25. 『風向』
――――ステム再起動。
機体の修復が完了しました』
ラインはゆっくりと目を開く。
ベッドに寝かされているらしい。意識を取り戻したラインは、上体を起こそうとするも、脇腹の感覚に気が付いた。
「……」
イーシェが椅子に座ったままベッドに突っ伏して寝ている。部屋は薄暗く、もうすぐ夜になる頃合いであろうことは理解できた。
「復旧したか」
突然話しかけられたラインは、声の方を向く。
「……あぁ、代理演算が止まったせいですか」
「肯定する」
壁際に腕を組んだレヴェルが寄りかかっていた。相変わらずの無表情で、何を考えているかは分からないが、わざわざ診療所まで戻り、ラインが意識を取り戻すのを待っていたのだろう。
ログを確認すると、かなり前に代理演算自体は復旧している。ここでずっと待機している必要はない筈だった。
「ずっとここに?」
「貴機が機能停止している間、機体の守備を行うのは当機が適任だと判断した為だ。これからまた外に出る」
どうやらラインを見守ってくれていたようだ。合理的判断ではあるが、何か引っかかる気がする、とラインは思った。
「これからって……もう夜ですけど、何か用が?」
「飲み会だ」
「……んん?」
ラインは己の聴覚センサーを疑った。目の前の無表情はなんと言ったか。飲み会……?飲み会とは多人数で集まり、酒を飲む会のことである。
アルコールを分解する機構は機械人形にはない。かといって、吸収する機構もない。まさに無用の長物である。
ラインがあれこれ考えている間、聞き取れなかったのかと考えたレヴェルは、もう一度口を開いた。
「飲み会だ」
「聞こえてますよ!!」
「そうか」
思わず声を上げるラインだが、レヴェルは気にも留めず頷いた。
「どんな経緯でそんなことを……」
「職場の人間から誘われたのだ」
「……んんー……?」
職場。この機械人形はしばらく顔を見せないと思ったら、どこかで働いていたということだろうか。ラインは理解が全く追い付かない。
「職場の――」
ラインから反応が無かったため、再び同じことを言おうとしたレヴェルをラインは手で制した。
「聞こえてますって。ちょっと意外で、驚いただけです」
「そうか。問題なく動作しているようだが、異常の原因は特定できたのか?」
「はい。……これが、損傷のログデータです」
そう言ってラインはレヴェルに自身のログを送信する。
「ナノマシンか」
「それも旧式の、です。故障していて損傷個所と正常な状態を判断できなくなっているのでしょう。私に侵入したナノマシンは通信用ポートから規格外の動作フォーマットを上書きし、内部の配線の幾つかを無作為に繋ぎ変えました」
「なるほど。……状況は理解した。通信用ポートの侵入は対処可能だが、物理的な面での対策は難しいだろう」
「それについてですが――――」
ラインがそこまで言いかけたとき、ベッドに突っ伏していたイーシェが言葉にならない声を漏らしながら動いた。
「んぅ……ライン……?」
「はい、そうです」
「目が覚めて……よかった……」
「……私が目覚めるまで、ずっと見ていてくれたんですよね。ありがとうございました」
ラインは己の手のひらをイーシェの頭の上に乗せ、そのままその手を左右に動かす。
いわゆる、"撫でる"という動作である。ラインはこの行動の意味を知らないが、記憶の中の大切な人が、疑似睡眠から目覚めた自分にそうしたことがあったことをラインは覚えていた。
ラインにされるがまま撫でられていたイーシェだったが、ゆっくりとその目を開いたとき、ラインと目が合った。
「…………?」
しばらくして状況を認識したとき、イーシェは慌てて起き上がる。
「おわあわわ!?」
「何か驚くことが……?」
「いや……いや! 何も!!」
イーシェがわたわたとしていると、背後の扉がノックされた。
「……どうかしたんですか、って、あぁ良かった。目が覚めたんですね」
イーシェの声が聞こえたのか、ラダーがラインのいる部屋の扉を開けた。背後にはレトとC6αがのぞき込んでいる。
*
「……腐敗病の原因?」
改めて部屋を移動し、全員が集まったところでラインは己の身に起こったことを話し始めた。
「腐敗病とは、故障した旧式のナノマシンがあらゆる物に不適切な修復を施すことで起こる症状です」
「ナノマシンというと、機体の修復に使用される超小型の機械ですか……」
ラインからその存在について聞いていたレトは、その内容が多少だが理解できる。
「機体の修復……そう言われてみれば、確かに腕の組織が再生していますね」
機械兵と戦闘になった際、腕の皮膚が溶け落ちたラインの姿を見ていたラダーも、ナノマシンがどのような働きを持つのか把握できたようだ。
「機体の修復って、そんなことができるのか? 機体が損傷した場合、専門の人間が修理を行うってのが俺の知ってる機械人形なんだけど……」
イーシェが疑問の声を上げた。イーシェが言っていることは正しい。ナノマシンを保有している機体は数が少なく、機械人形の権威と呼ばれるレトですらラインからその存在を初めて認識したのだ。
「量産モデルにはその機能はないんです」
「てことは、結構希少なんだな……。……ん? でもそれ、機械人形用だろ? 人体を直す機能なんてあるのか?」
その疑問については、ラダーも考えていた。機械を修理するためのものが、人に影響を及ぼすのだろうか。
「ありません。でも、この皮膚は有機物ですし、人間の組織に極めて近いものですから。手当たり次第に人体の組織を分解して機械人形用の組織に変換することはできます」
