3 買い物して疲れる
完結してるんでポンポン投稿していきます。
吹雪が目を覚ますと、見慣れた天井が目に入った。
「‥‥」
ゆっくりと身体を起こす。よく寝た。気持ちいい目覚めだった。
子供の頃から何度も見ている同じ夢。あれが出ると、しばらく毎晩のように見る事になり、重い気分のまま目覚める事が常だっただけに、嬉しい驚きだ。昨日今日と、本当にすっきりとした気分で朝を迎える事ができた。
(‥なんでだ?)
考えて、そして、部屋にもう一人いる事を思い出した。横を見る。
「?」
しかし布団は空っぽだった。と、その拍子に手が柔らかい何かを掴む。
「んっ」
色っぽい声に目線を下げると、吹雪に引っ付くように雹が寝ていた。浴衣がはだけて、その胸を吹雪が掴んでいたのだ。一気に目が覚める。
「なっ!? おまっ!? ええっ!?」
慌てて飛びすさる吹雪。一時的に言語機能を失う。布団がめくれて寝乱れた雹の全身が露わになった。
「‥んっ‥なに? ‥あ、おはようございます」
雹が目を擦りながら朝の挨拶をする。少し寝ぼけ気味だ。
「おはようございます、じゃねーよっ! お前‥何してんだよっ!?」
「えっ? ‥あっ、すみません。寝坊しました。朝食の支度ですね」
「ちげーよっ! なんでお前が俺の隣で寝てんだよ!?」
「? ‥昨日、布団を並べて寝ました」
部屋が狭いので、二組も布団を敷くとどうしても並んでしまう。
「そういう事じゃねーっ! なんで俺の布団で寝てんだよっ!?」
「ああ、それは‥布団がはだけていたのでなおそうと思ったら、そのまま抱き寄せられたので‥」
言いながら雹も目が覚めてきたようだ。乱れた浴衣をなおす。
「‥それでもだっ。そんな時は起こしゃいーんだよっ。‥一緒に寝るとか‥‥お前分かってんのかっ!?」
「すっ、すみません」
動揺が大きく、必要以上に怒ってしまった吹雪に雹が小さくなる。
「私、失礼なことを‥すみません」
「‥いや‥まあ、別にそんなに-」
少し言い過ぎたと思い、フォローの言葉を口にしようとした時、
「あっ」
雹が何かを目にして声を漏らした。顔を真っ赤にする。
「ん?」
「‥すみませんっ‥私‥そういうのに疎くて‥‥男の人ですものね‥」
チラチラと目をやる雹の視線の先は、吹雪の股間だった。朝から、いや、朝だから張り切っていた。
「なっ!? ちがっ! これは-」
「添い寝なんかされたら‥そうですよね‥すみません」
慌てて布団を腰に巻く吹雪をよそに、雹は頬を染めながら一人で納得している。
「違うっ! これは違うっ! 生理現象なんだっ!」
朝から激しく疲れる吹雪だった。
二人は、都会的な店が立ち並ぶ繁華街に来ていた。
「私、こういう所は初めてです」
子供のようにキョロキョロする雹。
(‥どこの田舎もんだよ)
吹雪が呆れながら苦笑する。
朝から少し気まずかった二人だが、出かける事がいい気分転換になってちょうど良かった。特に雹は全身で喜びを表して、子供のようにはしゃいでいた。あっち行ったりこっち行ったり、電車の中でも大変だった。
吹雪は適当にジーパンとパーカーという格好だったが、雹は吹雪のスウェット上下を着させられていた。もちろんサイズが合っていない。靴も吹雪の物で、歩くたびに脱げそうになっている。かなり変だ。周囲の視線がずっと痛い。
(早く服を買わねーとな)
吹雪が足を止めたのは、世界にも進出している有名ファストファッションブランドの店だった。
「入るぞ」
「はい」
吹雪の後ろを雹がトコトコ、いやカポカポと付いて行く。
店に入ると倉庫のように服が大量にあった。開店したばかりで客は少ない。
「ちょっといいか?」
吹雪は手近にいた若い女性店員をつかまえると、雹の頭に手を置いて用件を伝えた。
「こいつに服を選んでくれ。上から下まで全部、靴も含めて。一万円以内で頼む」
店員は雹の格好に少し面食らいながらも、愛想良く応じた。
「ほら、選んでもらえよ」
「では、こちらへどうぞ」
店員が促すが、雹は心細そうな顔で吹雪を見て動かない。
「‥良ければお連れ様もご一緒に」
「俺?」
店員を見て、雹を見て、ため息をつく。
「‥分かったよ」
吹雪が仕方ないといった感じでそう言うと、雹は安心した顔を見せた。
店員はしっかり教育されているだけあって、実に的確に、センス良く服を選んでいった。雹も最初は慣れない様子で戸惑っていたが、 次第に楽しくなってきたようで、『あれを着たい』、『これがいい』と自分で言うようになった。ただ、試着するたびに感想を求められるのは正直吹雪にとって面倒くさかった。そのうち勘違いした店員が吹雪の事を『彼氏さん』と言い出す始末だ。もう好きにしてくれと吹雪は諦めた。
