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7 デートをする

頑張って雹の心理描写をしたつもりなんですが‥‥






 その日、約束通り、雹は吹雪に遊園地へと連れて来てもらっていた。

 電車で一時間ほどかかったが、道中の雹のはしゃぎぶりといったらなかった。じっとしていられない子供のようで、吹雪が恥ずかしさのあまり他人の振りをしようかと思ったぐらいだ。

 そして今、巨大なゲートをくぐった雹のテンションはピークに達していた。


「すごいすごい、人がいっぱいです。乗り物もたくさんあります」


 あっちを見てこっちを見て、目をキラキラさせて楽しそうだ。


「ちゃんと前見て歩けよ」


 対する吹雪は保護者か、引率の先生のような気分だった。実際、先程ゲートの手前で、『一人で勝手に何処かへ行かない』、『知らない人に付いて行かない』の二つを、しっかりと雹に言い含めていた。


 今も、人にぶつかりそうになった所を吹雪が引き止めた所だった。後ろ襟を引っ張る形で。


「くえっ」


「ほら、危ねーだろ」


「‥‥」


 あまり優しくない止め方をされた雹が少しうらみがましい目付きで吹雪を見たが、すぐに気になる物を見つけて機嫌をなおす。


「あっ、あそこ、あれはなんですか?」


「あ? ああ、あれはジェットコースターだ」


 雹の指差す方には長蛇の列ができていた。乗客が大声で悲鳴を上げるのが聞こえてくる。


「面白そうですっ。あれ、行きませんか?」


「‥いきなりかよ」


 あまり気乗りのしない吹雪だったが、雹に引きずられるようにして列の最後尾に並んだ。

 行列を見ると、並んでいるのは親子連れかカップルがほとんどだった。女性グループ、そして中には男数人という組み合わせもあったが、少数派だ。

 ふと、自分達はどう見られているのだろうかと思い、物珍しそうにしている雹に目をやった。


「‥‥」


 家族ではない。同棲どうせいしているが、そういう関係でもない。友達とも違う。だが、ただの居候とも違う気がする。


(どういう関係なんだろな‥)


 と、急に振り向いた雹と目が合った。


「‥なんだ?」


 少し焦ったように吹雪が聞くと、


「私、今すごく楽しいです。今日はありがとうございます」


 エヘヘと雹が無邪気に笑った。


「‥別に大した事ねーよ。ほら、前詰めろよ」


「あっ、はい」


 吹雪のぶっきらぼうな言葉にも、嬉々(きき)として頷く雹。


「‥‥」


(‥まあ、いいか)


 妙な考えを振り払う。吹雪は前にいる雹の頭にポンと手を置くと、表情だけはムスッとして言った。


「存分に楽しめ。付き合ってやるから」


 一拍置いて、花がほころぶような笑顔を雹が見せた。


「はいっ」





 二時間後、吹雪は少し後悔していた。


「吹雪さん、あれです。次はあれに乗りましょう」


 前を行く雹が振り返って、次に乗るアトラクションを指差している。


「‥‥」


 フリーフォール型の乗り物だった。一際大きな歓声、というか悲鳴が聞こえてくる。


「面白そうですよ」


「‥‥」


 あれから、立て続けに三つの絶叫マシンに付き合わされていた。

 乗り物自体は別に苦手というわけではないのだが、絶叫系の連続はさすがに気が休まらない。しかも、普段吹雪は行列に並んだりするような事がない。せいぜいコンビニのレジに並ぶくらいだ。それすら面倒くさいと思うほどである。よって、何十分も並んで数分のアトラクションに乗るというこの繰り返しが辛くなってきていた。


(‥疲れた)


 だが、対する雹の方は元気いっぱいで、目で『早く早く』と吹雪に訴えかけている。


「分かった分かった」


 こういう時の女子の体力と行動力は驚くべきものがある。どこかで聞いた事を思い出しながら歩いていると、


「?」


 吹雪は視線を感じて足を止めた。


「‥‥」


 振り返り、辺りを見渡すが、それらしい人はいない。誰も吹雪に目を向けていなかった。


(気のせいか?)


