二人きりの部屋
彼女と付き合い始めてから、彼女といる時間がだんだん長くなっていった。
同じ寮に住んでいるから、バンドの練習帰りはもちろん、登下校の時も俺の車の助手席に乗せるようになった。
確かに、彼女に対してだからそうするんだと言われたらそれまでだ。ただ、彼女に対してかっこいいところを見せたいというよりは、遅い時間に女の子を一人で帰らせたくないという思いの方が強かった。だから、運転するときは自分以外の命も乗せていると思い、慎重に運転した。
隣に居る彼女が、どんな顔をして俺の車に乗っているかはわからない。でも、彼女は運転している俺の顔を見ているのだろうか。その一方的な感じが、何だか恥ずかしい。
バンドの練習帰りは、彼女のキーボードを寮の部屋まで運ぶことが当たり前になった。俺にとって、このことは習慣になっているのだが、律儀な彼女は毎回お礼を言ってくれる。
いつも通り、練習後に部屋までキーボードを運んでいたら、彼女が
「せっかくですから、先輩も私の部屋に入りませんか?調度、夕食の時間になってきましたし、ご飯の用意をしますよ」
と言い出したことがあった。
俺はそのことに驚いて、彼女に
「本当にええの?」
と聞いたが、舞い上がりそうなくらい嬉しかった。
「ええ。部屋で1人で居て寂しい時もあるから、誰か招きたいって思ってたんです」
彼女はそう言っていたので、俺は
「ありがとう。じゃあ、お邪魔します」
と、彼女の部屋に入った。
彼女の部屋は生活感があって落ち着く空間だった。俺にとっては初めての場所なのに、何故かほっとする。
「これから食事の支度をしますね。先輩は、ゆっくりしていてください」
彼女はそう言って、食事の支度を始めた。
「ありがとう」
俺はそう言ったが、彼女の料理の様子が気になって見ていた。
「そういえばあんたって、毎日自炊しとんの?」
彼女の料理が手際良かったので、気になってそう聞いた。
「そうですよ」
彼女は、得意気になるわけでもなくそう返した。
しかし俺は、彼女がちゃんと自炊していることに感心した。
「あんたはえらいな。俺なんて、料理とか全然できへんのに」
なんて呟いた。それに対して彼女は
「そうなんですか?じゃあ、これから私の部屋で夕食にされますか?」
と言いだした。
「え、ええの⁉でもなんか申し訳ないわ」
嬉しかったが、彼女の言葉にすぐ甘えるのはまずいと思った。
「私も、一人の食事が寂しかったから。実家から野菜を貰うことも多いですし」
可愛いことを言うな。これが本音だったらいいけど。
「ありがとう」
俺は、素直にそう言った。
「さあ、できましたよ」
彼女がそう言って持ってきた料理は、とても美味しそうだった。
「美味しそうやな。いただきます」
俺たちは、小さな食卓に向かい合わせで食事を始めた。
「美味しい。こんだけ美味しい料理を毎日作っとるなんて、すごいな」
彼女の料理は、想像していた以上に美味しかった。考えてみれば俺は、親父が死んで以来、これだけ美味しい手料理を食べることはなくなっていた。
「そうですか?嬉しいです」
彼女は、そう言ってはにかんでいた。
「本当に美味しかった。今日はありがとう」
食事の後、俺は改めて彼女にお礼を言った。
「そう言ってもらえて、私も嬉しいです。またいつでも来てください」
彼女は、嬉しそうにそう返してくれた。
「じゃあ、あんたの迷惑にならんのやったら、また行こうかな」
俺は、独り言のようにそう言い、この日は彼女と別れた。
それから俺は、彼女の部屋で夕食にすることが増えた。彼女の作る料理はどれも美味しいし、体に良さそうなものばかりなので、これまでより健康的な生活になったような気がする。
ただ、彼女が夕食の支度をしてくれることをありがたく思いながらも、このまま甘えていてはいけないような気もしている。それに、彼女がいないときは元の木阿弥になってしまう。
そうだ。俺は大学に入って、料理ができないことに困り、親父から料理を教えてもらうべきだったと後悔していたのだった。
そのことを思い出した俺は、せっかく料理が得意な人が身近にいるのだからと、彼女に
「俺も料理ができるようになりたいで、料理の仕方、教えてくれへん?」
とお願いした。
後輩相手にこんなことを頼むのは少し恥ずかしいが、このまま自分一人じゃ料理すらできないままというのはもっと恥ずかしいことだ。
「いいですよ。上手く教えられるかわかりませんけど」
彼女は、俺のことをばかにすることなくそう言ってくれた。
それから俺は、彼女の普段の買い物に付いていったり、実際に彼女の料理を手伝うようになった。
最初は、自炊のための買い物もろくにしてこなかった俺だが、彼女と一緒に居ることで、少しは料理の手順がわかってきたような気がする。
そのような状態になった俺は、一人で料理できるかもしれないと思い、自分の部屋で一人、料理をしてみた。
そのときに、俺の部屋にも食材や調味料が増えていたことに気付いた。本当は、一人暮らしをするなら自炊できることが当たり前であるべきなのに。
俺はまだ彼女のように器用に料理はできなかったが、大学に入った頃からしたらかなりましなものが作れた。これからも自分で料理をしていったら、もっと上手く作れるかもしれない。
ただ、俺の料理は彼女の作る料理ほど美味しくはなかったし、こうして一人で食べていても楽しくはなかった。やっぱり、彼女の料理を二人で食べる方が良いな。と思った俺は、結局彼女の部屋に行くことが多いのだった。
彼女はいつでも歓迎して食事の支度をしてくれたが、これに甘えていたくない俺は、せめてもと思い、彼女と買い物する時は俺の車に乗せて、料金も俺が出すようにしている。後輩相手に食わせてもらってばかりではいけないからな。
「俺も、少しは料理ができるようになってきたで。いつかあんたにも出せるくらいに頑張るな」
彼女の部屋で食事をしながら、そう話すことがあった。
「それは嬉しいです。先輩に料理をしてもらえる日が楽しみです」
彼女も、そう嬉しそうにしていた。
「そうや。たいしたことはできやんけど、今度俺の部屋にも来る?」
俺はまだ部屋に彼女を入れたことがなかったことに気付いて、そう言った。
「いいんですか?楽しみです」
そう言って、彼女は笑っている。
こうして彼女と二人で居る時間が、今の俺にとっては一番幸なんだせと実感するのだった。