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12 吹雪は譲らない

完結です。

 




(‥おいおい、どうすんだよ‥)


 『ピンチはチャンス』という言葉を思い出し、『どう考えてもピンチはピンチだろ』と吹雪が心の中で訂正を入れていると、黙っていた老婆が口を開いた。


「‥そうか、乳のせいか」


「‥ちち?」


 怪訝な表情をする吹雪に老婆が言葉を続ける。


「あんたの力だよ。ただの人間が力比べで人狼に勝てるわけないだろ。あんたの身体には雪女の血が流れてるんだよ」


「‥俺は人間の子なんだろ? おかしいじゃねーか」


 興味を引かれた吹雪が反論した。


「だから乳だよ。母乳さ。あんたは雹の乳を飲んで育ったからね。それで雪女の血を受け継いだんだろうよ。その力がそうさ」


「はぁ?」


 耳を疑う吹雪。


「えっ!? 母乳って‥おっぱい!?」


「かおるさんっ、そんな大声で言わなくてもっ」


「このおっぱい!?」


「ジロジロ見ないで下さいっ」


 後ろの方で何やら騒がしかったが、それは無視した。


「そんな事あんのかよ?」


「今までそんな試しがなかったから断言はできないけどね。霊水にそんな力はないし‥‥あんた、人並み外れて寒さに強かったりしないかい?」


「‥‥」


 する。吹雪は物心付いてから一度も寒いと思った事がない。


「なら、間違いないだろうよ」


 吹雪の表情を読んだ老婆が断言した。


(なるほど)


 老婆の話を鵜呑うのみにするわけではないが、それで吹雪の常人離れした肉体に説明がつくのは確かだった。


(雪女ね‥)


 目線が自然と雹の方を向くと、勘違いしたかおるが非難の声を上げた。


「あっ、吹雪が雹さんのおっぱい見てる!」


「えっ」


 その言葉に雹が顔を赤くして胸元を隠す。


「お前らちょっと黙っとけ!」


 疲れるやり取りに吹雪は一気に脱力してため息をついた。老婆に視線を戻す。


「で、だからなんだよ? 親戚って事で大人しく帰ってくれんのか?」


「馬鹿を言いな」


「だよな」


 ニコリともしない老婆に吹雪が短く返す。


「あんたこそ、雹を置いて大人しく帰んな。母親が欲しい年でもなかろうに」


「ばっ‥あったりめーだ!」


「そんな‥」


 それを聞いた雹が一人落ち込む。


 そうと知らない吹雪は焦ったように言葉を続けていた。


「別にそんなんじゃねーっ。あいつがどうしても帰りたくねーって言ってるからであって‥別に俺はどうでもいいんだけどな。いや、どうでもいいってわけじゃねえけど‥」


 喋り方までおかしくなっている。


「‥ツンデレだ」


「‥ツンデレですね」


 かおると雹の言葉がかぶった。


「‥とにかくだっ。婆さんの思い通りにはさせねー」


「そうかい」


 老婆は小さく鼻を鳴らすと顔付きを一変させた。


「じゃあ、力ずくで返してもらうよ」


 空気が張り詰め、老婆の放つ気配に吹雪が息を呑む。


「‥させねーよ」


「あたしに勝てると思ってるのかい?」


「やってみなくちゃ分かんねーだろ」


 負けじと睨み返した次の刹那、その足下に老婆が放った氷柱が突き刺さった。


「早速かよっ」


 間一髪で避けた吹雪が息をつく間もなく、瞬時に間合いを詰めた老婆が襲いかかる。

 細い円錐形の氷柱を躊躇ちゅうちょなく振るった。


「っ!」


 紙一重でかわした吹雪の髪が数本宙を舞う。

 泡を食った吹雪がなんとか距離を取ろうとするが、そうはさせじと老婆は次から次に攻撃を繰り出す。


「どうしたんだい? あたしを負かすんだろ?」


 老婆のからかう声にも、吹雪は口を開く余裕すらなかった。


(なんつー速さだよ)


 狼になった空木の動きも速いと思ったが、老婆はそれ以上だった。目で追えない。ほとんど勘で避けているような状態で、躱しきれないものが吹雪の身体にいくつも傷を付けていく。それに、速さだけでなく、その攻め方も巧みだった。


(危ねっ!)


