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6 夢から醒める

転換点です。





 吹雪は雹とスーパーに来ていた。

 面倒くさがりな吹雪は来たくなかったのだが、豚肉のセール品が一人一パック限りだったので強引に連れてこられたのだ。一緒に暮らし始めて二週間、雹は驚くべきスピードで現代社会に適応していた。日がな一日テレビばかり見ていたせいもあるだろう。

 レジ前に並ぶ二人は注目を浴びていた。二人、と言うか、視線を浴びているのは雹だった。服装は地味な物だったが、その容姿は人目を引かずにはおれない。とても目立っていた。吹雪はこういうのが苦手だ。


「‥先に外で待っとく」


「えっ、ちょっと、待って下さい‥」


 呼び止める雹を尻目に店を出る。出入り口の自動ドアを出た所で、ガードレールに腰掛けて雹を待つ事にした。

 店に出入りする人は皆、コートやダウン、マフラーなど、冬らしい服装をしていた。Tシャツの上にパーカーなんて格好は吹雪だけだった。そういう意味で吹雪も少し目立っていたのだが、それには気付いていない。


「‥おせーな」


 口に出して呟く吹雪の前を、店から出て来た親子が通り過ぎて行った。母親と、小学生くらいの男の子が、仲良く手を繋いで歩いている。


「‥‥‥‥」


 なんとも言えない表情で吹雪がその後ろ姿をじっと見ていると、支払いを終えた雹がそばにやって来た。


「お待たせしました」


「‥おう‥帰るか」


 吹雪は自然にエコバッグを持ってやると、背を向けて歩き出した。


「はいっ」


 雹が嬉しそうに後ろをついて行く。


 街灯に照らされた夜道を二人が歩く。最初、すたすた歩く吹雪に時折小走りで追いつかなければならなかった雹だが、それに気付いた吹雪が速度を落とした。

 雹もその事に気付く。嬉しい。笑みが漏れる。


「‥なんだよ?」


 気付いた吹雪が無愛想な声を出す。


「いえっ、なんでも‥」


 そういう雹は、顔がゆるむのをおさえるのに必死だった。


「何笑ってんだよ?」


 そう言う吹雪の態度と、歩調を遅くしたそのギャップに、可笑おかしくて、嬉しくて、顔がにやけそうになる。


「おい」


「なんでもありません」


「嘘つけっ」


「本当になんでもありません」


 最近、口答えが多くなってきた雹だった。


「‥ったく」


 と、雹が立ち止まったので吹雪も足を止めた。


「おい、どうした?」


 言ってから、そこが雹と出会った公園だと気付いた。


「ああ、あの時の‥」


「はい‥」


 その呟きに雹が答えた。


「‥‥」


 それきり口を噤むと、吹雪は雹の後ろ姿をじっと見つめた。


「‥吹雪さん、とても無愛想でしたよね‥」


 あの時の状況を思いえがいている雹。


「‥‥おい」


 吹雪の声はとても小さく、初め雹には聞こえなかった。


「‥おい」


 少し大きめに掛けられた二声めでようやく気付く。


「あっ、はい」


 振り向く雹に、吹雪はゆっくりと口を開いた。慎重しんちょうに、言葉を口に出す。


「‥別に‥出てけとか‥そんなんじゃねーけどよ‥‥」


「っ‥」


 雹が息を呑む。


「‥‥お前よ‥」


 小さな身体がビクッと硬直する。耳をふさげるものならふさぎたかった。


「‥お前‥」


 吹雪は横を向きながら、言葉を探して、選んで、


「‥いつまで‥いるんだ?」


 声に出した。


(ああ‥)


 とうとう、とうとう来るべき時が来た。考えないようにしていた。先()ばしにしていた。今があまりにも幸せで。幸せ過ぎて。この居場所を失いたくなくて。この時間を失いたくなくて。


(‥私は‥)


 分かっていたのに。こんな暮らしがずっと続くわけがない。別れがくる。分かっていた事だ。


(‥私は‥)


 分かっていて、それでも望んだのだ。覚悟はしていた。覚悟はしていたのだ。


「‥‥」


 何も言えない雹。俯き、立ち尽くす。胸が苦しい。うまく息ができない。心が張り裂けそうだ。


 その時、


(‥あっ)


 吹雪の手が、かすかに震えているのに気付いた。顔を上げる。暗闇でその横顔は見えなかったが、雹にはまるで、泣くのを我慢している子供の様に見えた。


(ああ‥)