 だが、吹雪のこういう感覚は外れた事がなかった。昔から、変な所で勘が鋭いのだ。荒事を引き寄せる事が多い吹雪にとって、実に有用な特技ではあったが。


「‥‥」


 しばらくじっと周囲に目を配っていたが、


「吹雪さんっ」


 という声とともに腕を引かれて意識を戻された。振り返ると、唇をとがらせるようにして雹が吹雪を見上げていた。


「何してるんですか? 早く行きましょう」


「うん? ああ‥」


 少し気になった吹雪だったが、雹に手を取られて引っ張られる。


「おっ」


「まだまだたくさん乗りたい物があるんです」


 手を引かれて歩きながら、吹雪はなんともこそばゆい感情におそわれた。


「‥‥」


 誰かにこういう風に手を握られるなんて何年振りだろうか。覚えていない。だが、ずっと昔、誰かとこうして手を繋いでいた事があるような気がする。そう、柔らかくて、優しくて‥


「吹雪さん?」


 物思いにふけっていた吹雪は、掛けられた言葉で我に返った。雹が不思議そうにこちらを見ている。


「っ‥分かったから、手ぇ離せよ」


 気恥ずかしさを無愛想な言葉でごまかす。


「あっ‥」


 無意識だったのだろう。言われて気付いた雹が慌てて手を離した。そのまま後ろに手を回す。


「‥‥」


「‥‥」


 気まずい沈黙。お互い少し顔が赤い。


「行くぞ」


 微妙な雰囲気を振り払うように言うと、吹雪はポケットに手を入れて先に歩き出した。


「‥‥」


 その背中と自分の手を見比べて、雹がかすかに笑みを浮かべる。


「あっ、待って下さい」


 慌ててその後を追う。


「おせーぞ」


「すみません」


 そんな吹雪と雹をじっと見つめる視線がある事を、もちろん二人は知らなかった。





 二人は園内にあるファーストフード店で遅いランチを取っていた。相も変わらず、いつものハンバーガーを食べている。


「‥‥」


「‥‥」


 遅くなったのには理由があり、それが原因で、黙々と昼食を食べる二人という構図ができていた。まあ、正確には、不機嫌そうにムスッとして食べる吹雪と、その様子をうかがいながらシュンとして食べる雹、という図だが。


「‥怒ってます?」


「‥‥」


 オドオドとした雹の問いかけに吹雪は目だけ向ける。


「‥怒ってますよね?」


「‥別に」


 その返事の短さが、『俺は怒ってる』と言っていた。


「やっぱり怒ってます」


「怒ってねー」


「うー‥」


 何も言えなくなった雹がちびちびとポテトを食べる。


「‥‥」


 吹雪は無言でそんな雹に目をやった。親に怒られた子供のようだ。まあ、だいたい似たような状況ではあるが。というのも、雹は迷子になっていたのだ。

 乗り物やもよおし物を色々回りながら、そろそろ飯にしようと吹雪が横を見ると、いつの間にか雹がいなくなっていた。慌てて辺りを見回したが、時すでに遅かった。


「‥おいおい、『ウォーリーを探せ』かよ」


 土産みやげ物屋、アトラクション乗り場、イベント広場、人が集まりそうな所は女子トイレ以外全て探し回ったが、如何いかんせん、休日の遊園地というシチュエーションは難易度が高過ぎた。


「‥どこ行ったんだよあいつ」


 吹雪が途方とほうに暮れていた時、園内放送が耳に入った。


「迷子のお知らせです。椿市からお越しの柊吹雪さん、椿市からお越しの柊吹雪さん、お連れ様がお呼びです。カスタマーセンターまでお越し下さい」


(‥勘弁してくれよ)


 今日この遊園地に知り合いがいない事をいのりつつ、吹雪はダッシュで指定された場所へ向かった。

 そこには、親とはぐれてメソメソ泣いている子供達に混じって、心細そうな顔をした雹(大人)がいた。そして、現在にいたるというわけだ。ちなみに、着ぐるみに目を奪われてフラフラと付いて行ってしまったらしい。

