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日本未来誌 FUTURITATES JAPONICAE

オーサカ抄史

作者: 鱈井 元衡

 23世紀初頭、オーサカには十一の部族が乱立しており、常に争い合って統一されることがなかった。

伝説によれば2254年、ヤマオカ・レンジは仲間と焚火を囲み、部族民を誰が率いるかを巡って議論になり、三回辞退して自分が王になることを引き受けたという。

オーサカは成立当初から積極的に領土を拡大した。2278年にはシガ極北のヨゴにまで進んだところで、ツルガの部族長ニノミヤに阻まれる。ニノミヤは団結してオーサカに対抗するため、フクイ王国を建国した。

 2304年、ヒロシマ人が大勢で襲来し、オーサカの首都を包囲した。当時のソーリ・ミソラオはナイトウ・サタクを司令官としてヒロシマ人を迎撃させ、数カ月の後にヒロシマ人を撤退させた。その勲功及び西の防衛のためミソラオはナイトウにヒョーゴを下賜。最初はあくまでも属州の一つと言う扱いであったが、ナイトウ家が次第に大きな権力を持つようになった結果、独立した国家へと変貌。


 次にオーサカが激しく対立したのはスルガ湾に面するキー国であった。キーはキューシュー都市同盟とも組んで頑強に抵抗したが、2316年に併合される。それでも2330年まで断続的にオーサカに対する独立戦争があった。

 2345年、キューシューでは同盟都市とオーイタの間で戦争が始まった。それはシコクとヒロシマをこのごたごたを突いて、2350年オーサカはフクイへ侵略する。ツルガを落とし、フクイ王はイシカワ地方に亡命した。だがフクイは逆に名将サカキ・マコトの協力もあって首都オーサカの間近まで接近し、シスカバの戦いでオーサカ軍に徹底的に打破った。その後結ばれた講和条約でオーサカはナガハマ地方をフクイに譲渡しなければならなかった。

 その後、オーサカはアイチ地方以西への植民を大々的に開始する。ヒロシマ出身の戦争捕虜、奴隷すら動員して入植地を築いた。オーサカの優勢は海沿の町であるヌマズにまで達した。この事業はアイチ地方の言語や生活風俗を広くオーサカ風に変えた。

 シコク戦争終結後、オーサカはオーイタからの要請もあり、クダリ地方の都市同盟植民地を次々と征服する。このための多くの都市同盟市民が難民として脱出するはめになった。しかしオーサカは征服した地を統治する気があまりなく、数十年程度で海賊が横行する無法地帯となってしまった。


 その後オーサカの経済的成長は長い間停滞する。この頃にはニホン中で異常気象は頻発し、不作の年が十何年にわたって続いた。特に2412年地震は大きな被害をもたらし、数十万人が都市同盟やオーサカ領内に流入した。

 2425年にはヒロシマ人がヒョーゴを滅ぼし、オーサカの国内にまで流入した。ヒロシマ人は傭兵として大きな使い道があった。だがこれはオーサカの主要な軍事力を外国勢に依存することになり、国力の衰退を招いた。

 2432年、元々オーサカ王の親衛隊長だったアダムズ・ケンイチはナガノの奥地で蜂起し、十年間抵抗し続けた。彼はフクイと誼を通じ、アイチ地方にもしばしば侵入したから一種の地方政権となっていた。この反乱は、彼の子ソーイチローが2453年ローリンソン・リューセーに殺害されるまで続いた。鎮圧のためにナガノの土地は荒廃してしまった。またフクイがこれに協力していたという疑惑があったためにフクイとの国境では何回か小規模の戦闘が起きた。当時のフクイ王ニノミヤ・ガントは反発を受けて廃された。

 2468年、オーサカはヨコハマ国に出兵する。ヨコハマは屈辱を晴らすため、その後数十年に渡って古代末期の軍事技術を研究することになる。

 2488年、ヤマオカ・ジンイチはヒロシマ兵を解雇して追放しようとしたが逆クーデターにより同年廃位された。弟のタダサは再びヒロシマ人を優遇する政策を施したため安定した政権を築くことができた。だがそのために、ヒロシマ地方の諸国が都市同盟に侵攻する際に軍資金を拠出するはめになったのだが。


 2501年にキヨノ・カスタがニノミヤ・サイモンの禅譲を受けてフクイ王になると、当時のオーサカ王ナオヤは彼に友好の印として娘をめとらせようとした。しかしカスタは多くの側女を置くことを好まず、拒否した。カスタはオーサカ王の贅沢ずきな性格を批判した。これに対してナオヤは王権の偉大さを示すためには国民に豪勢さを見せることが肝要であると反論している。

 2537年末、カントーは東へ大軍を率いる。彼らは見たこともない兵器を率いて長躯オーサカ領内に侵入し、村落阿や都市を破壊して回った。オーサカは辺境の防備には力を入れていたものの、内地の防衛はおろそかにしていたため、一度国内に侵入されるともはや形勢逆転のしようがなかった。

シューキチ王は最後の逆転をエチェバリア・ソースケに任せた。ソースケは志願兵の他死刑囚すら駆集めて数百名の義勇軍を編成し、カントー軍とクサツで激突し、全員が壮絶な討死を遂げた。

万策尽きたシューキチは寵姫二人を自殺させ、粗末な身なり、毒薬を服用して井戸に身を投げた。一月二十六日のことである。

 2540年三月、首都オーサカが遂に陥落する。しかし王の姿は見あたらなかった。四月三十日、シューキチが井戸の中で死んでいるのが見つかり、この日をもってオーサカは国として滅亡した。

 カントー軍はその後ヒロシマ地方にまで侵攻するが、元から占領後の計画についてはほとんど練られておらず、また軍隊の統一も急速におろそかになっていった。そのため2557年にはその占領地はいくつもの小国に分かれ、無政府状態となっていく。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 史実、とありましたが、 フィクションの未來史ですね。 現実の日本が分裂して群雄割拠、 それをストーリー主体で、 キャラの内面は伏せて、 綴ってあるのが印象的でした。 [一言] オーサカ と…
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