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勇者パーティーを追放されたので、張り切ってスローライフをしたら魔王に世界が滅ぼされてました  作者: まりあんぬさま
追憶編

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歪んだ信念を持つ男

 時は少し遡る――エルフの言葉を背に受け、いち早く教会の鐘楼へと駆け出したカイルとミレイユ。

 二人の足音が古びた石階段に響き渡る。

 上へ行くほど、空気が重く淀んでいく。

 まるで目に見えぬ瘴気が身体にまとわりつくようで、息をするたび胸が軋んだ。


 ――そして、鐘へと続く最後の扉の前に辿り着く。

 扉の隙間から、異様なほど濃密な邪悪の気配が溢れ出していた。

 それは黒い霧のように床を這い、まるで意志を持つかのように二人の足元へと忍び寄る。


「……っ、これは……なんて瘴気だ」


 カイルが眉をひそめる。

 その直後、ミレイユが膝をついた。


「ミレイユ!」


 カイルは咄嗟に彼女の肩を支える。

 ミレイユの顔は青ざめ、額には冷たい汗が滲んでいた。

 震える声で、ミレイユはかすかに呟く。


「ご、ごめんなさい……私……」


 その声には恐怖と、何かに蝕まれていく苦痛が混ざっていた。


「無理するな!」


 カイルは素早くポーチから一本の小瓶――聖水を取り出す。

 瓶の中で微かな光を宿すその水を、ミレイユの唇へとそっと近づけた。


「これを……飲むんだ」


 ミレイユは震える手で瓶を受け取り、こくりと喉を鳴らして飲み干す。


 ――瞬間、彼女の身体を淡い光が包んだ。

 聖水の浄化の力が、呪いの侵食を押し戻していく。

 張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ和らいだ。

 ミレイユは息を整え、ゆっくりと顔を上げる。

 その頬にはまだ血の気が戻りきっていないが、瞳には確かな意志が宿っていた。


「……だいぶ、楽になりました。ありがとうございます、カイルさん……」


 カイルは微かに微笑み、頷く。

 だがその目の奥には、鋭い決意の光があった。


「行くぞ、ミレイユ」


 鐘楼の扉の向こうから、また一段と強く、どす黒い瘴気が漏れ出す。

 二人は互いに頷き合い――ついに、その扉へと手をかけた。


 扉を開けた瞬間――肌を刺すような冷気と、耳を劈く「ゴォォォォン……」という鐘の低音が襲いかかった。


 禍々しい黒紫のオーラをまとい、鐘楼はひとりでに鳴り続けている。

 その音はまるで人の悲鳴を吸い上げるかのように重く、

 教会の屋根の下にいた全ての者の苦しみを嘲笑うかのようだった。


 ――だが、その鐘の傍らに、ひとりの男が立っていた。


 背筋を真っすぐに伸ばし、腕を後ろで組み、まるで支配者のように、混乱に包まれた街を見下ろしている。

 その背後からカイルとミレイユが駆け上がり、足を止める。


「……っ、誰だ!」


 カイルの声に、男はゆっくりと振り返る。

 そして――その顔を見た瞬間、カイルの表情が凍りついた。


「――お、お前は……」


 言葉にならない驚愕が漏れる。


 そこにいたのは、鋭い眼光に額の一本の深い傷、銀灰の髪に混じる白をきっちりとオールバックに撫でつけ、年齢を感じさせない無駄のない体躯を持つ男。

 まさしく、この街の冒険者ギルドを束ねる伝説の男――グレオ=バートン。

 教会の鐘楼の最上階、呪いの源の前に立ち、冷徹で、何かを見定めるような瞳カイルたちを見る。


「お前は……ギルド長のグレオ=バートンだな?」


 カイルは心の高鳴りを抑えるように深く息を吸い、目の前の男を見据えた。

 祭りの混乱、呪鐘の不気味な音、その中心に立つのが――まさかギルドをまとめ上げる男だとは。


「何故、こんな場所にいる?」


 問いの声には、動揺と怒りが入り混じっていた。

 グレオはゆっくりと鋭い眼光でカイルとミレイユを見据える。

 その双眸はまるで魂の奥底を覗くように冷たく、ひとつの言葉も無駄にしない重みを持っていた。


「愚問だな」


 低く、地の底から響くような声が鐘楼に反響する。


 「この騒ぎの原因となる呪鍾――その近くに立つ者、答えは明白だろう」


 その声音には、かつてギルドを束ねていた威厳とは異なる、冷徹な支配者の響きがあった。

 圧倒的な存在感。

 まるでこの災厄そのものが、彼の意思によって動いているかのように感じられた。


「……この騒ぎは、お前がやったというのか?」


 カイルは唇を噛みしめ、言葉を吐き出す。

 だが、グレオの答えはあまりにも静かで――あまりにも重かった。


「――だったら、どうだと言うのだ?」


 鐘の音が「ゴォォン……」と鳴り響く中、グレオの唇に浮かんだ微かな笑みは、まるで神を嘲るように歪んでいた。


「――何故だ……」


 カイルの声は震えていた。