 呆れはしたが、実は吹雪はそんなに怒っていない。初めは雹を見つけたらこってりと絞ってやろうと思っていたが、吹雪を目にした瞬間の雹の泣きそうな顔に毒気どくけを抜かれて、タイミングを外してしまったのだ。今こうして怒ったアピールをしているのは、『ただで済ますのはしゃくにさわるから、ちょっといじめてやろう』という吹雪のエスっ気によるものだった。


(‥そろそろいいか)


 雹の様子を充分に楽しんだ吹雪はわざとらしくため息をついた。


「今度から気を付けろよ」


 掛けられた言葉に、しょんぼりとしていた雹が顔を上げる。


「返事は?」


 許してもらえる気配に雹が勢いよく頷く。


「はいっ」


「‥‥」


 一瞬、飼い主の機嫌をとる子犬のように思えて『いかんいかん』と自制する吹雪。


「よし、じゃあ飯も食ったし、行くか」


「あっ、はい」


 立ち上がり、ゴミを捨て、店を出ようとした吹雪の手を、後ろから雹がおずおずと握った。


「‥」


 目を向けると、雹が焦ったように言い訳をする。


「まっ、迷子にならないようにと‥」


「あのなぁ‥」


 言いかけて吹雪は考えた。少し恥ずかしい感じはするが、そんなに嫌がる程の事ではない。普通に恥ずかしい思いはするが、これなら確かに迷子にはならない。やはり恥ずかしい気がしたので手を離そうとして、訴えかけるような雹の目を見てやめた。これに弱いのだ。


「‥好きにしろ」


「はいっ」


 その言葉に雹が本当に嬉しそうな笑顔を見せる。


「行くぞ」


「あっ」


 返事を待たずに歩き出す吹雪に雹が付いて行く。手を繋いで。


「‥うふふ」


「おい、あんまり引っ付くな。ちけーよ」


「迷子にならないようにです」


「歩きにくいんだよ」


「我慢して下さい」


 そう言う雹の顔は嬉しくてたまらないといったものだったが、一瞬だけ辛そうな表情を見せたのを吹雪はもちろん知らなかった。





 一二月に入って日が落ちるのが早い。すっかり暗くなった夜道を二人はアパートに向かって歩いていた。吹雪の後ろを雹が続く。

 あの後、遊園地を存分に満喫した二人(主に雹だが)は、名残なごり惜しくはあった(これも雹)が、疲れてもいた(これは吹雪)ので、閉園を待たずに帰る事にしたのだ。それでも雹は大満足な様子で、帰りしな、冷めやらぬ興奮でずっと吹雪に、やれあの乗り物は楽しかっただの、やれあの見世物は面白かっただの話し掛けていたのだが、さすがに話も尽きてきて、今は黙って二人歩いている。


「‥‥」


 だが、雹が黙ってしまった理由はそれだけではなかった。楽しい時間が終わり、舞い上がっていた気持ちが落ち着くにつれ、嫌でも思い出してしまう、現実を。考えてしまう、この後を。その先を。


「‥‥」


 嫌だ。そんな事はしたくない。出来ない。考えたくもない。やっと、やっとの思いでこうして‥。せっかく‥。どんなに‥。‥でも、でないと‥。そうしないと‥。‥だけど!


 散り散りになる思いが雹を苦しめる。


「‥‥」


 そんな事をずっと考えていた雹は、だから、吹雪が立ち止まったのに気付かず、危うくその背中にぶつかりそうになった。


「吹雪さん?」


 我に返って吹雪を見て、その視線を追う。


(あっ‥)


 その先にいたのは一組の親子だった。街灯の下、若い母親と五、六歳の子供が歩いていた。子供が母親に向かってしきりに話し掛け、母親は笑みを浮かべてそれに答えている。

 その様子を見る吹雪は、なんとも言えない目をしていた。その親子はすぐに角を曲がって見えなくなったが、吹雪はしばらくじっと立っていた。


「‥‥」


 言葉が出ず、吹雪の後ろ姿をじっと見つめる雹。すると、吹雪が近くにあった自販機に向かって歩き出した。


「何飲む?」


「えっ?」


 戸惑う雹に構わず自分はコーラを買うと、


「遅い」


 と言って独断でおしるこを押した。


「ほら」


「‥ありがとうございます」


 微妙な表情の雹。吹雪は気にしない。


「ちょっと休憩するか」


「‥はい」


 アパートまでもうすぐだ。吹雪の提案に雹は少し首を傾げたが、黙って後に続きそばにあった公園に入った。この寒さの中、普通の人ならこんな所で一休みなど考えもしないだろうが、二人とも寒さには強かった。


