1 ホームレス女と出会う
初投稿です。使い方もよく分かっていませんが、よろしくお願いします。
柊吹雪は夢を見ていた。
小さい頃から何度も見ている同じ夢。
夢の中の吹雪は赤ん坊で、誰かの胸に抱かれていた。
女という事しか分からない。柔らかくて、温かくて、いい匂いがする。
その女の顔を見ようとするが、ぼやけて分からない。いつも見えないのだ。ただ、口元に、慈しむような笑みを浮かべているのが分かる。
吹雪が小さな手を伸ばすと、女はその手を優しく握って自分の頬に 触れさせた。
そのまま自分の顔を好きに触らせながら、女も吹雪の頭を優しく撫でる。
「ーーーーー」
吹雪を見つめながら何か語りかけてくるのだが、声は聞こえない。
でも、そんな事はどうだって良かった。吹雪はただ、こうして女の胸に抱かれているだけで幸せなのだから。
気持ち良くて目を閉じる。
いつまでもこうしていたい。いつまでも、いつまでも・・・
「-ぶき、吹雪、起きてよっ」
吹雪は揺さぶられて目を覚ますと、一瞬自分が何処にいるか分からなかった。・・教室だ。机に突っ伏して寝ていたのだ。
「寝過ぎだよ」
その声に振り向くと見知った顔があった。
小柄で、少女のように可愛い顔立ちの性別男。橘かおる。小学校からの付き合いだ。こんな風に吹雪を起こす者などかおるしかいない。
「・・かおる・・俺、なんか寝言とか言ってなかったか?」
吹雪が今しがたまで見ていた夢を思い出し、目を逸らしながらぶっきらぼうに聞く。
「別に何も言ってなかったけど、変な夢でも見たの?」
「・・いや、なんでもない」
かおるは不思議そうな顔をしたが、それ以上追及しなかった。
「それより、昼ご飯食べに行こうよ」
言われて壁の時計に目をやると、一二時を少し回っていた。
クラスメイトは思い思いに弁当やパンを取り出して食べていた。少し目をやっただけだが、吹雪と目の合った何人かが慌てて目を逸らす。
「まったく、そんな怖い顔してるからだよ。いいから、ほら、行こうよ」
かおるが自分の弁当を手に吹雪を促す。
「・・分かったよ」
そう言う吹雪の顔は、確かに目付きが悪い。それが寝起きでさらに険しくなっている。まるで指名手配写真のようだ。顔立ち自体は悪くないので実に惜しい。
吹雪は立ち上がると、後ろの壁に作られた蜂の巣棚から昼食を取り出した。カップラーメンと割り箸、魔法瓶にはお湯が入っている。
「またインスタント? 身体に悪いよ」
「好きなんだよ」
そう言って二人、正確には吹雪が廊下に出ると、静かだった教室が喧騒を取り戻した。背中でそれを感じる。
「・・相変わらずだね」
「・・うるせー」
二人は教室を後にすると屋上に向かった。
天気がいいとはいえ、冬を迎えたこの季節の外は寒い。案の定、他に人はいなかった。
「やっぱり無愛想なのがいけないんだよ。なんか怒ってるみたいだもん。たまには笑ってみれば?」
「面白くもねーのに笑えるかよ」
かおるが誘わなければ吹雪は一人で昼食を食べる。友達が少ない、というか、いないのだ。見た目で避けられている部分もあるが、自業自得な所もあったりする。かおるはそれを心配してあれこれとアドバイスをするのだが、吹雪はいつもどこ吹く風だ。
「そんな屁理屈言わないっ」
かおるが、箸に突き刺さった卵焼きで吹雪をビシッと指した。
「・・愛想笑いは苦手なんだよ。誰彼構わずニコニコしてられるかよ」
吹雪の目が卵焼きに吸い寄せられる。
「もう、そういう事言ってるんじゃなくて・・そんなんじゃあいつまで経っても友達できないよ・・・食べる?」
「おう、いただきます」
即答。遠慮せずに目の前の卵焼きをパクつく。
「・・別にいーよ・・・お前がいるし・・」
「・・またそんな事言って。僕だけじゃダメだよ。他にも友達作んなきゃ・・・まあ、そう言われて悪い気はしないけどね」
かおるもまんざらじゃない表情をする。
「相変わらずお前の作った弁当はうまいな・・もう一個くれよ」
「やだよ。自分の食べなよ」
手のひらを出す吹雪と、弁当を遠ざけるかおる。
「ラス1頼む」
「そう言っていつも一つじゃ終わらないくせに。・・もう三分経ったんじゃない?」
「おっ、確かに。麺の一本でもやろうか?」
「いらないよ」
