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9 老婆が暴露する

うすうす気付いてた読者もいるとは思いますが‥

 




 吹雪は夢を見ていた。

 雪が、降っていた。

 しんしんと、風もなく、音もなく、静かに降り積もる。辺りは一面の銀世界。

 吹雪はまだほんの小さな子供で、空から舞い落ちる雪を掴もうと手を伸ばしていた。

 掴んだと思っては手を開き、そのたびに落胆する。諦めず、また手を伸ばす。

 何度か繰り返すと、それは無理なんだと分かった。

 立ち尽くし、悲しくなり、眉根を寄せる。

 後少しで泣く、という所で、誰かが吹雪に声を掛けた。

 吹雪が振り向く。

 その人を見た瞬間、泣きそうだった表情が一瞬で満面の笑顔に変わった。

 たどたどしい足取りで駆け寄り、ぶつかるようにその足にしがみつく。

 顔を上げると、優しい笑みを浮かべた女が吹雪を見下ろしていた。

 吹雪が甘えるように鼻を鳴らすと、女が膝を折って顔を覗き込む。


「-----」


 女が話しかけると、吹雪はギュッと女に抱き付いた。

 その首筋に顔を埋める。いい匂いがした。吹雪の好きな、女の匂いだ。

 吹雪の小さな身体を女も抱き締める。

 その柔らかな感触に包まれて、吹雪は幸せな気持ちでいっぱいだった。

 嬉しい。温かい。ずっとこうしていたい。

 しかし、段々と女の腕に力が入り、苦しくなってきた吹雪は抗議の声を上げた。

 だが、女は手を緩めない。

 吹雪が嫌がって体を動かすが、女は離さない。

 何かがおかしい。

 と、吹雪は女が泣いているのに気付いて動きをやめた。


「---」


 ただ一つ自由になる声で女を呼ぶが、女は無言で答えない。


「---」


 聞こえているはずなのに、やはり答えない。

 なんだろう。何故だろう。自分に分からない事が起きている。

 正体の知れない不安が吹雪を襲う。


「---」


 女を呼びながら、次第に目尻に涙があふれてくる。

 その時、ようやく女が口を開いた。

 吹雪の耳元で震える声を出す。


「-----」


「?」


 聞き間違えたのだろうか。


「-----」


 だが、再び女の口から出た言葉は同じものだった。


「‥‥」


 一瞬呆然とする吹雪を、女が力強く抱き締めた。

 そして、気付く。その言葉の意味を。


「っ‥」


 吹雪が息を吸う。目尻に盛り上がった涙が流れ落ちた。次の瞬間、吹雪は大声を上げて泣き出した。

 身体を暴れさせ、喉もれんばかりに泣きじゃくる。

 嘘だ。嫌だ。どうして。やめて。嫌だ。

 泣く。手足を振る。全身でもって女の言葉を否定する吹雪。

 そんな吹雪を、ただひたすら抱き締める女。

 静寂の中、泣き声だけが響いていく。

 二人の上に、雪が静かに降っていた。





「‥‥」


 目が覚めてすぐ、吹雪は頬が濡れているのに気付いた。


「‥マジかよ」


 呟き、涙を拭いながら直前まで見ていた夢をおぼろげに思い出す。初めて見る夢だった。もしかしたら、自分が物心つく前の記憶かもしれない。

 そこまで考えて、吹雪は雹がいない事に気付いた。


「!?」


 隣の布団はもぬけのからだ。台所にも立っていない。


(‥まさか)


「雹っ」


 布団を跳ねのけて狭い部屋を探すが、風呂場にもトイレにもいない。

 玄関を見ると、雹の靴がなくなっていた。


「あの馬鹿‥」


 吹雪は大急ぎで着替えると、取る物も取りあえずアパートを飛び出した。





 夜、散々探し回った吹雪はアパートに帰って来ていた。

 思い付く限りの場所を当たったが、雹の姿は見当たらなかった。

 もしかしてと思い、一縷いちるの望みをかけてアパートに戻って来たのだが、雹はいなかった。


「‥何処に行ったんだよあいつ」


 何をしに行ったかは分かっている。あの老婆と話をつけに行ったに違いない。出て行ったという事はないはずだ。昨日、雹自身もそれは嫌だと言っていた。


(‥いや‥でも‥)


