閑話・王様のひとりごと
国王ディナルスと松笠美久の出会いと別れの物語。
ディナルス20〜24歳、美久10〜14歳。
俺が貴族学院を卒業し、父王の補佐に就いて国政を学び始めて数年経った頃の話だ。
サウロ王国は、南の国境を接するユスタフ帝国と戦争中だった。もっとも、南には我が国が誇る最強の将軍、グナトゥス・バルバロ・エーデルハイト卿が出向いている。戦況に不安はない。
戦場となっているのは、あくまで国境付近。王領シルクラッテ州は元より他州に戦火が及ぶ事はなかった。
王国として出来る事はクワドラッド州の民を一時的に保護したり、兵糧を運んだり、後は最低限の防衛をするのみ。
国と国との戦争だというのに割と楽観的に構えていられたのは、やはりグナトゥスと彼の鍛え上げた兵団の存在が大きい。それに、彼のひとり娘であるエニア嬢も、貴族学院を卒業したての若さでありながら単騎で戦場を駆けているという。
だから俺は分かっていなかった。
戦争の現実と、その恐ろしさを。
ある日、グナトゥスから父王宛てに手紙が届いた。補佐をしていた俺は、その手紙が読まれる時にすぐ側にいた。戦争中の事であったから援軍の要請か何かだろうと思っていたが、違った。
『風変わりな少女を見つけたから王宮で保護してほしい』という内容だった。
他国との戦争の真っ只中に、まさかそんな事を持ちかけられるとは。その少女は他国の人間なのか。まさかユスタフ帝国の人間では? と、宰相イルゴスを始め重臣達はみな訝しんだ。
しかし、手紙の主はあのグナトゥスである。敵の罠に引っ掛かるほど単純ではない。豪快でガサツ、大雑把な性格はあるが、あれでいて他者を見る目は鋭く厳しい。恐らく本当に王宮で保護してもらいたいだけなのだろう。
手紙には、少女が現在大怪我をしていること、あらかた傷が癒えたらグナトゥス自身が連れて行くことなどが書かれていた。保護してほしいと言いながら、既に連れて来る事が彼の中では決定されている。仕方のない奴だと父王は笑っていた。
手紙到着から一ヶ月半、グナトゥスが件の少女を連れて来た。腰まで伸びた艶やかな黒髪。長身のグナトゥスの隣に立つと殊更小さく細く見えた。焦げ茶の瞳は不安そうに揺れ、今にも泣き出しそうであった。
そして、少女の持ち物として王宮に運び込まれた品々に、その場に居た誰もが言葉を失った。大きな傷がついた奇妙な色形の背負い鞄と鮮やかに染め上げられた衣服。鞄の中にある書物に書かれた文字は、この大陸のどの国の言語でもなかった。
異世界人。
文書での記録は残っていないが、過去にも明らかにこの世界の者ではない人間が現れた事がある。王宮には、過去の異世界人が遺したナイフや着物などが保管されている。
まさか、この少女が。
父王は、末の妹よりも幼いこの少女に同情し、王宮で手厚く保護する事をグナトゥスに約束した。グナトゥスは少女を預けると、すぐに戦場であるクワドラッド州へと戻っていった。
少女の名前は、マツカサ・ミクと言った。
言葉は通じるはずなのだが、誰とも口を聞きたがらない。妹達がかわるがわる話をしに行くが、一向に返事がないので、すぐに部屋に近寄らなくなってしまった。
衣食住には事欠かなくとも一人で見知らぬ土地に居るのは辛かろうと、俺は時間が空いたらミクの部屋に足を運んだ。
ある日、間が悪く着替えの最中に部屋に入ってしまった。すぐに怒った侍女達によって追い払われたが、その時ちらりと見えたのは背中に残った大きな傷痕。普段表に出ている顔や手足は綺麗だったから、とても衝撃的だった。
そうだ、この娘は戦場から来たのだ。
どのような経緯でグナトゥスに発見されたかは聞いていないが、きっと恐ろしい目に遭ったのだろう。身の回りの世話をする侍女達にも心を開かないのは、この世界自体を警戒しているからだ。
どうしたらミクが心安らかになれるだろう。当時の俺はそんな事ばかり考えていた。かといって良い考えが浮かぶ訳もなく、これまで通りミクの部屋へと通い続けた。
一方的に話し掛けるだけだったが、特に虚しさは感じなかった。一日に何度も訪れる時もあった。周りの者に呆れられたりもした。だが、ミクは返事こそしないものの、決して俺の来訪を拒絶する事はなかった。
あまりにも頻繁にミクに会いに行くので、婚約者のザフィリアから釘を刺された事もあった。
「よろしいですか殿下! 男性がみだりに婦女子の部屋に近付いてはなりません!」
「……そう怒らんでも良くないか」
「そうはいきません! 放っておけば朝でも夜でも邪魔しているそうではありませんか。女性には色々あるのですよ? せめて行く前に必ず先触れを出すようになさいませ!」