 信じられない。胸が熱くなる。自分だけではなかった。吹雪も同じなのだ。


(‥私は‥なんて‥)


 幸せ過ぎて泣きそうになる。


(‥私は‥)


 何も考えられない。言葉が自然と口から出た。


「‥私は‥」


 吹雪が息を呑む気配がする。


「‥‥いつまでも‥あなたが許してくれるなら‥いつまでも‥」


 万感ばんかんの思いを込めて、雹は言葉に出した。


(‥あなたのそばに‥)


 言葉にならない思いが胸にこみ上げる。


「‥‥構いませんか?」


 こちらを振り向く一瞬、吹雪の表情は見えなかった。


「‥そうか‥ふん」


 顔を向けた時にはいつもの吹雪だった。


「‥まあ、‥おまっ‥‥雹が、どうしてもって言うんなら‥」


「っ!」


 初めて、初めて名前を呼ばれた。その事に身体が熱くなる。涙が出た。


「‥吹雪‥さん」


 雹も、初めて面と向かって吹雪の名前を口にした。今まで、名前を呼びたくても、何かがつかえて言葉にできなかった。そのつかえが、今とれた気がした。


「‥べっ、別に俺はどっちでもいいけどよ。‥まあ、お前がそこまで言うんなら。‥家がないってのも可哀そうだしな。‥別にお前一人の食費ぐらいどうにでもなるし。‥別に俺は構わねーよ」


 『別に』が多くなる吹雪。その様子に雹が涙を拭って笑みを浮かべた。


「‥今まで通り、ちゃんと飯は作れよ。あと-」


「吹雪さん」


「ん?」


 一拍おいて、雹は吹雪を見上げてくすりと笑った。


「それ、『ツンデレ』って言うんですよ」


「なっ!?」


 一気に顔が赤くなる吹雪。


「吹雪萌え、です」


 そんな吹雪を見てくすくす笑う雹。


「お前っ、どこでそんな言葉覚えたんだっ!?」


「顔、真っ赤ですよ」


「うるせー!」


 つかまえようとする吹雪の手からキャーキャー言って逃げながら、雹はとても幸せだった。





 学校。昼休み。

 昼食を食べ終わった吹雪は屋上でまったりと過ごしていた。もちろんかおるも一緒だ。ベンチにどかっと腰を下ろしている吹雪のすぐ隣、吹雪の身体に引っ付くようにかおるは座っていた。


「‥ちけーよ」


「風()け」


 言葉少なにかおるが答える。縮こまって非常に寒そうだ。無理もない。最近、最高気温はずっと一桁だ。朝、氷が張っている事もある。こんな時期に屋上で昼休みを満喫している方がおかしい。


「だから、別に無理して付き合う必要ねーって言っただろ? 風邪引くぞ」


 季節感を全く無視した吹雪は、詰め襟の一番上のボタンを外していた。


「‥寒く‥ないんだよね?」


「ああ」


 それは強がりではなかった。その気になればパンツ一丁でも平気だという事をかおるは知っている。冬でも半袖半ズボンでドッジボールをしている小学生がいるが、レベルが違う。吹雪が『寒い』と言うのをかおるは聞いた事がなかった。