結局、店に二時間近くいた。
「満足したか?」
「はいっ、ありがとうございました」
雹は満面の笑みだった。
買った服はもう身に着けている。
ストレッチジーンズにセーター、スニーカーという出で立ちだ。プロが選んだだけあって、雹によく似合っていた。元から美人なせいもあり、さっきとは違う意味で目立っている。
(あとは‥アレだな‥)
スキップしそうな足取りの雹に目をやりながら、さっきの店員に言われた事を思い出す。
店員は着替えたスウェットの入った紙袋を渡す時、
「‥あの‥大変申し上げにくい事なんですが‥お客様の下着のブラジャーですが、当店にサイズがなくて‥申し訳ありません」
吹雪は逃げ出したいほど恥ずかしかった。
(‥女をノーブラで連れ歩く男に見られたんだろうなぁ‥‥まさか、下も履いてなかった事ばれてねーだろうな‥‥‥あそこに行くのはもうやめよう)
とりあえず、次に行く所はもう決まっている。
「おい、勝手に先に行くなよ」
吹雪が呼ぶと、雹はテケテケ戻って来た。
「もう帰るんですか?」
かなり残念そうな表情の雹。
「いや、まだ行くとこがある」
顔がパッと明るくなる。
「何処ですか?」
その問いに吹雪は口で答えず、足を止めて目で答えた。
「‥‥」
ランジェリーショップ。
吹雪が今まで入った事のない、入ろうと思った事もない、そしてこれから先も入る事がないと思っている場所だ。
「ここですか?」
「‥ああ」
やはりここは入りたくない。入口から動かない吹雪に雹が目で問いかける。
「ここは、お前一人で入ってくれ。‥ここは、男は入れねー場所なんだよ」
言ったそばから、人目をはばからずにいちゃつくバカップルが入って行った。
「‥‥」
「‥‥」
再び目で問いかける雹。
「‥いい天気だな」
空を見上げる吹雪。曇っていた。
「いらっしゃいませ。何かお探しでしょうか?」
表の様子に気付いた店員が声を掛けてきた。
「ああ、丁度いい。こいつに下着を選んでくれ」
渡りに舟とはこの事だ。吹雪は雹を店員に引き渡した。
「‥来てくれないんですか?」
そんな目で俺を見るなっ、と吹雪は言いたかった。
「良かったらお連れ様もどうぞ」
余計な事を言うなっ、と吹雪は叫びたかった。
「いやっ‥俺は‥」
雹が吹雪のパーカーの裾をちょんと引っ張っている。
「‥はいはい」
結局こうなる気はしていた。
「いらっしゃいませ」
店内に入ると、色とりどりの下着が所狭しと飾ってあった。
「お客様、どのような下着をお探しですか?」
「えっ? 私は‥」
店員が雹をエスコートして回る。その後ろを離れず、かといって近過ぎず、絶妙な間隔を保ったまま付いて行く吹雪。
知り合いに見られたら、と思うと他人の振りをしたかったが、知り合いでなくとも、男一人で来ているなどと絶対に思われたくない。華やかな下着に囲まれながら、吹雪の気分は拷問に近かった。
「お連れ様、お客様がお呼びです」
狭い通路で、横幅が吹雪の二倍近くある女性を回避するルートを考えていた時、店員に呼ばれた。試着室まで案内され、下着を見て感想を聞かせて欲しいと言われる。
(勘弁してくれよ‥)
頭を抱えたい気分だった。
「‥マジで?」
「はい」
店員が頷く。
「‥本人が言ったのか?」
「もちろんです」
笑顔のまま頷く。
「‥‥あんたが選んで-」
「お客様、お連れ様が来ましたよ」
吹雪の抵抗を封じるように店員が試着室の雹に声を掛けた。中から声がして、店員が笑みを浮かべて吹雪を促す。吹雪はため息をつくとカーテンの内側に声を掛けた。
「‥‥おい、開けていいのか?」
「‥はい」
恐る恐る覗き込むと、白い下着を身に着けた雹がいた。
吹雪に下着の良し悪しなど分かるはずもないが、清純といった雰囲気で似合っていた。小柄な身体をさらに縮こませて恥ずかしがっている。顔も赤い。
(‥まあ‥なんだ‥)
吹雪は平静を保つのに苦労した。
「‥どう‥ですか?」
「‥ああ、似合ってるぞ」
褒められて、雹がさらに顔を赤くする。
「はい、では次いきまーす」
『えっ?』という顔の吹雪に構わず、店員がするりとカーテンの内側に入った。
(次ってなんだ? 次って‥)
めんどくさい予感。
「大丈夫ですか? 本当に変じゃないですか?」
