里帰り
「先輩、私今度実家に帰りますね」
彼女は長期休暇の時期によく実家に帰った。
俺は、一人暮らしをしていると実家が恋しくなることもあるだろうと思い、悪くは思わなかった。むしろ、実家や家族を大切にしている彼女が素敵だと思った。
「そうなんや。最寄り駅まで俺の車で送ろうか?」
「いいですか⁉ありがとうございます」
俺たちの下宿先は駅から距離があったので、彼女を車で送ろうと考えた。そうすれば、バス代はかからないし、その時間を気にせずに出られるだろうから。
「そういえば、先輩は帰省しないんですか?」
彼女を駅まで送る車中で、そう聞かれた。
「ああ」
俺は実家に帰りたくない理由を話して彼女の同情を誘いたくなかったので、余計な話はしなかった。
「そうですか。余計なことを聞いてごめんなさい」
「それは構わんけど。さあ、駅に着いたで。気を付けて行ってらっしゃい」
「ありがとうございました。行ってきます」
彼女が帰省している期間は一週間くらいのことが多い。当たり前だがその間、俺は彼女と会えない。俺は長期休暇中はアルバイトをして過ごしているからその間は気が紛れたが、彼女が居なくて寂しくないと言えば嘘になる。
その間、俺は一人で自炊して過ごすことになる。料理には慣れてきたが、夕食は彼女の手料理を二人で食べることが多かったから、それは味気なく感じた。彼女は今頃家族と楽しく食事しているだろうかと考えると余計寂しくなった。彼女が近くにいないだけでこうなってしまう自分が情けない。
当然、食材や日用品の買い物も俺一人で行くことになる。こんな何気ないことまで、気付けば彼女と一緒が当たり前になっていた。しかし、いつも行っているスーパーで、俺は彼女と再会することとなった。
帰宅した俺は、その日の夕食の白米に、さっき買ってきた、彼女と同じ名前の紫の粉をふりかけた。そんなことをしたところで、彼女がいない寂しさが紛れるわけではないとは知っている。しかし、店で彼女の名前を見て、その商品を買わずにはいられなかった。
彼女と同じ名前の紫の粉は、ふりかけるだけで料理が美味しくなる気がする。それまで特に興味もなかった食材なのに、俺はそんなことを考えた。彼女も、共食いすることがあるのだろうか。
そんな俺はと言うと、お袋に実家に帰って来いという連絡はあったが、大学に入ってから一度も帰省していない。お袋と会いたくないし、一緒に食事をしたいとも思わないのだ。だから、お袋は俺に彼女がいることを知らない。
もしお袋が彼女のことを知ったら何て言うだろう。黙って彼女を作ったと怒るだろうか。どんな子かとしつこく聞いてくるだろうか。そんな悪い想像しかできなかった。
「晴男、一人でどうしたん?まさか、ヒラリーと別れた⁉」
バンド仲間と会ったときに、そう言われたことがあった。
「祐花里ちゃんは今帰省しとるんや」
と話したら、
「そうなんや。寂しいやろから俺らが相手したろか?」
と言われた。言い方はアレだが、その方がいいと思い、彼女が帰省している間はバンド仲間とかの友達と遊ぶことが多かった。
だからと言って、彼女がいないと何もできない訳ではない。彼女と出会う前に、大学で一年間を過ごしたし、独りでいることが嫌いではない。
それに、そんな身勝手な理由で彼女を束縛したくはない。彼女が浮気しているなどという疑いはないから。
同じように、俺も彼女がいない間に浮気しようという考えはない。そういった信頼があるから彼女は気楽に帰省ができる…と思いたい。
「お帰り」
当然、彼女が帰省から戻るときも車で駅まで迎えに行った。
「ただいまです」
彼女がそう言って明るい顔で帰ってきたのを見て、実家で楽しく過ごせたのだろうと安心した。
その日はいつも通り彼女の部屋で一緒に夕食にした。やっぱり食事は彼女と一緒の方が美味しいし、ほっとする。
「実家は楽しかった?」
俺は、少し久しぶりに彼女の手料理を食べながらそう聞いた。
「楽しかったですよ。私が帰ってきたことを、妹がすごく喜んでくれました。それは良かったんですけど、『お姉ちゃんと遊びに行きたい』って言われて、お出かけ三昧になってしまいました。妹と一緒に遊べて嬉しかったんですけど、少し疲れました」
彼女が嬉しそうに帰省中の話をしてくれた。俺は、それを微笑ましく思いながら黙って聞いた。
