27. 『少女の墓を発くこと』
「明かりが……」
ラインのそんな呟きを聞き、イーシェは土の馬の速度を僅かに落とした。
「明かり?」
「α-4型の残骸付近から光が見えます」
「分かった」
イーシェはすぐに馬を止め、その場で降りる。
「……この付近は誰も住んでいないと聞きましたが」
「帝国兵はレトの身柄を狙っていたはず……もう研究所には誰もいないはずだし、一体誰が……?」
「近付きますか?」
「……そうだな。できるだけ気付かれないようにしよう」
二人は音を殺しながら光源へ近づいていく。光が揺らめいていることから、光源が火であることは想定できた。
道を避け、茂みに入る。砂利を踏みしめる音は消えたが、草と靴の擦れる音が上手く消せず、歩く速度をかなり落とさなければならなかった。
「木が多くて様子が見えませんね……」
しかもこの森の植生は全てが黒い。光を跳ね返し難く、周囲の様子も確認し辛い。
「もう少し前に進もう」
イーシェは腰に差している木の杖を取り、握りしめた。しばらく近付いていくと、何やら話し声のような音をラインの聴覚センサーが捉える。イーシェはそれが声であることにまだ気付いていないようだ。
『音声認識開始。音量上昇及びノイズを削除』
不鮮明だった音が、徐々に輪郭を帯び始める。
「――――ったく重てぇなこれ。…当に持ってくのか」
「黙れ。これも機…人形の一つらしい。帝国に根こそ…持っていくんだ」
「分かっ――――」
そこまで聞いたとき、ラインは聴覚センサーの設定を強制的に通常状態へ戻していた。
「イーシェさん」
「ん?」
「……帝国、という言葉が聞こえました」
それを聞いたイーシェは目を丸くした。
「帝国兵か? なんでこんなところに……」
「どうやらα-4型を回収しているようです。……どうしますか」
「そのためにまた国境を越えたのか……! 急ごう。俺なら止められるかもしれない」
α-4型は発狂状態にあったにもかかわらず、レヴェルを追い詰める性能を有する。それが帝国に渡れば、戦争の道具として活用されることになるかもしれない。
二人は歩みを速めていく。丁度焚火が見える位置まで近付くと同時に、α-4型を解体している鎧姿の男達が視界に飛び込んだ。
「……確かに、あれは帝国兵だ」
「……」
「まずいな……結構数がいる。ここは俺が先に行くから、もし状況が悪くなったらすぐに逃げよう」
「…………」
「……ライン?」
イーシェは、ラインから反応が一切返ってこないことに気が付く。確認のためにラインの方を向くと、ラインはその顔に一切の表情を浮かべず、帝国兵を見つめていた。
視線の先では、帝国兵がα-4型の装甲を運んでいる。かなりの重量があるのか、ふらつき、足取りも怪しい。
「……あーほんと重てぇなこれ――っとおわッ……ぐっ」
バランスを崩した帝国兵が、装甲を取り落とす。それと同時に足をぶつけたのか、蹲って足を抑えている。
「ってぇなこのッ!!」
「ははは、さっさと運べ新入り」
金属を殴る音が周囲に響き渡る。それを聞いた周囲で作業している鎧の男達から笑い声が上がった。イーシェが再びラインの方を見ると、その表情はやはり変わっていない。……その手が、かすかに震えていることを除けば。
「おい。気をつけろ、それ解析に回すんだからな」
呆れた様子で、鎧の男の一人が叱責の声を上げる。その様子を遠巻きに見ていたイーシェは自分の予想が正しいことを確信した。
「やっぱりあいつら……。なぁ、ライン────」
「――加速」
『承認。残り2秒』
突然、瞬時にブレードを展開したラインが、帝国兵の下へ駆け出す。予期せぬ行動に付いていけなかったイーシェが、一拍遅れてラインに手を伸ばす。
「ライン!?」
「あ?」
装甲を抱えなおした男は突然背中に何かがぶつかったことに反応し、振り返ろうとした。荷物が重くてどうにも体が動きにくい。僅かな思考の間に、視界の下に現れた白い何かに気が付き、思わずそちらに視線を移す。
