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状況は続いていた。尻尾をぴんと立て、睨みをきかせる猫に、項垂れる僕。それを気まずそうに見つめるお姉さん。誰も動かないのは、誰かが動くのを待っているのだろう。それは救済に似ていた。
「ふっふっふっふ。あぁなるほどね・・」
「え。。???」
「ツンデレってやつですね?」
「?!?!?!」
僕の言葉にお姉さんは心底驚いている様子だった。「にゃっ」お姉さんは慌てて三匹の猫に言葉を訳そうとしたのだろう・・だが、上げかけた手と言葉は発する前に静かになった。訳してはマズイと思ったのか、僕の様子を見て訳す必要はないと悟ったのかもしれない。
「あなたは。。。」
「そうなんだろ??」
薄い笑いが僕を支配した。猫は三匹とも目をあらぬ方向に向けた。僕は猫達の様子を見て痛感する。自分のしてきた行いが間違っていたと。悲しいが、仲間を友達を失う行為だったのだと。
「そうだと言ってくれぇ・・」
呻くように出た言葉は嘆願だった。僕の言葉を聞き、猫達は静かにトランクケースの中へと納まった。彼等は頭の良い猫だ。これ以上、断罪の必要はないと悟ったのだろう。お姉さんは慌ててトランクを閉めた。僕に残されたのは猫のために買った大量の猫缶だけであった。あぁ。。。
「やり方がよくなかった。。あなたの悪評は凄い。。」
「あく、ひょう??」
「えっと。。そう・・。。えーっと。。捕まると襲われる、尊厳を損なう、無理やり食べさせられる。とかとか~~。。」
お姉さんがくどくど並べ立てたのは、僕が実際、猫にしてきた行為そのものだった。僕に捕まれば幸せが約束され、猫としての威厳を取り戻し、友達と一緒に飯を食べる。そう考えていた僕の変換機は壊れていた。治ることは無い。
「・・・・あなたは、僕と違って猫に好かれているんですか?」
「え。。私??」
腹いせというわけではない、ただ、猫とお姉さんがおかしいという可能性も考慮しておきたい。藁だろうが人の足だろうが、掴めるものを必死に掴もうとしていた。いや、違う、これは嫉妬か。
「私は猫なの。。好き嫌いじゃない。。」
そう言ったお姉さんの目は街灯の光の下であやしく光、まさしく猫のような人間だと感じた。有無を言わせぬ断言した口調は、僕に負けたと思わせるには十分だった。自分を猫だと言い切る人間。おかしいを、はるか昔に通過して、どこか誰も知らない場所に到達したのかもしれない。理解できなくて当然だ。トランクケースに納まった猫達は暴れる様子もない。猫達はこのお姉さんを信頼しているのだろう。街灯の周りには虫が暴れるように光に集っている。彼らは一体何を求めているのか。項垂れている僕をお姉さんは申し訳なさそうな目で見つめていた。これ以上、僕に言葉は必要なかった。生き方の転換を迫られていた。この、夜の、名前もない、ただのベンチの上が僕の人生の分岐点だった。お姉さんは、待っていた。僕の言葉を、ただ悲しそうな目をしながら。
30分ほどの時間が過ぎた。夜は更けり、闇が濃くなったように感じる。そのまま飲みこまれたいのは僕だけだろう。僕は猫が大好きだ。今更、それを変えることはできない。変えてしまえば僕の今までの行為は、ただの罪となる。猫が好き。その一点だけが、僕が僕を許してやれる意味だった。だが、その先の答えは出なかった。僕にとって猫に対する愛情表現は追いかけることであり、それ以外は分からないのである。僕が項垂れているとお姉さんが僕の肩を叩いた。
「ついてきて。。」