「妹に連れられてお化け屋敷にも行ったんですよ。入る前に妹は『何が出てきても、お姉ちゃんは私が守る!』って張り切っていたのに、お化けが出るなり『怖いー!』って泣き喚いて、ずっと私にしがみついていたんですよ。早く出たいのだろうと思って、『お姉ちゃんがいるから大丈夫よ』ってなだめながら歩いていたんですよ。結局妹はお化け屋敷を出た後も泣いていたから私は『よく頑張ったね』って言ってて」
前から思っていたが、彼女の妹って可愛いな。
「妹があんまり私と遊びたがるから、お母さんに『祐花里が帰ってきたことが嬉しいのはわかるけど、振り回してばかりいないでゆっくりさせてあげなさいよ』って苦笑いされていましたよ。お父さんは、『相変わらず祐花里が元気そうで良かった』って安心していました。本当、実家に帰れて良かったです」
そう話す彼女の笑顔はとてもきらきらしていた。俺は家族仲が悪いから、家族仲がいい彼女が羨ましい。俺よりずっと長く彼女と一緒に居て、それだけ甘えられる妹に嫉妬してしまいそうだ。俺は一人っ子だから、兄弟姉妹の関係性や距離感がよくわからないし。
家族関係が悪い俺だが、こんな彼女となら温かい家庭が築けるのだろうと考える自分がいた。彼女といるとほっとするし、とても居心地がいいから。
この先もずっと彼女と一緒にいたいし、いずれは彼女との子供がほしいとまで考えてしまう。そんな想像をする俺は立派な変態だ。まあ、俺も男だ。彼女相手に下心がないと言えば嘘になる。言い訳がましく聞こえるかもしれないが、相手を思う気持ちが強くなればなるほど、それが綺麗なだけではいられないことだってあるだろう。
でも、彼女がこうして俺に家族の話をしてくれるということは、少しくらいは期待してもいいよな?勝手かもしれないが、俺はそう考えた。
「そういえば、実家でもピアノの練習をしてきたんですよ。改めてお母さんに教えて貰って、自信がつきました。練習しながらバンドの話をしたらお母さんに、『本当、バンド活動楽しそうね。その中で、彼氏ができて良かったね』って言われたんですよ」
俺の気持ちを知ってか知らずか、彼女がはにかみながらそんな話をしたから、とてもどきどきした。
彼女の母親がそう言っていたということは、俺の存在を家族に認められていると思ってもいいだろうか。
「そういえば、あんたのお母さんって、ピアノの先生やったっけ?」
俺は、恥ずかしさや不純な考えを紛らわすために話題を逸らした。
「そうです。私は幼少期から、ずっとピアノを弾いてきました」
「それで、入部した頃からピアノが上手かったんやね」
そんな彼女への褒め言葉は、好きとか可愛いとか言うよりは恥ずかしくない。
「いや、それほどでも」
そう言う彼女も可愛い。ダメだ、結局そんなことを考えてしまう。それに、清楚なお嬢様という印象を与える彼女に、ピアノはとても似合うと改めて思う。
「そうや、食器洗っとくな」
俺たちは食事を済ませたので、そう言って席を外した。
「先輩、今日なんか変ですよ?」
落ち着かない俺を不自然に思ったのか、彼女にそう言われた。毎日のように彼女と会っていたのに、少し会わない時間が続いたせいだろうか。彼女の言動一つ一つにいちいちどきどきしてしまう。前々から思っていたが、彼女って本当に可愛いな。
「そんなにニヤニヤしてどうしたんですか?気持ち悪いですよ!」
彼女が満面の笑みでそう聞いてきた。
「気持ち悪いってなんやねん。物運んどる時に余計なこと言うなよ!」
俺は彼女の言葉に赤面して、運んでいる食器を落としそうになった。そんな俺を見てさらに笑っている彼女は、生意気で嫌な女だ。むかつくのだが、それも可愛いと思ってしまう。悔しいが、完全に俺の負けだ。
「あんたって生意気やよな!」
我慢ならなかった俺は、食器を流しに置いてからそう言い、彼女の頭をくしゃくしゃと撫でた。綺麗なストレートの長い黒髪を撫でるのが心地よくて、つい撫で回してしまった。
「何するんですか⁉︎先輩って変態ですよね」
彼女が驚いてそう言ってきた。
「変態で悪かったな。こんくらいせんと、あんたに生意気言われた仕返しにならへんからな!もっと仕返ししたろか⁉︎」
そんなやり合いをしながらも、彼女も赤面しているのがわかる。ということは、彼女も俺のことを意識してくれているということだろうか。
一週間くらい会わないだけで彼女との距離感がおかしくなってしまっているが、しばらくしたら元に戻るだろうか。