32. 『メア』
「ちょっといいか」
「はい」
メアは壁の方へ向かっている途中、巡回している機械人形を発見し、声をかけた。
「現在王都に機械兵が接近しているというのは事実か」
レヴェルの話が本当なら、この機械人形も同じことを答えるはずというメアの発想だった。
「はい。現在、王都へ向けて200の機械兵が接近中です」
「……何故、報告しなかった」
「当機にはそのような命令が与えられていません」
無機質な機械人形の目がメアを見る。少女のようなその姿は、幼さと無感情さが相まって酷く不気味に見えた。
「……………そうか。このことは城の人間に……宰相殿に伝えてくれ」
「分かりました」
機械人形が巡回に戻ると共に、メアも壁へ向かって足を急いだ。じわりと滲んでいた血の感覚は既に無く、湿った不快感と激痛がメアを蝕んでいる。
戦闘課二番隊副隊長、メア。
彼女は貧民街の出身であり、幼少期は盗みで金を稼ぎ、雨水を飲んで過ごしていた。
身体能力が同世代の子供よりも高かったことから、建物の屋上から品定めし、盗んでは建物と建物の間を登り逃げていくのが彼女のやり方であった。
貴族を狙うのは避けるという暗黙の了解が貧民街にはあり、彼女もそれには従っていたものの、巡回している兵士に関しては、もれなく窃盗の対象となっていた。機械人形はごく稀に見かけることはあるが、巡回のほとんどは人間の兵士である。特に、新人と思われる兵士が貧民街を巡回していることが多く、懐の緩さから標的にされ易かった。
捕まるなんて馬鹿な真似はしない。盗んだものを路地裏ですぐに確認し、油断した奴らから捕まって、酷い時は殺されることも日常茶飯事であったが、メアはそうならなかった。
いつものように、メアは新人の兵士を狙い、すれ違い様に財布を盗む。手首には真っ赤な布切れを巻いておく。こうすることで、もし犯行に気付かれても"手首に赤い布を巻いた人間"を探されるようになるのだ。あとは人目の付かない所で捨ててしまえばいい。
路地裏に入ってすぐ盗んだものを確認するということはせず、メアは誰も登ってこない安全な屋上までよじ登り、そこでようやく戦利品を確認した。
「……たったこれだけか」
ひっくり返しても、数枚の銅貨が落ちるのみ。これではパン一つだって買えやしない。貧民街向けの粗悪なものであれば買えるだろうが、そのあまりの品質の悪さに命を落とす者もいる。メアはそれを避け、隣の地区まで移動してある程度質の良い食料を調達することにしていた。
財布を漁ると、紙が入っていることに気がつく。もしかしたら金になるものかもしれないと、それをつまんで取り出した。
「写真……?」
それは、先程盗んだ財布の持ち主である兵士と、その母親らしき人物が映った写真であった。
少なくとも金になるものではない。メアは屋上から投げ捨てようとしたが、ふと思いとどまり、写真をもう一度見返した。
「母親か……」
メアに親はいない。こうして一人で行動するようになるまでは、とある窃盗団に所属しており、メアはそこで育てられた。メアのような子供に与えられるのは質の悪い僅かばかりの食事。
食べるための金を得るために必死に盗んでも全て奪われる生活を繰り返し、メアと歳が近かった仲間は殆ど餓死するか、盗みが見つかって殺された。
その生活から抜け出すため、現在はその窃盗団から抜け、彼らの活動領域に触れないよう、離れた場所で盗みを繰り返しているのだった。
「――それ、返して貰えるかな?」
「ッ!?」
背後から聞こえた声に、メアは咄嗟に飛び退いた。
そこには、女がメアの目線に合わせてかがんでいた。見慣れないが、兵士の制服を着ているところから、盗んだ財布の持ち主である兵士の仲間かもしれないとメアは考える。
「この辺歩くと物盗まれるのは日常茶飯事だからね。研修と勉強って感じで新人兵士を巡回させるんだけど、まさか財布に亡くなった母親の写真を入れてるなんて思わなくって」
「……この写真のことか」
「そー、それ。お金は勉強代としてあげるからさ、写真だけ返してくれない?」
言われるがまま、メアは写真を渡そうとするが、すぐさまその手を戻した。女は首を傾げる。
「……ひとつ、教えてくれ」
「ん、なに?」
「あたしは、あんたがその気になればいつでも捕まえられたってことか」
メアは、何かに縋るように女を見た。それを聞いた女は、ニコニコとしたその笑みを崩すことなく、頷く。
「そーだよ」
メアは、口元を震わせながら、俯いた。
「……捕まえる価値も、ないってのか。このクソみたいな世界から、あたしらを救う価値もないって……そういうことかよ」
「それは違うかな」
女は否定する。
「貧民街の人はね、本当に救われたいなんて誰も思ってないんだよ」
メアは己の中に、焦りが生じたのを感じた。
