23. 『類似』
「異常なし。大丈夫だ」
イーシェはしわくちゃの老婆の腕から手を離すと、笑ってそう言った。
「おぉ、いつもありがとうねぇ」
「そういう仕事だからな。長生きしてくれよ」
そう言いながら、イーシェは紙の束に何かを記入していく。ラインの立ち位置からはその内容を見ることはできないが、おそらくは先ほどの健診の結果を記入しているのだろう。
「そうかい……そうだねぇ。最近はあんたの成長を見るのが楽しみで楽しみで……身長もまた伸びたんじゃないかい?」
「まぁ、少しな」
「それに、こんなかわいい彼女さんを連れてねぇ……」
「彼女?」
ラインが復唱すると、イーシェが慌てたように老婆へ詰め寄った。
「違うんだって! ラインはうちの診療所に滞在してる旅人なんだ」
「旅人の彼女さんかい。大変だねぇ」
聞いているのか聞いていないのか、老婆は微笑んでいる。
「いや……違うんだって。……なぁ?」
視線を向けられたライン。
「彼女……?」
「ほら、その……恋人ってことだよ!」
「私と恋仲だったんですか?」
いつの間に、とラインは思った。ラインには思い当たる節などない。が、そもそもイーシェはそういうことを言っているのではない。
「俺、疲れたよ……」
イーシェは椅子に座ると、天を仰いだ。
*
老婆の家を後にし、次の家へ向かう。
「……つぎ、あの家な」
「魔術による健診というものは、それほど疲労があるんですね」
「色んな要因でな……」
イーシェは家の前に立つと、扉を叩いた。中から、人が歩く音が聞こえる。
しばらくばたばたと音がしていたが、その音が止んだ時、扉が開いた。中から、若い女性が顔を覗かせた。
「あら、定期健診ですか?」
「あぁ」
「そちらの方は?」
女性はラインに視線を向けた。
「見学だよ。仕事案内的なやつ」
「そうなんですか。よろしくお願いしますね」
差し出された手をラインは握り返す。
家の中に入り、部屋に案内されると、子供用の玩具が床に転がっていた。
「今息子を連れてきます」
そう言って女性は部屋から出ていった。イーシェは床の玩具を退かして鞄を置き、再び紙の束を取り出す。何枚か紙をめくると、同じように何かを書き込む。
「記録だよ。その人の正常な状態を把握しないと診断も難しいからな」
ラインの視線に気が付いたイーシェは、紙から目を離さずに言った。
「お待たせしました」
扉が開き、女性が眠そうに目をこする子供を連れてきた。子供と共に椅子に座ると、女性はイーシェに腕を差し出した。
イーシェはその腕を握ると、目を閉じる。
「……《回転、知覚、門、財宝、樹木》」
ラインは何度か魔術の行使を目撃している。とは言っても、イーシェとラダーの二名のみではあるが。しかし、その二人の魔術は似ているようでどこか違う印象を受けた。
イーシェの魔術は詠唱が長いのだ。ラダーの魔術は詠唱を行わないか、短い詠唱で魔術を行使しているが、イーシェのそれは、まるで物語を読んでいるようである。
「大丈夫そうだな。じゃあ、次にその子の手を」
イーシェは子供の腕を握ると、再び同様の魔術を行使する。何故、ラインが作られた時代に、魔術というものは存在しなかったのだろうか。そんなことを考えながらラインがイーシェを観察していると、突然、イーシェの表情が変わった。
「……肺にエーテルが通りにくいな。最近何か変わったことは?」
「そうですね……数日前まではずっと遊んでいたんですが、最近になって、すぐ遊ぶのをやめて寝てしまうんです。何か関係があるんでしょうか?」
女性は不安そうに答える。
「肺がうまく機能していないから、すぐ疲れるのかもしれない。できれば今日中に診療所に行って欲しい」
「今日中ですか」
何か予定があるらしい。女性の返事は歯切れが悪かった。実際、子供は正常に見えるのだ。あまり遊ばなくなったことを除けば、咳も吐き気もない。
「腐敗病の初期症状は肺に出やすいんだ。特に子供が感染すれば、死亡率は高くなる。明日まで放置すればどうなるか分からないけど、現時点で腐敗病と分かれば確実に助かると思う」
「腐敗病……! 分かりました。すぐに向かいます」
イーシェは紙の束に何かを書き込むと、ちぎり取り、女性に渡した。
「紹介状だ。これを渡せば優先してもらえる」
「ありがとうございます!」
大きな鞄に荷物をまとめ、イーシェは担ぎ上げた。
「行こう、ライン」
「分かりました」
家を出たころには真昼になっており、太陽も高い位置に上っていた。
「今日の仕事はこれぐらいだな」
「診療所に戻りますか?」
「うーん……腹減ったんだよな。ちょっと食べてくか。この辺に行き付けの店があるんだ」
*
「このスープもいいな……ラインはどうする?」
ラインは、イーシェに案内された店に来ていた。しばらくメニュー表を眺めていたイーシェであったが、注文内容を決めたのか、メニューをラインに渡そうとする。
「私は……」