「人に適していない物に体が置き換えられる……だから人を死に至らしめる程の拒絶反応が出る、という訳ですか」
「そんな危ない物が王都を飛び回ってんのかよ……。ん? ってことは、師匠の体にはまだそのナノマシンが?」
イーシェはラダーの顔を見た。ラダーは少し考えて頷く。
「可能性はありますね。症状は再生と相殺しているだけで治まっているわけではありませんし」
「……調べてみましょう。手を」
ラインは立ち上がると、ラダーの手を握った。握手ではなく、両手を繋いで輪のようにする形である。
「これで分かるんですか?」
「位置までは分かりませんが、存在の有無程度であれば」
そう言ってラインは目を瞑った。代理演算の影響で、視覚センサーと併用できるほどのリソースが電脳に残されていないのだ。
『診断開始』
しばらく続くかと思われたそれは、僅か数秒程度で終わることになる。握っていた手を放し、ラインは目を開く。
『完了。反応、1』
「……体内にナノマシンの存在を確認しました」
「やはり、腐敗病はナノマシンが原因ということですか。……これをどうにかする方法は?」
ラダーはその事実を簡単に受け止めた。それどころか、長年人々を苦しめた病の正体が特定されたことに少し喜んでさえいるのだった。
「私は電磁シールドを内部に展開して破壊処理を行いましたが、人体が耐えられる出力では無いので……」
「それは……残念です。何故、人間にばかり機械であるナノマシンが入り込むのでしょう」
ラダーの疑問に、レトが口を開いた。
「もしかすると、王都の警備用機械人形の故障原因のひとつにもそれがあるのではないでしょうか。"機械人形はいつ壊れるか分からないから重要な部分を任せることができない"という風潮はこれが原因かもしれません」
人間にこれだけ影響が出ているのだ。機械人形にも当然出ているはずと考えるのは、レトにとって当然の考えであった。ラインはレトのその考えを肯定する。
「確かに、かなりの数が損傷している可能性はあります。量産モデルにはナノマシンの機能が無いので自己診断もできないでしょうし」
「それにしても、一体このナノマシンとやらがどこからやってきたものなのでしょう……。王都にしか存在しない病であったが故に、発生源は王都だとは思いますが」
ラダーのその一言を聞き、ラインは考える。腐敗病の正体は分かったが、原因が分からないままなのだ。何年も影響を与える程だ。その量は意図的に散布されたとしか考えられない。しかも旧式の――――
旧式?
そこまで考えたときラインは気が付く。旧式のナノマシンはα型のような大型の機体にしか搭載されていなかったのだ。そして、その旧式のナノマシンについて、ラインは話した記憶がある。
「あのときの……」
そう、地下で遭遇したα-2型である。いつの間にか搭載していたナノマシンが全て蒸発して無くなっていたと言っていたのをラインは覚えている。
蒸発したことで距離が離れた大量のナノマシンは、それぞれが修理し合って正常な状態を保つというシステムが十全に働かない。施設の換気機能を通して王都に霧散したそれらは、長い年月をかけて次々と故障していくだろう。もしかすると、それらが腐敗病を引き起こしているのではないだろうか。
しかしそれが分かったところで状況は変わらず、ラインにはどうすることもできない。検知用のプログラムを設定し、接近したナノマシンを掌握して修復することは可能だが、王都全域にまでその範囲を広げられなければ意味がないのだ。
『α-4型の持つ戦闘用機構であれば実行可能』
α-4型。黒い森の遺跡で、ネフィラと呼称されるα-1型を1200年以上も待ち続けた少女である。そのコアの一つはラインが所持しており、α-1型の下に連れていくことを決めている。
「彼女はもう機能を完全停止しています。存在しないものを求めても意味がありません」
ラインの案を補足するように声が提案するが、ラインはそれを否定した。
『α型の戦闘用機構はその機構さえ所持していれば使用可能です。また、それをα-4型のコアに通して使用することで十分な性能を発揮することができます』
「……」
その声を、ラインは否定できなかった。確かに、α-2型の眠るあの場所へ戻り、必要な部分を分離、流用すればα-4型の戦闘用機構をラインが使用することは可能である。
しかし、ラインは迷っていた。役目を終え、眠っている彼女の体を使うことに躊躇しているのだ。さらに、今首にかけられているα-4型のコアまでも利用しなくてはならないとなれば、直ぐに頷くことができなかった。
『当機にはその思考と論理を理解することができません』
「ライン?」
声との会話のため、口を閉ざしていたラインを不思議に思ったのか、イーシェが声をかけた。それに気付いたラインは首を小さく振った。
「……確かに合理的な考えではありません、ね」
「……?」
ラインの聞き取れないほどの小さな呟きに、イーシェは不思議そうな顔をした。ラインは俯きながらも、声を零した。
「発生源については恐らく大丈夫です。確定したわけではありませんが、今王都に浮遊している分が全てだと思います」
「特定の数以上は患者が増えない、ということですか。となれば、あとは治療法について考えるだけですね」
ラダーは少し安心した様子で言ったが、ラインはその言葉に頷くことは無かった。何かを言いたそうな目で、ラダーを見つめている。その何かをラインは言うべきか悩んでいるようだと、ラダーは思った。
沈黙の後、ラインは口を開く。
「――――方法は、あります」