8話・ひきこもりと駐屯兵団団長
ノルトンはかなり大きな街だ。
周囲は高い石壁でぐるりと囲まれ、東西南北に通用門がある。門から入ってすぐのエリアには住宅地や商店が並び、中心部はやや裕福な層が屋敷を構えている。
で、僕が今日からお世話になる団長さんのお宅は中心部にある。
兵舎から馬車で移動し、ここだと言われて外を見たら、広い庭付きの大きなお屋敷の前だったので二度見した。
「君の事は先に知らせてある。遠慮せず入るといい」
先に馬車から降りた団長さんに手招きされ、僕は後に続いた。よく見れば、この辺りの建物は同じ規模のお屋敷ばかりだ。道も石畳で綺麗に整備され、街路樹が等間隔に植えられている。
屋敷内に入ると、おっとりとした白髪の紳士に出迎えられた。心の中で執事さんと呼ぶ事にする。
他に数名のメイドさんが居て、軽く紹介された。
僕の母と同じか、少し年上のおばさんばかりだった。
「こちらのお部屋をお使いください」
そう言って通されたのは、三階にある客室だった。
二十畳位の広い部屋に大きなベッド、応接セットに書棚、なんと洗面所まで完備されている。泊まった事ないけど、ホテルのスイートルームってこんな感じかもしれない。
書棚の前にあるテーブルに、兵舎で取り上げられていた僕の荷物が置いてあった。革の肩掛けカバンの中身はそのまま全て残っていたので少し安心した。
もちろん、中身は全てチェック済みだと思う。
中身と言っても僕の物はスウェットとトランクスだけで、カバンや水の皮袋はキサン村の村長さんちから借りたものだ。
兵舎ではその事に一切触れられなかったので、問題なしと判断されたのかもしれない。
書棚は小さな物だが、分厚い本がぎっちり詰まっていた。客室にあるということは、勝手に見ても構わないのだろう。
一冊手に取り、パラパラと捲ってみる。
文字の形は日本語ではなく、アルファベットとも少し違うものだ。見た事のない文字なのに、何故か意味が分かる。
今手にしている本は、大昔の歴史書のようだった。
書いてある地名や国名、個人名は全く分からないが、内容は理解できた。
そういえば、街道の標識も、さっき通行証を見せてもらった時も、文字がすんなり読めたので気付かなかったが、日本語ではなかった。
そもそも異世界なのに、話す言葉が通じている。
「言語チートってヤツなのかな……」
俗にいう『異世界モノ創作』には様々なチートがある。言語チートなんて地味な物じゃなく、魔法や戦闘力みたいな俺TUEEE系チートだったら良かったのに。
そうだったら、キサン村の人達を助けられたのに。
本を読み漁っていたら、食事の時間だと声を掛けられた。メイドさんの後について二階の食堂へ向かう。
食堂は広く、真っ白なクロスが掛けられた大きなテーブルが中央にあった。執事さんが椅子を引いて座らせてくれた。
僕が席に着いたタイミングで団長さんも食堂に来たので、メイドさん達が給仕を始めた。
テーブルマナーとか全く分からないので、団長さんの食べ方を真似してフォークやナイフを使う。
肉厚なステーキを始め、煮込み料理やサラダなど、色々な料理が出されたが、緊張で味が分からない。
食べてる間、メイドさん達は後ろに控えてて、皿が空く度に次の料理がサッと差し出される。誰かに見られながら食べるのはかなりの苦痛だった。次から食事は部屋で食べたいと言ったら怒られるかな。
食事が終わり、全ての皿が下げられた頃にようやく団長さんが口を開いた。
「ヤモリ君。この後少し時間を貰っても?」
「あ、はい」
すぐ部屋に戻りたかったけど、お世話になる以上は従うべきだろう。
食堂から別の部屋に移る。
こじんまりとした部屋には、ゆったりとしたソファーと小さなテーブルだけが置いてあった。狭いのでメイドさん達が控える場所もない。
団長さんと二人きりなのは緊張するけど、たくさんの人に見られるよりはマシだと思って我慢する。
「飲むか?」と聞かれたが断った。
団長さんは酒瓶とグラスを手に向かいの席に座った。
断らなかったら酒を出されるところだった。僕まだ未成年だからね。ていうか、何歳だと思われているんだろう。
