29. 『残雪』
「……今彼らを追いかけて、機器の在処を聞き出す、と言うのは……」
ラインは苦し紛れに答えを絞り出した。その答えが非現実的かつ非合理的であることは自覚したうえである。
イーシェは首を振る。死を恐れていない様子の男を尋問したところで、在処を吐くとは思えない。それどころか帝国との軋轢を生じさせかねないのだ。
しかし、イーシェが次に発した言葉は、ラインの予想と少し異なっていた。
「薔薇だけで動くとは考えにくい。多分後ろに別部隊が控えてる」
「……別部隊?」
「あぁ。そいつら以外は基本的に帝国内から出てこないはず……十中八九薔薇の他にもう一部隊いると思う」
「それは、部隊名……でしょうか」
聞きなれない名称に、ラインは首を傾げる。
「帝国は部隊に象徴として花を与えるんだ。俺達が遭遇したのは薔薇で、帝国の最高戦力。まぁ……人の中では、って感じかな。例えば山吹はよく薔薇と一緒に行動する部隊で、表に公表されていないけど、暗殺系の任務を専門としてる」
スラスラと語るイーシェ。その姿はさながら専門家のようで、思い出すといった動作を一切挟んでいない。
そんなイーシェを見ていたラインに、一つの疑問が浮かぶ。
「何故そのような情報を?」
「え? ……あ」
しまったという顔で、イーシェは自分の口を手で押さえた。先ほどまでの様子とは正反対の不安気な表情で、イーシェは頭を掻く。
「それに、その木の枝のような……杖でしたか? 帝国兵はそれを世界樹の杖と呼んで特別視しているようですが……」
「あー……、そうだな。うん、あー……」
歯切れの悪い返事をして何かを考えているイーシェであったが、やがて観念した様子で腕を脱力させた。そして、ラインに見せるように、片手に持っていた木の枝を持ち上げる。
「……世界樹を使った道具は、帝国の特権階級の人間が持っている強力な身分証明書みたいなものなんだ。俺は長男でもないし、父親に追い出されてるから、権力なんてほとんど持ってないけどな」
「だから帝国の情報を?」
「一応は、な。戦争が起これば特権階級の人間が指揮を執ることになるから、基本的な内部構成とかは一通り勉強させられるんだよ」
そう零すイーシェの顔は、"話したくない"という感情がまざまざと浮かんでいた。
「すみません、変なことを聞いてしまって」
「いや、いいんだ。帝国は身分が絶対の国だから、あまり話したくなかったってだけ。これを言うと、俺を見る目が変わってしまいそうで……」
寂しそうに下を向くイーシェに声をかけようと、ラインは口を開く。
「私は──」
『──身分の差は当機に影響を及ぼすものではありません」
私は気にしませんよ、そう伝えようとしたラインだったが、それに割り込む形で口が動いた。突然の出来事にラインは反応することができない。
「……え?」
それはイーシェも同じだったらしく、少し驚いた様子でラインを見る。
「……"私"が一時的に主導権を奪ったようです」
「てことは、あっちのライン?」
「……そうですね」
思考は共有されている。別系統の思考プロセスが、自分と同じことを考え、近い言葉を選んでいることもラインは理解していた。
しかし、割り込んでまで言葉を伝えた理由が分からない。
ラインが分かるのは"ライン"が言葉を伝えようとしたからということ。"ライン"も思考を共有しているが故に、今ラインが言おうとしていたことは理解していたはずである。
疑問に思うが、"ライン"は答えを返さない。"ライン"も答えを持ち合わせていないのか、それとも、共有していない思考が存在するのか────
「そっか。……ありがとう」
イーシェはそれを気にしている訳ではないらしい。
取り敢えずのところ、今はそれを考えている暇などないだろう。
ラインもその思考を1度破棄しようとした、その時。
目の前に飛び込んできた光景に、図らずともその思考は吹き飛ぶことになる。
「────」
「ん?」
イーシェはこちらを驚いた表情で見つめるラインに気が付いた。
「それ………」
ラインがイーシェを指差した。イーシェは後ろを向くも、広がるのは光の届かない暗闇ばかり。
イーシェがラインの方を向き直ったとき、その指先がイーシェの背後ではなくイーシェ自身に向けられていることを理解した。
「げほっ」
不意に出た湿った咳。液体のようなものが口から少し飛んだことで、咄嗟にイーシェは口元を抑える。
ぬるりとした感触。
「……っ」
その感触が指先に伝わった瞬間、イーシェの背筋は凍った。
……色。色をまだ自分は見ていない。高鳴る心臓を感じながら、イーシェは自分にそう言い聞かせた。
見るまでは、自分の身に起きた事象が確定することはない。
現実逃避のようなことを考えてしまう自分の思考の異常さを自覚しつつ、小刻みに震える指先をゆっくり顔の前へ動かす。
「あぁくそっ……」
光の少ない場所でも分かるような、赤。焚火によって照らされているせいか黒く見えるそれは、紛れもなく血。それが手のひら全体に付着していた。
分かり切っていたことだが、確定した現実として、その事実がイーシェにのしかかる。拳を握り、イーシェは溜め息を吐いた。その様子を見て、ラインが心配そうに声をかける。
「まさか、腐敗病……?」
イーシェは口内に残った血を吐き捨てると、口元を腕で拭う。
「……多分。大丈夫、死ぬ程の事じゃない」
……ここで一つ、イーシェは咄嗟に嘘をついた。
ラダーとは違い、イーシェは身体の異常をエーテルを通すことでしか検知できない。対象者の右手から左手へエーテルを通し、相手の身体全体に薄くエーテルを浸透させるという方法が、イーシェの扱う魔術の原理である。
