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4 佐江子の想い

ちょっとシリアスです。





 いつもの昼休み、いつもの屋上、だが二人の様子はいつもとは違った。


「‥‥」


「‥‥」


 無言のまま箸をすすめるかおると、そんなかおるをチラチラ気にしながら三分待っている吹雪。その沈黙に耐え切れなくなった吹雪が先に声を掛けた。


「‥なあ」


「‥‥」


「‥なあ、おい」


「‥‥」


「‥なあって-」


「僕の名前は『なあ』でも『なあ、おい』でもありません」


 かおるが見向きもせずにピシャリと言い放った。


「何怒ってんだよ。それにその敬語もやめろよな」


「別に怒ってません。それにしゃべり方は個人の自由だと思いますが」


 その態度に吹雪もげんなりする。こうなると面倒くさいのを知っていた。


(‥ったく、お前は思春期の女子か? あの日か?)


 心の中の呟きだったはずが、


「何?」


 ようやく振り向いたかおるにじろりとにらまれた。


「なっ、なんでもねーよ」


 その鋭さに吹雪は少し引いたが、話しかけてきた事はある意味好機ととらえた。ここからが大事。とりあえず下手に出る。


「かおる、もういいだろ? 機嫌なおしてくれよ。せっかく一緒に飯食ってんだから」


「‥別に僕が誘ったわけじゃないし‥」


 それは確かだ。だが、弁当を持って席を立つ時にかおるは吹雪をチラ見していたし、階段を上る時も吹雪が付いて来ているのを確認していた。


(‥めんどくせー)


