表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/67

第2話 対人恐怖


 首を吊ろうとして2階から落下し、両足を骨折して救急車で運ばれた私だったが、読者の方は、どういう理由でお前は自殺しようとしたの? と疑問を持ったかも知れない。


 私の場合、自殺の引き金になったのは失恋だ。


 引き金という表現をしたが、それはどういうことかというと、生きているのがイヤになる下地というか、土台は他にあった。


 1番の土台は対人恐怖症だ。


 対人恐怖症はそれ自体で死んだりするような病気じゃないが、社会生活が格段にハードモードになってしまう何とも厄介な病気だ。


 恐怖症というが、私の場合は相手が怖いというわけではない。


 他人と接する時に異常に緊張してしまう。


 何でこんなに緊張するのかわからないが、緊張する。


 動きがぎこちなくなってしまう。赤面する。人前で字を書くときにうまく書けない。


 ほかにも色々症状はあるが、他人には良くわからない病気だと思う。

 

 包帯を巻いているわけでもないし、血液検査の数値に異常があらわれるわけでもない。


 極度の緊張から逃れようと、人付き合いを避けるようになる。引きこもりになる人もいる。と言うか、私もなった。

 

 しかし、薬は出る。


 私が飲んでいたのは、レキソタン、デパスなどの精神安定剤だ。


 この薬は効くことは効くのだが、私の緊張は手強くて、人と会う場面などの前には飲む量を増やした。


 反面、一人でいる時には薬の副作用で眠気が出てしまう。


 なので、一人でいる時は薬の服用は避けていたのだが、何かの用事で人と会わなければならない時には前もって服用した。


 すると用事のあとで眠気に襲われる。


 人と会う場面と書いたが、私は1番ひどい時には、コンビニに行くのにも薬を服用しなければ行けなかった。


 これは外に出たくなくなりますよ。


 私が対人恐怖症を発症したのは中学3年、15歳の頃だった。


 キッカケは本当にささいなことだった。


 中学3年の私は、とあることで好成績を残し、全校集会で表彰されることになった。


 体育館に集まった全校生徒の前で、檀上にいる校長から表彰状を受け取った。


 集会が解散され、教室に戻る時に親しい友達にこんなことを言われた。


「夜男、すごい緊張してたね」


 その際、なんだかとても恥ずかしいと思った。


 今考えれば、皆の前で表彰されるのだから、多少緊張してもしょうがないと思うが、その時は緊張することは恥ずべきことだと強く思ってしまった。

 

 その瞬間から発症したわけではないが、緊張は悪、みたいな変な思い込みが出来上がってしまった。


 意識すればするほどダメになる。


 緊張しないように、しないようにと意識すればするほど、自分の緊張に意識が向かい、他のことに手がつかなくなってしまう。


 それをこじらせ続け、私はいつの間にか、緊張マエストロになってしまった。


 高校に入学したが、緊張のためクラスメートと打ち解けることができなくて中退した。


 自室に引きこもる日々を過ごした。


 私が引きこもって足踏みしている間にも、ほかの同年代の人達は学校に行って、(私よりは)輝かしい未来に進んでいる。


 焦りがひどかった。


 何とかしなければならない。


 当時の私の家にはPCがない、というかネット環境がなかったので情報を得る手段が極めて少なかった。


 また、現在に比べて引きこもり問題もそんなに表面化していなかったと思う。


 私は今年39なので、当時というと1995年とか96年のことだ。


 当時はネット環境が家庭にない、というのはそれほど珍しい状態ではなかったと思う。


 ついでに、今やスマートフォンが当たり前の携帯電話だが、当時はPHS、略してピッチが出回っていた。


 ガラケーになるのはその1年後とかそのくらいで、その少し前はポケベルが携帯できる連絡手段だった。

 

 私の両親も頭を悩ましたと思う。


 ある日、母親に大学入学資格検定というのがあると教えてもらった。


 当時は大検と呼ばれていたもので、現在は高等学校卒業程度認定試験という名称になっている。


 母親も新聞を読んだり、知人に相談したりしてこのことを知ったらしかった。


 大検とはなにかというと、高校に行かなくても、1年に1回ある試験を受けて合格すれば、高校卒業程度の学力はあると認められ、大学を受験する権利が与えられるものだ。


 しかし、学歴にはならなかったと思う。

 

 これだ! と思った。


 ここまで書いてきて思ったのだが、自殺の理由を書いていたはずが、自分史みたいになってきてしまった。


 宮城県の場所を説明するのに、沖縄から順に追っていくような冗長なことになっている。


 しかし、大雑把にかいつまんで記してしまうと、うまく伝わらない。


 まあ、なにかの義務で書いているわけでもないし、飛ばせるところは飛ばしていくので、もう少し脱線にお付き合い願いたい。


 私の話はこんな風にうねうねしながら進んでいきます。

 

 これもまた、母親が新聞に載っていたのを見つけた、通信制の予備校に入学? して教材を勉強した。

 

 1年目で英語を残すほかの科目に合格した。


 合格した科目は持ちこせるので、次の年に英語で合格点をとればよかった。


 次の年、英語も合格した。


 正直言って、予想よりは簡単だな、と思った。


 当たり前の話だが、対人恐怖症は、家にこもってコツコツ勉強するぶんには一般の人となんら変わらない。

読んでいただき、ありがとうございます!

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