この魔術は、エーテルがどれだけ浸透するかという点で異常を判別する。
そのため、常に自分のエーテルで満たされた自分の体内環境の異常は、把握できないのである。
つまり、イーシェは自分の体内が何処まで浸食されているか、自分でも分かっていない。
当然ラインはそれを知ってはいないが、少なくともイーシェの体内が現在進行で傷つけられ続けていることは理解していた。
「それなら、手遅れになる前にナノマシンを止めなくては────」
『接続を許可しますか?』
すぐさま頭の中で響く、接続の許可を再び求める声。
「記憶混線時の、障害が……」
α型コアに接続して操作プログラムを取得すれば、イーシェの症状は止まるだろう。ラダーのような人間離れした再生力を持たないイーシェの体が一定以上ナノマシンによって損傷すれば、例外なく死に至ることは間違いないのだ。
しかし、ラインは接続に踏み切れない。自我が変質、もしくは消失してしまえば、それは事実上の死に近い。
ラインは"死"という概念をあまり理解していないものの、"永遠にいなくなる"ようなものであるとは漠然と捉えていた。
死の危険性があるその行為とイーシェの命を、ラインは天秤に乗せていた。思い出すのは、暗い洞窟で意識が徐々に落ちていく感覚。あの時ラインは満足していた。大切な人を守ることができたと、己の手で傷付けずに済んだと、そう思いながら永い眠りについたのだ。
次に浮かぶのは、レヴェルと交戦した際の記憶。ブレードによって引き裂かれ、甚大な損傷を受けたラインは、約束を思い出すことで再起動こそしたものの、洞窟で思ったことと同じことを思いながら意識を手放そうとしていた。
『仮に自我の消失が起きた場合、イーシェ・インペリタの治療は当機が引き継ぎます』
「……」
そして今、もしかしたら"あの人"に会えるかもしれない。そんな思いを抱くようになったラインは。
『接続の許可を』
「接続を……」
……"いなくなること"を────否、"死"を、無意識に恐れていた。
「大丈夫、大丈夫だ。診療所に戻ろう。師匠なら……なんとかできるはず。ひとまず倒れる前に発見できてよかったよ」
「……そうですね。操作プログラムに関してレヴェルと少し相談したいこともありますから」
イーシェが診療所での治療を提案したことで、ラインは少し安心した。しかし、やはりその感情にラインは気付けていない。
その後、ラインは必要な部品をα-4型の機体からかき集めると、持ってきた木箱に詰める。その木箱を新しく作り出した土の馬に置いたところで、イーシェが馬の上に乗る。
ラインを乗せようと、イーシェから差し出される手。腕に付着した血痕を見て、ラインは無意識に胸元を抑えた。苦しそうな顔をしているラインに気が付いたのか、イーシェは優しく笑って首を振った。
「いいんだ。急ごう。戻れば操作プログラムに関して、何か方法が掴めるかもしれないし」
ラインは差し出された手を掴む。感じられる体温が低いのは外気のせいだろうか。皮膚が粘土のような感触をしていることに多少の違和感を覚えるが、ふと、ラインは土の馬に自力で乗ることができるという事実をイーシェが忘れていることに気付いた。
それどころか、金属でできたラインの体重はかなり重い。イーシェの細腕では持ち上げることなど、出来はしないだろう。
「別に手を取らなくても────……えっ?」
────不意に、イーシェがラインに抱き着いてきた。
突然のことにラインは目を白黒させる。もしや、自分を引き上げようとして馬から落ちてしまったのではないか、と、ラインは思うも、イーシェが動こうとしないことから、そうでは無いらしい。
「あ、えと、どうしたんですか……?」
「……」
イーシェは何も言わない。
「えーっと……別に嫌と言うわけではないのですが、症状の進行が心配ですし、急いだほうが……」
「……」
イーシェは何も言わない。
漸く、ラインはイーシェの様子がおかしいことに気が付いた。そもそも、イーシェはこんなことを突然する人間ではないのだ。
イーシェの肩を掴み、身体を引き離す。その額には大量の汗が浮かび、目は開いていない。意識を失っていることは、明らかであった。
「大丈夫ですか!?」
イーシェはぐったりとしたまま動かない。そして、術者の意識が無ければ当然土の馬を動かすこともできない。
『…………』
「呼吸は……まだある。脈も……大丈夫」
ラインは、息を大きく吐いた。
このまま放置すればイーシェは死ぬだろう。一方α型コアへの接続は、47%の確率で記憶の混線は起こらず、起こったとしても自我が確実に無くなると決まった訳ではない。
ラインの中で、僅かに天秤が傾いた。
「……α-4型コアへ接続」
『承認。
α-4型5番コアへ接続開始。
電脳の配置を再設定……成功』
機体の内部構成が変更され、コアを格納する領域が確保される。胸元がシャッターのように開き、そこに空いた窪みに赤いコアを嵌め込む。
『α-4型5番コアを9番コアとして登録』
α型コアが己の一部として登録される。フォーマットは行わない。操作プログラムを入手するため、ということもあるが、そこに残っているであろう彼女の想いを消してしまうことを避けたのである。
『領域拡張まで0……25……』
────ねぇ、ネフィラ。
『……100%
全行程完了』
代理演算と自我による電脳圧迫が軽減される感覚。数値を見るに、5%程の余裕が確保できたようだ。
幸いにも、記憶の混線は起こらなかったらしい。ラインはすぐさま入手した操作プログラムを起動する。
「ナノマシン掌握開始」
『承認。
──装填:code-α4』