 そんな事はおくびにも出さず吹雪は低姿勢を続けた。


「そんな冷てーこと言うなよ。‥なあ、昨日のあれは誤解だって。全部説明したろ?」


「‥‥」


「俺が悪かったからよ。もう勘弁してくれよ」


 吹雪が頭を下げてお願いすると、あまの岩戸が少し開いた。


「‥本当にそう思ってる?」


「思ってる思ってる。本当に悪かった」


 開きかけた岩戸を閉じさせまいとする吹雪。


「‥まあ、そこまで言うなら‥別に怒ってなかったけど‥」


「嘘つけ」


「何か?」


「なんでもありません。はい、すいません」


 小さな呟きにすかさず反応するかおると、反射的に謝る吹雪。


「‥‥もう、だいたい吹雪が悪いんだよ。嘘ついて学校さぼってるし、女の人家に連れ込んでるし、僕に内緒にしてたし‥」


 機嫌をなおしてくれそうな流れに吹雪も乗っかる。


「すまん。本当に悪かったと思ってんだ。もうお前に隠し事はしねーから」


「本当?」


「ホントホント。だから許してくれよ」


 浮気が見つかった亭主とその妻のような会話だが、もちろん二人はそういう関係ではない。


「もう絶対しない?」


「ああ、もう絶対しねー」


「‥本当?」


「ああ」


 そう言った吹雪の顔をじっと見つめると、かおるはやっと表情をやわらげた。


「‥うん。じゃあ、許す」


 その言葉を聞いて吹雪も安堵あんどのため息をもらす。これでようやく落ち着いて食事ができると思ったが、


「あっ‥」


「‥すごいね。こんなにのびてるカップラーメン初めて見たよ」


 のびまくった麺がふたを押し上げてはみ出て、とてもグロテスクな様相をていしていた。


「‥これ、食べるの?」


「‥ああ」


 吹雪は意を決して割り箸を突っ込むと、ボリュームたっぷりの麺を口に入れた。


「‥おいしい?」


「‥‥まあまあ」


 絶対に『まあまあ』ではない口調にかおるも少し罪の意識を感じる。


「そっ、そう言えば、あの人にお弁当とか作ってもらえなかったの?」


「弁当箱がなかったからな」


「ふーん、朝ご飯は?」


「ああ、作ってくれたぞ」


「何を?」


「何って、今日は‥味噌汁と、焼き魚と、漬け物と、納豆もあったな。あとは‥‥なんだよ?」


 面白そうな目でこちらを見るかおるに、吹雪が怪訝けげんな表情をする。


「うん、なんか、吹雪の口からそういう言葉が出て来るなんてさ」


「‥なんだよ?」


「うん‥なんて言うか‥‥意外‥いい意味で」


「はあ?」


「家庭的って言うか‥なんて言うか‥フフ」


 そう言って微笑ほほえむかおる。


「‥なんだそれ」


 予想外の言葉にどう返していいか分からない吹雪は、誤魔化ごまかすように勢いよくふやけた麺を口に入れた。


「っ!?」


 下の方は熱かったようだ。


「大丈夫?」


「‥うるへー」





 雹は台所に立っていた。

 作っているのはカレーだ。午前中に佐江子にスーパーへ連れて行ってもらった時、『男はまず胃袋を掴むんだよ。とりあえずカレーさ。カレーが嫌いな男なんていないからね』という独断と偏見により、今夜の夕食が決定したのだ。材料や作り方を知らない雹に佐江子は驚いたが、元々お節介せっかいに服を着せたような人間なので、喜んで雹に『佐江子のメロメロカレー』のレシピを伝授した。

