26. 『出発まで』
方法はあると言ったラインに、ラダーは真剣な表情になる。
「王都の空中に漂っているナノマシンを掌握、こちらの権限の下に置くことで、正常化するためのワクチンプログラムを一斉に送ることができます」
専門外であるため、内容の殆どが理解できないラダーは、確かめるようにレトの方を見る。視線に気が付いたレトは、頷いた。
「元々は機械人形の管理下にあるものですからね。正常な立ち位置に戻せば正常化もできる、ということに違和感はありません。……ただ、現状でそれはできないのではないですか?」
「……そうです。私には空中にある制御外のナノマシンを掌握することはできません。そのために重要な部品を回収する必要があります」
「α-4型か」
話を聞いていたレヴェルは、現状回収可能な部品から、最も適した機構を持っていた機械人形を思い浮かべた。
「α-4型というと……あの巨大な機械人形ですか」
あの金属の装甲で覆われた見たこともない姿を、レトは鮮明に思い出せる。正常な判断ができなくなっていたとはいえ、あれほどの戦闘力を持つ存在に、王国の戦力では抗うことができないであろうことは容易に想像がつく。
「はい。α型には、戦闘用機構と呼ばれる象徴のような機構がそれぞれ備わっているのですが……α-4型の戦闘用機構は、"無数の観測機を空中に散布して知覚を拡張する"ものなんです。これを利用できれば王都のナノマシンも掌握可能であるはずです」
「なるほど……。では明日の朝、早速出発しますか」
レトが出発についての提案をするが、ラインは首を振った。
「いえ、今から向かいます。私だけなら、夜でも行動できますから」
「……それなら、俺も行くよ」
イーシェが背もたれに体を預けながら、小さく手を挙げた。
「あぁ、確かに土の馬なら夜でも素早く移動できますね」
ラダーは顎に手を当てて納得するように頷いた。
「あれなら朝になる前にたどり着ける。悪い話じゃないと思うけど」
ラインは考える。あの距離を5時間で移動できる点のメリットはかなり大きい。イーシェが戦えるほどの腕を持っているかが唯一の懸念材料だが、レトを訪ねるために一人で来ていたことから、斑狼のような野生生物に襲われても対処できるのだろうとラインは結論付けた。
「……そうですね。お願いします」
「おう、じゃあ行くか」
イーシェは立ち上がると、部屋の隅に置いてあるコート掛けから自分のものを取り、羽織る。それからラインの方を見て、自分の姿と服装を見比べた。
「そんな薄着でいいのか? 夜は寒いぞ」
「特に支障はありませんが……」
「……確かに、見てる方も寒いですねそれは」
ラダーもラインの服装を見て同意した。肩を出しているラインの服装は、暖かい昼間ならともかく、夜間に見るには寒いのである。
「それに、誰かと遭遇したとき、機械人形かもって思われるかもしれないしな。機械人形に人権は認められてないし、面倒事になるかも」
そう言ってイーシェは薄手のコートをラインに手渡した。
「分かりました」
それに同意したラインは、渡されたコートを着る。
「じゃあ、行ってくる」
「明日の昼までには戻れると思います」
部屋から出ようとするイーシェとラインに、ラダーは声をかける。
「……お願いします」
真剣な表情をしているラダーに、イーシェは軽く手を振って応え、ラインは小さく頷いた。
診療所の外に出ると、昼間と比べてかなり冷えた空気がライン達の肌を撫でる。街灯に道は照らされ、夜でも明るさを保っていた。
「昔はさ、こんなに明るくなかったらしい。機械人形の研究が進んで、人は夜でも外に出歩けるようになった。……ラインがいた時代は、どうだったんだ?」
「私が居た時代、ですか。……私達が製造されるようになったころには……そうですね、もっと明るい光で照らされていました」
この街灯は機械人形に組み込まれた小さな光源を大きく作り直しただけなのだろう。周囲を照らすための光ではないため、強い光が出ないのだ。
「これより? まるで昼じゃないか」
「はい。ですが、機械人形を製造できるほどの技術を持たなかった頃の人々は蝋燭の火で明かりを確保していたそうですよ」