 今も避けたと思った斬撃が向きを変え、勢いを弱める事なく吹雪を逆袈裟けさに襲った。

 転がるようになんとか切っ先を躱した吹雪だったが、身を起こした瞬間、飛ぶように間合いを詰めていた老婆の掌底を胸に食らって吹っ飛んだ。

 空木の時に倍する勢いで飛ばされた吹雪は、地面をしばらく転がってようやく止まった。


「吹雪っ!」


 吹雪の強さに全幅の信頼を置いていたかおるも顔を青くして叫ぶ。

 その横から雹が無言で飛び出した。

 老婆は滑るような足取りで倒れたままの吹雪に近付いた。動かない吹雪を見下ろす。


「もう終わりかい? だらしないねぇ」


 老婆がさらに近寄ろうとした時、駆け寄った雹が吹雪をかばって老婆の前に立った。


「どきな」


「どきませんっ」


 手を広げて必死の表情で老婆の視線を受け止める。その姿はまさに子を守る母親そのものだった。


「これ以上この子を傷付ける事は許しませんっ。私が相手です!」


「言うと思ったよ。けど、お前があたしに勝てると思ってるのかい?」


「‥この子のためなら」


 覚悟を決めた顔付きで、身を低くする雹。


「勝手に話進めてんじゃねーよ」


 背後から掛けられた声に振り向くと、吹雪がせき込みながら身を起こそうとしていた。


「吹雪さんっ」


 雹が慌てて助ける。


「‥ひどい」


 土にまみれた服はボロボロで、全身の至る所から出血している。頭からも血が流れていた。


「邪魔だ。お前は引っ込んでろ」


 雹の腕を振り払って吹雪がよろめきながら立ち上がった。


「吹雪さん、駄目です! やめて下さい!」


「うるせー。女に庇われてられっか」


 行かせまいとする雹を吹雪が押しのけようとするが、


「親が子を守るのは当然じゃないですかっ」


 雹は譲らなかった。

 雹の口から出た『親』と『子』という単語に、吹雪はすぐに言い返せなかった。


「‥うるせー。子供扱いすんじゃねーよ」


「吹雪っ」


 今まで『さん』付けだった雹にいきなり名前を呼び捨てにされ、置かれた状況も忘れてはとが豆鉄砲を食ったような顔をする吹雪。


「あなたは私の子ですっ。心配して当然じゃないですかっ!」


「‥‥」


 半泣きになり、両手を握り締めて叫ぶ雹にさすがの吹雪もそれ以上反論できなかった。


「話は終わったかい?」


 手を出さずに待っていた老婆の言葉に雹が涙を拭って振り向く。


「私がお相手しますっ」


「どっちでも同じだよ」


 雹が無言で身構えた時、その肩に吹雪が手を置いた。


「待てよ」


「あなたは-」


「分かったって」


 吹雪はポンポンと雹の肩を叩くと老婆に視線を投げた。


「婆さん、わりぃけど二対一だ。俺と雹で相手する。文句はねーよな?」


「構わないよ。一人が二人になった所で結果は変わらないさ。あんたらじゃあたしに勝てないよ」


「‥雹、そういう事だ。かっこわりぃけど俺一人じゃあの妖怪婆さんには勝てねー。手ぇ貸せよ」


 老婆を見据みすえたまま話し掛ける吹雪に、そのいさましい横顔に場違いにも見とれる雹。


「おい」


「あっ、はい、すみません」


 吹雪に目を向けられて慌てる。


「しっかりしてくれよ」


 その返事に吹雪は一抹いちまつの不安を覚えたが、顔を真剣なものにすると小声で雹に話し掛けた。


「一つ聞くが、婆さんとさっきの空木って奴、どっちが丈夫だ?」


「え?」


「俺がおもいっきり殴って婆さんに通用するか?」


「‥さすがの婆様も平気ではないはずです」


「そうか」


 それを聞いた吹雪が少し安堵する。


(‥後は当てられるかどうかだな)