「あ、食事の必要はなかったんだったか。これとか結構美味しんだけど、いらない?」
「味は数値で表現されるので……人のように感覚で味わうことができません。何を食べても同じなんです」
残念そうにラインは言った。実のところ、食事は必要ないが、味というものを経験したいとは思っているラインである。
「そっかぁ……」
「……折角ですから、水を一杯頂きます。冷媒として使用することが多いので、水分は必要なんです」
「あぁ、分かった」
イーシェは店員を呼び、メニューを指差しながら料理を注文した。数分も経たずに料理と飲み物が運ばれ、テーブルの上に並べられる。
「なんか悪い気がするな……周囲の目も痛い気がする」
自分だけ料理を食べ、目の前の少女には水しか渡さない。そんな構図に、イーシェは頭を悩ませていた。
「すみません……」
そんなイーシェを見たラインが申し訳なさそうに謝ると、イーシェは首を振った。
「必要ないのに無理に食べさせる方がよくないし、謝ることじゃない。……そういえば」
食事の手を止め、イーシェはラインの方を見た。
「なんでしょうか」
「どうしてラインは……その、人っぽいんだ? 王都にいる機械人形はあんなに無感情なのに、シルファやラインはすごく人に見える」
「C6αの場合、感情模倣プログラムです。有効化されていないだけで、王都の機械人形もあれぐらいのことは出来るでしょう」
実際に王都の機械人形に遭遇したことは未だに無い。しかし、無感情という印象を人が持つのなら、感情模倣プログラムが働いていないのだろう。感情模倣プログラムには矛盾の検知による機能停止という欠陥があるため、警備のために機械人形を使うのなら、プログラムを無効化しておくことは合理的である。
レトが感情模倣プログラムの欠陥に気が付いていなかったことから、まだ知られていない可能性もあるが、結果的にはプラスに働いている筈である。
「……ラインは違うのか?」
「分かりません。少なくとも、私は感情模倣プログラムが機能していません。その代わりに、原因不明のバグに電脳の処理能力を使用しており、おそらくはそれが現時点の私を構成しているのだとは思います」
依然として、自己診断では悪性のバグと診断され続ける"それ"。幸いにもラインの意思で削除を止めることができるため、残り続けているが、何かの拍子にそれが消えてしまえば、現在のラインが残るのかは分からない。
「それが心、って奴なのかな。何かきっかけとかあったのか?」
「……かつて私は、敵地で潜伏しろという命令を受けていました。まだ私が感情模倣プログラムだったときです。そんな私に騙され、家族として迎え入れてくれた人がいました」
ラインはコップの中の水に映った自分の顔を見た。表情の一切が存在しない自分が映っているように、ラインは感じた。
「そうやって過ごすうちに、攻撃の命令が下されたんです。……私は寸前で、その人を殺すことができませんでした。感情模倣プログラムが停止したのもそれからです」
「その人は今……?」
「分かりません。生きているのか、死んでいるのか……いつかあの場所に戻り、それを確かめたいと思っています。それが、私の旅の終着でしょうね」
そう言ってラインは水を飲み干す。空になったコップに、もうラインの顔が映ることは無かった。
「……そっか」
「イーシェさんは、どうして魔術を学んでいるんですか?」
ラインは反対に、問いかけることにした。一人の人間がこれまでどうやって過ごしてきたのかなど、ラインは知る機会もなかったのだ。少なからず、ラインは人に興味というものを抱いていた。
「俺? ……そうだな」
考えるかのように、イーシェはスープを口に運んだ。口を水分で潤したのち、イーシェは口を開く。
「俺さ、帝国出身なんだよね。父親と仲が最悪でさ、俺含め、兄や周囲の人達、全てを道具としか見ていない人だった。みんな父親にビビってなんも言えなかったし、俺もその一人だったよ」
道具、という言葉を聞き、ラインの指が僅かに動いた。
「というか、それが変だって思わなかった。ずっとそういうもんだって思ってたし。でもある日、父親が色んな人を傷つけていく姿を見て思ったんだ。『これが本当に正しいことなのか』って」
「……」
「それで反発したら家を追い出された。それでなんとか王都にたどり着いたのは良かったけど、栄養失調で行き倒れ。そこで助けてくれたのが師匠だった。道中できた怪我も魔術で手当てしてくれてさ」
「それがきっかけで魔術を?」
「あぁ。いつか帝国に戻った時、父親が傷つけた人達以上の人を、俺は助けたいんだ」
イーシェはそう言って笑う。その笑顔があまりにも純粋で、ラインは気付かぬうちにその顔から目が離せなかった。
「……そうですか」
ラインもつられて小さく笑った。
「帝国にいたとき、俺は機械だったよ。ただ命令に従うだけで、自分の意思なんか持ってないそんな機械だった。……もしかしたら案外似てるのかもな、俺達って」