 だが、かおるはそんな風の子ではない。


「そろそろさ。お昼ご飯食べるの、中にしない?」


「だから俺に気ぃ使うなって。お前は教室で食えばいいじゃねーか」


 『いや、僕に気を使ってよ』という言葉がかおるの喉元まで出た。


「そんな寂しい事言わないでよ。一緒に教室で食べようよ」


「いいって。‥こっちの方が気が楽なんだよ」


 予想していた言葉だが、かおるがため息をつく。


「‥もうっ‥」


「わりいな」


 かおるは少し驚いた。軽い感じだとはいえ、この話の流れで吹雪が謝った。『他人に下げる頭は持ち合わせていない』という性格ではないが、それでも珍しい。


「‥‥」


 そう言えば、最近少し変わったような気がする。目付きの悪い顔はそのままだが、雰囲気が以前と違う。少し優しくなったような、そんな感じがする。


「‥なんか、最近機嫌いいよね」


「あ?」


 顔を向けた吹雪をかおるがじっと見つめる。


「‥何かいい事あったの?」


「なんだよいきなり」


 言いながら、吹雪の脳裏に雹の顔が浮かんだ。


「雹さんと何かあったんでしょ?」


「なっ‥」


 心を覗かれたような気がして焦る。


「あっ、怪しい」


「ちげーよっ」


「まさか‥もう‥」


「だから違うって!」


 良からぬ妄想を膨らませようとするかおるを吹雪が全力で否定する。


「‥じゃあ何?」


「‥別になんでもねーよ」


 あの夜の公園での事が頭に浮かんだが、そんな事は口が裂けても言えない。恥ずかし過ぎる。記憶から消してしまいたい程だ。


「‥‥ふーん‥」


 納得がいかない様子のかおるの視線がチクチク痛かったが、昼休み終了のチャイムに救われた。


「おっ、次は現国だな」


 わざとらしい言葉とわざとらしい表情でわざとらしく立ち上がる吹雪。


「あっ、こらっ」


「先に行くぞ」


 まだ何か言っているかおるを置き去りに階段を下りながら、吹雪は心の中で呟いた。


(‥機嫌がいい‥か‥)


 雹の顔を思い描く。その言葉を思い出す。自分が喋った言葉も。


「‥あーっ!」


 思い出し恥ずかし。





 雹は一人でスーパーに買い物に来ていた。

 メモを手に食材を探しながら、実に楽しそうだ。実際、さっきからずっと鼻歌を歌っている。最近テレビで覚えた、某バイト情報誌のCMソングだ。ひたすらエンドレスで歌い続けている。


「‥よし」


 抜けがないのを確認するとレジに並ぶ。ちなみに今夜の夕食のメインは塩(さば)だった。


「あら、いらっしゃいませ」


 もう顔見知りになったレジの女性が声を掛けてきた。


「はい、お願いします」


 こういうすれてない初々しい感じが大好評で、容姿とあいまって、ひそかにここの店員のアイドルになりつつあった。


「彼氏は元気?」


「えっ?」


 言われた意味が分からず聞き返す雹に、店員が手を休めずに言葉を続ける。


「ほら、前に一緒に来たでしょ。若い男の子。付き合ってるんじゃないの?」


「‥ええっ!?」


 理解に数瞬をようして雹が驚く。


「お似合いだったわよ」


「いやっ‥そのっ‥」


 否定しようとするが、うまく言葉にできない。それに、少し嬉しかったりもする。顔が赤くなる。


「ははっ、可愛いねぇ」


「‥もう」


 からかわれたと知り、少しむくれながら会計を済ませた。


「ありがとうございました」


 店員の声を背に店を出て、歩きながらさっき言われた事を思い返す。


(‥お似合いかぁ‥)


 顔がまた赤みをびてくる。まんざらでもないのだ。


「‥フフ」


 笑いをかみ殺すようにして歩いていたその時、後ろから声を掛けられた。


「‥楽しそうだねぇ」


「っ!!」


 凍りつく。一瞬でさっきまでの気持ちが消し飛んだ。聞き間違う事のないその声。聞きたくなかったその声。頭が真っ白になる。


「‥‥」


 振り返ると、そこに和服姿の老婆が一人立っていた。


「どうしたんだい? 昼間に幽霊でも見たような顔してるよ」


 言って、しわだらけの顔に笑みを浮かべる。


「‥婆様‥」


 そう呟いた雹の顔は固く、色を失っていた。絶対会いたくない相手だった。


「‥雹」


 名前を呼ばれて身体が硬直する。分かっていた事だ。来るべき時が来た。それは逃れようのない事だ。だが、せめて、もう少し、もう少し‥


「‥潮時しおどきだよ」


 その言葉が、深く、鋭く、胸をうがつ。甘い夢から急に現実に引き戻されたような、築き上げたものが一瞬で音を立てて崩れていくような、そんな、絶望感。


「‥‥」


 何も言えない。言葉が出ない。無力感に襲われる。


「‥‥私は‥」


 呟いたきり、雹は立ち尽くした。





 吹雪はアパートの前の道を歩いていた。日はもう落ちていたが、今日はバイトが休みだったので帰りが早く、普通に夕食を食べられる時間帯だ。


(‥今日の晩飯なんだろ?)