 さっきは老婆の服にすら触れる事ができなかった。


「雹、手数てかずでなんとか婆さんを押さえつけるぞ」


「はい」


 その返事に、目の前の雹に、今の状況に何故か不意に笑いが込み上げた。


「?」


 不思議そうな雹になんでもないと首を振ると、吹雪は老婆に向き直った。


「わりぃ。婆さん待たせたな」


「勝てる算段でもついたかい?」


 余裕の表情を浮かべる老婆に吹雪も笑みで返した。


「すぐに分かる」


 地面を蹴って襲いかかる。

 当たればただでは済まない拳は連続で躱され、意表を突いた蹴りもやはり避けられた。


「遅いよ」


 老婆が無防備な背中に切りかかろうとして、素早く飛びのいた。

 老婆のいた空間を銀色の軌跡が走る。


「させませんっ」


「おやおや」


 氷で出来たナイフを手にした雹が立っていた。


「上出来だ、雹」


 その横に吹雪が並んで立つ。


「行くぞ」


「はいっ」


 今度は二人同時に仕掛けた。

 吹雪が前に出ながら絶え間ない攻撃を繰り出し、雹が両手のナイフで老婆の氷柱を弾く。老婆の半身を雹が、もう半身を吹雪が相手するような形だ。細かい取り決めをしていないのに二人の動きは実に連携が取れていて、傍目はためには吹雪達が押しているような印象を与えた。


「いいぞーっ、やっちゃえ吹雪っ!」


 少し離れた所でかおるが声を上げる。

 だが、


(‥やべー)


 攻めている吹雪の心境は全く違うものだった。

 雹が加わって単純に手数が二倍になったにもかかわらず、老婆は吹雪達の攻撃を全てさばいていた。口元に笑みを浮かべ、余裕さえ伺える。

 雹にもそれは分かった。


「くっ‥」


 焦って動きが乱れ、大振りの一撃を老婆にいなされて体勢が崩れた。


「馬鹿っ」


 不可避のタイミングで振るわれた老婆の一撃は吹雪が腕を引っ張ってなんとか外れたが、そのせいで無防備になった吹雪を老婆は見逃さなかった。

 避けようのない攻撃に吹雪が覚悟を決めた瞬間、雹が飛び付いて吹雪を庇った。

 もろに食らった雹が吹雪と共に吹っ飛ぶ。勢いよく地面を転がる身体を吹雪が力ずくで止めた。


「おいっ、雹、大丈夫か!?」


 腕の中の雹に呼び掛ける。


「うっ‥」


 呻き声を上げて雹が目を開けた。


「あぁ‥吹雪さん、大丈夫ですか?」


 額から血を流し、意識を朦朧もうろうとさせながら吹雪の身を案ずる。


「俺は大丈夫だっ。そんな事より自分の心配しろ!」


 声を上げる吹雪に雹はニッコリと微笑んだ。


「良かった。あなたが無事なら‥」


 すうっと目を閉じた雹に吹雪が慌てて息を確かめる。


「吹雪っ! 雹さんは!?」


 心配して駆けつけたかおるに吹雪がほっとした顔を見せた。


「ああ、気を失っただけだ」


 お互い安堵のため息をつく。


「さあ、さっさと雹を渡しな」


 その声に吹雪が顔を上げた。


「てめぇ‥」


 老婆に対し、初めて明確な怒りを覚えた。

 自分の母親だと言った雹。自分にずっと会いたかったと言った雹。自分のそばにいたいと言った雹。


(‥俺は、こいつに‥)


 今まで経験した事のない感情。


(‥こいつは、俺の‥)


 とても大切なものを傷つけられた、そんな気持ち。


「‥ちょっと頼む」


「うん‥」


 雹をかおるに預けて立つ。


「許さねえ」


「‥だったらどうするんだい?」


「っ!」


 歯をむき出しにして老婆に突っ込んだ。

 後先を考えない勢いで両の拳を振るい、老婆の身体を捉えようとするが、漫画のように怒りで強くなるわけではない。その攻撃はかすりもせず、逆に吹雪の傷が増えるばかりだ。だが、吹雪は止まらない。


(痛くねー)


 身体が訴えてくる痛みを無視し、攻撃の手を休めない。


(絶対ぶん殴ってやる)


