3話・キサン村壊滅
やや残酷な描写があります。ご注意ください。
闇夜を引き裂く悲鳴に、僕は身体を強張らせた。
村の中央辺りから複数の獣の唸り声がする。野犬の群れでも迷い込んできたのだろうか。それにしては尋常ではない騒ぎだ。
悲鳴と、逃げ惑うような足音が聞こえる。
ここは村長さんちの裏手にある離れだから、窓から外を見ても表の様子までは分からない。
また悲鳴が上がった。おばあさんの声だ。助けなきゃ、と震える手でドアに手を掛けた時。
「出るな!」
離れの外から村長さんの声が響いた。反射的にドアから手を離してしまった。
「村長さん! 何があったんですか!?」
「大丈夫だから、絶対外に出ちゃならんぞ!」
そう叫びながら、村長さんはドアの向こうでガチャガチャ音を立てて何か取り付けている。
それが外付けの鍵である事に気付き、僕は慌ててドアを押した。
「っ、開かない! 村長さん、なんで?」
押しても引いてもドアは開かない。
体当たりしてみたけど、分厚い木製のドアは少し軋んだだけで、ビクともしなかった。
「ちょっとの間我慢してくれ。今ロフルスが頑張っとる。なぁに、すぐに片付く」
村長さんは戯けた口調で応えてくれたが、それは多分僕を部屋に留めておく為だったんだろう。ドアが開かないのを確認してから、騒ぎの方へと走っていってしまった。
閉じ込められた。
置いていかれた。
ドア一枚隔てて、明確に線を引かれてしまった。
沈む気持ちに引き摺られ、その場で立ち竦む。
村長さんは意地悪で僕を閉じ込めた訳じゃない。僕が危ない目に遭わないように配慮してくれただけだ。分かっているのに、それでも悲しい。
この村で一番若い僕が、一人だけ安全な場所で震えているだけでいいはずがない。折れそうな気持ちを奮い立たせ、僕は部屋を見回した。
ドアが駄目なら窓だ。
離れの窓は両開きで、元々鍵は付いていない。少し高い位置にあるから、足場がわりに椅子を持ってきて乗り越える。思ったより窓枠は狭く、もう少し体格が良かったら出られないところだった。
時間は掛かったけど何とか窓枠を潜り抜け、そのまま外の地面に頭から落ちる。
窓から出るのに手間取って出遅れてしまった。
早く行かなきゃ。もう悲鳴も獣の唸り声も聞こえない。騒ぎは無事に収まったんだろうか。
離れから出て村の中心へと走る。
薄暗くて足元がよく見えない。ランプを持ってくるべきだったと後悔した。近くの家から明かりを借りてこよう、そう考えてたら、ちょうど雲の切れ間から月が出て、ほんの少し明るくなった。
照らされたのは、井戸の側で倒れている人の姿。
「は? ……えっ、待って。嘘でしょ」
腕や足に引き裂かれたような痕がある。声を掛けても、体を揺すっても反応がない。
獣に襲われた?