お姉さんはそれだけ言うと、闇夜に向かって歩き出した。僕はお姉さんについていく、トボトボ闇夜に消え、街灯の無い道を迷わず、そこが道であるかのように進んでいく。お姉さんは、そのまま森の中に入っていった。夜の森は一言で言うと不気味だ。昼間は、静かに葉が揺れているだけだというのに、夜になると、見えない物が見えてくるのだ。それは音だったり、気配だったり。色濃く剥き出しにされた見えないモノはクッキリと存在感を示す。姿なく得体のしれないそれは、僕の中で大きく膨らんでいく。お姉さんは、特に気にせず歩いていく。夜の森に慣れている。田舎っ子なのかもしれない。お姉さんが立ち止まったのは、古びた井戸だった。昔、映画の舞台になった。女が突き落とされる、あんな感じの。お姉さんは、井戸の上に置かれた木の蓋を外した。
「ここ。。」
あきらかに説明が足りてないそれは、夜の森の効果と相まって僕を震えさせた。『ココ。。』頭の中で跳ねつくようにお姉さんの言葉を反芻するも、井戸を示す以外の意味を僕には見いだせなかった。お姉さんの表情は夜の闇に隠れてイマイチ読み取れない。猫背が仇となり月を背に顔が闇に覆い隠されているのだ。
「えっと・・?」
お姉さんは僕が躊躇していることを見て取ってか、井戸の中に体をくの字にして入り込み、中をなにやらごそごそし始めた。そうしてお姉さんが古井戸の中から取り出したのは太いロープだった。そのロープを近くの木の根に巻きつけたお姉さんは猫のトランクに結び、慎重にスルスルと井戸の中にトランクを降ろした。ロープがたゆみ、どこか井戸の奥底に辿り着いたのが見て取れるとお姉さんはまた、ロープを外し、いそいそロープをどこか井戸の中に隠すのであった。
「くる?。。」
お姉さんはそれだけ聞いて、井戸の中へと消えていった。辺りに人気配はない。この井戸はいつ頃使われていて、何時から使われなくなったのだろうか?人が立ちいることはまずない、ましてや入ることなどないだろう。地蔵の広場といい、この街は何かおかしかった。人は入らない、畏敬と嫌悪からくる扉。お姉さんはスルスル飲まれていく。夜の森は生命で溢れかえるように声がする。それは人の知らない世界。そうして、この井戸はもう一つ人の知らない世界につながっているのだろう。僕はお姉さんに続いて、井戸の中へと足を踏み入れた。もう後戻りはできないかもしれない。
井戸の中は夏だというのにヒンヤリ冷たかった。上を除くと僕等が降りてきた井戸が見えた。ポッカリと空中に丸が空き、星が見えるのは、なんだか絵を下から覗き込んでいるような不思議さがあった。お姉さんは進みだした。辺りは暗闇で音すらしない。いや、水が落ち、水と水がぶつかる音が壁と壁に反響して響いた。その音は壁と壁に反響し、どこから聞こえてくるのか見当がつかない。道のりは続いていく。僕は前を進むお姉さんについていくのでいっぱいいっぱいだった。見えているはずはない。まったくの暗闇。
「ここはどこなんですか?」
「道だよ。。どこでもない。。」
僕の不安が伝わったのか、前を進むおねえさんが僕の服をつまんできた。引っ張られるように道を進んでいく。もう、僕だけでは戻ることはできないだろう。ここは井戸の中なのだろうか?井戸の中にどうして、こうも道が続き、それをお姉さんは知っているのか、僕には分からない。お姉さんは迷わず、どこかに進む。
一時間ほど進んだろうか、お姉さんがようやく立ち止まった。
「ちょっと待って。。」
お姉さんは僕のつまんでいた服を離すと、壁を押し始めた。すると、壁から光が漏れた。突然の光に僕の目は眩む。お姉さんは構わず先へと進んでいった。この先の世界は猫の世界なのかもしれない。眩い光の中にお姉さんが溶けていく。僕もお姉さんの後に続くよう壁の向こうへと足を踏み入れていった。
☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆井戸の道☆☆☆☆☆☆☆☆☆☆
色んな所につながっている。