19. 『懐光』
空気が扉の向こうに流れていくのを感じる。
なぜ、あれ程までにラインを拒んだ施設が、今更になって奥深くへ招き入れようとしているのか。
『進みますか?』
「……行きましょう。この施設に単独で潜れるのは、これが最後かもしれませんから」
そう言ってラインは、暗闇の先へと足を運んだ。背後から差し込む光が、薄暗く階段を照らしている。一歩一歩確かめるようにラインは階段を下りる。
ODSの反動で足の関節に不調をきたしており、体重を支えるたび、ぎぃ、ぱき、ときしむような音が膝から聞こえ、静かな悲鳴を上げているのがわかった。
左腕が一切動かず、バランスが取りづらい。最初に目が覚め、ドックへ這う這うの体で向かったあの時をラインは思い出した。
『視界を補正』
階段を降り切ったとき、辺りに広がっているのは大きな闇だった。視覚センサーを調整し、暗闇を何とか視認する。
……目の前に、何かがある。
補正によって視界にノイズが混じり、正確に視認できない。輪郭の自動補正にはさらに時間がかかる。ラインは、人間で言うところの"目を凝らす"動作を行った。
何か、というよりも人型、に近い。輪郭がはっきりするにつれ、それがどこか人間らしくない形をしていることが分かる。
目の前にいたのは、機械兵だった。
「――ッ!?」
そのことに気が付き、ラインは咄嗟に戦闘態勢へ入る。左腕は機能せず、両足は不安定。複数機との戦闘になれば、ラインに為す術はない。……しかし、どれだけ様子を伺えど、機械兵は微動だにしない。ラインを視覚センサーに収めようと首を動かしているため、機能を停止しているということも無い。
「……」
『依然、敵性信号無し』
永遠にこのままお互いを見つめ続けることになるのかと思いきや、唐突に機械兵は背後を向いた。動きを見せたことにラインは警戒を強めるが、やはり何も起こらない。
「……?」
訝し気に様子を伺っていると、ラインは目の前の機械兵から信号を受け取った。β型の規格ではなく、機械兵間で情報を伝達する際に使用する機械兵専用の規格である。
『解析完了。信号は"誘導、及び追従"です』
「付いて来い、と?」
ラインの言葉に反応を示さず、機械兵は暗闇の中を歩き出す。ラインはブレードを収納せずに、少し離れた後ろを付いて行く。
目の前の機械兵は武器を持っていない。戦闘の意思が無いことを示していることを考えたが、そもそも機械兵から意思といったものを感じない。命令に従い、忠実に動いているに過ぎないのだ。
つまり、命令を出した何かがこの先にいる。
思案しながら歩いていると、足音が変わったことにラインは気が付いた。音が反響していることから、どうやら広い空間に出たらしい。立体マップは最深部を示している。
しかし、最深部は光が全くと言っていいほど届いておらず、補正された視覚でさえ何も知覚できない。視界を切り替えようにも、反動で過熱状態にある視覚センサーが安定しておらず、切り替えが上手く作動しない。
機械兵の足音で位置を把握しつつ歩くも、目の前にいるであろう機械兵が唐突に停止したため、ラインはすぐに立ち止まることになる。
『――反応300。敵性信号は無し』
その声に、ラインは思わず動きが固まった。
……300?
その意味を深く理解する前に、天井の明かりが点灯する。補正無しでも、十分安定した視界が確保される。
先頭で佇む機械兵。……そして、左右に並ぶ大量の機械兵が、ラインの視界に飛び込む。
合計600の視覚センサーが、余すことなくこちらを向いているのが分かる。ラインは、その場から一歩も動くことができない。
「……なんで、敵対していないんですか」
『不明。いずれの機械兵からも一切の信号確認できず』
ただ、立っているだけ。301機に囲まれたラインは、敵対していないとはいえ、生殺与奪を完全に握られていると言っても過言ではなかった。
機械兵が全く動く様子を見せないことに少し慣れたラインは、機械兵が作る道の先に目を向ける。
――――最奥部、そこには大きな機械の残骸が鎮座していた。
「廃棄された兵器……?」
そう呟いたとき、目の前で佇んでいた機械兵が隊列の一部に戻り、道が開けられた。
この先に進め、ということだろうか。しかし、目の前の残骸はどこからどう見ても残骸である。あの残骸が、この機械兵に命令を出しているとでも言うのか。
ラインは残骸に近寄る。
「この残骸が動くとは思えないのですが……」
『交信を試みますか?』
ラインは頷いた。
『複数回線での同時交信開始。
……応答なし。
……応答なし。
……応答なし。
…………応答あり。α回線で接続を確認』
「α型……? この残骸が?」
フレームはひしゃげ、原型を留めていない。接続ができるということは、まだ動いているということではあるが、α-4型の時と同じように、狂って暴れ出すという訳でもない。
『前方の機体より信号を受信。α回線のため、自動的に変換を行い言語化します』
……信じられないことに、まだ動くらしい。それどころか、意味のある信号で交信を試みようとしているのだ。機械兵に命令を出しているのも、この全壊寸前のα型なのかもしれない。
『あ、あー……駄目か。β回線は使えないしなぁ……』
困ったような男の声が響く。ノイズが混じり、少し聞き取りづらい。
「こちら、β-3型改。信号を確認しました」
『……驚いたな。β型…α型の回線は搭載されて…ない筈なんだけ……。あー……駄目…壊…てる』
ノイズが大きくなり、内容が不明瞭になる。