こういう掛け合いも、相手がかおるだからできるのだ。
「そう言えば、今日バイト休みだよね? どうするの?」
「・・フーッフーッ・・いや、実は急に夜入ってくれって頼まれたんだ。学校終わったら直行だ」
かおるが少し残念そうな顔をする。
「そっか、遊びに誘おうかと思ったんだけどしょうがないね。また今度にするよ」
「ああ、悪い。また誘ってくれ。・・フーッフーッ・・」
吹雪は猫舌だった。
吹雪の背後で両開きの扉が閉まり、出発の合図、電車が動き出した。
時刻は、もうすぐシンデレラの魔法が解ける頃。本当ならもう少し早く帰るはずだったが、ピークを過ぎても客足が途絶える事がなかったため、請われてこんな時間になるまで残っていたのだ。その分時給は弾んでもらったが。
一緒にホームに降り立った人達が、次々と出口に向かって歩き出す。みな無言で、脇目を振ることなく足を運んでいた。吹雪もその流れに乗って、後はアパートに帰るだけだった。
毎日同じ。いつもの光景。不満はない。かといって満たされているわけでもないが。足りない事に慣れてしまった。そんな感じだろうか。
「・・・」
吹雪は妙な事を考えそうになる頭を軽く振って、駅の改札を出ると足早に歩き出した。
「・・ん?」
周囲を行き交う人がみな同じ方向をチラチラ見ているのに気付いて、吹雪も目を向けた。
「朝からいるよなあ」
「なんで着物?」
「きったねえなー」
ホームレスだろうか。薄汚れた着物を着た女が立っていた。長い髪もボサボサだ。
女は奇異の視線に晒されながらも、通りを行き来する 人々に必死で目を配っていた。誰かを探しているように見える。
(・・関係ねー)
そう断じて目を戻そうとした時、偶然振り向いた女と目が合った。もちろん吹雪の知らない女だ。にもかかわらず、女が目を見開いてアッという顔をした。
「ん?」
後ろを振り向いても誰もいない。目を戻すと、女は既にこちらに背を向けていた。
(・・気のせいか?)
吹雪は気を取り直して歩き出した。
(そんな年でもなさそうだったけど・・色々あるんだろうな)
未成年のホームレスがいる時代だ。若い女のホームレスがいてもおかしくはない。
(ま、関係ねー)
他人の事を気に掛けるほど吹雪は暇じゃない。そんな事は余裕のある人間がする事だ。家路を急ぐ。アパートまで歩いて一五分くらいだ。帰ったらサ◯エさんの録画を見なければいけない。
と、近道のために人気のない公園を歩いていた時、いきなり一〇人近い男達に囲まれた。みな、小馬鹿にしたような笑みを浮かべている。
「・・はぁ」
ため息をつく。驚かない。少し前から気付いていた。
「他にやる事ねーのかよ」
「この前は世話になったな。借りは返してもらうからな」
下卑た笑みを浮かべた男が一歩前に出た。
その顔に見覚えがある。数日前、『目が合った』という動物的な理由で吹雪に喧嘩を売ってきた男だ。買うつもりはなかったのだが、しつこく、バイトに遅刻しそうだったので適当に殴って黙らせたのだ。
こういう事は珍しくない。そういう人種の人達にとって、吹雪は何故か気に入らないらしい。そして放っておけないようで、よく絡まれるのだ。吹雪にしてみれば身にかかる火の粉を振り払っているだけなのだが、誤解され、クラスで避けられている原因にもなっている。
吹雪はうんざりした表情を隠すことなく、面倒くさそうに口を開いた。
「借りは返すんだよ。返してもらうのは貸しだ。日本語勉強してから出直せ」
貸しと借りの違いは理解できなかったようだが、馬鹿にされたのだけは分かったらしい。表情が変わる。
「うるせーっ! 余裕ぶってんのも今のうちだぞ。女連れてるからって格好つけやがってよ」
「?」
今、おかしな事を聞いた。『女連れてるからって』と。女? 吹雪が後ろを振り返ると、果たしてそこに女がいた。
「・・・」
あのホームレスの女だ。俯いて立っている。
「はあっ?」
驚く。全く気付かなかった。何故ここにいるのか。意味が分からない。混乱する。
「よそ見してんじゃねーよっ!」
好機と見た男達が襲いかかってきた。
(・・付いて来たのか?)
吹雪は瞬時に動揺から立ち直り、振り向きざまに殴り付けた。軽く力を込めただけだが、それでも殴られた方は数メートル吹っ飛ばされた。
(なんでだ?)