 歩きながら、今晩の夕食に思いをめぐらせる。


(‥昨日は肉じゃがだったよな。その前は‥メンチカツか‥うまかったな)


 献立こんだてに思いを寄せながら、アパートの階段を上る。足取りは軽い。かおるの言った通り、確かに最近機嫌がいい。本人は認めないが、誰かさんのおかげだ。


「‥腹減ったな」


 腹の虫が催促さいそくの声を上げるのを聞きながら、ドアの前に立った。ノブを回して開ける。


「ただいま」


 この言葉もすんなり出るようになった。


「‥?」


 いつもなら、尻尾を振った犬のような勢いで雹が『お帰りなさいっ』と出て来るのだが、今日はそれがない。不思議に思いながら靴を脱いで上がると、流しの前に雹が立っていた。吹雪に気付かず、一点を見つめたまま動かない。


「‥おい」


「えっ!?」


 吹雪が声を掛けるとようやく我に返った。


「あっ! すみません! お帰りなさいっ。‥すぐに晩ご飯の支度しますねっ」


 口早にそう言ってあたふたと動き出す。


「‥ああ」


 吹雪は怪訝に思いながらも特に何も言わなかった。


「すぐ出来ますから。ちょっと待ってて下さい」


「別にそんな急がなくていいぞ」


 吹雪はかばんを置くと部屋着に着替えた。テレビをつけて寝転がる。ちょうどニュースの時間だった。


「うわっ‥すげー」


 番組では、都市部を突如襲った寒波について報道していた。画面は一面の雪景色だ。


「‥都内じゃねーか」


 現地のリポーターが取材する様子を見ていた吹雪は、後ろで雹の動きが数瞬止まった事に気付かなかった。


「‥‥」


 スタジオでは、気象予報士が今回の寒波がいかに異常であるか、突発的で、局地的なものであったかを力説していた。


「‥変な事もあるもんだな」


 確かにこの時期、季節が冬とはいえ、山間部や雪国ならまだしも、首都圏の平野部でこんなに雪が降り積もる事はない。異常気象だ。


「‥ご飯、できました」


「おう」


 雹の声に振り向くと、ちゃぶ台の上に夕食が並べられていた。


「今日は魚にしました」


「おう」


 エプロンを脱いだ雹が座るのを待って、手を合わせる。


「いただきます」


「いただきます」


 鯖は美味しかった。味噌汁と酢の物も吹雪の好みの味付けだった。吹雪も自然と箸がすすみ、すぐにご飯をおかわりする。


「‥‥」


 いつもなら待ち構えていたかのようにすかさずよそう雹が、今日は心ここにあらずといった様子で差し出された茶碗に気付かない。


「‥おかわり」


「‥あっ! すみませんっ」


 ようやく気付くと慌てて飯茶碗をてんこ盛りにした。


「‥‥」


 吹雪は昔話みたいに盛られた白米を見て一瞬口を開きかけたが、結局黙って食べる事にした。まあ、食べられない量ではない。


 食事の後、風呂の準備ができてると言われたので、吹雪は先に入らせてもらう事にした。


「着替えは後で用意しておきます」


「ああ、頼む」


 服を脱いで風呂場に入る。このアパートの浴室は、佐江子のこだわりでかなり大きめに作ってある。『風呂が狭いと心の洗濯ができない』という佐江子の考えには、吹雪も大賛成だった。

 軽く身体を流すと、お湯が張られた浴槽にゆったりとかった。


「はぁー」


 思わず声が出る。至福しふくの一時だった。


「‥お湯加減はどうですか?」


「いいぞ」


 扉越しの雹の言葉に、吹雪は天井を見上げながら答える。


「‥この服は全部洗濯で構いませんか?」


「‥ああ」


 身体が芯から温まる感じに、目を閉じる。


(‥あー気持ちいい‥)


 扉の向こうでゴソゴソ音がする。雹が着替えでも持って来たのだろう。


「‥‥‥‥ていいですか?」


 おずおずと掛けられた言葉は小さく、よく聞こえなかった。


「‥ああ?」


 吹雪が聞き返す。


「‥‥‥‥ていいですか?」


 再び掛けられた声も小さく、浴室内でこもって聞き取れなかったが、再度聞き返すのが面倒だった吹雪は適当に返事した。


「‥‥ああ、いいぞ」


「‥はい‥」


 吹雪は再び目を閉じると、息を吐きながら首もとまで浸かった。夢見心地だった。

 と、


「‥失礼します」


 遠慮がちな雹の声とともに扉の開く音がした。


「‥ん?」


 ぼおっとした頭で目を向けると、そこに膝をついた雹がいた。髪はアップでまとめて、身体に大きめのバスタオルを巻いている。


「‥」


 目が合うと、雹は恥じらいの表情を浮かべた。


「‥おい」


 吹雪はなんとか落ち着いて話し掛ける事に成功した。


「はい」


「なんで入って来てんだよ?」


 という吹雪の言葉に対し、


「えっ? ‥あの‥吹雪さんが‥『いいぞ』って‥」


 雹は恐る恐る声を出した。


「うっ‥」


(‥そういう事か‥)


