10. 『パイロット』
白い、空間。
誰も汚すことができないような、真っ白な空間にラインは立っていた。
そんな空間に、ラインの身長の何倍もある釘がいくつも突き立ち、崩壊から守るように支えている。
「あなたは……」
ラインの目の前には幼い少女。どこにでもいるような、そんな少女が突然白い空間と共に目の前に現れたのだ。
先程の記憶混線から解放されたばかりのラインは、現状の把握が完全にはできないでいた。
……確か、発掘作業中にα-4型が現れ、自分がその動きを止めるために接続を試み、思考系へ迂回したところで本が大量に引き裂かれた部屋へ辿り着いた。
その後、何本もの釘で貫かれた本を手に取ったとき、
突如部屋が崩壊してここへ落ちたのだ。
そういえば、と、ラインはここに落ちるまで持っていた筈の本を持っていないことに気が付いた。
「……あ。それ、あなたの物だったんですか?」
目の前の少女がその穴の空いた本をその胸に抱えていたのだ。
少女は問いには答えず、ラインのことをじっと見つめている。返答が無いことに戸惑ったものの、記憶が混戦したラインには、目の前の少女が何者であるのか予想がついた。
「α-4型のパイロット……?」
ラインの問いかけに少女は何も答えない。少女はラインを見て小さく微笑むと、腕の中の本に視線を落とす。
そして、ページをゆっくりと開こうとするのを、ラインは慌てて止めようとする。
「待ってください! それは……!」
静止の声が聞こえていないのか、少女は本を開き、そのページを視界に捉える。
しかしラインの想像したような事態にはならず、少女はひどく懐かしそうな顔をしながらページを読み進めていく。
「…………」
窓際、太陽の光浴びて読書をしている誰かの姿を、ラインは無意識に重ねた。穏やかな時間の流れと、甘いミルクの香り。いつか見た光景を、ラインはその少女に見てしまった。
ふと、少女が本を読み進めるにつれ、本の端の方がボロボロと砂のように崩れていくのが見える。
どうやら読んだページを捲ると、その部分が無くなっていくようだった。やがてその形が完全に崩れ落ちたとき、少女は満足げな顔でラインに視線を戻す。
ラインは無意識に拳を握りしめた。
「……ずっとここで、待ち続けていたんですか」
少女はこくりと頷く。
「こんな空間に自分を閉じ込めてまで、どうして……」
思考系がまともに機能していない理由は明白だった。長い時間の流れに、特殊な構造であるα型は耐えられないからだ。
しかし、あの蜘蛛型の機械人形との約束を守るために、僅かな残滓をこの小さな空間に閉じ込め、釘で記憶を貫き固定化、自分自身の中の空間にもいくつもの釘を刺した。
そうしてやっと、少女は時間の流れに耐え、崩壊から辛うじて免れているのだ。
だが、言語を話せるほどの欠片も、もはや残ってはいないだろう。目の前の少女はコアの中に写った、いわば幻影のようなものなのだ。
少女はゆっくりとラインに向かって歩き出した。ラインは辛そうにその姿を見る。
ラインの前に立った少女は、そっとラインに抱きついた。戸惑いながらもラインは少女を抱き返す。顔をラインに擦り付け、幸せそうな顔をする少女に、ラインは何も言えなかった。
今にも壊れてしまいそうな、華奢な体。
果たされることのない約束を守り続け、ここにいる理由すらも忘れていた残滓。
「あ……」
少女の姿が、光の中に溶けるように薄くなっている。
ラインは、少女の目線に自身の目線を合わせてかがむ。少女は不思議そうにラインを見た。
「私も、会いたい人がいるんです。私のことを家族だって言ってくれた人で、今はどこにいるのかわかりませんが……」
連合に刃を向けたあの後、ラインの大切な人が生き延びられたのか、実際には分からない。はるか遠いその場所に、今も変わらず暮らしていて欲しいとラインは願っていた。
この少女も同じだ。いつ果たされるかも分からない約束を待ち、結末を知らないまま壊れていく。
機体が稼働を再開したことで劣化が進み、もうすぐ少女は本当に死ぬ。だが、ラインはまだ動く。だから――――
「確か、ネフィラ……と言いましたか。確約はできませんが、私があなたをそのネフィラの元へ連れていきます」
何故そうしようと思ったのかラインには分からない。どこで果てたかも分からない機械人形の眠る元へ連れて行くなど、不可能に近い。同情と呼ばれる感情がそうさせたのかもしれない。それでも、ラインにはそうしなければならないような気がしたのだ。
「それまで、暫しの休息を」
ラインは、少女の目に涙が浮かぶのを見た。
『――お前は戦闘こそできないが、いつも私を守ってくれているよ』
『――なぁに、私はお前がいる限りここへ帰るさ』
『――いつか開放されたらどこへ行きたい?』
少女の目から涙が溢れる。落ちる雫を、真っ白な空間が受け止めていく。
『必ず戻る。それまで待っていてくれ』
「――ね、ふぃら」
少女はラインに手を伸ばす。ラインは小さく微笑み、少女の手を両手で包み込む。
「お、か…ぇり……な、さ……」
ラインはもう一度少女を抱きしめた。少女もラインを抱き返すが、もう殆どその感覚が伝わってこない。それでも、その残された僅かな存在を繋ぎ止めるように、ラインは少女を抱きしめ続ける。
