったよ」


「何であたしをそこまで評価してるんだ?」


「んー、内緒。いつか教えてあげる。でも、すごく期待してるよ。私には君が必要だからね」


「なんだそれ……」








 それからさらに一週間。


 いつもの基礎訓練をこなしていると、少し予定よりも早く隊長が顔を出した。


「……まだ終わってねぇぞ」


「仕事が早く終わったのだ」


 メアは訓練の手を止め、汗を布で拭うとベンチに座った。


「そうかよ」


「貴様の正式な入隊が決定した」


「これで、ほんとにあんたらの仲間入りって訳か」


 この時点から、メアは、自身が本当の意味で貧民街の人間では無くなったことを理解した。散々苦しめられた地獄から抜け出せたメアであったが、ステラに連れてこられてから基礎訓練のみの日々。他の人間と共に過ごしたわけでもなく、実感というものが未だに湧いていなかったのだ。


「いいや、貴様が所属するのは後方の整備課六番隊だ」


 思わず、手に持っていたタオルを取り落とした。メアは自身の耳を疑った。この男はなんと言った?


 ……整備課?


「はぁ?」


「来月から城周辺の公共施設修繕を担当することになる」


「は、え? なんでだよ。戦闘課じゃないのか?」


「確かに貴様の身体能力は有能だ。いずれどこかの隊で隊長、或いは副隊長にまで上り詰めることも可能だろう。だが、それ以上に貴様の頭脳を俺は評価している。整備課は城と繋がりを持ちやすい上、城内登用される場合もある」


 メアは取り落とした布を拾い、自分の横に置いた。


「……断る、って言ったら」


「理由は聞こう」


「あたしを見つけたのはあんたじゃない、ステラだ。ステラがあたしを戦闘課にって言ったんだ」


 メアは隊長をじっと見る。無表情で、その感情は捉えにくいものの、隊長もメアから目を離さなかった。


「確かにこれは俺の独断だ。この決定にステラは関わっていない」


「じゃあ、取り消してくれ」


「それは出来ない。貴様の身体能力よりも、その頭脳の方が優れているからだ。その歳で、その判断力、理解力は到底得られるものではない」


「……じゃあ、頭よりも殴った方が強ければ良いんだな」


 メアは立ち上がると、腕を脱力させた。


「何?」


「あんたをぶっ飛ばせば、ここに居られるんだな」


 それを聞いて、隊長は深く息を吐き、目を閉じる。メアは初めて、隊長の表情らしい表情を見た。


「……分かった。良いだろう」


「来いよ、ボッコボコにしてやる」


 隊長は踏み込むと、メアの目の前に接近した。訓練の時よりも速く、そこから振るわれる拳はより鋭い。受ければ、少なくともまともに立てなくなるだろう。


「……ッ!」


 まずは一つ。メアは受け流すように身を捩る。上腕を拳がすり抜けていくのを感じた。


 チリチリと首筋に違和感を覚える。

 続けざまに迫る反対方向からの蹴り。


 メアはそれを隊長の懐に潜ることで回避する。


「終わりだ」


「――――」


 潜った先に、待ち構えていたかのような掌底。


 メアの踏み込みと、掌底の速度が加わる。これによって掌底は目にも止まらぬ速さとなり、メアに迫る。

 避けられない。







 そのまま、掌底がメアの腹部に当たり――――すり抜けた。




「っ」


「おらァッ!」


 メアの拳が、隊長の腹を打ち抜く。


 ずん、という鈍い衝撃。静寂が、訓練場を包み込んだ。


 呟くように、隊長は言葉をこぼした。


「……クリップか」


 大人でも嘔吐して倒れ込む程の威力があったというにも関わらず、隊長は動じることなくメアの目を見ている。隊長の目に映るメアの顔は、引きつっていた。


「効いてねぇのかよ……」


「いや、これがナイフや刀剣の類なら致命傷になっていた。貴様の勝ちだ」


「……なんか、納得いかねぇ」


「貴様の意思、強さは理解した。認めよう。クリップは二番隊副隊長独自の技術、奴以外に誰も使える者はいない。それを習得できるということは、貴様は……戦闘課にとって非常に有用な存在である」


 整備課の話は撤回する。それだけを言い残し、隊長は訓練場を後にした。


 誰もいなくなった空間で、メアはへたり込む。




「……あれ、マジのマジで殺す気だったろ」




 *






「見てたよ」


「貴様か。基礎訓練後に会っていたのは知っていたが、クリップを習得させていたのは想定外だった」


「あれ一週間で習得したんだよ。すごくない?」


「おかげで、整備課へ移動させられなくなった」


「メアがまだ子供だから、死なせたくなかったんでしょ。頭脳を評価してるって言ったけど、どうかな。あの子は環境に抗うために賢くならざるを得なかっただけで、参謀みたいなことができる子じゃないと思うな」


「貴様は、そうでは無いのか」


「あの子は、死なないよ。絶対。だから、そんなこと心配しなくていいの」


「……俺の娘も、生きていれば奴と同じ年頃だった。少し実力差を見せれば諦めると思ったが、油断していたのは俺の方だったらしい。あれでは認めざるを得ない」


「そうでしょー。なんてったって――――」


 ステラはにこりと笑う。





 ――――あの子が、いつか私を救ってくれるんだから。

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