いっせいに襲いかかってきた男達を相手に立ち回る。男達の攻撃を払い、避けながら、無造作に自分の拳を振るう。本気で殴ったりしたら骨折どころではない。充分に手加減はしていたが、殴られた方にはなんの慰みにもならないだろう。
(知り合いか? ・・いや、違うよな)
考え事をしながら次々に男達を沈める。倒れた者は呻き声を上げるだけで二度と起きてこない。大人と子供が喧嘩しているような、でたらめな強さだった。
「おいっ! こいつがどうなっても知らないぞ!」
振り向くと、男の一人がホームレスの女を羽交い絞めにしていた。行動といい台詞といい、チンピラの見本のような男である。
女の方はというと、少し驚いたようだが全く怖がっていなかった。不快そうな表情をしているだけだ。
(へえ・・)
女の様子に少し感心しながら、吹雪は事実を述べた。
「おい、言っとくけどそいつ、全然知らねー女だぞ」
「うるせーっ! 女に怪我させたくなかったら大人しくしろっ」
男は全く話を聞いていない。
「あのなあ・・?」
女がこっちを見ているのに気付いた。悲しそうな顔をしている、気がした。目が合うとすぐに顔を伏せる。
「・・?」
女に気を取られていたその時、いきなり後頭部に激しい衝撃を感じた。振り向くと、鉄パイプを持った別の男が立っていた。
「へっ、へへっ、やったぜ」
吹雪は男の手にある曲がった鉄パイプに目をやり、自分の後頭部に手をやった。
「おい、これはやり過ぎだろ。 下手すりゃ死んでるぞ」
「へ?」
間の抜けた顔をした男は、次の瞬間吹雪の平手打ちを食らってビルの壁に叩き付けられた。ずり落ちて倒れると動かなくなる。白目をむいていた。
「で、お前はどうすんだよ?」
吹雪が振り返ると、残った男は青ざめた顔を引きつらせていた。
「なっ、なんだよお前っ、なんなんだよっ!?」
化け物を見るかのような目で吹雪を見て、女を抱えたまま後ずさる。
「こいつがどうなってもいいのかよっ!?」
話す言葉全てに品性と個性が欠如している男だった。
「あのなぁ・・」
言いかけて、吹雪は女が心配そうな顔でこっちを見ているのに気付いた。
(・・知らねー・・よな)
会った事ないはずだ。吹雪の記憶にない。
「おいっ! シカトすんじゃねーっ」
男がヒステリックに大声を上げる。
「ったく、うるせーな。だから、お前はどうすんだよ?」
「・・え?」
状況判断力にも欠けていた男は、言われて、自分一人しか残っていなかった事にようやく気付いた。あれほどいた男の仲間は、全員うずくまったまま倒れている。顔色が変わった。彼我の戦力差を理解し、自分が取るべき行動を選択する理性は残されていたようだ。
「・・おっ-」
「覚えねーよ」
吹雪が容赦なく切り捨てると、男は怒りで顔を歪ませたが、何も言わずに女を突き飛ばして逃げて行った。 脱兎の如くとはこの事だろう。
「あっ、あの野郎・・」
吹雪は追おうとはせず、解放された女に近付いた。女は倒されたままの格好で俯いている。
「おい、あんた大丈夫か?」
「っ・・」
吹雪の呼びかけに身体を強張らせた。
「怪我とかしてねーか?」
「・・・」
聞こえていないわけはないのに、下を向いたまま答えない。いきなりの出来事にショックを受けているのだろうか。
「あんた、駅前にいた人だよな? なんでここにいるんだ? 付いて来たのか?」
「・・・」
吹雪が辛抱強くできたのはここまでだった。そんなに気が長い方ではない。
「別にいいけどよ。関係ないあんたを巻き込んで悪かったな。それは謝っとく。気を付けて帰れよ」
そう言って背を向ける。
「お前らもいつまでも寝てんじゃねーよ」
倒れたままの男達を軽く蹴飛ばしていると、後ろから女が声を掛けてきた。
「あっ・・あの・・」
立ち上がった女がこちらを見ていた。
「大丈夫か?」
「・・はい」
今度はちゃんと答える。吹雪は初めてはっきりと女の顔を見た。
年の頃は二〇代後半ぐらいか。整った顔立ちをしている。髪をとかし、顔を洗えばきっと美人になるだろう。
(・・なんだ?)