 昨日の話の後、時折考え込むような顔をしていた雹を思い出す。


(まさか‥)


 吹雪に迷惑をかける事、怪我をさせるかもしれないと悩んでいた。『そんな事なら自分が‥』と考えるかもしれない。


(あいつ‥)


 考え出すと、どんどん悪い方にばかり頭がいく。話していた山にもう帰ったんじゃないだろうか。あの老婆に無理矢理連れ去られたんじゃないだろうか。もう帰って来ないんじゃないだろうか。‥‥もっと気を付けていれば。


「‥‥」


 焦りと後悔の入り混じった表情でたたずむ吹雪。


(どうする‥)


 闇雲やみくもに探していてもしょうがない。だが心当たりなどない。それに本当に山に帰っていたとしたらどうしようもない。


「‥‥」


 八方はっぽうふさがりの状況に頭を抱えそうになった時、チャイムが鳴った。


「!?」


 慌てて玄関に向かい、鍵の掛けていなかったドアを勢いよく開ける。


「‥かおるか」


「‥何その言い方。なんか傷付くんですけど」


 吹雪の開口一番の言葉にかおるが不機嫌な顔を見せる。


「いや‥その‥」


「なんかガッカリさせたみたいですみませんね。誰かさんが無断で学校休んだものだからちょっと心配で様子見に来たんだけど、なんか余計なお世話みたいだったね。どうもすみませんでした」


「すまん。俺が悪かったから勘弁してくれ」


 目を半眼にして吹雪を見ていたかおるが気付いた。


「あれ? 雹さんは?」


 足元を見ると吹雪の靴しかない。


「買い物? にしては遅い時間だね」


「んっ‥ああ‥」


 目線を逸らして言葉をにごす吹雪に、かおるがからかいの表情を浮かべた。


「もしかして逃げられた?」


「‥いや‥なんだ‥‥」


 冗談のつもりで掛けた言葉に吹雪が押し黙る。


「‥えっ? 本当に?」


 驚くかおる。


「‥いや‥まあ‥」


「どういう事っ?」


 詰め寄るかおるに身を引く吹雪。


「うっ‥」


 こういう時、うまく言葉を返せない自分が情けない。嘘がつけないというプラスな捉え方もできるが、時と場合による。今はこんなところで時間を費やしていい状況ではない。と、そこまで考えた時、


(‥待てよ)


 人を探すのに人手は多い方がいい。かおるは雹の事を知っている。信頼もできる。そして多分暇なはずだ。


「かおるっ」


「えっ!?」


 いきなり肩を掴まれたかおるがビックリする。


「頼むっ! 一緒に雹を探すの手伝ってくれ!」


 頭を下げて懇願する吹雪に、かおるの表情も真剣なものになった。


「‥本当に、雹さん出て行ったの?」


「ああ‥」


「いつから?」


「今朝からいねぇ。心当たりがある所は全部探したんだが見つかんねーんだ」


 途方に暮れた様子の吹雪に、かおるがさらに問いを重ねた。


「‥そもそもどうして? なんで雹さんは出て行ったの?」


「うっ‥」


 言葉に詰まった吹雪を、かおるがじっと見つめる。


「‥まさか、いやらしい事しようとして無理矢理-」


「ちげーよっ!」


 全力で否定する吹雪。


「じゃあどうして?」


「‥それは‥」


 後に続く言葉が出ない。


「‥そんな事より、早く探しに行くぞっ」


 もちろんそんな誤魔化しはかおるに通用しなかった。


「駄目だよ。ちゃんと答えて。それに、出て行った理由を聞いたら、何処に行ったか分かるかもしれない」


「‥‥」


 興味本位で聞いてるわけじゃないのが分かるので、吹雪も強く否定できない。


「それは‥」


 かおるの顔を見る。本当に心配しているのが表情で分かる。迷う。言っていいものかどうか。誰かに言いふらすような人間でないのは知っている。だが、第一こんな突拍子とっぴょうしもない話を信じてくれるだろうか。