 怒りと、困惑が混ざり合い、喉の奥でかすれる。

 彼の視線の先、黒い鐘の前に立つ男――グレオ=バートンは、微動だにしない。


「お前も……冒険者だったんだろう!」


 カイルの叫びが鐘楼に反響する。


「人を救う側の人間だったはずだ! 伝説とまで謳われ、ギルド長にまでなった男が……なぜ、こんなことをする!?」


 その問いは怒号にも似ていた。

 だが、グレオは眉ひとつ動かさず、ただ静かに――いや、峻烈な威圧をもってカイルを見返した。

 そして、ゆっくりと瞼を閉じる。

 鐘の音が一瞬、遠のいたように感じた。


「……そうだ。私は、長年、冒険者として生きてきた」


 低く、地を這うような声が漏れる。

 その声音には、懐古でも後悔でもない――ただ、ひとりの男が歩んできた歳月の重みが宿っていた。


 静寂の後、グレオは目を開く。

 その双眸には、もはや先ほどまでの冷徹な光ではなく、焼けつくような決意の炎が灯っていた。


「……だからこそ、だよ」


 その言葉には、幾多の戦場で仲間を失い、幾度も正義に裏切られてきた者だけが持つ、痛烈な真実が滲んでいた。


「私は、見てきた。救われぬ者の声を……見捨てられた者の死を……そして――正義を語ったところで、何も変らない現実を」


 カイルの拳が、無意識に強く握られる。

 グレオの言葉は、怒りではなく哀しみとして胸を抉る。


「だからこそ……選んだのだ。世界を、浄化するために、私自身が秩序になろうと」


 鐘の音が再び響き渡る。


「君は若い」


 グレオは一歩、鐘楼の中央へと進み出た。

 その歩みには迷いがない。背筋を伸ばし、足音ひとつが重く響く。


「冒険者としても、まだ未熟だ。――だからこそ分からんのだろう」


 グレオの声は、雷鳴のように低く、しかし痛いほどに明瞭だった。


「正義などという言葉に惑わされ、本質を見落とす。だが……いずれお前も知ることになる。そんなものでは何も変えられないと。何も――救えはしないということを」


 その言葉に、カイルの拳が小刻みに震える。

 まるで心の奥をえぐられたような感覚。

 カイルは唇を噛み、真正面からグレオを睨みつけた。


「――それで、罪のない人たちを苦しめるというのか!?」


 怒声が鐘楼に響き渡る。

 グレオは、その叫びを正面から受け止め、ゆっくりと目を細めた。

 風が吹き抜け、鐘楼の外から紙吹雪の残骸が舞い込む。

 その中で、彼は静かに――まるで断罪を宣告する神官のように言葉を放つ。


「必要悪だよ」


 鐘の音と同時に、グレオの低い声が重なる。


「大成のためには、犠牲はつきものだ。何かを成すには、血が、痛みが要る。――それが、現実だ」


 その言葉には迷いがなかった。

 彼の瞳に宿るのは狂気ではなく、冷徹な確信。

 理想に裏切られた男が、なお理想を捨てられずに選んだ歪んだ信念だった。


「貴様……それでも人間か!」


 カイルの怒号が鐘の音をかき消す。

 だがグレオは、ほんのわずかに口角を上げた。


「人間だからこそ、だよ」


 その瞬間――鐘楼を黒い瘴気が覆い尽くした。


「君は――鐘楼を破壊しに来たのだろう?」


 グレオの声は冷ややかで、まるで全てを見透かしているかのようだった。

 鐘の鳴り響く音が途切れることなく流れ、重く沈む空気の中で、彼の言葉だけが鮮烈に響く。


「ならば、結論は一つだ」


 グレオは腰に添えていた手をゆっくりと外した。

 そのわずかな動作――それだけで鐘楼の空気が一変する。

 息を詰めるほどの圧。まるで全身を見えない刃でなぞられるような、研ぎ澄まされた殺気が走る。

 カイルの背筋が総毛立つ。


「……ッ!」


 拳を構え、重心を落とす。全神経が一点に集中する。


「――遅い」


 その瞬間、グレオの姿が音もなく掻き消えた。


 トン――と軽い音が鳴った次の刹那、視界が揺れる。

 まるで時間が歪んだかのように、グレオはカイルの正面――目と鼻の先に立っていた。


「なっ――!」


 振り下ろされる、雷鳴のような一撃。

 カイルは反射的に隣にいたミレイユを突き飛ばし、逆方向に身を翻す。


 直後――ドゴォォォンッ!!


 床が粉砕され、木片と石が宙を舞う。

 削り取られた床の跡には、拳ほどの深い穴。まるで地面そのものを叩き潰したような破壊力だった。


「ほう……」


 土煙の中から、低く感心したような声が響く。

 ゆっくりと煙が晴れ、姿を現すグレオ。

 その両手に握られていたのは――重厚な金属製のトンファー。

 禍々しい光を帯び、打撃面には複雑な魔導刻印が刻まれている。


「……あの一撃を避けるとは、なかなかに筋がいいな」


 グレオはわずかに口角を上げた。

 その姿は、かつて伝説とまで謳われた男、人間という枠を越えた、暴威そのものだった。

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