24. 『浸食』
翌日。
変わらず、腐敗病の患者は一定数運び込まれ続ける。定期健診による早期発見ができた者は助かっているが、運び込まれるほどの症状が出た状態で診療所に来た時点で殆どが手遅れであり、助かった例は非常に少ない。
ラダーは遺体に縋りついている遺族を前にして考える。
これが攻撃ならば、兵力を削がずに関係のない民間人まで無差別に対象にするのは、王国の人間全てを殺戮しようという意思によるものと考えられる。
しかし、無差別攻撃にしては余りにも死者が少なく、相手に原因の特定、対処を考える時間を与えすぎている。これでは攻撃として意味をなさない。
やはり自然発生の病原菌によって引き起こされる病気なのだろうか。ラダーは腐敗病の正体を未だ掴めずにいた。
眉間に皺を寄せているラダーを見て、イーシェは呟いた。
「腐敗病の可能性がある患者を診たとき、魔術的な痕跡は無かった」
「ただの病気、ということですか」
「……雲を掴んでるみたいだ。一体何なんだよこれは……」
イーシェは悔しそうに唇を噛んだ。
「私も腹立たしいですよ。明確な治療法も確立できず、対症療法でも患者の殆どは救えない」
そんな二人を、何も言わずに見つめていたラインであったが、ふと、自分に話しかけるように声を漏らした。
「……なぜ人は死ぬのでしょうか」
『機械人形の機能停止と同様の現象であると推測』
無機質な声が返る。こうして自分に問いかけるのは、久しぶりであるように感じる。
「機械は直ります。どれだけ破損しても、部品を交換すれば再起動は容易いです。……なぜ、人は死ぬように作られているのでしょうか」
『回答不可。該当する項目は記録にありません』
「人が死ぬと人は泣きます。それはその人に会えなくなるから、なのでしょうか」
『回答不可』
「……そうですね」
あれからレヴェルは帰ってこない。現在地こそ把握できているため、王都に滞在しているのは間違いないが、一体何をしているのだろうか。
たった今遺族となった彼らは、嗚咽をこらえながら、遺体を抱えて診療所を後にする。診療所の扉が閉まると、嫌な静寂が室内に残された。
無言で周囲に広げられた器具等を、イーシェは片付ける。その姿を見て、ラインも手伝おうと声をかけた。
「ぁ……?」
――声が出ない。
厳密には、想定外の電子音のようなものが漏れ出したのだ。無意識にラインの手が自身の喉に伸びる。
イーシェが、その異音に気付き、振り返った。
「ライン?」
「――――」
突然、姿勢が崩れ、ラインは床に膝を付く。
「ラインッ!」
『エラーコード:02
32番ポートの権限を喪失。
伴って姿勢制御及び会話機能に異常発生。
現在、原因を特定中です』
視界に流れるアラートを見ながら、ラインは状況に判断が追いつかない。そのまま、床に倒れこもうとするラインを、イーシェが支えようとする。
「うぐっ……!」
「どうしたんですか!?」
必死に体を支えているイーシェの下へ、ラダーも駆け寄る。
「分からない! 突然倒れて……!」
「機械人形の状態は私にも分かりません……レトが居れば……」
レトとC6αは買い出しのため、診療所にはいなかった。帰ってきたとしても、あと数時間はかかるだろう。
『L4、L5、G3断線……訂正、非対応の個所に再結合。
一部にショート発生。
内部に体温模倣液が漏出したため、口腔より排出』
ラインが咳き込むと、口から大量に赤い液体が吐き出された。ラインを支えているイーシェの服を、真っ赤に染め上げていく。
「ぅ……ぁ……」
「これ……血か!? おい、しっかりしろ! 大丈夫か!?」
イーシェは苦し紛れにエーテルをラインに流そうとするも、無機物で構成されたラインの体には全く入り込めない。
『現在の状況を攻撃と仮定。
自己診断と修復開始。
……原因の特定完了。
故障したナノマシンの侵入、定着による誤再構築によるものと断定』
赤い液体を吐き、ぐったりとしたラインを前にして、ふと、ラダーはある言葉が頭に浮かんだ。
無意識に、その言葉が口から漏れる。
「――腐敗病……?」
その言葉が耳に入ったイーシェは、ラダーの方を訝し気に見た。
「腐敗病? ラインは人間じゃないのに、そんなわけ……」