 その意思がとっくに限界を迎えた身体を動かし、老婆に向かわせる。


「へえ」


 そんな吹雪に老婆も軽く目を見張るが、その実力差は歴然としていた。

 がむしゃらに殴りかかってくる吹雪を老婆は余裕であしらい、空いた脇腹に氷柱を叩き込んだ。

 その時、


「っ!?」


 さすがの老婆も驚いた。吹き飛ぶはずの吹雪が腰を落として衝撃に耐え、氷柱を掴んで離さなかったからだ。

 血を吐きながらニヤリと笑うと吹雪は上半身を反らせた。


「つかまえたっ!」


 『たっ!』の部分に合わせてもの凄い勢いで頭突きをかます。


「くっ‥」


 思いがけない攻撃をまともに食らい、老婆がのけぞった。


「歯ぁ食いしばれよっ!」


 次いで、大きく後ろに引いた拳に持てる力の全てを込めて殴りつけた。

 数メートル飛ばされて地面に倒れる老婆。続いて吹雪も膝から崩れ落ちる。


「吹雪っ!」


 雹を置いて駆け寄ろうとするかおるを吹雪が手で制した。


「‥お前は雹に付いてろ」


「でも‥」


 膝をついた吹雪が倒れた老婆から目を離さないでいると、老婆がゆっくりと起き上った。


「‥よくもやってくれたね」


 さすがに無傷とはいかないようで、その身体はふらつき、口元には血がにじんでいた。


「そんな‥」


「下がってろ」


 吹雪は力の入らない膝に手を突いてなんとか立ち上がると、口元の血を拭った。





「‥んっ」


 雹は目を覚ますと、空木の肩にかつがれているのに気付いた。後ろ手で縛られている。


「いやっ、離してっ」


「おいっ、暴れるなっ」


「っ!? 吹雪さんはっ!?」


 その疑問に答えるように、空木は雹を下ろした。


「目を覚ましたのかい」


 老婆が気付いてチラリと目をやる。その前に吹雪が倒れていた。


「吹雪さんっ!」


 駆け寄ろうとするが空木の手がそうはさせない。


「かおるさんっ!」


 少し離れた所にかおるも倒れていた。


「離してっ」


 身体を振って逃れようとするが、空木の腕はビクともしない。


「安心しろ。小さい方は少し気絶させただけだ」


「何をっ-」


 声を上げようとしてハッとなる。小さい方は‥という事は、吹雪は‥。


「吹雪さんっ!?」


 悲痛な叫びを上げる雹に言葉が返ってきた。


「‥うるせーよ」


「吹雪さんっ」


 安堵の声を上げると、吹雪が手を突いてゆっくりと立ち上がった。


「‥なんて事‥」


 その姿に雹は声が出なかった。

 意識を失う前よりさらにボロボロになっていた。身に着けていた服は至る所に血がにじみ、破れてぼろ切れのようだ。全身傷だらけで立ち姿もおかしい。立っているのが不思議な状態だった。


「何度やっても無駄だってのが分からないのかいっ!」


「馬鹿なもんでね」


 苛立ちを含んだ老婆の声に自嘲の笑みを見せると、吹雪は殴りかかった。

 当然のように老婆に打ち倒される。


「吹雪さんっ!」


 雹の叫びが響く。


「あれで何度目になるだろうな」


 空木の言葉に応えるように、倒れた吹雪がまた手を突いて立ち上がろうとする。


「吹雪さんっ、もういいです! 婆様っ、お願いします! もう、もうやめて下さいっ! 帰ります! 里に帰りますからっ! だからもうっ‥」


「おい」


 雹の言葉を吹雪が遮った。


「お前何言ってんだよ」


 立ち上がり、老婆から目を離さずに言う。


「俺と一緒に居てーんじゃねーのかよ?」


「でもっ」


「でももヘチマもねー。だったら黙って見てろ」


「そんなっ‥吹雪さんが死んじゃいますっ!」


 そんな事になれば本末転倒だ。声を震わせる雹に吹雪が顔を向けた。


「うるせー。そんなの関係ねーよ。‥それに、もう俺の問題でもあるしな」


「?」


 言葉の後半は声が小さく雹には聞き取れなかった。


「いいからお前は黙ってろ」


「吹雪さんっ」


 なおも言いつのろうとする雹を無視して視線を老婆に戻す吹雪。


「‥あんた、死ぬのが怖くないのかい?」


「はあ? 坊さんみたいな事言うなよ」


 吹雪が訝しげな顔をする。


「俺は馬鹿だからよ、そんな高尚な事聞かれても分かんねーよ。‥けどな」


 吹雪は一息ついて言葉を続けた。


「今日、俺に家族ができたんだよ。その家族が俺と居たいって言ってるんだ。張り切んねーでどうすんだよ?」


「吹雪さん‥」


 雹はもう何も言えなくなった。吹雪の思いを知り、溢れる涙が止まらなかった。もう何もいらないと思った。母親失格かもしれないが、もう吹雪を止めようとは思わなかった。このまま吹雪が死ぬような事があれば、すぐに自分も後を追えばいいと思った。