「え?」
白い刃が、男の胸から突き出ていた。
男はその光景に理解が追いつかない。
「お前たち、は……」
声が聞こえ、男は首を限界まで後ろに向ける。ラインが、男にブレードを突き立てていた。その声は憎しみに満ちているようだった。
「ぐ、ぁ……!?」
自分が剣のようなもので貫かれていることにようやく気が付いた男は、遅れてやってくる熱さに顔を顰める。まるで、赤熱した鉄の棒が体を貫いているような感覚だった。
「お前たちはッ……またあの子から奪うのか……ッ!!」
『記憶の異常を確認。直ちに思考を停止してください』
声が何かを言っている。しかし、ラインはその声に耳を傾けない。
「敵襲だ!」
「体を奪って、記憶を奪って……どれだけ奪えば満足するんだ……」
『それは"あなたの記憶ではありません"。直ちに思考を停止してください』
何かが聞こえる気がする。しかし、目の前の人間をラインは許すことなどできなかった。彼らは、彼女の眠る墓を荒らしたのだ。当然の報いだ。
「あが」
ブレードが真横に振り抜かれ、男の体は崩れ落ちる。かなりの強度を誇る筈の鎧がバターのように斬られたのを目撃した周囲の帝国兵は、焦った様子で武器を構えた。
「殺す……! 全員……ッ!」
ラインが声を荒げるところを見たことがなかったイーシェは、ラインを追うことができなかった。常に冷静で、優しい姿を見せてきたラインの豹変に、イーシェは指が震える。
しかし、同時に。
……最も人間らしい姿だ、と思ってしまった。
「どうした」
大きな声ではないのに、周囲に低く響き渡るような声。ラインは、崩れ落ちた帝国兵にもう一度振り下ろそうとしていたブレードの手を止め、ゆっくりと声の方向を見た。
「……誰だ」
「王国の兵、ではないようだな。その身体能力は魔術ではないようだが、まぁいい。敵対行動らしい行動はこちらも対処が楽だ」
「……お前もそうなのか」
ラインはブレードの切っ先を男の顔に突きつける。ラインの憎しみが籠る視線を受けてもなお、男は平然としていた。
「意味が分からないな」
「……既に死んだ彼女の墓を発き、まだ弄ぶのか」
「墓? ここは新型機械人形の発掘現場だ。墓地として活用されたことはない」
「守らねばならない。そう、ここを守らなければ――――」
「なんだ、精神異常者か?」
そう言って男は腰の剣を抜く。薔薇の刻印が刀身に刻まれたそれは、周囲の者とは格が違うという事を示している。
「薔薇……ッ!? まずい……!」
物陰で様子を伺っていたイーシェは、その見覚えのある装飾に冷や汗を流す。
帝国では部隊の象徴に花のモチーフが与えられる。胡蝶蘭は近衛兵、朝顔は衛生兵といったところである。
そして、目の前の男が持っている薔薇が意味するのは――――特殊戦闘部隊。王国では戦闘課が近い存在であるが、帝国の場合、少数精鋭の形を取っている。このような辺境に動かしていい領域の部隊ではないはずなのだ。
さらに、男が持つ薔薇が刻印された剣。部隊の象徴である花のモチーフの剣を持つという事は、その部隊において最も強いという事を意味する。
つまり、目の前にいるのは、帝国において最強の男ということである。
「なんで帝国の最高戦力がこんなとこに……!?」
イーシェは僅かな時間、前に出ることを迷った。その僅かな時間で、ラインは男を殺すために動き出す。
「加速ッ!!」
『……承認。残り0.7秒』
限定的なODSの解放により繰り出される神速の振り抜きが、男を襲う。
「……速いな」
男はそれを危なげなく剣で受け流した。そのまま剣を翻し、ラインに振るう。
「……」
ラインはブレードでそれを容易く受け止める。瞬間、火花が激しく剣から散ったことで、男はブレードに加えていた力を止めて後ろへ下がる。
火花が散った箇所に目をやると、刀身に切り込みが入っていることが分かる。