「……ただいま」
*
α型、β型、γ型。それら全てを機械人形と呼称する。
しかし、α型のみが存在していた頃、機械人形には別の呼び名があった。
――――その名を生体連結型兵器計画。パイロットと呼ばれる人間の脳を機械に組み込み、高度な判断を可能にすることを目指した計画である。
連合は当初、人間のような反応をする人工知能の開発を目指していたが、難航。代わりとして、人間をパーツに代用することにした。
自律稼働する兵器であるα型の誕生により、連合は戦争の駒を1歩大きく前に進めた。
その後、α型の思考系を模倣したネットワーク型電脳の開発により、人工知能は完成。β型に組み込まれることとなる。
パイロットに適合する人間がα-4型の製造以降現れなかったことから、以降のα型にもβ型と同様に人工知能が搭載されたが、能力が従来のα型の足元にも及ばなかったことから、量産型αという別枠として扱われることとなった。
…………目の前のα-4型が狂っているのは、長い時の流れによって制御するための脳が腐ってしまったからだろう。
そう考えながら、レヴェルは、空を見上げたまま動かなくなったα-4型を見ていた。稼働ランプが、細かく明滅しながら消えていく。
まるで、人間の心臓がゆっくりと止まっていくかのようだった。
完全にランプから光が消えたとき、停止したままだったα-4型は、電池が切れたように脱力して鋼の体を地面に落とした。少し遠くで雷が落ちたかのような音と衝撃が足元に伝わる。
目を覚ましたラインが見たのは、倒れ伏したα-4型と、ブレードを収納するレヴェルの背中だった。
ラインの意識が戻ったことに気付き、レヴェルは振り返る。何か言おうとするレヴェルを置いて、ラインはα-4型へと歩いていく。
物言わぬ冷たい装甲に指が触れたとき、ラインは膝から崩れ落ちた。
「どこかに故障箇所でもあるのか」
レヴェルの問いかけにラインは首を振る。
「……いえ、正常、のはずです」
そう答えたラインの頬には、涙が流れていた。
「……そうか」
ラインはα-4型に再接続を試みる。正確には、電波塔のように停止した機体を自身の一部として操作する為の接続である。
α-4型と接続したラインは、α-4型の背部装甲を開き、人差し指と親指で摘めるような大きさの、赤く透き通った石を抜き出した。
その赤い石はα型のコアの一つである。
ラインはそれを大切そうに握り締めると、α-4型に内蔵されているナノマシンを利用し、首にかけるためのチェーンと石を嵌めるケースを装甲の一部から作り上げた。
ケースに石を嵌め込み、自身の首にかける。ラインの胸元で、赤い石が小さく光を反射した。
「蜘蛛の形をしたα型を知りませんか」
「蜘蛛型……記録では、α-1型が蜘蛛を模した形状をしている。画像データがあれば正確な判断が可能だ」
ラインは混線した記憶から得られたイメージを記録に書き出し、レヴェルに送信した。
「この画像はα-1型のもので間違いない」
「……あれが最も古い機械人形というわけですか。行方は?」
「第5次大規模防衛戦において全壊した記録はあるが、それ以降の情報を当機は所持していない」
侵攻戦で全壊したのなら、捜索は難しい。あの場所へ向かうには穿孔門と呼ばれる機械を使わなければならないうえ、機械人形は攻撃の要であったその機械の座標の一切を所持していない。
しかし防衛戦での全壊であれば、機体は後々回収されるか、その場に残されている可能性が高く、その地点へ向かうことも容易である。
「どこかに埋まっているかもしれません」
「終点へ向かうためのルートの途中にα-1型が全壊した場所がある。掘り起こせば痕跡が見つかるかもしれない」
レヴェルから座標情報が渡される。確かに、終点ターミナルへ向かうための予想ルートの中間地点の近くにその地点は存在していた。ラインはそのデータを記録領域に保存する。
機械人形の記録媒体には記録領域と記憶領域の二種類が存在する。
記録領域は、データを保護し完全に保持する領域だが、容量の圧迫が大きいという欠点が存在する。映像データで換算するならば、100年分になる。
反対に、記憶領域には特殊な圧縮方式で格納するため、情報を引き出すには"思い出す"必要があるものの、理論上は数千万年分もの映像データを保持することが可能となる。
ラインが記録領域に保存した座標データに"重要"のタグを貼ったところで、レトがラインに声をかけた。振り返ると、レトの隣には大きな鞄を背負ったC6αが立っており、既にここから離れるための準備を済ませていることが分かった。
「それ、大丈夫ですか」
レヴェルの左腕が故障する瞬間を目撃していたレトは、その箇所を指差して言った。
「修復可能範囲だ。問題はない」
レヴェルは手首をぐるりと回して見せることでレトに"修復完了"を伝える。内部での損傷に関しては、機械人形は人間よりも修復能力を持っているのだ。
「それは良かった。ひとまず研究所へ戻りましょう。大荷物でここに留まるのは良くないですから」
α型の脅威は去ったとはいえ、ここは本来警戒するべき敵が多い地である。永遠の眠りについたα-4型の機体をこのまま取り残すことに後ろ髪引かれつつも、ラインはレトに同意した。