第一章 桜舞う出会い
潮は、止まらない。
同じ場所に立っていても――同じ景色を見ているつもりでも、海はいつも少しずつ違う顔をしている。
四月の朝。
春霞の向こうに、明石海峡大橋がぼんやりと浮かんで見えた。白い橋脚は光に溶け込み、その下を流れる海は、静かなようで、どこか急いでいるみたいだった。
――ここで、わたしは変われるだろうか。
入学式を控えた明石潮風高校の正門前で、わたしは立ち尽くしていた。
手の中には、カメラのストラップ。指先に伝わる感触だけが、現実をつなぎ止めている。
スマートフォンではなく、この重たいカメラを選んだのは、簡単に切り取れない場所に、覚悟を持って立ちたかったからだ。
シャッターを切る勇気は、まだない。
けれど、この場所に立った「証」だけは、残しておきたい。そんな気持ちだった。
わたし、川村歩未は、この春、岡山から明石に引っ越してきた。
新しい制服。新しい校舎。新しい人間関係。
胸の奥が、きゅっと縮む。
期待よりも、不安の方がずっと大きい。
中学時代のわたしは、人見知りで、輪の中に入るのが苦手だった。友達を作るのも、声をかけるのも、いつも一歩遅れてしまう。
だからこそ、高校では変わりたいと思った。
今度こそ、ちゃんと前に進みたい。
でも――。
いざ校門の前に立つと、足はほんの少し、すくんでしまう。
制服姿の生徒たちが、楽しそうに言葉を交わしながら次々と中へ入っていく。その流れに、うまく乗れない。
そのときだった。
「ねえねえ、あなたも一年生だよね?」
明るい声に、はっとして振り返る。
ショートカットの女の子が、まぶしい笑顔でこちらを見ていた。
「う、うん。川村歩未です」
声が、少しだけ裏返る。
「うちは中西陽菜! よろしくね。一緒に体育館行かない? 一人だと、なんか不安でさ」
屈託のない笑顔だった。
その無防備な明るさに、張りつめていた緊張が、少しだけほどける。
「あの……」
もう一人、控えめな声がした。
ロングヘアの、清楚な雰囲気の女の子が、少し緊張した面持ちで立っている。
「私も一人で……よかったら、一緒に行ってもいいですか?」
「もちろん!」
陽菜ちゃんが即答する。
「あなたのお名前は?」
「橋本時子です。よろしくお願いします」
その声は静かで、でも不思議と耳に残った。
こうして、わたしたち三人は出会った。
後から思えば、この瞬間が、すべての始まりだったのかもしれない。
体育館までの道を、三人並んで歩く。
他愛もない言葉を交わしながら、少しずつ距離が縮まっていくのを感じた。
入学式が終わり、クラス分けが発表される。
一年B組。
同じクラスだった。
それだけで、胸の奥に小さな灯がともった。
教室に戻ると、陽菜ちゃんはすぐに周りの子たちに話しかけ始めた。その行動力は、人見知りのわたしには眩しすぎるほどだった。
時子ちゃんは静かに席に座り、窓の外を眺めている。その横顔は、どこか儚げで、でも凛としていた。
ホームルームが終わり、「今日はこれで解散です」と告げられる。
まだ、この二人のことを何も知らない。
でも――。
この出会いが、わたしの高校生活を大きく変えていくことを、あのときのわたしは、まだ知らなかった。
翌日から、高校生活が本格的にスタートした。
午前はホームルームや新入生歓迎会、午後には学校案内も兼ねた新入生レクリエーションも予定されているらしい。
「歩未ちゃん、お昼どうする?」
陽菜ちゃんが明るく声をかけてくる。
「えっと、お弁当持ってきたけど……」
「じゃあさ、三人で一緒に食べない? 時子ちゃんも!」
時子ちゃんは少し驚いたような顔をしたけれど、すぐに柔らかく微笑んだ。
「はい、ぜひ」
わたしたちは屋上に向かった。明石潮風高校の屋上からは、明石海峡大橋が一望できる。青い空と海、そして真っ白な橋。絵画のような景色だった。
「すごい……きれい」
時子ちゃんが感嘆の声を上げる。
「でしょ! うちさぁ、この景色見たくてこの高校選んだんだ」
陽菜ちゃんが誇らしげに言う。
「私も……じつは」
時子ちゃんが小さく笑う。
「そうなんだ! わたしもだよ」
思わず声を上げると、三人で顔を見合わせて笑った。同じ景色に惹かれて、同じ学校を選んだ。それだけでも、わたしたちは特別な縁で結ばれている気がした。
お弁当を広げて、他愛もない話をした。好きな食べ物、苦手な科目、趣味のこと。時子ちゃんは読書が好きで、陽菜ちゃんはスポーツが得意。わたしは写真を撮るのが好きだった。
「写真? いいね! じゃあ、今日から三人の記録係ね」
陽菜ちゃんが私の肩を叩く。
「そんな、記録係なんて……」
「いいと思います。私も、この景色を写真に残したいって思ってました」
時子ちゃんが賛成してくれた。
その日から、わたしは毎日カメラを持ち歩くようになった。三人で過ごす日々を、一枚一枚切り取っていく。それがわたしの新しい日課になった。




