14. 『機械のような』
「――構いませんよ」
ラインは暫くの間、王都に滞在することを了承した。機械人形には時間の感覚が無い。自我を持っているラインであってもその感覚は薄く、期限の設けられていない現在の目標については、遂行に数百年を費やす可能性も想定しているのである。
レヴェルからも構わないと返事があった。
「お? 王都に滞在するのか?」
話を遠巻きに聞いていたイーシェが反応した。心なしか少し嬉しそうに見える。
「そうですね。少しの期間ですが、よろしくお願いします」
「住むとこは? 決まってるのか?」
たった今滞在することが決まったばかりであり、当然ながら滞在するための拠点を全く考えていなかった。前提として、ラインは内部の発電機と太陽光でエネルギーを確保できる設計に作り変えている。休むための場がなくとも問題はなく、拠点で生活するという考えがなかったのである。
「部屋は空いていますし、そこを使ってください。お願いしたのはこちらなのですから」
「よろしいのですか?」
「もちろん。機械人形とはいえ、そんな細身の女の子を王都に放り出せるほど私は落ちぶれてはいませんよ」
ラダーのその言葉に、イーシェは吹き出した。
「そこらの人間が何十人束になってもラインには勝てないと思うけどな」
「上位個体と聞きましたが、機械人形単機の力は武装した兵士程ですよ? 何かの間違いで兵士とトラブルでも起こせば捕縛、さらに王国の管轄外の機械人形だと発覚した時点で帝国の差し向けた斥候だと思われ、破壊されるのが目に見えますが」
「言っただろ、レトの研究所の前で複数人の帝国兵と遭遇したって。俺が間に入らなかったら帝国兵が皆殺しにされててもおかしくはなかったんだぞ。まさかラインが機械?人形とは思わなかったけど……」
ぴく、とラダーの指がその言葉に反応したのを、ラインは見逃さなかった。
「……本当ですか?」
ラダーはラインに問いかけるが、ラインは軽く首を横に振った。
「実際に戦った訳ではないので、私からは断言できません」
「否定するのではなく、わからない、と……」
「あ、やべ」
ラダーの様子がおかしいことに気が付いたイーシェは、慌てて己の口に手を当てた。
「?」
首を傾げるラインに、イーシェは消え入りそうな声で言葉を漏らした。
「師匠が戦闘狂なの忘れてた……」
「え? 医者ですよね?」
「……ラインさん、もしよろしければ……いえ、ぜひ。ぜひとも、私と手合わせしていただきたい」
「あっちゃぁ……」
ただならない雰囲気を漂わせるラダーに、イーシェは天を仰いだ。
「手合わせ、ですか?」
「やめとけって師匠、ラインは客人だぞ……?」
イーシェはラダーを諌めるが、どうやらラダーの耳には全く入らないようだった。まるで聞いている様子がない。
「えぇ、簡単なルールのもと、少々……」
そう言ってラダーは懐からナイフのようなものを取り出し、ラインに手渡した。ラインがナイフを手にとって見ると、どうやらゴムでできているらしい。グリップから刀身まで、ぐにぐにと簡単に曲がるようで、とても柔らかかった。
「そのナイフの刃の部分を私の体に当てられたらあなたの勝ち、ナイフを落とすか、私が奪い取った場合は私の勝ちです。どうですか?」
「構いませんが……」
「ありがとうございます! このルールなら屋内でも問題ないでしょう。ここは十分広いですし、今すぐ始めましょうか」
そう言ってラダーは少しラインから離れると、上着を脱ぎ、徒手空拳で構える。
「もうだめだ……ライン、本当にごめん……俺のせいで……」
申し訳無さそうにするイーシェ。ラインは気にしないでいいと慰めた。
「えっと、イーシェさんもこう言ってますし、やっぱり止めませんか……?」
ラインはラダーに向き直り、そう提案した。
「しかし……」
名残惜しそうに重圧を纏わせたままのラダー。さらに説得するため、ラインは口を再び開く。