 老婆は吹雪をじっと見つめると、一瞬で手にした氷柱の切っ先を吹雪の首に突き付けた。首筋から血が流れる。


「‥死ぬよ」


 その言葉に吹雪は微塵も揺るがなかった。


「母親のために死ぬんだ。悪くねーよ」


 本心から出た言葉だった。


「‥‥」


「‥‥」


 お互い無言で睨み合う。

 と、


「婆様、もういいんじゃないですか?」


 第三者の声がその場に響いた。


「!?」


 雹が目を向けると、初老の男が立っていた。


「榊っ」


 老婆も鋭い視線を向ける。


「榊、どうしてここにいるんだい?」


 榊はその質問には答えず、老婆をなだめるように言葉を繰り返した。


「婆様、もういいでしょう」


「‥どういう意味だい?」


 老婆が刺すような視線を送る。


「爺さん誰だよ?」


「わしか? 婆様や雹と同じ里のもんで、人狼の長をやっとる榊だ」


 不躾ぶしつけな吹雪に榊は笑みで答えた。

 榊は老婆に目線を戻すと口を開いた。


「雹を連れ戻すのはやめましょう」


「えっ!?」


 その言葉に雹も驚く。


「‥何を言ってるんだい。掟はどうなる?」


「掟、ですか。婆様が気にしているのは、本当に掟ですか?」


「‥何を言いたいんだい?」


 老婆の視線を榊は真っ向から受け止めた。


「婆様は、雹と自分を重ねているんじゃないですか?」


「‥‥」


 その言葉に老婆が押し黙った。


(婆様が、私と自分を‥‥?)


 話の見えない雹が疑問符を浮かべる。

 心当たりがない。一体なんの事だろうと考えて、雹は昔聞いた話を思い出した。それは、雹が生まれるずっと昔の話だ。


 若い雪女が人間の男と恋に落ちた。

 男は女が雪女だと知っても愛した。

 雪女は掟を破って里を出た。

 男と暮らし、子供もできた。

 幸せな毎日だった。

 だがある日、男の目の前で雪女はその力を使ってしまった。

 生涯暮らそうと言った男は、子供を連れて雪女の前から消えた。

 雪女は男を信じて待った。

 何日も、何年も、ずっと待ち続けた。

 しかし、男と子供は二度と雪女の前に現れる事はなかった。


 雪女の間に伝わる悲しい物語だ。


(‥まさか‥)


 話の中の雪女と、老婆の姿が重なる。


「‥婆様、あなたの目の前にいる男は、あの時の男じゃありません。あの時の子供でもありません」


 雹の考えを肯定するように、榊が言葉を続ける。


「そして、雹はあなたではありません」


「榊っ!」


 老婆が鋭く声を発したが、榊は話すのをやめなかった。


「婆様も、本当は分かっているんじゃないですか? いえ、分かっているはずです」


「‥‥」


 明らかに老婆は迷っていた。


「わしも見ていましたが、その男の雹に対する想いは本物です。嘘偽りがあるようには見えません。‥そうだろ?」


 いきなり話を振られた吹雪が一瞬戸惑う。


「‥話がよく見えねーんだが、伊達だて酔狂すいきょうでこんな目に合ってると思うか?」


 榊は続けて雹に目を転じた。


「雹の、この男を想う気持ちも本物です」


 その通りだ。この気持ちに嘘はない。それは揺るぎない想い。決して変わる事はない。


(私は‥この子を‥)


 吹雪を愛している。


「はい」


 雹が強く頷く。


「わし達に、この二人を引き離す権利などありません。種族は違えど、親子です。親子を別れさせる法などありません。それは、掟といえどもです」


 柔らかな口調で語りかける榊を老婆は見つめる。


「婆様、この二人なら間違いはありません。きっと、違う結果を見せてくれるはずです」


「‥‥」


 老婆の唇が何か言葉を発しようとし、閉じられた。その目が雹を向き、次いで目の前の吹雪を見た。そして、吹雪を通して違う誰かを見ているかのように細められる。


「‥‥」


「‥‥」


 周りが息を呑んで見守っていると、老婆は手にした氷柱を地面に離した。後ろを向く。


「‥空木、雹を離してやりな」


「はい」


 いましめを解かれた雹が吹雪に駆け寄った。


「吹雪さんっ」


「よお」


 今にも倒れそうな吹雪に寄り添い、支える。


「‥白けちまったね。帰るよ」


 背を向けたままそう言って歩き出す老婆に、雹が頭を下げた。


「ありがとうございますっ」


「なんで『ありがとう』なんだよ。婆さんが『ごめんなさい』だろ」


 歩みを止めた老婆に吹雪がギクッとする。


「たいそうな事言ったんだ。出来なかったら承知しないよ」


 それが誰に向けられた言葉か分からなかったので、まず雹が答えた。


「はい、必ず」


 吹雪が続く。


「言われんでも分かってら」


 最後まで憎まれ口を崩さない吹雪に雹は慌てたが、老婆は鼻を鳴らしただけで何も言わなかった。気のせいか、背を向ける時に、少し、微笑んだ気がした。


(婆様‥)