「大丈夫ですよ。お客様すごく綺麗ですから。彼氏さんも褒めてたじゃないですか」
「そんなっ‥」
キャッキャ言いながらガールズトークしている。
「‥‥」
吹雪はひたすら聞こえない振りをした。
「二着目でーす」
着ていたのはピンクの下着だった。可愛らしい感じがする。成熟した身体に可愛い下着が意外と合っていた。
「‥どうですか?」
「うん、似合ってるぞ」
吹雪にはそれしか言いようがない。もうなんでもいいから早くしろと言いたかったが、言ってしまった後の事を考えて口にするのをやめた。
「ラストはこちらですっ」
最後は黒。綺麗だった。白い雹の肌がとても映える。どこか妖艶な雰囲気すら感じられる。吹雪も思わず見とれた。
「‥どうですか?」
「‥‥‥似合ってる」
雹は、黒の下着を二着買ってもらう事にした。
「ありがとうございました」
「‥うるせー」
自分のあからさまな反応が恥ずかしい吹雪だった。
その後、二人は遅い昼食をとるためにフードコートに来た。
「‥うわぁ」
雹はここでも物珍しそうにあちこちに目をやっていた。気になる店を見つけては立ち止まり、吹雪にあれは何かと聞く。
「ドーナツだ。たまに一〇〇円になるからその時買ってやるよ」
「お好み焼きだ。関西人はご飯のおかずにして食うんだ」
「クレープか? お好み焼きの親戚みたいなもんだよ」
その度に吹雪が適当に説明し、雹は真剣に頷く。
(‥こいつ、いつの時代の人間だよ‥)
実は航◯機で大正時代から来ましたと言われても納得してしまいそうだった。
「ここで昼飯だ」
吹雪が立ち止まったのはマク◯ナルドだった。
「‥ここですか?」
雹が世界一有名なファーストフード店を知らなくても、吹雪はもう驚かなかった。
「ああ。日本人はみんな週に一度は食べてる。ただし、一週間毎日続けて食べるとあの人形が夢に出てうなされるらしい。気を付けろよ」
吹雪はそう言って店の前に立つピエロを指差した。あながち嘘でもない、わけがない。
「‥呪いですか‥」
雹がこわごわと◯ナルド君を見る。
「てりやきセット二つと、てりやき単品で一つ」
吹雪は無視して注文した。
「おい、飲み物は何がいい?」
「‥お茶をお願いします」
「じゃあ、コーラとウーロン茶」
トレイに注文の品を載せてもらい、吹雪は空いている席に雹を座らせた。
「俺の独断と偏見でてりやきにしたけど、絶対うまいから。食べてみ」
「‥はい‥」
食べ方に戸惑っている雹に自分のを食べてみせる。それを見た雹が意を決して一口食べた。
「‥‥おいしい」
「だろ?」
雹は無言で口を動かし続け、あっという間に全部胃袋に収めた。指に付いたソースまで舐める。
「ははっ、このポテトもうまいぞ」
言われるがままに口に運び、その手も止まらなくなる。
「うまいだろ?」
コクコクと頷く雹。吹雪はまるで、小動物を餌付けしているような気分になった。
「ごちそうさまでした。本当においしかったです」
満足げに雹が言う。
「おう」
いい食べっぷりだったので吹雪も気持ちがいい。
「よし、じゃあ帰るか」
立ち上がろうとして、大型テレビに映っていた天気予報が目に入った。全国の天気を紹介していて、北海道や東北にはもう雪マークが付いている。
「‥雪か‥」
もうすぐ、ここにも初雪が降るかもしれないと伝えていた。
「‥雪‥ですね‥」
雹もその言葉に反応する。
「ああ‥」
吹雪の声のトーンが低い。
「‥雪‥嫌いなんですか?」
「ん? ‥まあ‥あんま好きじゃねーんだ」
吹雪が何処か遠くを見る目付きをする。
「‥なんでか知らねーけど‥昔からな‥って、変な事言っちまったな。もう帰るぞ」
トレイを持って立ち上がった吹雪を、雹が悲しそうな目で見ていた。
吹雪と雹はアパートに戻っていた。
あの後、せっかくなので街を少しぶらついてから帰って来た。特に何をするでもなかったが、雹にとっては充分楽しかったようだ。終始機嫌が良かった。
「晩ご飯はもう少し待って下さいね」
その雹は、吹雪に背を向けて夕食の準備に掛かっていた。
「ああ、昼が遅かったからまだそんなに腹減ってねー。急がなくていいぞ」
「はい」
声が弾んでいて、今に鼻歌でも歌い出しそうだ。
(‥ま、悪くねえか‥)
そう、吹雪も悪くない気分だった。自分では気付いていなかったが、口元には笑みを浮かべていた。
と、チャイムが鳴った。誰か来たようだ。
「俺が出る」
吹雪は腰を上げて玄関に向かった。ドアの前に立つ。
(佐江子さんか?)