「そんなッ……! そんなわけない! あたしは、あたしはこんな生活から抜け出して……」
「どうやって? 盗んだお金で? それでダメだったらまた盗んで暮らすの?」
「あたし達にはそれしか……そうするしかない……貧民街に居るようなやつらを受け入れる所なんて何処にもないんだよ……ッ!」
窃盗団でも、こんなことせずに暮らしていければと話していた者はいたのだ。本当は、誰も盗んで暮らしたくはないのだと、メアは自分に言い聞かせた。
「そうだね」
「……え?」
肯定の言葉に、メアは目を丸くした。
「そうするしかないんだよ。君達はいつも"奪うこと"を考えてる。努力なんかしなくても奪えばいい。助けてもまた暮らせなくなったら盗んで暮らせばなんとかなると思ってるのが君達なんだ」
メアは思い出す。
……彼らは、その状況から抜け出そうとしていただろうか。
「だから、助からない……?」
「助ける必要がない。君達は君達のルールでこの地区に生きている。今のままで案外上手くいってるし、他の地区に迷惑かけたら捕まえるけど、ここで起きたことはここだけで完結させればいいんだから。ただちょっと消費が多いから、適当に物資を撒く必要があるんだけどね」
「なんで、そんなッ……」
「この国の法はそう作られてる。カスみたいな人間を1箇所に集めて、ある程度自由にさせておくことで全体の平和を保つ。国民全てを救うなんてことは、私たちにはできないんだよ。ほら、楽しそうだったでしょ? 窃盗団のリーダーとか。井戸の中で自分が支配者だと思わせておけば最低限の規則と流れが生まれる。私達はその井戸に残飯を投げ込んで蓋をすればいい。ね、心当たりあるんじゃないかな?」
「……」
気が付けば、メアの視界は滲んでいた。それは悔しさと、どこか納得の混じった感情が渦巻き溢れ出したものだったのかもしれない。ついた膝の上で、拳が強く握られる。
女は、メアが落とした写真をそっと拾った。写真に付いた土埃を叩いて払うと、自嘲するように小さく笑う。
「……聖書にあるように、神様が人間の試作品として作ったのが機械人形なのだとしたら、私たちは知恵を得た代わりに秩序を失った、人間の失敗作なのかもしれないね」
メアは反応することなく、俯いている。
「君は頭がいい。油断しないし、客観視も、状況の理解も、与えられた情報から複数の事実を導き出すこともできる。身体能力も凄いね。ここまではしごも使わずに登るなんて中々だ。この街の人間がそうそうできる事じゃないね」
「……だからなんだよ」
メアは目を閉じた。涙がこぼれ、地面に落ちる。
「君がここを抜け出したいと思うなら。ここが君にとっての地獄だと思うなら」
メアはゆっくりと顔を上げた。太陽に隠れ、女の顔は見えない。ポケットに入れていた手を差し出し、制服を風にたなびかせながらメアを見下ろしている。
「住む所も、地位も、奪われないための力も君にあげる。その代わり、次の地獄に君を連れて行くよ」
「……ぁ」
メアはその手を、掴んだ。
「私はステラ・リストレイト。君の名前は?」
「……メア」
「ようこそメア、私たちの地獄へ」
*
「……ょう……副隊長!!」
誰かが呼ぶ声がした。
「あ、あぁ、すまない。意識が……」
メアは頭を持ち上げた。
なんとか壁まで辿り着いたメアは、状況を伝達しようとしたが、そのまま倒れ込んでしまったのだった。体を起こすと、簡易的な包帯が服の上から巻かれていた。
「動かないで下さい、血が……!」
「……何時間だ」
「1分程度です。副隊長は療養のため前線から引いていると聞いたのですが……」
「お前達に任せて、私だけ安全に過ごすことはできない。元よりこれから侵入してくるのは、お前たちではどうしようもない連中だ。……大量の血が流れるぞ」
「侵入……帝国兵でしょうか。それとも、機械人形……?」
「いや、機械兵というらしい」
兵士は聞きなれない言葉に首を傾げた。
「機械兵、ですか。機械人形と同等のものだとするなら、こちらもかなりの数を集めましたが」
「ダメだ。王都の機械人形は本来、偵察や暗殺を主にする機体だった、らしい。機械兵はいわゆる戦闘用の機械人形にあたる」
「すぐに確認したい所ですが、まだ孔が高温で近付けず……。少し前に南門から偵察を出していますが……」
「間に合わんな……恐らく侵入まであと数分。今すぐ配置に付け」
「数分!?」
「そうだ。あぁそれと……機械人形は互いを敵と認識できないらしい。……詳細に命令しなければやられるぞ」
メアは兵士の肩を借りて立ち上がる。
「待機所まで運びます。こちらに」
「いや、いい。……ところで、お前は確か魔術の心得があったな」
「……はい? まぁ、多少火を起こすぐらいですが」
メアはおもむろに腰の剣を抜いた。突然の行動に、兵士は肩を僅かに跳ねさせる。
「その魔術、使ってくれ」