「それに、私はあまり戦うことが好きではなくて……」
ナイフを下ろし、悲しそうに目を伏せたラインを見て、ラダーもようやく落ち着いたのか、身に纏わせていた重圧感が徐々に解けていった。
冷静になれば、イーシェの言う通り客人に拳を向けようとしたのだ。加えて、機械人形とはいえその姿は少女そのもの。考えれば考える程に、ラダーの頭はゆっくりと冷えていく。目を閉じ、最後のひと押しのため息を吐いた。
「確かに、興奮しすぎました。すみませ――――」
「加速」
『承認。加速』
踏み込み。轟音と共に木製の床が張り裂け、ラインがラダーの目の前に現れる。
「っ!?」
目を見開いたラダーが驚きの声を発する前に、口にラインの手が当てられ、喉をナイフの刃が撫でる。姿勢を崩してラダーが床に倒れ込む頃には、ラインはラダーに馬乗りになり、心臓のある位置にナイフを当てていた。
当然ながらゴムでできたナイフは、ラダーの体に突き刺さることなくその刀身をぐにゃりと曲げていたが、これが鉄のナイフであれば心臓がズタズタにされていたことは想像に難くない。
「な……」
あまりの光景に、イーシェは杖を取り落した。静寂の中、杖が床にぶつかる音が響く。
「私の勝ちですね」
ラダーは口から薄く水蒸気を吐き出すラインを、ただ見つめることしかできなかった。先程の様子とは全く異なる、機械のような目、完全に制御された姿勢と動き。口調こそ同じではあるが、別人と言われてもラダーは納得するだろう。
「え、えぇ。そうです、ね……」
ラインが立ち上がり、ラダーから離れるころには、ラインの目はこれまでの人間のような元の目に戻っていた。ラダーは肩についた砂埃を落としながらふらふらと立ち上がる。
「β型は戦闘向きではありません。その代わりに、内部に侵入して食い破ることを想定されています。搭載されている感情模倣プログラムは、その為だけに存在しているんです」
そう言ってラインはラダーにナイフを返却した。
「確かに、お強い。肉体的な強さと油断を誘い首を刈り取る戦法。これが実戦なら私は確実に死んでいたでしょう」
負けたというのに、ラダーは夏雲の澄み渡るような顔で笑っていた。
「なんだ今の!?」
「実際に目にしたのは初めてですが、これは……」
興奮するイーシェの横で、レトは複雑そうにラインを見ていた。ラインがレヴェルと戦ったとき、地下に隠れていたレトは実際の戦いを目にしてはいない。レヴェルとα型の戦闘は確かに見ていたが、レヴェルが時間を稼ぐための戦闘を行っていたために、レトは余り強さを実感できていなかった。
それよりも、あの速度と攻撃の正確さを持つラインを戦闘不能に追いやったレヴェルの強さをレトは思わずにはいられなかった。身辺の警護を任せていたC6αでさえも、簡単にラインにあしらわれたことから、王国の管轄下にある機械人形程度ではラインに太刀打ちできないだろう。
仮にラインがどうにかなったとしても、ラインを一方的に蹂躙できる性能を持つレヴェルには勝てない。もっとも、現状ではラインがいなければ、レヴェル自身も動いていられなくなるという状態だが。
機械人形が神を殺すために作られた兵器であるということを、レトはようやく実感した。
「次は、油断しませんよ」
「え、まだ戦おうとしてんの?」
ラダーが差し出した手を、ラインは握り返そうとしたその時だった。ラインの視界の端にアナウンスが流れる。
『後方、足音を検知』
「……?」
ラインが振り返ると、自然とその視線の方を全員が見る。
その瞬間、ドアが壊れんばかりに激しく叩かれる。ラインの音センサーには薄っすらと、息を切らしたような呼吸の音も聞こえていた。
「患者でしょう。私が出ます」
ラダーは上着を羽織ると、なおも激しく叩かれ続ける扉を開けた。
「――――あぁ、先生! この子を助けて下さい!!」
扉の先には、ぐったりとした様子の子供を抱える女性が、焦燥した様子で立っていた。