 そして今、雹はそのメモを見ながら鍋にルーを溶かし入れていた。その姿はとても幸せそうで、今に鼻歌でも歌い出しそうな様子だった。

 と、ドアをノックする音と佐江子の声が聞こえた。


「あたしだよ。入るよ」


 返事を待たずにドアを開けて佐江子が上がりこむ。


「佐江子さん、どうしたんですか?」


「ちょっと様子を見に来たのさ。いい匂いがするね。どうだい調子は?」


「あっ、はい。丁度ルーを入れたところです。‥味見はまだですが‥」


 自信がなさそうな雹に佐江子は手を振った。


「大丈夫だよ。吹雪は腐ってなきゃなんでも食べるから。それに、カレーを失敗する奴なんてそういないよ。どれ、貸してみな」


 そう言って雹からお玉を借りると、小皿に取って味見した。


「‥うん、いいじゃないか。美味おいしいよ」


「本当ですか?」


 身を乗り出す雹に佐江子は太鼓判たいこばんを押した。


「ああ、これなら吹雪も喜ぶよ。あたしが保証する」


「‥ありがとうございますっ」


 喜色満面で頭を下げる雹を見て佐江子が意地悪な笑みを浮かべた。


「‥そういや、どっちが先に告白したんだい?」


「えっ?」


 いきなりの話題に雹が驚いた。


「あんたの一目()れかい?」


「えっ? ‥‥えっと‥」


 吹雪と雹の経緯いきさつを佐江子は知らない。吹雪が話していない事を自分が言っていいのか分からない雹が迷っていると、佐江子がぐいぐい身を寄せてきた。


「あっ、吹雪が一目惚れかい?」


「いや‥その‥」


「どっちが先なんだい?」


「あの‥その‥」


「どこまでいったんだい?」


「あの‥あの‥」


 目を白黒させる雹と、ニヤニヤする佐江子。


「ははは、冗談だよ。あんた、本当にからかいがいがあるねぇ」


「‥‥佐江子さん、意地悪です」


 雹がねる。


「ごめんごめん。あたしが悪かったよ」


 全然悪いと思っていない口振りの佐江子。そっぽを向いている雹を面白そうに見ていたが、ふと、表情を変えて口を開いた。


「‥‥あんたさ」


 その口調に何かを感じた雹が目を向ける。


「あんた、吹雪の事‥‥好きかい?」


「‥‥」


 先程とは違う。柔らかいが、真剣な眼差まなざし。佐江子が冗談で言っているわけじゃないのが分かった。


「‥あの子が、吹雪が自分のそばに誰かがいる事を許すのは、滅多めったにないんだよ。どんな美人だろうとね。だから、あんた見た時はビックリしたよ」


「‥そうなんですか」


「ああ。だから気になるんだよ。‥あんた、吹雪の事‥好きなのかい?」


「‥」


 一瞬言葉に詰まる。好きか嫌いかで答えるなら、好きに決まっている。そんな言葉じゃとても足りないくらいだ。だが、


「‥私は‥」


「あんたの、正直な気持ちを聞かせてくれよ」


 言いよどむ雹に、佐江子が優しく言葉を掛ける。佐江子の視線を受けて、雹も覚悟を決めた。いや、覚悟ではない。そんなのは当然の事なのだから。


「‥‥好きです」


 ためらわず、しかし初めて口にする言葉に少し戸惑う。当たり前の事を改めて認識させられた感じ。口にした瞬間、胸が熱くなり、鼓動も速くなる。


「‥私は、吹雪‥さんの事が‥好きです」


  みしめるように、自分に言い聞かせるように、雹がもう一度口にする。


「‥そうかい」


 雹をじっと見つめながらその答えを聞いて、佐江子は本当に嬉しそうな顔をした。


「それを聞いてあたしも嬉しいよ。雹さん、本当にありがとうね」


 頭を下げる佐江子に雹が焦る。


「いやっ、そんなっ、‥私は‥」


「あの子ね‥」


 顔を上げた佐江子の表情に雹は口をつぐんだ。


「‥吹雪はね、‥‥孤児だったんだよ」


 悲しそうな顔をして話す佐江子の言葉を、雹はとても辛そうな顔で受け止めた。


「余計な事かもしれないけど、あんたには知っておいて欲しくてね。こんな事、あたしが言ったのは吹雪には内緒だよ」


 佐江子はそこで言葉を切ると、雹を座らせて自分はお茶を準備しだした。


「私がします」


「いいからいいから」


 代わろうとする雹の申し出を断り、勝手知ったるなんとやらで急須に茶葉を入れ、お湯を注ぐ。


「茶っ葉はいいの買っとけって言ったんだけどねぇ」


 佐江子は自分もちゃぶ台の前に座ると、丁寧な手付きで湯呑みに緑茶を入れた。


「はい」


「ありがとうございます」


 一つ息を吐くと、佐江子はゆっくりとした口調で話しだした。


「吹雪はね、二、三歳くらいの時に保護されたんだよ」


「‥‥」


 雹が無言で耳を傾ける。


「あたしも聞いた話だから詳しくは知らないけどね。山ん中で、一人で泣いてる所を保護されたそうだよ。‥自分の名前しか言えないような子供をさ‥‥ひどい親がいたもんだよ。だから、吹雪は自分の誕生日も知らないんだよ。苗字みょうじも、保護された場所の地名から柊って付けられたのさ」


「‥‥」


「それからすぐに施設に入れられてね。そこの環境がまた良くなかったみたいでね、酷い扱いを受けていたみたいなんだよ。‥吹雪、飯を食べる時に匂いかぐくせあるだろ?」


 言われて雹が思い返す。


「‥そう言えば‥」


 おかずを口にする時、一口目はさり気なくそうしていた気がする。


可哀かわいそうに。小さい頃、余程ろくな物を食べさせてもらえなかったんだろうね。匂いで、食べても大丈夫か判断してるのさ。いい気はしないだろうけど、許してやってちょうだい。それがくせになるほど長い間、吹雪はそんな物しか食べさせてもらえなかったんだよ」


「‥そんな事が‥」


 雹が呆然と呟く。


「‥吹雪は、それから何度か施設を移ってね。本当はあんまりない事なんだけど、施設側が、吹雪を置いておくのを嫌がったみたいなんだ。暴れて手が付けられない要注意児童って事でね。ま、あたしから言わしてみれば、そんなふうに育てた大人が悪いんだけどね」


 佐江子は一口お茶を飲んだ。


「あたしが吹雪に初めて会った時も、そりゃあ酷いもんだったよ。もう、五年くらい前になるかね。古い友人が児童養護施設の職員やっててね。このまま施設にいると駄目になる子供がいるから、引き取って育てて欲しいって頼まれたのさ。昔世話になった人で無下むげに断れなくてね。あたしも一人身だったし、とりあえず会うだけって事で顔を見に行ったのさ。‥今でも覚えてるよ。全く可愛げのないクソガキでね。子供のくせに、世の中全てが敵って顔してたよ」


「‥‥」


 佐江子は『でもね』と続けた。


「施設の大人や他の子供達は、吹雪の事をうとましそうに、嫌なものを見るような目で見てたけど‥あたしにはね、なんか、泣くのを我慢してる、ただの子供のように見えたんだよ」


 佐江子が遠い目をしながら話を続ける。


「それでね、吹雪を引き取る事にしたのさ。柄じゃないと思ったけどね。それからずっと親代わりみたいなもんさ」


 口元を少しゆるめる佐江子。


「初めはほんと苦労したよ。人になつかない獣みたいだったからね。それがね、ちょっとずつ、本当にちょっとずつ、変わっていったんだよ。‥かおる、知ってるかい?」


「あっ、はい」


「うん、あの子の存在は大きかったよ。吹雪にとって初めての友達だったと思うからね。かおると出会ってから、吹雪は本当に変わったよ。笑うようになった。相変わらずひねくれた所はあるし、かおる以外に友達はいないだろうけどね。それでも、あたしは嬉しかったよ。吹雪も、ちょっとは、『人生捨てたもんじゃない』って思ってくれてたらいいけどね」


