9話・ひきこもりと辺境伯
団長さんの屋敷でお世話になって数日経。その間、僕はずっと部屋に籠ってひたすら本を読んでいた。団長さんによれば、この部屋にある本は全て古代文字で書かれているという。
何故そんな本を置いてるのかと尋ねたら、知的な家主だとお客にアピールする為だとか。そういう見栄があるとは意外だ。
僕には何故か読めるんだけどね。
ただ、内容は大昔の伝記ばかりで読んでもあまり役には立つとは思えなかった。昔話なんかより、こちらの世界の基礎知識を覚えないと。
というわけで。
執事さんにお願いして地図を貸してもらった。この国で発行された地図には中央にサウロ王国が描かれている。王国は大きく五つの地域に分かれていて、東西南北の領地に囲まれた中央にあるのが王都。
今僕がいるのが南のクワドラッド州にある街・ノルトン。そのノルトンから南下した森にキサン村があり、更に下るとユスタフ帝国という国との国境がある。これは街道にあった案内板通り。キサン村以外にも村は幾つか載っているが、どれもノルトン近くの街道沿いにあった。なんでキサン村だけ辺鄙な森の中にあるんだろう。
あと、世界地図もあったので見てみる。
サウロ王国のある大陸が一番大きく、大洋を挟んで他に大陸が二つ。島国は幾つかあるが、あまり詳しく描かれていなかった。
大陸の形や数は僕の世界と全く違う。これで中世ヨーロッパに飛ばされたという線は消えた。やはりここは違う世界なんだ。
団長さんは早朝から兵舎に出勤している。キサン村の事件の後始末や関係各所への連絡、指示等でかなり忙しいらしい。それでも、屋敷に僕が居るから夕食の時間までには仕事を切り上げて帰ってきてくれる。
昼間は僕と執事さん、メイドさん達しかいない。つまり、だだっ広い食堂で朝食と昼食を一人で食べる羽目になる訳だ。それは絶対避けたい。
勇気を振り絞って「部屋で食べたい」と申し出たら、なんと快諾された。これで気を遣わず食事できる。何事も言ってみるものだ。
メイドさん達、給仕モードになると僕の手元を凝視してくるから怖いんだよね。フォーク取り落としたら秒で新しいものを差し出してくれてさ。有り難いけど、こっちの心臓が持たない。
夕食は団長さんと一緒に食堂で摂り、食後に小部屋に移動して雑談するのが日課になった。
団長さんは、事件のその後や他の村の状況などを教えてくれた。遠くの土地にいるキサン村出身者にまだ連絡がついていないとか、他の魔獣の目撃情報とか。
あと、行商のロイス少年がものすごく落ち込んでいるらしい。村長さん達から孫のように可愛がられ、いつか村に移住するつもりだったのに、と嘆いていたそうだ。
「そういえば、ロイス少年が『あと一日村に残っていれば僕が行商に行ったのに』とボヤいていたよ」
「ああー……、僕もそう思いました。でも、あの状況で僕一人が村に残ってたら……」
「多少の順番は違えど捕まるだろうな」
「ですよね」
僕が丸二日かけ、死にそうになりながら歩いたキサン村からノルトンへの道のりは、馬車ならたった三、四時間の距離だという。後からそう聞いて、だったら無理せず村に残るべきだったと悔やんだものだ。
しかし、それではロイス少年から糾弾されるのがキサン村かノルトンの門前かの違いしかない。下手をすると、ロイス少年が村に来た時点で、僕が人見知り発動して逃げ出していた可能性もある。そうなれば、また迷子になって野垂れ死にだ。
色々あったけど、今はこうして安全な場所で衣食住の世話をしてもらっている。出来れば、これ以上面倒な事態に巻き込まれないよう、このまま此処に篭ってひっそりと生きていたい。
そう思っていたけど──
