33話・アールカイト侯爵家
珍しくオルニスさんが夕方に帰ってきた。今日の事を相談したかったので、夕食後に時間を作ってもらう事にした。
マイラとラトスには、オルニスさんと二人だけで話がしたいとお願いしてみた。何となく事情を察したようで、意外にもすんなり引き下がってくれた。
今度埋め合わせしなきゃ。
オルニスさんの書斎に通され、応接セットに向かい合って腰掛ける。
初めて入った書斎は、上品な色合いの書棚や調度品で統一されていた。適度な広さで、なんだか落ち着く空間だ。
「で、話っていうのは?」
「……えー、実はこんな事がありまして」
僕は今日起きた事をそのまま話した。
別邸で学者貴族さんの研究を手伝っていた事。
一人で廊下に出たら隠し部屋に連れ込まれた事。
いきなり短剣で脅された事。
間一髪のところで学者貴族さんが助けてくれた事。
脅してきた人物が学者貴族さんの弟だった事。
間者さんの名誉の為、他家の人に姿を見せて助けを求めた所は黙っておいた。
全て聞き終えたところで、オルニスさんは深い溜め息を吐いた。
「──それは、本当に大変だったね。ヤモリ君が無傷で帰ってきてくれて何よりだ」
「はい。刺されるかと思いました」
アリストスさんは、僕を傷付ける事に全く躊躇いはなさそうだった。あの時、もし学者貴族さんが間に入ってくれなかったらどうなっていたか、考えたくもない。
「確かに『異世界人を傷付けてはならない』という法律はあるけれど、闇に葬ってしまえば証拠もない。アールカイト侯爵家にはそれが出来るからね」
「……肝に命じておきます」
やはり、かなり危ない状況だったんだ。今更ながら、どっと冷や汗が出てきた。
「あの兄弟は、ちょっとワケありでね。君は家庭の事情に巻き込まれた形になるね」
「え。兄弟喧嘩の巻き添え、みたいな感じですか」
「いや、仲が悪い訳じゃない。ただ、素直になれない理由があるのさ」
オルニスさんは、アールカイト侯爵家について僕に詳しく話してくれた。
それは、貴族ではよくある事らしいんだけど、庶民の僕にはあまり理解出来ない話だった。
***
先代侯爵フォルトゥスが、まだ爵位を継いでおらず、貴族学院に通っていた頃の話。
彼には恋人がいた。
相手はクライエン男爵家の末娘、ヒルダ。
学院で出逢った二人は次第に惹かれ合い、将来を誓い合う仲となった。
しかし、フォルトゥスの父親、当時侯爵家の当主だったヴォルクライスは、二人を認めなかった。
身分違いの恋は、学院を卒業してからも続いた。
結婚も許されないまま交際を続け、二人の間に子供が生まれた。
それがカルカロスだ。
王都外れの別邸で親子三人慎ましく暮らしていたが、その幸せは長く続かなかった。
フォルトゥスが本宅に連れ戻されたからだ。
アールカイト侯爵家に他に男子は居ない。
フォルトゥスは、たった一人の跡取り息子だ。
親同士が決めた、家格の釣り合う侯爵家令嬢と結婚させる為に、彼は愛するヒルダとカルカロスから引き離されてしまった。
高位貴族ともなると、政略結婚や愛人、妾なんかは珍しくもないらしい。
アークエルド侯爵家令嬢マリエラは、愛のない結婚を受け入れ、数年後に子供を授かった。
それがアリストスだ。
ほどなくしてヴォルクライスが病で亡くなり、フォルトゥスが爵位を継いだ。
フォルトゥスは、これを機に別邸に取り残されていたヒルダとカルカロスを本宅へ呼び寄せた。
これまでは僅かな使用人に囲まれ、静かな暮らしをしていた二人だったが、本宅に来てからその生活は一変した。
本宅は正妻であるマリエラが仕切っていた。
マリエラが実家から連れてきたメイドや使用人も多く、何をするにも肩身が狭い思いをした。
マリエラは、ヒルダに何かと気を使った。
