シンデレラストーリーの覇者から王子へ
あんたの言葉を借りてあんたを形容するなら『画面の向こうに消えた君』、『シンデレラストーリーの覇者』。
数年前まで同じ空間にいたあんたは遥か遠くの世界へ消えた。
特別な感情なんて何一つなかった。
抱くことすらおこがましかった。
だけど、画面の向こうで叫ぶように想いをぶちまけるあんたを眩しく思いながら目を細めることくらいは、どうか許してほしいんだ。
たまたま通りがかったCDショップの入口に設置されたテレビに映った人物に、俺、式見冬真は思わず足を止めた。
一緒に歩いていた奴が急に立ち止まったことを怪訝に思った教育係の先輩が数歩戻ってくる。
「あ、絢瀬光じゃん。最近人気すごいよなー」
人気急上昇中の若手シンガーソングライター、絢瀬光。
アイドルにでもなれそうな顔をして、しかしその喉から飛び出すのは刺すように鋭く耳に残る強い声。『絶対に恋愛ソングを歌わない』という持論が話題となり、瞬く間に売れっ子になったシンデレラガールだった。
「……こいつ、高校の時の同級生って言ったら信じます?」
冗談だろ、と先輩が笑い飛ばす。
俺は冗談ですよ、とは返答しない。
「…………え、マジで?」
高校二年。今から四年前。
梅雨に入る前の暑すぎず寒すぎない気候の時だったと思う。
そんな心地いい気温で、しかも授業は倫理。眠くなるのも勘弁してほしい。
うつらうつらとしながらかろうじてノートをとっていると、隣の席からやけにシャーペンを走らせる音がした。何となく気になって視線を右にずらす。学年の中で一、二を争う可愛さだと何かと話題になっている女子生徒、絢瀬光が一心不乱にペンを動かしていた。
黒板を写しているのか。答えは否だ。
その視線は黒板には一切向けられず、ノートだけを捉えていた。
何をそんなに書いているのか、微妙には気になった。だが同じクラスになってから早二ヶ月。隣の席だというのに会話した記憶は片手で足りるほどしかない。
眠気と戦いながらこの日の倫理は教師に当てられることなく終わった。
放課後になり部活に行くやつ、帰宅するやつとバラバラに散っていく中、俺は保健委員の仕事を果たすべく保健室に足を運んだ。仕事といってもせいぜい部活の最中に怪我をした生徒に簡単な処置をするだけである。
この日も主に運動系の部活の男子の怪我を手当てしつつ、週に一回の保健当番は終わった。
「はー。帰ろ」
鞄を取りに教室へ向かう。当然ながら誰も残っていない教室の床に、ノートが落ちていた。
「絢瀬の?」
落ちていたノートは絢瀬の倫理のノートだった。
拾い上げて、そういえば今日の授業の際に一心不乱に何かを書いていたことを思い出す。
どうしても気になって、内心絢瀬に謝りながらノートをめくった。
最初の方は女子らしい丸っこい字で黒板の内容が写されていた。
ぺらり、ぺらりとページをめくっている時に、
それは現れた。
「……っ!」
黒板を写した丸っこい字から一変し、感情をぶつけ書きなぐったような文字の羅列。
『僕の差し出した手を鬱陶しいと弾いたのは君だ』
『もう十分耐えた。いつまで耐えろって言うんだ』
『シンデレラストーリーの覇者は笑う』
『モラトリアムは続かない』
『エフェクトを纏って泣いた』
『画面の向こうに消えた君』
『ドッペルゲンガーを刺し殺せ』
妙に印象的な言葉がノートを埋め尽くしていた。それは一ページに留まらず、下手したら黒板を写しているページより多いじゃないかと疑うほどに。
「うわ、すげぇ、言葉の選び方がなんつーかどストライク……」
あまりにのめりこんで読んでいたから気づかなかった。
この教室に向かって走ってくる足音に。
「……っぁ、あああああぁぁ――――っ!!!」
「……っ!?」
突然の絶叫に肩が跳ねあがる。
反射的に振り返ると教室の戸口に絢瀬が立っていた。
走ってきたのか肩を上下に動かして呼吸をしている。
「そっ、それ! 見た!? 見た!?」
俺が持つ倫理のノートを指差す。呆気にとられつつもやや大袈裟に頷いた。
瞬間、絢瀬の顔がこれでもかと赤くなりその場にしゃがみ込んだ。
「やだも~。死ぬほど恥ずかしいじゃん……」
「なあ。これって何なわけ?」