「ヤモリ君。先日話した、君の力になってくれる方を紹介しよう。明日の午後に面会を申請してあるから、一緒に挨拶に行こう」
「は、はい……」
なんだか嫌な予感しかしない。
この街の駐屯兵団を束ねる団長さんが、事前に面会を申請しなければならない人物って何者なんだろう。
翌日、昼食の後に馬車で街の中心部へと向かった。
五分くらいで目的地の門の前に着く。歩いて行ける距離なのでは? と思ったけど、貴族のお屋敷に徒歩で訪問するのはマナー違反なんだって。
つまり、今から訪ねる人は貴族って事か。
着いた先は、団長さんのお屋敷が小さく感じる程の豪邸だった。街の中なのに、門から建物の玄関が見えないくらい庭が広い。手入れの行き届いた庭園の中を馬車で進むと。やっと玄関が見えてきた。
玄関先で馬車から降り、執事さんの案内で屋敷に入る。
扉を入ってすぐのホールは吹き抜けになっていて、正面に上階に繋がる階段がある。所々に彫像や絵画、壺などが飾られ、屋敷というより美術館のようだった。
飾ってあるものを眺めつつ、応接室に向かう。
この部屋にも高価そうな美術品が幾つもあった。下手に触って壊したらマズい。気にはなるけど、ソファーから動かないでおこう。
座って待つ事しばし、豪邸の主人が現れた。
団長さんがサッと立ち上がり、頭を深く下げる。僕は完全に出遅れ、座ったまま頭を下げた。
「閣下。この度は急な申し出にも関わらず──」
「堅苦しい挨拶はよさんか、ラキオス」
「そうは言いましても、私にも一応立場がですね」
入ってきたのは、五十代後半くらいの気の強そうなおじさんだった。顎が割れてて厳つい感じの人だ。
閣下と呼ばれたおじさんは、お茶の支度をしていたメイド達を全員下がらせてから、ソファーにどかっと腰を下ろした。
「──これで普通に喋れるじゃろ」
「お気遣いありがとうございます。で、早速ですが、今日はこの青年を紹介しに参りました」
いきなり僕に話題の矛先がきた!
慌てて姿勢を正し、正面に座るおじさんに向き直る。
「先日報告したキサン村の事件の目撃者であり、唯一の生存者です」
「ほぅ、お前さんが例の」
「は、初めまして。家守明緒です」
「ヤモリ君。このお方はサウロ王国の南を治めておられる、クワドラッド辺境伯、エーデルハイト閣下だ」
「グナトゥス・バルバロ・エーデルハイトだ。好きに呼べぃ。畏まらんでいい」
「はっ、はいぃ」
ホントに貴族キター!!
さっき地図で見たから知ってる。クワドラッド州は王国の南にある広大な領地だ。その頂点に立っているのがこの人だ。
辺境伯のおじさんは鋭い目付きで僕を観察している。
ちなみに、ここに来る事が決まった瞬間から、団長さんちのメイドさん達が僕の服を選んで寸法を調整してくれた。成人式の貸衣装みたいで完全に服に飲まれてるけど、一応失礼じゃない程度の服装をしている。
いつものラフなシャツとズボンじゃ豪邸に入る事も許されなさそうだもんね。窮屈だけど仕方ない。
縮こまりそうな背筋を精一杯伸ばしてみせる。
「……ふーむ。病弱で世間知らずな貴族の子息、にも見えんこたァないな」
「私もそう思いましたが、本人は違う、と」
「国の貴族に該当者はおらん。国境を接しとる国々にも、行方不明の貴人、富裕層の子息も情報なし。かといって、平民の男子が日焼けもせず、手にマメも出来ないような生活が出来るとも思えん」
おそらく、僕が牢から出された辺りで情報が上がっていて、辺境伯の伝手で出自を探っていたんだろう。
近隣諸国に該当者無し。
それはそのはずだ。
だって僕は──
「お前さん、さては異世界人だな」
辺境伯のおじさんは、にやりと笑ってそう言った。