グラスを傾けつつ、団長さんが口を開く。
「食事は口に合ったかな。普段は私しか居ないので、メイド達が張り切っていたのだが」
「え、あの、ご家族は?」
「いや、私は独り身なのでね。住み込みで身の周りの世話をしてくれる者が四人いるから賑やかではあるがね」
日本の一般的な一軒家の何倍も広いこのお屋敷に、合計五人しか住んでないとは。てっきり他に家族がいると思ってた。
ていうか、個人で四人も雇ってるのすごいな。
「さて。君の通行証を作るにあたって二、三確認したい事があるのだが」
通行証はないと困る。
僕はすぐに了承の意味で頷いた。
「まず、君の生まれ故郷は?」
「えっと、日本の静岡県、浜松市です」
「ニホン……それは地名? それとも国の名称か?」
「日本が国名で、静岡県と浜松市が地名……分かりますか?」
「いや、この大陸にはない。とはいえ、別の大陸や島国だとしても聞いた事がない」
それはそうだろう。
ここは僕の居た世界とは違うんだから。
「その、ニホン? という国から、どうやってキサン付近の森へ来たかは覚えているか?」
「……いえ、その、自宅の部屋に居たはずなんですけど、気付いたら森の中で倒れていたので」
僕の言葉に、団長さんは頭を抱えた。
意味わかんないよね、僕もほんと意味わかんない。
「何処にあるか分からない地名では通行証に刻めない。サウロ王国出身、と登録する事になるかもしれない。構わないかな?」
「あ、はい。大丈夫です」
通行証を見せる度に門番に質問責めされるよりマシだ。
事実と違う内容で登録するのは本来禁止されているが、身元を保証する者が居れば問題ないらしい。この場合、僕の身元保証人は団長さんという事になる。
迷惑かけないようにしないと。
「実は、ヤモリ君の出で立ちを見て、何処かの貴族の子息ではないかという声が上がっている」
「ああ……」
キサンでも村の人達に誤解されていたなぁ。兵舎でも、お風呂に入った直後から兵士さんの反応が違ったし。色白、華奢、世間知らずな所が貴族っぽいらしい。
きっぱり否定すると、団長さんはあからさまにホッとした顔になった。
「良かった。知らぬ事とはいえ、貴族の子息を牢にブチ込んだとなると私の首が飛んでしまう」
ははは、と笑いながら団長さんは右手で首を切るジェスチャーをした。貴族って扱い難しいんだな。笑えない冗談だ。
団長さんは貴族かと聞いてみたら物凄い勢いで否定された。こんなお屋敷と住み込みの執事とメイドがいるのに平民なんだとか。
この屋敷は駐屯兵団団長の役宅で、それまでは自分で部屋を借りていたという。敵や魔獣を倒しまくっていたら、いつの間にか団長になっていたと教えてくれた。
「もし君が貴族ならば、身代金目的で攫われるなどしてキサン村付近に連れてこられた可能性もあったのだが。もしや、実家が裕福な商家であるとか?」
「や、ホントに一般の、フツーの家です」
「だが、珍しい織物で作られた服を所持している」
「そ、それはその……」
「そして、客室の書物もすんなりと読めていたようだね。あそこに置いてある本は全て古代文字で記されているのだが」
「え、あれ古代文字!?」
やはり、カバンの中身を見られていた。この世界にはなさそうな化学繊維製の服だ。
本を読んでいる所はメイドさんに見られている。やけに古めかしい本だとは思ったが、まさか古代文字で書かれた物だったとは。
しかし、これはどう説明するべきなのか。
僕は再び言葉に詰まった。
黙り込む僕の肩に、団長さんの手が置かれた。
「勘違いしないでくれ。私は君を追いつめたい訳じゃない。ただ、力になりたいだけなんだ」
大きくて温かい手は、寄る辺のない僕を支えてくれるようだった。
顔を上げると、穏やかな表情の団長さんと目が合った。僕を心配してくれているのが伝わってくる。
「……君の置かれた状況に理解のある方を紹介しよう。私は地方の一兵士に過ぎないから宿を提供する位しか出来ないが、その方ならばきっと君の力になってくれるだろう」
「あ、ありがとう……ございます……」
この人は信頼出来る人だ。
僕は、この世界に来てから何度目かの涙を流した。