 迂闊だった。いや、そういう問題ではない。


「‥何しに来たんだ?」


 吹雪は仏頂面ぶっちょうづらでさらに聞いた。


「えっ‥その‥お背中を流しに‥」


「はぁ?」


 漫画やドラマでしか聞いた事のない言葉に耳をうたがう。普通の男なら小躍こおどりして喜ぶようなシチュエーションだが、吹雪はそんなに単純ではない。と言うか、実は意外と純なのだ。


「‥頼んでねーぞ」


「えっと‥その‥」


「一人で洗える」


「いや‥でも‥」


「てか、なんでいきなりそうなるんだ?」


「うぅ‥あぅ‥」


 矢継ぎ早の吹雪の言葉に雹が何も言えなくなる。


「‥‥雹、お前、なんか今日変だぞ」


「‥‥」


 吹雪がいぶかしげな視線を向けると、それには答えず、


「‥駄目ですか?」


 雹がお決まりの泣きそうな顔を見せた。


「うっ‥」


 吹雪は自分の事を『NOと言える日本人』だと思っていたが、何故か雹のこの顔には弱かった。

 結局、腰に巻くタオルを持って来させて、雹に背中を洗ってもらう事にした。


「強くないですか?」


「‥ああ」


「かゆい所ないですか?」


「‥ああ」


 言葉の少ない吹雪は、自分の理性を保つのに精一杯だった。


(ににんが四、にさんが六、にしが八、にご一〇、にろく‥‥)


 頭の中で掛け算をエンドレスで呪文のように唱えて、必死に自分のリビドーを抑える。

 そんな事とはつゆ知らず、雹は嬉しそうに吹雪の背中を洗っていた。


「‥広い背中ですね‥」


「‥‥」


 しみじみと呟く雹に、吹雪はどう言葉を返していいか分からない。無言のまま、背中を流す音だけが浴室に満ちていた。


「‥なんかあったのかよ?」


「えっ?」


 雹の手が止まる。


「‥お前‥今日なんかおかしいじゃねーか」


「‥‥」


 吹雪は顔だけ少し横に向けると言葉を続けた。


「‥俺はよ、人がどう思ってんのか、何考えてんのか、さっするって苦手なんだよ。‥だからよ、言いたい事があれば言えよ。‥聞くだけなら聞いてやるからよ」


「‥‥」


 雹は何も答えない。


「‥‥」


「‥‥」


 沈黙の中、吹雪がさらに声を出そうとした時、雹が口を開いた。


「‥遊園地」


「は?」


 思わず吹雪が振り返ると、こちらを見つめる雹と目が合った。


「遊園地‥行きたいです」


「‥いきなりだな」


「テレビで見た、あそこに行きたいです」


「‥ああ」


 先日、テレビで冬のアミューズメント特集をやっていて、郊外にある遊園地も紹介されていたのだ。それを見た雹がテレビに張り付いてえらく興奮していたのを思い出した。行った事がないと言っていた事も。


(それで変だったのか)


 居候いそうろうしている手前、言い出しづらかったのだろう。吹雪は考えながらちらりと雹を見た。


「‥‥」


 雹は少し俯いて無言でいる。


(‥まあ、たまにはいいか)


 以前の吹雪なら即答で却下していただろう。


「‥いいぞ、今度の休みにでも行くか」


「えっ」


 雹が顔を上げた。


「この前臨時収入が入ったから、それくらい連れてってやるよ」


「‥いいんですか?」


「別に構わねーよ」


 次の瞬間、感極かんきわまった雹が抱き付いてきた。


「おいっ! だからお前-」


「ありがとうございます吹雪さんっ」


 全身で喜びを表現するのはいいのだが、格好が問題だった。


(胸っ、胸っ!)


 バスタオルで隠しきれない大きな胸を押し付けられて吹雪は焦る。


「分かった! 分かったからとりあえず離れろっ!」


「あっ‥」


 慌ててその柔らかい身体を押しやろうとした時、お約束のようにバランスを崩し、吹雪が雹を押し倒すような形で膝をついた。


 一瞬、固まる二人。吹雪がつばを呑むゴクリという音がする。


「‥ポッ」


「ちげーよっ!」


 頬を赤らめる雹に、吹雪も顔を真っ赤にして否定したが、説得力には欠けていた。





サブタイトル考えるの難しいです。


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