「‥‥」


「吹雪」


 思い悩んだ末、かおるに目を合わせると、吹雪は小さくため息をついた。


「‥とりあえず上がれよ」


「あっ、うん」


 かおるは従うと、行儀悪くちゃぶ台の上に座った吹雪の前に神妙な面持おももちで立った。


「‥嘘みてーな話だけど本当の事だからな」


 吹雪は前置きしてから話し出した。

 昨日、変な老婆に襲われた事。その老婆は普通の人間ではなく、雹を連れ戻しに来たという事。その後アパートに帰ってから、雹に『雪女』だと告白された事。後は雹から聞いた事を話した。


「‥これで全部だ。まだ聞きたい事あるか?」


 ここまで全く口をはさまずに話を聞いていたかおるが口を開いた。


「‥そのお婆さんと会った公園は探しに行ったんだよね?」


「えっ‥あ、ああ」


 すぐには信じてくれないだろうと思っていた吹雪が目をパチクリさせる。


「‥信じて‥くれるのか?」


「そりゃあ、信じがたい話ではあるよ。けど、吹雪はこういう時に変な嘘つかないもん。僕はそれを知ってるからね」


 さらりと言ったかおるに、思わず胸が熱くなる。まさに『持つべきものは友』だ。


「‥お前も変わってるよな」


「お互い様だよ」


 素直じゃない吹雪の言葉に、かおるが笑って返した。


「それより雹さんの行方ゆくえだよ」


「ああ」


「他に心当たりないの?」


「ねえ。思い付く場所は全部探した」


「‥書き置きとかもなかったんだよね?」


「ああ。帰ってからそれに気付いて部屋探したんだけど、なかった」


「うーん‥」


 二人して考え込む。


「‥‥佐江子さんには聞いた?」


「いや、まだだけど‥」


「じゃあ聞いてみようよ。もしかしたら何か知ってるかもしれないよ」


「‥そうだな」


 一瞬、『面倒くさい事になる』という思いが頭をよぎったが、背に腹は代えられない。それに、早起きして散歩するのが趣味の佐江子だ。もしかしたら出ていく雹を目撃している可能性もある。

 その時、ドアをノックする音がした。

 チャイムがあるのにドアをノックするような人物は、このアパートの大家ぐらいしか心当たりがない。それをかおるも知っていた。


「はーい」


 佐江子だと思ったかおるがドアを開けに行く。


(‥あー、なんて説明すりゃいいんだ)


 少し憂鬱ゆううつな気分で頭を押さえる吹雪に、玄関からかおるの声が掛かった。


「吹雪」


「なんだ?」


「‥お客さんだよ」


「客?」


 誰だろうと思いながら腰を上げ、玄関に顔を出すと、こちらを向くかおるの背後に見知らぬ大男が立っていた。身体をすっぽりとおおうコートを着ていて、明らかに怪しい。


「‥どちらさんで?」


 言いながら、男から冷気のようなものがただよっているのに気付く。


「かおるっ! どけっ!」


 直感で叫ぶのと、男が動いたのは同時だった。


「えっ!?」


 吹雪がかおるの手を引くより早く、男がかおるを引き寄せた。


「ちょっ! 何!?」


 羽交い絞めにされたかおるが逃れようと暴れるが、男の腕は微動だにしない。


「‥あの婆さんの仲間か?」


 吹雪の言葉にかおるがハッとして動きを止め、男が口を開いた。


「お前が、雹と暮らしていた男だな」


 質問に対する答えは帰ってこなかったが、どうやら間違いないようだ。


「だったらどうなんだよ。それよりかおるを離せよ」


 喧嘩腰の吹雪にかおるはハラハラしたが、男は全く表情を変えずに言葉を続けた。


「付いて来い。こいつは後で返す」


「‥」


 その言葉に吹雪が即答できないでいると、かおるが小さくため息をついた。


「貸し一つだからね」


「‥わりいな」


 そう言ってくれるだろうとは思っていた。この友人は、見た目によらず度胸があるのだ。


「おい。何処でも付いてってやるから案内しろよ」


 このチャンスを逃す手はない。そこにはきっと雹がいるはずだ。


「‥」


 吹雪は拳をきつく握りしめた。





 街外れの工場跡地。

 荒れ放題で、昼間でも人が近付く事はほとんどない。夜ともなればなおさらで、好んで近寄るのは野犬か野良猫か。その両者も今日は、自分達以外の者に占領されて出て行く事を余儀よぎなくされていた。その占領している者はというと、雹と老婆だった。