「その……ラインが過ごしていた時代って、今から何年前くらいなんだ?」
「レヴェルの話ではということになりますが……約1200年前、ですね」
イーシェは途方もない過去を想像するが、少しづつ発展してきた人類の更に前の時代は、今よりももっと発展した文明があったなど、全くその情景を頭に思い浮かべることができなかった。
「歴史書が存在しない時代か……。やっぱり、機械人形は人が作ったものだったんだな。期限は分からないけど、機械人形は神が人間の試作品として作って破棄したものだっていう考えがどの国にも根付いてる。だからぞんざいに扱うこともある…………元は自分たちが作ったものだったっていうのにな」
「その神と呼ばれる存在から知識が与えられなければ人も私達を作ることはできませんでしたし、全て間違いという訳でもないかもしれませんね」
神から与えられた知恵で他の神々を全て滅ぼそうとしていたことも事実ではあるが、ラインは詳しくそれを語ることはしなかった。
しばらく歩いて王都へ入った時に通った門の前にたどり着くと、これまた王都へ入った際にイーシェと話していた兵士が門の横に立っていた。
「ん? これはイーシェ殿。こんな夜にどうされたかな?」
「今から黒い森まで行くんだよ」
「黒い森はデートスポットではないですぞ」
横にいるラインを見て、真顔でそう言った兵士。イーシェは頬をピクつかせた。
「ちげぇわ。ちょっと急ぎで取りに行かなきゃならないもんがあるんだよ」
「ははは、魔術師殿は忙しくて大変ですな。……おい! 門を開けてくれ!」
兵士の一言で、大きな門が開いていく。
「明日の昼には戻るよ」
「お気をつけて。最近の黒い森は帝国の人身売買業者も多く、王国民の出入りは殆どない場所なので。あまり大きな声では言えませぬが……帝国兵の姿も目撃されているとか」
最後の言葉をできるだけ小さな声で言った兵士に、イーシェは笑って応える。
「あぁ、ありがとう。ちゃんと戻るさ」
小声で話したということは、一般人にはあまり知られていない情報なのだろう。そもそも帝国兵の目撃情報はイーシェがラダーに伝えたものなのだから。
イーシェは思い返す。あの兵士の男は自分が初めて王都に訪れたとき、その出自を知って尚、ラダーへ紹介を行ったり、門を通るときに必ず話しかけたりと、何かと気に掛け続けてくれている。今回、一般人に知らされていない情報を渡したのは、己の出自を知っているからこそだろう。
門をくぐり、そして閉まる。重い音を響かせて門が完全に閉じたことを確認すると、イーシェは懐から木の枝のようなものを取り出し、地面に向けた。
「――《生命、太陽、自由、繁栄、基盤》」
王都の灯りにかすかに照らされた地面が、ぼこぼこと盛り上がって馬の形に変化していく。
「……凄いですね」
「師匠の方が凄いよ。師匠のさらに師匠の方が凄いらしいけどさ」
そう言ってラダーを賞賛するイーシェは、どこか誇らしげに見える。
「ということは……ラダーさんに魔術を教えた人、ですよね」
「勝てる気がしないってよく言ってる。今使ってる魔術も、なんとか俺達が使えるように簡単に調整したものだって」
「簡単に……」
魔術はラインが活動していた戦争時に存在していなかった。ラダーに魔術を教えた師に会うことができれば、空白の期間の後に何があったのか分かるきっかけとなるかもしれない。
「よっ……と。そもそも、師匠の魔術と俺の魔術も基礎が同じなだけで色々違うんだよな」
イーシェは土の馬に乗りながら、思い出すように話す。ラインが自分の後ろに乗ったことを確認すると、馬を動かした。始めはゆっくりだった土の馬も、数秒経つ頃には最高速度に達し、景色が高速で背後に流れていく。
「得意不得意がある……ということですか」
「らしい。だから皆結構独学で研究してる感じ。それでも魔術自体が強力だから、大抵の国は魔術師の殆どを軍に引き入れてる」
「その、ラダーさんの師匠も?」
「いや、どこかの国には住んでるけど、軍とかに属してるわけではないってさ。あれだけの魔術師はいないって師匠が絶賛するほどの人が何処にも属さずに過ごせるんだなぁって思うよ」
楽しそうに話しているイーシェのそんな横顔を、ラインは、覗き込むように見ていた。