村長さんやロフルスさんは無事だろうか。
次々に倒れている人を見つけたが、みんな手遅れだった。狼に似た獣の死骸も幾つか転がっている。これはロフルスさんが倒したのだと分かった。
それにしても、こんな夜中に何故みんな外に出ていたんだろう。建物から出なければ、獣に襲われる事なんてなかったのに。
「だ、誰か、無事な人はいませんかぁ……?」
泣きそうになりながら村の中を彷徨う。
暗いから、何度も石畳の段差に躓いた。
空き家の裏手に揺れるランタンの明かりと人影を見つけた。
駆け寄って顔を確認すると、村長の奥さんだった。肩口の傷を手で押さえながら、壁にもたれ掛かって座っている。
ランタンに照らされた奥さんは酷い顔色で、肩で息をしていた。駆け寄ると、上着が血でべっとりと濡れているのが分かった。
それなのに、僕の姿を見て、体を起こそうとした。
「ア、アケオ様……外は、危ないのに」
言いながら、ぼたぼたと口の端から血が流れて落ちた。すぐに手当てをしないと命に関わるレベルの怪我だ。
「ッ誰か呼んでくるから……!」
救急車が呼べたらいいのに。こんな森の中じゃ、まともな医療は望めない。それでも、何もしない訳にはいかない。
立ち上がりかけた僕を、血塗れの手が制した。
「歩き回ったら危ないわ、ここにいてちょうだい」
「でも、血が」
「いいから、ね?」
奥さんは僕を引き留めた。心細くて一人になりたくないのかもしれない。
一瞬どうすべきか迷った後、僕はその場に膝をついた。助けを呼びに行くべきだと分かってるのに、足がガタガタ震えて、これ以上動く事が出来ない。
情けなさに涙が出てきた。
この場に留まる事にした僕を見て、奥さんはふっと微笑んだ。
「さっき、外から赤ちゃんの泣き声がしたの、聞こえた? ……あれを聞いたらね、居ても立っても居られなくって。早く、見つけてあげなくちゃ、って探しに出たら、こんな事になっちゃった」
間抜けでしょ、と言われ、僕は首を横に振った。
村の人達が家の外に出たのは、赤ちゃんを保護する為だったんだ。だから、暗い夜なのに、おじいさんだけでなく、おばあさん達もみんな外に出ていた。
みんな、赤ちゃんを放っておけなかったんだ。
「……泣かないで、アケオ様」
ぼろぼろ涙をこぼす僕の方に手を伸ばし、困った顔で笑う奥さん。
その手を握ると、既に指先は冷たくなっていた。
「もう、赤ちゃんの泣き声が聞こえない。助けてあげられなかったのだけが、心残り、だわ……」
徐々に小さくなっていく声に、僕はどうする事も出来なかった。
奥さんを看取ってから、僕は足元にあったランタンを借りて立ち上がった。
まだ村長さんとロフルスさんを見つけてない。
村を囲う柵沿いに歩いて人影を探す。もう獣の声もしないけど、いつ物陰から飛び掛かってくるか分からない。
怖いけど、じっとしていられなかった。
村の入り口付近の柵が一部壊れていた。獣が侵入する時に蹴破ったのか、外から薙ぎ倒すように木の杭が折れている。
歩き回ってみても、村の中に人や獣の気配が感じられなかった。
まさか、逃げる獣を追って村の外に出た?
村から出ると、そこは真っ暗な森の中。体力も土地勘もない僕が探しに行くにはハードルが高い。
せめて近場だけでも見回ろう、と村を囲う柵の外側をぐるっと歩く事にした。
昼間、ロフルスさん達が柵の修繕と補強をしていたが、今回破られた箇所はまだ手付かずだったようだ。杭の根元が腐っていたので壊れやすかったのだろう。
村を襲った獣は大型だ。木の柵なんて、例え不備が無くても役に立たなかったかもしれない。
まだ獣が残っている可能性があった。
よく考えたら、何も武器を持っていない。運動音痴だから、例え木刀やナイフを持っていたとしても、何も出来ないとは思うけど。
もうすぐ村の外周を回り切るという所で、茂みに倒れている人影を見つけた。
足元には血塗れのナタと斧が転がっている。
ロフルスさんと村長さんだった。
周りには二匹の獣が倒れていて、二人の奮闘ぶりが伝わってくる。
それでも、流石に無傷ではいられなかったみたいで、腕や足に幾つもの噛み跡があった。流れた血も多く、獣の群れと相討ちになったのだと分かった。
村の中に戻り、生存者を探す事にした。
全ての家を回り、屋内も確認したが、残念ながら無事な人は一人もいなかった。
キサン村の住人、九人全員が死亡した。
キサン村の事、忘れないでくださいね。