日陰の身であるヒルダには、その余裕ある態度が逆に辛く感じられた。
高位貴族にとって、愛人を作るのは当然の事。正妻は、それを受け入れて屋敷を取り仕切るのが仕事。
しかし、下っ端貴族の娘にとって、そんな習慣は受け入れ難い事だった。
政略結婚だったはずなのに、アリストスが生まれてから、フォルトゥスとマリエラの夫婦仲は良くなっていた。
愛人のヒルダを歓迎し、カルカロスにも優しく接しているのを見て、妻に感謝する気持ちが芽生えたのだろう。
例え結婚出来なくても、愛されているのは自分だけだと信じていたヒルダは打ちひしがれた。
正妻のマリエラが愛人を邪険に扱わないのは、自分の立場に自信があるからだ。
たった一つの心の支えを失い、ヒルダはどんどん弱っていった。
そして、しばらく後に病で亡くなった。
フォルトゥスもマリエラも酷く悲しみ、遺されたカルカロスをアリストスと分け隔てなく育てた。
幼いアリストスは、カルカロスを兄と慕った。
しかし、既に物心ついて状況を理解していたカルカロスは違った。
貴族学院を卒業後、一人で別邸へ戻った。
義母のマリエラや弟のアリストスに遠慮しただけではない。不遇な扱いのまま母親を死なせてしまった父親を避ける為だ。
父親が病に倒れた時も見舞いには行かなかった。
その時になって、初めて周囲はカルカロスが侯爵家を毛嫌いしている事に気付いたという。
フォルトゥスは、死の間際に別邸と周辺一帯の領地をカルカロスに与え、正統な跡取りであるアリストスには爵位を与えた。
アリストスは長い間、カルカロスを実の兄だと信じていた。
しかし、過去の出来事を知って愕然とした。腹違いの兄を不幸にしたのは自分の存在だと思い込み、己を責めた。
兄を不便な別邸に住まわせたままではおけない、本宅に連れ戻して、一緒に暮らして償いをしたいと考えるようになった。
当のカルカロスにとって、幼い頃に親子三人で過ごした別邸で暮らす事こそが幸せであり、本宅には何の未練も執着もない。
二人の認識の違いは現在も続いており、うまく噛み合わないまま何年もこの状態である。
***
「──という訳だ。カルカロス君とアリストス君は腹違いの兄弟であり、アリストス君が爵位を継いだのもそういう理由なんだ」
そう言って、オルニスさんは肩を竦めた。
とても長い話だった。
貴族の間では割と有名な話で、正妻と愛人が啀み合っていない分、そんなに酷い話ではないらしい。
え、これより悲惨な話もあるの?
貴族怖っ!
「アリストス君は、兄こそ侯爵家を継ぐべきだとも言っている。もちろんカルカロス君にそのつもりはないし、先代侯爵夫人もそれだけは許してはいないんだが」
「あー、人の話聞かなさそうな人ですもんね」
学者貴族さんにとって、別邸は大切な場所だ。
そこで好きな研究に没頭する事こそが彼の望みだというのに、アリストスさんはそれが理解出来ない。
だから、研究仲間のバリさんや研究対象の僕を追い出そうとしたんだ。
邪魔者さえ居なくなれば、カルカロスさんが本宅に帰ってきてくれると信じて。はた迷惑な話だ。
「おそらく今後も何かしてくるだろう。移動も含め、身辺には十分気をつけた方がいい」
「分かりました」
「あまり酷いようなら、こちらも動かねばならなくなるからね。侯爵家だからと言って、好き勝手されるのは我慢ならない」
一瞬、オルニスさんの纏う雰囲気が冷たく感じた。
表情は笑顔のままなんだけど、背後に鬼神が見えるのは気のせいだろうか。もしかして怒ってる?
「ヤモリ君に何かあったら、私の可愛いマイラとラトスが悲しむ。それだけは許されない」
全ては愛する我が子の為。
マイラ達のおかげで、僕にはめちゃめちゃ頼もしい味方が出来たようだ。




