家出
「何時間・・・?そんなに経ってましたかい?オレが連絡を受けたのはホンの15分ほど前なんですがね・・・」
当主の怒声にややゲンナリとしながらも、ハヤトが帽子を脱いで当主を睨み返す。
「アンタぁ、何者か知りませんがね?『立場』を勘違いしてやしませんかい?此処はアンタの会社じゃぁないし、オレはアンタの部下じゃない。アンタに叱られる筋合いはないと思うんだがね・・・」
「・・・うぐっ・・・!」
当主が低いうめき声を出して黙る。多分、日頃から『怒鳴りつける』ことでしか相手に意思表示をして来なかったのだろう。『その手』を封じられると喋り方が分からないのだ。
「・・・とりあえず、此処で構わねぇんで話を聞かせてくれませんかね?『亜人による誘拐』と聞きましたが」
「・・・私が、お話します」
玄関を開けてくれた夫人が前に出て来る。
「お願いしますわ」
促すように、ハヤトが左手を差し出した。
「出来るだけ、手短に。要点を教えてください」
「分かりました。玄関先で失礼ですが、此処でお話します」
ひとり娘が誘拐されたというのに、それでも夫人は気丈に振る舞っているように見える。当主ですら、混乱しているというのに。
「消えたのは私達のひとり娘で『ユリナ』と言います。21歳になります。今日の昼過ぎ、通っている医大からの帰宅途中で行方不明になりました。送迎の運転をしている芳倉が申すには『買い物があるから』と商店街で車を降りたっきり、居なくなったそうです」
うん?とハヤトが首を撚る。
「いや・・・それが何で『亜人検察庁』に話が?オレらは『亜人専門』なんですがね」
「はい・・・最初は私達も何が何だか分かりませんでした。しかし、2時間前に娘から電話があったんです。・・・『成本家』の屋敷に居ると・・・」
ハヤトの額がピクッと動く。
「『成本』って言うと・・・まさか、あの『成本財閥』の成本家で?」
「当然だろう!だからこそ、貴様を此処に呼んだんだっ!」
再び、当主が声を荒らげる。
「ははぁ・・・なるほど、ね」
ハヤトは少しだけ、事態が飲み込めた気がする。
成本財閥はここ数十年で勢力を拡大した企業グループで、公にこそされていないが『創業者』は亜人、すなわち吸血鬼なのだ。一般に吸血鬼は極めて長寿とされるが、その創業者もその例に漏れず創業以来現在もいまだ健在であると聞く。
当の『娘』が、その成本の家宅に居るとなれば相手は亜人・・・吸血鬼とは言え、財界の顔役だ。少しでもヘタを打てば亜人検察庁として責任問題に発展してもおかしくない。
亜人検察庁は場合によって相手をその場で射殺する権限を有してはいるが、アメリカならばいざ知らず、この日本で『そうした活動』は極めてナーバスにならざるをえない。ハヤト達が『フリーランス』として活動してるのは『万が一』の事態になった時に『アレは個人事業主の個人的判断だから』と『体よく切り捨てる』ためなのだ。
「・・・で、娘さんは今現在その成本家に『ご厄介』になっていると。しかし『それ』だと、単なる『家出』ってぇ話であって『誘拐』ってなぁ、チョット・・・」
「黙れっ!」
ハヤトの疑義を当主が大声で遮った。
「相手は忌まわしき亜人でっ!しかも娘を『帰す気がない』と言うんだ!これを『誘拐』と言わずして何と言うんだ!」
「ま・・・『ホーム・パーティー』ってぇほど穏やかな話じゃぁないのは確かでしょうな」
参ったな・・・こりゃ厄介だぞ・・・
ハヤトが眉をひそめる。
つまり、だ。
ユリナとか言う娘さんは『自分の意思で』成本家に行った・・・いや、この分だと何かイヤな事があって『逃げ込んだ』と見ていいだろう。つまり『家出』だ。
仮にだ。これで娘さんが20歳未満なら、話はもう少し簡単になる。ワザワザ亜人検察庁に通報なぞせず、堂々に警察に連絡して『未成年略取だ!』と言い張ればよい。しかし21歳では未成年ではないし『そこ』に強要や暴力の行使が認められなければ『誘拐』とも言い難い。しかも相手は吸血鬼だ。下手に騒げば返り討ちに遭う危険もある。となれば警察としても動きにくいだろう。
だが『だから』と言って亜人検察庁としては立場上、放置も出来ない。
何故なら、当事者がうら若い女性である以上、吸血行為の危険性があるからだ。
人目につかない屋敷の中なら何が起きても不思議はないし、現行犯としての『対応』も出来ない。吸血鬼側としたら、こんなオイシイ話も無いものだ。
「とりあえず・・・大枠の話ゃぁ、飲み込みましたんで。何はともあれオレが『行って』来ますよ。その成本家にね」
そう言って踵を帰すと、ハヤトは再び雨の降る外に出て愛車へと戻った。
「おい、聞いてたか?チャンキー」
振るわないワイパーに苦戦しながらも、ハヤトは成本家に向かって走り始めた。
"ケケ!当然サー!聞いてがネー。だが、チットばっかし厄介じゃネーのー?いっその事断ったらドうよ?"