「良い剣だ。当てるだけで鋼すら切断し得る武器……発掘品で見たことがある。使用方法が分からず死蔵されているが、そんな力があるのだな」
「お前は……ぅッ……?」
不意にラインは頭を押さえた。
その隙を男は見逃さず、ラインに再接近する。
『敵接近。回避行動を推奨』
「うぁ……」
声が回避を促すが、ラインは動けない。男の振るった刃の軌道がラインを捉える。揺らぐ視界の中、かつてレヴェルに斬られたときの光景をラインは思い出した。
『回避行動を強く推奨します』
「ちがう……」
「さらばだ」
『回避を!』
「待て!!」
声と同時に、イーシェの声が響き渡る。男はその声に、剣の手を止めた。刃はラインの首元の所で静止している。
男が声の方に視線を向けると、イーシェが男の顔に枝を突き付けていた。
「世界樹の杖……これは失礼いたしました。この件はあなた様が指示されたことですかな」
「……いや」
「部隊の補充は難しいのですが……この責任はどう取られるおつもりで?」
「そもそもここは帝国の土地じゃない。これは侵略行為にあたるぞ」
「……確かに。おっしゃる通りです」
男は納得した声で剣を下ろした。イーシェも、それに安堵して杖を下ろす。
「これ以上手出しはしない。そっちもここで事を荒げたくはない筈だ。ここで発掘したものを置いて帰ってほしい」
「まぁ、ここであなた方を殺せば目撃者はいなくなりますが」
「なっ!?」
下ろしていた剣の切っ先が、イーシェを捉える。振り上げるその軌道はイーシェの胴体をなぞり、やがて振り抜かれる。
奇襲が成功したことに男は小さく笑みを浮かべるが、直ぐに訝しげな顔をした。
胴体を斬られたイーシェは、そのまま倒れる――――ことはなく、その場に立ったまま男を睨みつけていたのだ。
息は少し切れているものの、目立った外傷は無い。
「面白い術を使うな」
「…………どうしても、殺したいのか」
「象徴である剣にも傷がついたからな」
「そうかよ……」
「それにしても、斬った感覚はあった。血も噴き出していた筈だ……一体どんな仕掛けなんだ?」
「教えねえし、あんたじゃ俺を捉えられないよ」
「では試してみよう――――ッ!?」
そう言って剣を構えた男だったが、不意にその方向を変え、剣を横に振るう。
甲高い音と共に、再び火花が散る。そこには、ブレードを男に振り下ろすラインの姿があった。
「ライン!」
「申し訳ありません。内部異常により混乱が生じていました」
男が剣に力を込め、ブレードを横に弾く。先ほどの様子とはうって代わり、いつもの冷静な表情をラインは見せていた。
「……」
当初とは異なり、男は言葉を発することなく、ラインを警戒している。ラインはブレードを構えず、その腕を脱力させていた。一切表情を変えないまま、男を見つめているラインに、イーシェはようやく違和感を覚える。
「ライン……?」
「はい」
男から目線を動かし、ラインはイーシェの方を向いた。
男はその隙を見逃さない。目にもとまらぬ速さでラインへ剣を振るった。
「……っは」
ラインはイーシェの方を見ていた。見ていたのだ。しかし、男の剣は再びブレードに阻まれている。……ラインの視線は未だイーシェを捉え続けているというのに。
男が持つ剣には既に幾つもの切り込みが入っている。何度かブレードと打ち合った結果である。そして、今、ブレードは丁度切り込みがあった位置にもう一度打ち込まれていた。
金属の弾けるような音と共に、剣先が宙を舞う。何度か回転した後、黒い草が生える地面に剣先が突き刺さる。
「……貴様、機械人形か」
男は焦りを含んだ声を漏らす。
それを見ていたイーシェは、ラインに言葉をかけることができなかった。初めは冷静な表情、とイーシェはラインのその顔を見て思っていたのだ。しかし、ラインと目が合ったイーシェはその考えを改める。
――――あぁ、あれは機械だ。
「肯定します」