 月明かりの下、人外の闘いが繰り広げられていた。

 老婆が次々と投げつけてくる氷柱を雹が跳んでかわす。助走もなしで、一蹴りで五、六メートル跳んだ。かと思えば、雹が氷で出来たナイフのようなものを手に、一〇メートルはある距 離を一気に詰めて切りかかった。だが、老婆はその攻撃を易々《やすやす》と避けると同時に雹を殴りつけた。勢いよくコンクリートの壁にぶつかる雹。


「ぐっ‥はぁ‥はぁ‥」


 息も絶え絶えの雹は、よく見ると全身ボロボロだった。吹雪に買ってもらった服は土にまみれて汚れ、あちこち破けている。髪はボサボサ、顔にも傷があった。

 対する老婆の方は一糸乱れぬ姿で、誰が見ても形勢は明らかだった。


「‥雹、いい加減にしな。あんたがあたしに勝てるわけないだろ」


 老婆が、膝をついたままの雹に声を掛けた。


「あの小僧の事は忘れな。悪いようにはしない。あたしの言う通りにするんだよ」


「嫌ですっ!」


 雹は老婆を睨み付けて叫んだ。

 何度も繰り返された問答、しかし答えは変わらない。


「私は、決めたんです」


 その目に宿る意志は固く、揺るぎがなかった。


「‥‥しょうがないねぇ。‥本当はこんな事したくなかったんだよ」


「? 何を-」


「空木っ」


 そう言って老婆が目を向けると、建物の陰から大男が現れた。

 雹もよく知っている男で、老婆の付き人のような事をしている里の者だ。空木がいるのはあらかじめ予想していた事だが、連れていた人物を見て雹は息を呑んだ。


「ってーな! 離せよっ!」


「雹さん大丈夫っ? 怪我してないっ?」


 吹雪とかおるが後ろ手にらえられていた。


「吹雪さんっ! かおるさんっ!」


 ここまでするとは思っていなかった雹は、自分の甘さを呪った。


「婆様っ!」


 雹に睨まれた老婆は平然な顔で口を開いた。


「あんたが悪いんだよ。おとなしく従わないからさ。無理矢理連れ帰ってもいいんだけど手間がかかりそうだからね。月並みな言い方だけど、この二人を無事に返して欲しかったら‥‥分かってるね?」


「っ‥」


 唇を噛みしめる雹。


「おい婆ぁ! 卑怯だぞっ!」


「そうだそうだっ」


 吹雪とかおるが拘束されたまま抗議の声を上げる。


「てめえ一人で勝手に帰れ馬鹿やろうっ!」


「そうだそうだっ」


 老婆はチラリと目を向けると、滑るような足取りで吹雪の前に立った。


「うるさい小僧だねぇ」


「‥てめえに小僧呼ばわりされる筋合すじあいはねえよ」


 吹雪が睨み返す。


「‥吹雪やめなって」


 かおるが小声でさとすが、目を逸らさない。


「‥‥」


「‥‥」


 老婆もじっと吹雪の顔を見る。そして、唇を吊り上げた。


「なんだよ?」


「近くで見ると、かすかに面影おもかげが残ってるねぇ」


「‥はあ?」


 老婆の言葉の意味が分からず、吹雪が怪訝な表情をする。


「もう一〇年以上たつけど、やはりあの時の人の子なんだね」


「‥どういう意味だよ?」


「婆様っ!」


 吹雪の声にかぶせるように、雹が大声を発した。


「おや。雹、あんた言ってなかったのかい?」


「それは‥」


 言葉を詰まらせる雹に吹雪が視線を向ける。


「雹、なんの事だ?」


「‥吹雪さん‥」


 辛そうな顔をして言葉を探す雹に代わり、老婆が口を開いた。


「まあ、仕方ないだろうね。そんな軽く話せるような事じゃないさ」


「だからっ、なんの話だよっ!?」


 吹雪が苛立いらだちを含んだ声を上げた時、老婆がその疑問に答えた。


「雹はね、あんたの母親なんだよ」





ブックマークが増えて(プラス1ですが)めっちゃ嬉しいです。


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