嫉妬ではなく、女性の部屋を訪れる際の最低限の礼儀の話だった。その時は、得難い令嬢であると改めて惚れ直したものだ。
しこたま怒られている俺を見て、ミクが初めて笑顔を見せた。それだけで、ザフィリアと手を取り合って喜んだ。
ミクが王宮に来てから三年。
父王が急に亡くなり、王位を継ぐ事になった。正直、王位継承はまだ先の話だろうと油断していた為、学ぶ事は山のように残っていた。余暇は全く無くなった。
慣れない仕事に悪戦苦闘していたら、あっという間に数ヶ月が過ぎた。即位と同時に結婚し、王妃となったザフィリアからミクが病に罹っていると聞いた時もすぐに見舞いに行く事が出来なかった。
半年振りに会いに行き、ミクの弱った姿を見て愕然とした。王宮で保護されて以来、ややふっくらとしていた頬が再び痩せこけていたからだ。豊かな黒髪も艶を失っていた。目に光がないように思えた。
「ミク、ちゃんと食べているか?」
「……」
「陛下。最近は殆ど食が進まない様子です。冷やした果物を少し召し上がる位で」
部屋付きの侍女が代わりに答えてくれた。全く食べていない訳ではないが、僅かな果物だけでは足りないように思えた。部屋を出た後、侍女から「ミク様は故郷の味が恋しいようです」と言われた。
異世界の料理など見当もつかない。何か糸口でも見つかれば、と侍女やザフィリアが尋ねたが、聞いたことのない単語が出てくるだけだったという。
そうこうしている内にミクの体力に限界が来た。自分で歩く事が困難になり、一日のほとんどを寝台の上で過ごすようになった。幼い内に親元から離れ、見知らぬ異世界に迷い込んでしまったことで、身体より心が弱っていた事が病の進行を早めてしまった。
見舞いに行く度にこれが最期かもしれないと思った。
「王さま、わたし、もとの世界にかえりたい」
寝台に横たわったままミクは涙を流した。王宮に来てから四年、ミクが自分の望みを口に出して伝えたのは、これが初めての事だった。
何としても叶えてやらねばならない、と思った。
「分かった。俺が必ず元の世界に帰してやる」
骨と皮だけになった小さな手を握り締め、俺はそう約束した。それを聞いて、ミクは安心したように眠りについた。
そして、そのまま目覚める事はなかった。
ミクの遺体は、王宮の片隅に埋葬された。その際に、遺骨と遺髪の一部を手元に置いた。ミクが持ち込んだ遺物は王宮にて保管された。
生きて元の世界に帰す事は出来なかったが、せめて身体の一部だけでも帰してやりたい。その一心で、異世界に渡る為の研究を始める事にした。
しかし、情報が少な過ぎるからか誰もやりたがらず、研究者選びは難航した。
そのまま、ほとんどの者達からミクの記憶が薄れた頃、一人の貴族の青年が異世界に興味を示した。
カルカロス・アメディオ・アールカイト。
彼は貴族学院を首席で卒業するような優秀な人物だが、社交界では変わり者で評判だった。誰からも見向きもされなかった異世界研究に自ら志願し、調査を始めてくれた。
ミクの遺物を貸し、研究費を補助してきたが、なかなか成果が出なかった。
諦めかけていた頃、新たな異世界人が現れたという情報が入った。これこそ世界を渡る方法を探る最大の助けとなるだろうと期待した。
新たな異世界人・ヤモリが来て以来、停滞していた研究が飛躍的に進んだ。
ミクの書いた文章の解読や、故郷の味を再現する為の研究、世界と世界を繋ぐ『引き合う力』の実験など、明らかに成果を上げていった。
だから、いずれ自由に異世界に渡る事も可能であろうと楽観的に考えてしまった。
ヤモリから駄目出しをされ、落胆したのは事実だ。だが、何も知らずに無闇に異世界に渡る事をせずに済んで良かったと思う。
慌てずとも、いつかきっとミクの願いは叶う。
その為に、まずこの国を守らねばならない。我が国を脅かす帝国との因縁を断ち切り、今度こそ真の平穏を取り戻す。
それが、国王としての俺の務めだからだ。
ディナルスと美久ちゃんの間には、年の差もあるので恋愛感情はありません。もし美久ちゃんが元気で、大人になるまで成長していたら、あるいは側室的な立場になったかもしれません。
王妃ザフィリアは肺の病のため、現在遠方の領地で静養中です。本編には登場しませんが、割と元気です。
ザフィリアと美久ちゃんが一番仲が良かったかもしれません。
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第5章には新規登場人物がほぼ居ないので、登場人物紹介はありません。
その代わり、第1話の前にキャラクターイラストだけの回を挟む予定です。