 吹雪にならって雹もベンチに座る。


「そう言や、お前も寒いの平気だったよな」


「はい」


 吹雪の言葉に当然のように頷く雹。一緒に生活していて、雹が寒そうにしているのを吹雪は見た事がなかった。


「‥お前、変わってるよな」


「‥そうですか?」


「ああ、絶対変わってるぞ。世間知らずだし、一般常識知らねーし。そもそもホームレスだったしな。いきなり見ず知らずの俺に泊めてくれだぞ?」


「‥それは‥」


 返す言葉が見つからない雹。


「ホント、変な奴だよな‥」


 そう言って、コーラを一口飲むと吹雪は押し黙る。何かを言おうとして迷っている。雹にはそう感じられた。


「‥‥」


「‥‥」


 沈黙がその場に流れる。


(えーっと‥)


 どうしていいか分からない雹は、もらったおしるこを飲もうとして、


「っ!」


 その熱さに驚いて吹き出してしまった。


「何やってんだお前!? 馬鹿だなぁ」


「あぅあぅ」


 舌を火傷やけどして涙目になっている雹を呆れた顔で見ながら、吹雪は珍しく持っていたハンカチを差し出した。


「拭けよ。口の周り汚れてるぞ。手も」


「‥すみません」


 雹がもらったハンカチで口と手をフキフキする。自分が子供のようで恥ずかしかった。


「ほら」


 顔を向けると、ムスッとした吹雪がコーラを突き出していた。


「?」


「これで舌冷やせよ」


「‥いいんですか?」


「猫舌のお前にそれ買った俺も悪いからよ」


「ありがとうございます」


 受け取り、笑みを浮かべる雹。一口飲む。口に含んだコーラは冷たくて気持ち良かった。


「ふふ」


 自然と、笑みが大きくなる。


「‥なんだよ?」


 相変わらず不機嫌そうな表情の吹雪だが、雹はもう分かっている。


(‥本当に‥)


「‥吹雪さんは‥優しいですね」


 見つめられて、そんな顔をされて、吹雪が一瞬言葉に詰まる。


「なっ‥別にそんなんじゃねーよっ」


 目を逸らしてそう言う吹雪の横顔を雹が見つめる。

 出会ってから一ヶ月ほど。一緒に暮らして、吹雪のいろんな所を雹は見てきた。自分と同じで、寒さに強い所や猫舌な所。『いただきます』と『ごちそうさま』を必ず言う所。基本、面倒くさがりな所。実は中華料理が作れる所。天の邪鬼(あまのじゃく)な所。そして、優しい所。


「‥‥」


 吹雪が望む限り一緒にいると言った。その言葉に嘘はない。嘘なわけがない。だが、


(‥私は‥)