扉を開けると、かおるが立っていた。
「!?」
「おっす、見舞いに来たよ」
吹雪が凍りつく。冷や汗って本当に一瞬でかくんだな、などと頭の片隅で考えている自分がいた。
「‥な、なんで‥」
「先生に風邪引いたって聞いたんだ。吹雪にしては珍しいよね。大丈夫? 寝てなきゃダメだよ。熱とかないの?」
「あっ、ああ」
「良かった。でも、油断禁物だよ。横になっといた方がいいって。途中のスーパーで色々買って来たから何か作ってあげるよ」
買い物袋を手に部屋に入って来ようとするかおるを、吹雪がその身体で通せんぼする。
「? 入れないよ」
「いや、大丈夫。もう大丈夫だから。自分でできるからよ」
別に何もやましい事はない。
「そんな遠慮しなくていいよ。‥大丈夫? なんか顔色悪いよ。汗もかいてるし」
「いや、気のせいだろ」
だが、吹雪の本能がまずいと告げていた。
「本当に? なんか辛そうだよ」
「本当本当、大丈夫だって。もう元気だから。‥これは有難くもらっとくよ。ありがとうな。じゃあ」
吹雪はそう言ってスーパーの袋をかおるの手から奪い、はい終わりとばかりにドアを閉めようとして、
「待って」
足を出してきたかおるに止められた。まるで悪徳訪問販売員のようだ。
「おい、危ないって」
「‥なんか隠してるでしょ?」
吹雪を見る目に猜疑の念が浮かんでいる。
「し、してねーよ。何を隠してるんだよ?」
「それは‥分からないけど」
「変な言いがかり付けんなよ」
「じゃあ部屋に上がらせてよ」
「なんでそうなるんだよ?」
「隠し事してなかったらいいじゃん」
「だからなんでそうなるんだよっ?」
「だって絶対なんか隠して-」
言いかけたかおるの顔が驚きに固まった。その視線は吹雪の背後に向けられている。
「‥‥」
嫌な予感。だが多分間違っていない。振り向く。そしてやはり、雹が立っていた。
「どうしたんですか? お友達ですか?」
全く状況が呑み込めていない顔でこちらを見ている。
「‥‥」
表情までフリーズした吹雪と、事態がよく分かっていない雹、そして、
「‥吹雪」
恐る恐る振り向くと、そこにニコニコしたかおるがいた。目が全然笑っていない。
「説明してね」
三〇分後、吹雪の必死の説明及び両者の質疑応答の時間を経て、かおるはようやく落ち着きを取り戻した。
「‥まあ、事情は分かったよ。佐江子さんも承知してるんなら僕がとやかく言う事じゃないけど‥」
かおるはそこで一度言葉を切ると、吹雪の横にちょこんと座っていた雹に話しかけた。
「雹さん‥は、本当にそれでいいんですか?」
「えっ?」
急に話を振られた雹はうろたえて吹雪の顔を見たが、数拍おいてかおるに向き直ると口を開いた。
「‥私は、吹雪さんに泊めて頂いて本当に助かりました。よくしてもらっています」
「‥‥ならいいけど‥」
かおるは面白くなさそうな様子で、矛先を吹雪に戻した。
「本当にやらしい事してない?」
「するかっ!」
間髪入れずに返す吹雪。
「‥‥分かったよ。佐江子さんも知ってるんだもんね。‥でも、もう隠し事とかなしだよ」
「ああ、もうしねーよ」
ようやくかおるが納得してくれたようなので、吹雪は盛大に息を吐いた。
「あー疲れた。喉乾いたな。かおるも茶飲むか?」
「うん。じゃあ、お願い」
「あんたも同じでいいか?」
「あっ、はい、すみません」
「いいからいいから」
ポケットに突っ込んでいた手を出して立ち上がろうとした時、何か落ちた。
「吹雪、落としたよ」
「ん?」
かおるがそれを拾おうとして、手を伸ばした状態でピタリと止まった。空気が変わったような気がするのは気のせいだろうか。
「‥‥」
「どうし-」
昨日、佐江子に渡された『うすうす』だった。
「‥〇.〇〇二ミリかぁ」
「違うっ! それは本当に違うぞっ!!」
吹雪が必死に弁明する。
「お前が考えてるような事は全然ねえから。本当だぞ!」
「‥ふーん」
「違うんだっ!!」
そんな二人の様子を雹が不思議そうに見ていた。
誰か読んでくれてるんかな?