吹雪は一瞬、不思議な感覚に襲われた。その正体が分からず戸惑ったが、すぐに気を取り直す。
「・・怪我とかしてねーか?」
明らかに年上だったが、吹雪は敬語が苦手だった。
「はい・・」
「さっきも言ったけど、巻き込んで悪かったな」
「いえ・・」
そして本題に入る。
「・・で、あんたなんでここにいたんだ? 付いて来たのか?」
「・・それは・・」
吹雪の問いかけに女が目を逸らした。
「駅前にいただろ? 目が合ったよな?」
「・・はい・・」
「知り合い・・じゃないよな?」
「・・・はい・・」
「付いて来たのか?」
「・・・」
無言。答えない。
「・・まあ、別にいいけど」
少し気になったから聞いてみただけの事だ。別に答えが得られなくてもどうって事はない。
「じゃあ、俺帰るわ」
「・・っ」
その言葉に女が息を詰まらせた。
「あんたも気を付けて帰れよ」
「あっ、あのっ!」
歩き出そうとしたところを呼び止められた。振り向くと、女が泣きそうな顔でこっちを見ている。
「なんだよ? まだなんかあるのか?」
「・・・」
答えない。下を向く。少し苛立つ吹雪。
「・・用がねーんなら帰るぞ」
と言って背を向けると、
「あっ・・」
女が顔を上げた。吹雪に向かって伸ばされた手が途中で引っ込められる。
「なんなんだよ?」
吹雪は三度止められて不機嫌になる。
「・・・」
やはり答えない女に、吹雪が優しくできたのはここまでだった。
「俺はハッキリしない奴が嫌いなんだよ。言いたい事があるなら言えよ」
「はっ、はいっ・・」
吹雪の視線に女はビクビクしながらも、消え入りそうな声を振り絞った。
「・・・その・・私・・・家が・・」
「なんだって? 家?」
純粋に聞こえないから聞き返しただけだったが、女はそうは受け取らなかった。
「すみませんっ、ごめんなさいっ」
二種類の謝罪を述べる。
「別に怒ってねーよ。家がなんだって?」
「・・はい・・その・・・」
煮え切らない態度に吹雪のイライラ指数が上昇してくる。
「・・私・・・その・・泊まる・・所が・・・」
言いにくそうなその様子に、吹雪ははたと思い当たった。
「・・もしかしてあんた・・泊まるとこねえのか?」
「・・・」
女は答えなかったが、その無言が肯定を指していた。まあ、ホームレスならそうだろう。
家がない女。駅前で誰かを探していた。そして吹雪に付いて来た。まさかそんなはずはと思うが。
「・・おいおい、ちょっと待てよ。だからって一晩泊めてくれ、なんて言うんじゃねーだろうな?」
「いやっ・・そんなっ・・」
女が言葉に詰まる。
「じゃあなんだよ?」
「それは・・」
下を向き、答えない。言うつもりだったようだ。
「・・おいおいマジかよ。『◯舎に泊まろう』じゃねーんだぞ」
あれはテレビ番組だし、相手は爺さん婆さんだ。対してここにカメラはないし、吹雪はそんなに人間ができていない。それにこの女は芸能人じゃない、ホームレスだ。第一ここは田舎ではない。
「あのな、『はいどうぞ』って言うと思うか? 知らねー奴を家に泊めるわけねーだろ」
少しきつめの口調に女がビクッと震えた。弾かれたように吹雪を見上げて、目が合うとまたすぐに伏せる。弱い者いじめをしているような気分になったが、さっき会ったばかりの見ず知らずの女を部屋に泊める事はできない。吹雪はそんな慈善家ではない。
「・・・」
「俺のせいで怖い目に合わせちまったとは思ってる。けどな、だからって泊めてやる事はできねー。悪いけど、他を当たってくれ。・・じゃあな」
吹雪はそう言うと、その場から動こうとしない女を放って歩き出した。
(普通に考えて無理だろ)
その通りだ。吹雪のせいで迷惑をかけたが、女を泊めてやる義理はない。
(気にするな。赤の他人だ)
「・・・」
首だけで後ろを見ると、女は下を向いたまま一歩も動いていなかった。
(・・関係ねー)
何も間違っていない。
「・・・」
無言で歩き続ける。
「・・・」
(・・・)
と、その足が止まった。
「・・はぁ」
後で吹雪はこの時の自分を振り返って、何故そういう行動に出たのか頭から煙が出るほど考えたが分からなかった。
「・・ああもおっ」
一人呟くと、吹雪は踵を返した。
(どうかしてる)
女の前まで戻ると、下を向いたままの女を見下ろした。それを感じた女が身体を硬直させる。
「・・・」
「・・・」
一体自分は何を言おうとしているんだ。吹雪は自分に呆れながら女に声を掛けた。
「・・おい」
女がおずおずと顔を上げた。まるで、捨てられた子犬のような目で吹雪を見つめる。その顔をあまり見ないようにして吹雪は言った。
「・・とりあえず、今晩は泊めてやるよ」
女が泣きそうな顔をさらに歪めた。
「・・付いて来いよ」
吹雪はぶっきらぼうに言ってさっさと背を向けて歩き出した。
「・・あっ、ありがとうございますっ」
「・・うるせー」
面白そうだな、と思ってくれたら嬉しいです。