 胸が苦しい。息がうまくできない。様々な思いが雹の頭を駆け巡る。


 その時、吹雪がポツリと呟いた。


「‥俺‥」


 目を向けると、吹雪は前を向いたままだった。


「‥捨て子だったんだよ」


「っ‥」


 その言葉に雹が息を呑む。


「佐江子さんから聞いてるんだろ?」


「‥はい」


 雹が小さく頷くと、『やっぱりな』と呟いて吹雪は話を続けた。


「その時の事ってほとんど記憶にねーんだけどよ。‥なんとなく、雪が降ってたのだけは、なんとなく、覚えてる」


「‥‥」


 黙って話を聞く雹。吹雪を見つめている。


「‥別に、だからって悲劇の主人公ぶるつもりはねーけどな。施設にはそんな奴ばっかだったからよ。まあ、みんな性格はかなりひねくれてたけどな」


 『俺も含めて』と吹雪が自嘲じちょう的に笑う。


「あそこはホント、今思い出してもむかつく所でよ。毎日誰かに殴られてた。大人の職員には反抗的だって殴られるし、同じ生徒にも夜中に袋叩きにされたりしたな。まあ、倍返しにしてやったけどよ。周りはほとんど敵だった。‥それは、学校行っても同じだった。子供って結構残酷でよ。自分達と違う奴を見つけると排除しようとするんだ。そうする事で自分達の集団を守るんだよ。別にこっちはなんとも思ってねーのに、ホントうぜー奴らだったな。まあ、施設の奴らに比べたら根性のねー馬鹿ばっかだったから、ちょっと殴っておどしたらすぐに嫌がらせはなくなったけどよ。‥‥でも、施設でも、学校でも、結局俺は一人だった」


「‥‥」


 雹は辛そうに話を聞いている。


「‥けどよ、かおるは違ったんだ。ホント、俺にはもったいないくらいのいい奴でよ、俺の初めての友達なんだよ。あいつがいなかったら、俺は今でも一人だったし、もっと性格もひねくれてただろうな。それは佐江子さんにも言える事だ。あの人のおかげで、ずいぶんましな人間になったと思う。初めの頃は散々(さんざん)ひでー事も言ったのに、俺みたいな奴にホントに根気よく付き合ってくれたんだ。‥面と向かって言った事ねーけどよ、あの二人には本当に感謝してるんだ」


 吹雪は少し間を置いてから続けた。


「‥俺、持った事ねーから分かんねーけどよ‥‥家族‥みてーなもんだと思う。‥うっとおしいし、腹の立つ時もあるけどよ。‥一緒にいるのが自然っつーか、当たり前っつーか‥そんな感じなんだよ‥」


 雹と目を合わせずにそこまで言うと吹雪は口を噤んだ。頭をかきながら首をひねり、何やら言い辛そうな様子だ。


「‥まあ、なんだ‥その‥あれだ‥」


「?」


 何が言いたいのか、歯切れの悪い吹雪。一度大きく息を吸うと口を開いた。


「お前もっ、なんかもう‥いて当たり前みたいなもんだよな」


「っ!?」


 雹が息を呑む。口に手を当てて目を見開き、信じられないといった表情で吹雪を見る。


 それは、つまり‥


「吹雪さん‥」


 震える声を出す雹に、


「けど、立場は俺の方が上だからな」


 照れ隠しのように吹雪が付け加える。


「私‥」


 涙声の雹に吹雪が焦る。


「おいっ、泣くなよっ」


「‥すみません」


「だから泣くなって」


「‥はい」


 嬉し過ぎて、幸せ過ぎて、胸が熱くなる。こんな事があるのだろうか。夢のようだ。このまま死んでもいいとすら思えた。


 あたふたと困っている吹雪を濡れた目で見上げる。


(‥ああ、なんて‥‥いとおしい‥)


 無理だ。こんな気持ちを知ってしまったら、もう無理だ。戻れるわけがない。手放せるわけがない。絶対に。となれば、選択肢は一つ。答えは決まった。

 雹は涙を拭うと吹雪の腕を掴んだ。


「吹雪さん、二人で、何処か遠くに行きましょう」


「‥はあ?」


 いきなりの、駆け落ちのような申し出に吹雪の目が丸くなる。


「ずっと、ずっと遠い所で、二人で暮らしましょう。アパートを借りて、二人で静かに‥‥お金なら、私が頑張って働きます。どんな仕事でもします。吹雪さんは、ただいてくれるだけで、それだけでいいんで‥」


 職業ヒモの男が聞いたらヨダレを垂らしそうな話を真剣な顔でする雹。


「お前、何言って-」


 ずいずいと迫ってくる雹に吹雪が慌てる。


「急に変な事言ってすみません。‥おかしいと思うかもしれませんが‥でも‥‥お願いしますっ‥」


「‥雹、お前‥」


 すがりつく雹の肩に吹雪が手をかけた時、


「雹っ」


 いきなり第三者から掛けられた言葉に雹が身体を硬直させた。


「?」


 吹雪が目を向けると、いつの間にいたのか、少し離れた街灯の下に着物姿の老婆が立っていた。





ブックマークに気付きました。

ありがとうございます‼


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