膝を抱えてしゃがみ込んだ絢瀬は目だけをこちらに向けてきた。
「歌詞に……、なるかもしれない言葉たち……?」
その言い方がまた印象的で刺さる。
「曲作ってんの? 歌手になりたいとか?」
「ちが……っ、くはないけど」
「絢瀬、可愛いからアイドルとかなれるんじゃね? 多分」
自分の口から簡単に『可愛い』なんて単語が出てきたことに内心驚いた。
他人から散々可愛いだのなんだの言われ慣れているであろう絢瀬はこの言葉に対しては特に取り乱しはしなかった。ノートを見られたショックがかなり大きいのか未だに立ち上がろうとはしない。
「そっち系のアーティストじゃなくて、シンガーソングライターになりたい」
まさか返答が来るとは思ってなくて思わず目を見開いた。
「ちゃんと声とか歌詞とか聞いてもらって売れたい。見た目はその副産物くらいでいい」
「……あんたとまともに喋ったことなかったけど、面白いな」
「なにが?」
本人にその自覚なしなところがまたウケる。
「俺の意見なんて何の価値もないけどさ。俺はこの言葉の感じ結構好き」
「……っ!」
ようやく絢瀬が顔を持ち上げた。一旦は落ち着いた顔の赤みが再び現れる。
「あんたがホントに歌手デビューしたらCD買うわ」
そういって笑う俺に絢瀬の顔は真っ赤に染まった。
時々また見せてよ。すげえクセになる。
俺のこの提案に、
「む、無理無理無理無理っ!! 病名『恥ずかしさ』で死ぬ!」
と全力で否定していた絢瀬も『誰にもこのことをバラさない』という条件のもと承諾してくれた。この日以降、一週間に一度くらいの頻度でノートを見せてもらえるようになった。
驚くのはたった一週間で新たな言葉が一ページ分は生まれていること。
よくこんなポンポン単語が出て来るなと感心しながら、絢瀬曰くの『歌詞になるかもしれない言葉たち』を読みふけった。
そして梅雨が終わり、夏に突入した。
梅雨の鬱陶しいほどの雨がなくなると今度は晴天しか来なくなった。しかも毎日毎日溶けるように暑い。マジでどうなってんだ日本。
期末考査が何事もなく終了した七月初め。
「最近あんま浮かんでこなくて今週はお休みさせて」
このクラスでただ一人、倫理のノート二冊目に突入した絢瀬からそう言われた。
「了解」
そんなこともあるよな。むしろ今まで湯水のごとく湧き出ていたことの方が不思議だ。
その時はそのくらいにしか思わなかった。
しかしノートのお預けをくらったまま、気づけば終業式前日になった。
物足りなさと寂しさを感じつつ靴を履き昇降口を出る。このまま見れずに夏休みに突入するくらいなら過去のノートだけでも見させてもらおうか、とも考えていた時。
「式見――――っ!」
聞き慣れた声で呼ばれた。思わず顔をあげると階段の踊り場の窓に絢瀬がいた。
「これ、あげる!」
絢瀬が何かを投げた。緩い弧を描いてそれは地上に落ちてくる。
「……っ!」
キャッチした衝撃でひしゃげてはいるがそれはルーズリーフで折られた紙飛行機だった。何で紙飛行機? しかもあげるって何だ? と再び踊り場に目を向けるがそこにはもう絢瀬はいなかった。
まじまじと紙飛行機を見つめ、ルーズリーフに文字が書いてあることに気が付いた。
ひしゃげた紙飛行機を分解する。
そこに書かれていたのは――――。
「……————っ!?」
「————てことがあって」
教育係の先輩との昼飯中の話題は高校時代の絢瀬とのあれそれだった。
冗談だろと笑いとばしていた先輩は一応本当だと信じてくれたらしい。
「隣の席……、紙飛行機……」
食事する手も止めてぶつぶつと先輩が単語を繰り返す。あらかたのことを話し終えた俺は逆に食事を再開した。
「え? じゃあ昨日のMスタのあれってお前のこと?」
「はい?」
「昨日! お前Mスタ見た!?」
「見てねえ、すけど」
鬼気迫る様子の先輩にやや引き気味に答える。興奮が収まらないのか先輩は完全に箸を置き、スマホを操作しだした。
「ほらこれ見ろ!」
スマホと一緒にイヤホンが差し出された。表示されているのは有名な動画サイト。再生されているのは昨日の日付のMスタ(ミュージックスタジオ)だった。
映っているのは絢瀬光。