ハヤトの左腕には腕時計型の端末が取り付けてある。この端末は無線LAN回線を通じてチャンキーの本体サーバーとリンクしているのだ。
「断るワケにゃぁいかねーだろがよ!んなこたぁした日にゃぁ、あの阿久里とか言う因業ジジイがアチコチで『喚き散らす』に決まってっからな・・・」
"相変わらず、あの大鷲部長はイヤミな仕事を振ってきなさるネー!"
チッ・・・
チャンキーのツッコミに、ハヤトが舌打ちをする。
成本の家は、阿久里家から車で20分ほどの距離だ。
その屋敷は住宅街からは外れ、むしろ人里離れた雑木林の中に隠れるように建っている。
「ここか・・・くそったれが。まったく、人気のねぇ処に住みやがって・・・ラブホじゃあるまいしよ・・・」
尚もシトシトと降りしきる雨の中、ハヤトは車を降りて成本邸の玄関に立つ。
ピー・・・ンポー・・・ン
呼び鈴が小さく鳴る。
やがて、ガチャ・・・と音がして大きな玄関扉が開かれた。
「こんな時間に・・・・どなたですかな?」
出て来たのは背筋がシャンと伸び、仕立ての良いスーツを着込んだ初老の男だ。
男がハヤトをジロリと睨む。
「ああ・・・厄介になるぜ?オレは亜人犯罪特別取締官の桐生ってモンだ。此処に『阿久里ユリナ』って言う娘さんが来てるだろ?・・・捜索願が出てる。居たらすぐに返して欲しいんだがな。・・・ところで、アンタが当主さんかい?」
ハヤトは初老の男の胸元に立った。身長はハヤトより、やや高いくらいか。
「いえ、私は当家に長年仕える執事でございます。当主様はそろそろ起きられる頃合いですが・・・何かご用事で?」
執事と名乗る男は玄関をどこうとしない。無理矢理にでも家の中に入ろうとしたら力づくで阻止する構えなのだ。
「用件?そりゃ、さっき言ったろーが!『娘を返せ』って。聞いてねーのかよ。今日は木曜日だと思ったが、テメーの耳は日曜日だったのかい?」
執事とハヤトは玄関で睨み合いになる。
「・・・さて、これは不本意なお話で。『どうしても』と言われるのなら『令状』をお持ちですかな?さもなくば何の強制力も無いと存じますが・・・?」
クッ・・・!とハヤトが心の中で吐き捨てる。最近の吸血鬼共はヘンに賢くなりやがって・・・
すると。
執事の背後から、別の男の声が聞こえて来た。
「バラド君・・・どなたか客人かな?」
ハヤトが奥に目をやる。薄暗くてよく分からないが、誰かが階段から降りてきたようだ。バスローブのような部屋着を着ているように見える。
「・・・はい、ご主人様。亜人犯罪特別取締官の桐生様と仰るそうで。如何しますか?何の令状もお持ちで無いご様子ですから、そのままお帰り頂いてもよろしゅうござまいすが?」
ふふ・・・と奥にいる男の笑い声が聞こえる。
「まぁ、いい。中に入って貰い給え。少し、お話をして差し上げよう・・・」