 雹が再び頭を下げた。

 歩き出した老婆の後ろに空木が従う。こちらを向いた瞬間、口元に笑みを浮かべていた。

 榊は一度二人に向き直ると、


「幸せにな」


 そう言って後に続いた。

 三人はすぐに闇にまぎれて見えなくなった。


「‥‥」


「‥終わった」


 吹雪は力の抜けた声で呟くと、糸が切れたようにその場に倒れ込んだ。


「きゃっ」


 巻き込まれた形で雹が下敷きになる。


「う‥ん」


 絶妙のタイミングでかおるが目を覚ました。


「‥あれ? あの人達は‥って! 吹雪何してんのさっ!?」


 傍から見たら吹雪が雹を押し倒しているかのような状況にかおるが目をく。


「こらっ、ちょっと離れなよ! こんなボロボロの身体で何してるんだよっ!?」


「かおるさん、吹雪さんは怪我してますから」


「そうだぞ。いてっ、いてっ。おい、ちょっとは優しくしろよ」


「何言ってるんだよこのスケベ! 早く離れなよっ」


「分かった、分かったから」


 身を起こそうとした吹雪が体勢を崩して雹の胸を鷲掴わしづかみにする。


「んあっ‥」


 そのなまめかしい声がさらに事態をややこしくする。


「あっ! 言ってるそばから何やってんのさ!?」


「いてっ、おいやめろって、いてっ」


「そうです。やめて下さい。‥んっ」


「あっ、また」


「‥勘弁してくれよ」


 一難去ってまた一難な吹雪だった。





 その日、吹雪は雹とかおるを連れて駅前に来ていた。新しくオープンしたイタリアン食べ放題の店の割引券を佐江子からもらい、何故か吹雪のバイト代でおごる事になったのだ。

 あの一件が終わってからまだ一〇日も経っていないが、初めはミイラのように全身包帯だらけで入院していた吹雪も、五日で退院し、今は顔に何ヶ所か絆創膏ばんそうこうを貼っているだけだ。違う意味で医者がさじを投げるほどの回復力だった。

 吹雪が歩く後ろで、雹とかおるが言い争っていた。


「だから、親子でそういう事したら駄目なんだよっ」


「嘘ですっ。テレビで言ってましたよ。血が繋がってなかったらいいって。法的にも大丈夫だって。この愛は誰にも止められないって」


 それはきっと、最近雹がハマっている昼ドラの話だ。


「ダメだよそんなのっ。絶対ダメなんだからっ」


「そんな事はありません。親子である前に一人の女と男なんです。そんな戸籍上の関係は二人をはばむ障害にはなりませんっ」


 覚えた台詞をそのまま言っているのだろう。


「‥それでもダメなんだよっ」


「何故ですか? 近◯相姦には当たらないはずですっ」


「だあっ!」


 吹雪は叫び声を上げた。


「お前ら、昼間っから何言ってるんだ!?」


 案の定、周囲の何人かがなんとも言えない目で吹雪達を見ている。というか、目を逸らされた。羞恥しゅうちプレイもいいとこだった。


「行くぞっ」


 吹雪がその場から逃げるように足早に歩き出す。


「あっ、ちょっと吹雪」


「待って下さい」


 二人が慌てて後を追う。

 と、急に立ち止まった吹雪に雹がぶつかりそうになった。


「吹雪さん?」


 吹雪が上を向いているのを見て真似ると、


「あっ‥」


「雪だぁ」


 雪が舞い降りてきた。

 ようやくの初雪にテンションが上がったかおるが一人ではしゃぐ。

 空の高い所から、フワフワと落ちてくる、白い雪。


「‥‥」


 雪が降るのをじっと見上げている吹雪に雹は寄り添うと、その顔を見上げた。


「‥吹雪さん、まだ‥雪は‥嫌いですか?」


 吹雪はそんな雹を見下ろすと、また顔を上げた。


「‥別に‥嫌いじゃねーよ」


 雹は目尻に涙を浮かべて、見る者が幸せになるような笑みを浮かべた。


「はいっ」




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