 少し照れながらそう言うと、佐江子は雹の顔を正面から見た。


「こんな、面倒くさい話して悪いね。でも、あんたには聞いておいて欲しかったんだよ」


「そんなっ‥私も、聞けて良かったです」


「うん、ありがとうね」


 佐江子にも、雹の言葉が嘘ではないのが分かった。


「だからね、だから、吹雪には、幸せになって欲しいんだよ。‥あんたと吹雪が本当はどういう関係なのか、あたしは知らないよ」


「‥‥」


「ただ‥」


 佐江子が本当に言いたかったのは、この一言だ。


「吹雪の事、よろしく頼むよ」


 我が子の事を思う母親のような顔を雹に見せた。


「‥佐江子さん‥‥」


 雹は何か言おうとして言葉に詰まり、下を向いた。が、すぐに顔を上げると口を開いた。


「‥はい。‥私に何ができるか分かりませんが、吹雪さんを悲しませるような事はしません」


 その言葉に佐江子は笑みを浮かべると、深々と頭を下げた。


「ありがとう」


「そんなっ、顔を上げて下さい」


 雹が狼狽ろうばいしながらそう言うが、今の顔を見られたくなくて、佐江子はしばらく頭を下げていた。その目尻には光るものがあった。





 吹雪が玄関の扉を開けると、エプロン姿の雹が三つ指をついて待っていた。


「お帰りなさい」


「‥‥なんだそれは?」


 半眼で見下ろす吹雪を、雹は不思議そうな顔で見上げた。


「一家の主が帰って来たら、女はこうやって迎えるものだと‥」


 誰に吹き込まれた知識なのかは言わずもがなだった。


(‥いつの時代の話だよ‥)


 深いため息をつく吹雪には気付かず、雹は通学カバンを受け取ると、すらすらと新妻のような台詞を口にした。


「お疲れ様でした。お風呂はもう沸いています。夕食も準備できています」


「‥ああ、そうか」


 こういう場面、状況で、何を言えばいいのか分からない吹雪。気のいた言葉が出ない。


「今夜はカレーにしました」


 そんな吹雪に構わず雹は笑顔でそう言うと、何かを思い出すような顔をし、一転、ぎこちない感じで誰もが知る名台詞を口にした。


「‥ご飯にします? ‥お風呂にします? ‥それとも、わ・た・し?」


 言葉も容姿もとても官能的なものだったが、たどたどしい口調と表情と小首をかしげたその仕草が、男を誘うものではなく、『これで合ってるのかしら?』という色気に欠けたものだったので、吹雪の男心がくすぐられる事はなかった。


「‥‥」


「‥あの、何か間違ってましたか?」


 ひたいをおさえる吹雪を、雹が不安そうな顔で覗き込む。


「間違いっつーか、なんつーか‥‥佐江子さんになんて言われたんだ?」


「えっと‥男の人なら、こう言えば絶対喜ぶはずだからと。その後は、成り行きに任せなさいと言われました」


「‥‥」


 そのあまりにも刹那的な思考に吹雪は呆れて何も言えない。とりあえず、夕食を準備してもらう事にした。

 出されたカレーはとても美味しかった。市販のルーに独自のスパイスを加えているらしく、まるで専門店のような味を出していた。『カレーは飲み物、ご飯は喉ごし』という作る人に大変失礼な考えを持っている吹雪も、ちゃんと味わって食べたほどだ。


「‥うまいけど‥‥佐江子さん特製カレーか。‥変な物入ってねーだろうな」


 素直にめればいいものを、冗談交じりの吹雪の言葉に雹が敏感に反応して、ショックを受けた顔をする。


「‥私はそんな‥」


「あーもうっ、嘘だ嘘っ。冗談だよっ」


 だが、シンクの隅に『頑張る前にこれ一本 エンペラーEX』と書かれた空き瓶が二本置いてあるのを吹雪が知る由もなかった。

 その後も、佐江子プロデュースにより風呂場の明かりが真っ赤なものに変えられていたり、


「‥こんな電球どこで売ってんだよ」


 替えのパンツの股間部分に香水が振られていたり、


「‥‥勘弁してくれよ」


 まあ、そんな感じだった。





アクセス数がちょっとずつ増えるのが楽しみです。

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