『悪い……けど、ここまで来て………かな』
『識別不能の接続を確認。承認しますか?』
内容が分からないまま要求された接続。ラインは承認を躊躇うも、もとより生殺与奪は目の前のα型が握っている。しばらくの逡巡の後、接続を承認した。
『接続開始。意識を内部へ移動』
突然、落下するような感覚が全身を襲い――――ラインは、意識を喪失した。
「やぁ」
その声で、ラインは意識を取り戻す。目を開くと、真っ白な空間がどこまでも視界に広がっていた。
「これは……α-4型の……」
「殺風景で悪いね。これぐらいしか領域を確保できなかったんだ」
声のした方をラインが見ると、そこには貴族の様な華やかな服を着た金髪の男が、手を組んで椅子に座っていた。
「……α-4型の中で、同じ風景を見ました。ここよりもかなり不安定でしたが、ここは一体……」
ラインの言葉を、男は手で遮る。
「その前に、まずは自己紹介をしようか。久々の会話で、ちょっとワクワクしてるんだよ」
そう言って男は椅子から立ち上がり、丁寧にお辞儀をした。
「初めまして、僕はα-2型のパイロットだ。決まった名前は無いが、テスとでも呼んでくれ」
手を差し出され、ラインはそれに応える。
「ラインです」
「名前があるのか。羨ましいな。……それに、君は……感情模倣プログラムが働いていないね? 自意識を持つ個体、ということかな」
「……分かりません」
「確かに。人も自分の意識が本当に自分の意識かなんて判断できない、か。この質問は野暮だったようだ」
「……あなたは、ここで何を?」
ラインの問いかけに、テスと名乗る男は優しく笑った。
「何も」
「……何も?」
「うん。防衛戦で機能停止寸前に追い込まれてね。何とかドックまでは帰還したんだけど、それっきり。ドックはまともに動かないし、その上誰もやってこない。することもないし、こうやって空間を確保して意識の保存を行ってたってわけだね」
「……私が目を覚ました時には、戦争は既に終わり、人々からはその戦争の存在すら忘れ去られていました」
「それは誰も来ないわけだ。てっきり負けて滅んだと思っていたんだけど……そうか……人は生き残ったか」
テスは意外そうな顔をした。
「人間は負けると考えていたのですか?」
「もちろん。いくら機械で取り繕っても、神はそれよりも強い。α型を人は頼ったけど、実際まともに戦えていたのはネフィラだけだった」
「ネフィラ? α-1型の?」
「彼女は特別製でね、僕らとは設計者が違う。人としての記憶も残ってるし、確か……リーネア・レクタ、だったかな。人だったときの名前だって知ってる」
そう話すテスの顔は、憧れという感情で満ち満ちていた。
「リーネア・レクタ……」
ラインはその名前を聞いたことがあるような気がした。思い出そうとその名を反芻するも、その手がかりは掴めそうになかった。
「物静かな人だった。だけど、信念の為にまっすぐ戦い続けるその姿は僕らの希望だったんだ」
「……そのネフィラは、どこに?」
ラインのその問いかけに、テスは暗い表情になった。
「第5次大規模防衛戦で……砦を放棄する兵士を逃がすために、殿を務めたんだ。……僕もその戦いで損傷して、ここに。彼女は、あれだけの数をたった一機で引き受けて、そのまま……って、どうして、その場所を?」
歯切れが悪そうに話すテスに、ラインは胸にかかっているα-4型のコアを見せた。
「彼女をα-1型と一緒に眠らせてあげたいんです」
最初はテスもそれが一体何か分からなかったようで、不思議そうにしていたが、α型特有の赤いコアということに気が付くと、悲しそうに笑みをこぼした。
「――――あぁ……そういうことか」
ラインがコアをテスに手渡すと、テスは懐かしそうにその表面を優しく撫でる。その姿は、まるで幼い子供を撫でるかのようだった。
「彼女に会ったのかい?」
ラインは頷いた。
「言語機能を失い、記憶すらまともに維持できないまま、α-1型の帰りを待ち続けていました」
「……彼女は、散布した観測機を元に周囲の機体の代理演算と指示を行うことに特化していてね。ある戦いで観測機を全て失い、再充填の為に格納されていたと聞く。その間、ずっとそこに取り残され、しかも意識を保ち続けていたとは……寂しかっただろうに……」
「最期は、私がα-1型に見えたのか、嬉しそうに笑って消えていきました」
「……そうか。例えそれが錯覚であったとしても、彼女の中で再会が果たされたことは間違いない。……幸せに逝けたようで良かったよ」
そう言ってテスはネフィラを最後に見た座標をラインに渡した。同時に、手に持っていたα-4型のコアも、ラインに返却する。
「ここに、α-1型が……」
「そういえば、ずっとここに居てもいいのかい?」
ふと、思い立ったようにテスがラインに問いかける。それを聞いて、ラインは地上へ先に戻ったラダー達がここまでやってくる可能性を考えた。
「……あ……戻ります」
「うん。……そうだ、上の階では悪かったね。施設を掌握するのにかなり時間がかかったんだ」
テスが施設の管理を行っていなかったことで、自動的に討伐対象であるラインを認識し、襲撃が行われたとのことであった。ライン達が機械兵を全滅させたとき、ようやく主導権を握ることができたらしい。
「また、来てくれないかな。もうこの施設が君を襲うことは無いし……僕はもう長くはないけど、色々話せたお礼に、何か僕にできることがあれば協力しよう」
もっとも、機体を動かす権限は意識だけの僕には無いんだけど、とテスは笑った。