「……いや、そうですね、確かに今のは私が変でした。レト達を探してきます。イーシェはラインさんを見ていて下さい」
ラダーは頭を横に振ると、己の言葉を否定する。そのまま診療所を飛び出し、レトを探しに走っていった。
イーシェはふと、己の腕をラインが強く握っていることに気が付く。焦点が合っていないうつろな目で、ラインはイーシェの腕を握っていたのだ。
大人でも顔をしかめてしまうようなその力で握られているにもかかわらず、イーシェは表情を一切変えることなくラインを支え続ける。
『対侵入攻撃用プロトコルの構築を開始。
0……50……100、構築完了。
32番ポートの閉鎖に成功。
歩行機能及び会話機能の復旧を開始。
侵入したナノマシン排除の為、電磁シールドを内部に高出力展開。
損傷保護の為、一時的にシャットダウンを行います』
ラインの体が完全に脱力する。イーシェの腕に食い込んでいたラインの指が離れ、重力に従って床に落ちた。
気を失うように、ラインの意識が強制的に落ちる。
「お、おい! ライン!」
『電磁シールド内部展開……承認。
展開出力400%に設定。
3……2……1――――起動』
びくん、とラインの体が痙攣を起こす。内部の処理状況を把握できていないイーシェは、ラインの様子を見て慌てふためいた。
「ライン……!」
『対象のナノマシンの破壊を確認。
機体の修復完了後、再起動します』
痙攣の後、一切の反応を示さなくなったライン。人とは異なり、呼吸を行っているわけではないため、状況の確認が難しい。
人であれば、心肺停止状態であるラインだが、機械人形に関する専門知識を持っていないイーシェにはどうすることもできない。
「――どうした」
不意に、イーシェに声がかけられた。振り返ると、数日前から姿を見せなくなっていたレヴェルがそこに立っていた。
「あ、大変なんだ……! ラインが突然血?を吐き出して……」
「……解析を行うが、現在代理演算が途絶えているため、当機の機能の殆どは使用不可となっている。致命的な故障であった場合、当機に可能な処置は無い」
そう言ってレヴェルは、未だ意識の戻らないラインに近付くと、額に手をかざした。
「β回線、応答なし。内部システムに接続……拒絶」
それからいくつかの言葉を呟き、レヴェルはラインの額から手を離した。表情の変化がないため、イーシェは状況を予測することができなかった。
「状態は……?」
「一時的なシャットダウンだ。原因は不明だが、一定時間経過の後再起動すると考えられる」
「じゃあ、大丈夫、ってことか……?」
恐る恐るイーシェが訪ねると、レヴェルは頷いた。
「肯定する」
「はぁ~…………」
ラインを支えたまま、イーシェは安堵の息を吐いた。とりあえずは問題ないらしい。ラインの重量的な問題のため、イーシェはこのまま再起動を待つわけにはいかない。ひとまずベッドに寝かせるため、ラインを抱えようとする。
「おっ……!?」
出かかった言葉を、イーシェは呑み込んだ。シャットダウン状態にあるラインは文字通り金属の塊となっており、相当な重量を持っている。少なくとも、イーシェの力では、持ち上げることすらできないだろう。
しかし、暫くの間イーシェは謎の意地で諦めなかった。歯を食いしばってなんとか持ち上げようと試行錯誤したものの、結局それは叶わず、再び床に座り込むこととなる。
「……あのベッドまで、運んでくれないか」
不服そうにイーシェはレヴェルにラインを預ける。
「了解」
イーシェの依頼により、レヴェルは軽々とラインの体を持ち上げる。ぐぬ、とイーシェの口から声が漏れた。
「……ありがとうよ。で、また出かけるのか?」
「当機は現在、代理演算が無ければ著しく機能が制限される状態にあるため、ラインの再起動までここで待機する必要がある」
「言ってることはほとんど分からなかったけど、とりあえずここに居るってことだな」
「肯定する」
イーシェはベッドで眠っているラインに視線を向ける。もっとも、機械人形に眠るという表現が適切かは分からないが。
「……ちゃんと、起きるんだろうな……」
そう言って、イーシェはラインの口元に付着したままだった赤い液体を、優しく拭った。