『最新曲は恋愛ソングは歌わないを掲げている絢瀬さんが最初で最後と決めた恋愛ソングなんですよね』
アナウンサーにそう問われた絢瀬が『そうなんですよ』と少し笑う。
「高校の時、隣の席の男子が倫理のノートに書き殴った歌詞とも言えない言葉の羅列を好きだって言ってくれて。その時点でただのクラスメイトがちょっと気になる人に格上げされたんですよね。でも夏休み入る前にあたしの転校が決まっちゃって、ああもう最後になるなら言いたいこと言ってしまおうと思って、ルーズリーフに想いぶちこんで紙飛行機にして階段から地上のその人に向かって投げました』
イヤホン越しに聞こえる懐かしいとさえ感じる絢瀬の声に聞き入る。
なあそれ嘘って言ってくれ。じゃないと本気で勘違いしそうになる。
特別な感情なんか何一つなかったはずなのに。
そんな感情、抱くことすらおこがましいのに。
「その紙飛行機、なんて書いてあったんだ?」
『その紙飛行機にはなんて書いたんです?』
先輩とアナウンサーの声が重なる。
「あたしが最初で最後の恋愛ソングを作ったら、それはあなたに向けた曲です」
『あたしが最初で最後の恋愛ソングを作ったら、それはあなたに向けた曲です』
俺と絢瀬の答えが一言一句違わず重なった。
今でも鮮明に思い出せるほど、あの一文は強烈だった。
スマホの中では絢瀬がステージに立ちスタンバイしていた。恋愛ソングにしては激しめのイントロが流れ出す。
その歌詞は高校の時にクセになるほどハマったあの歌詞のままだ。
おこがましくもその歌詞が自分に向けられたものならば、一言でも逃したくなかった。
向かいの席で先輩がにんまり笑う。
ギターを掻き鳴らし、甘さなど皆無の溢れるほどの熱量で、彼女は叫ぶ。
『シンデレラストーリーの覇者から王子へ。あなたが好きです。立場なんて捨てられる。批判なんかに屈しない。あんな奴似合わない? それを決めるのはあんたじゃない!』
つう、と右目から涙が伝った。先輩の前で泣いたなんて、そんな体裁気にもならなかった。
「……俺、恵まれすぎてますね」
少しだけ笑ってみせたが泣いたせいでどこまでうまく笑えているか分からない。
スマホの中では絢瀬が曲を終え一礼していた。
今になって、曲のタイトルを知った。
絢瀬光『シンデレラストーリーの覇者から王子へ』
流し込むように昼食を終え、職場へ戻るべく店を出る。
絢瀬のノートを初めて見たあの頃のような、暑くもなく寒くもない気温が心地よかった。
「んー? なんか向こう側騒がしくね?」
「ほんとっすね。芸能人でもいたんですかね?」
「こんな小規模会社の密集地にか?」
「まあ有り得ないですよね」
騒がしさの先に会社があるためどう足掻いてもこのルートを通るしかないが妙に騒がしい中を通っていくのが少し憂鬱だった。
「ちょ、すいません、どいて下さい……!」
なぜか聞いたことある声がして、思わず足を止めた。
「は……?」
こんなところにいる訳ない。いる訳、ないのに。
人込みのなかから転びそうな勢いで飛び出てきたのは、
「————見つけたっ!」
数分前にスマホの中で歌っていた、絢瀬光だった。
「……っ!」
俺の隣で先輩が口をパクパクさせながら絢瀬を指差す。
そんな隣の様子など知ったことじゃないと言わんばかりに、絢瀬が俺の右手首を掴んだ。
「新曲、聞いた!?」
四年ぶりに再会した感動とさっきのスマホの映像の衝撃と相まって、機械仕掛けの人形のように首を縦に振ることしかできなかった。
「『あたしが最初で最後の恋愛ソングを作ったら、それはあなたに向けた曲です』。意味分かるよね?」
絢瀬が少し不安げな表情を浮かべる。俺の右手を掴む力が強まった。
「式見が好きです。やっと誰に批判されても言い返せるだけの立場に立てた。それでも迷惑かけることいっぱいあると思う。けど、今付き合ってる人がいないなら、あたしを選んでください」
俺には王子なんて立場は似つかわしくない。
けど絢瀬がいなくなってからの四年間、他の女子と付き合ったりもしたけど、あの時みたいに満たされたことなんか一度もなかった。
「俺は王子じゃない。けど絢瀬を手放す気もない」
右手首を掴む手を握り返す。
「俺を選んでくれてありがとう。俺も絢瀬を選びます」