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勇者パーティーを追放されたので、張り切ってスローライフをしたら魔王に世界が滅ぼされてました  作者: まりあんぬさま
追憶編

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黒角の支配者

 黒き勇者の城――。

 その頂上、漆黒の尖塔の上に、フードの男はただひとり、風を受けながら立っていた。

 夜風が裾をはためかせる。

 その右手には、鈍く輝く漆黒の球体――黒いオーブが握られていた。


 月は雲に隠れ、世界は闇に沈む。

 男は動かない。まるで、何かを待つように。

 空気がざわめく。風が逆巻き、魔素の流れが不自然にねじれた。


 ――来た。

 フードの奥で、笑みの気配がわずかに浮かぶ。

 次の瞬間、彼方の闇から、瘴気の奔流が押し寄せた。

 地の底で呻く亡者のような唸りを伴いながら、黒く、重く、冷たい瘴気が渦を巻いて天へと昇る。

 それは一本の黒い竜巻のように城を包み、フードの男のもとへと吸い寄せられていった。

 瘴気は男の掌にある黒いオーブへと収束する。

 オーブの表面に無数の裂け目が走り、そこから覗くのは、血のように深紅の光。


 ――ジュウゥゥ……。


 まるで肉を焼くような音を立てながら、瘴気が吸い込まれていく。

 そしてその中に――かすかな声があった。


 《……バニ……ッシュ……》


 それは、かつての聖女セリナの声。

 もはや形を失い、魂すら穢された、最後の断片だった。


「ふふふ……」


 フードの男は、オーブを掲げ、満足げに笑う。

 黒い球体は、まるで命を持つかのように脈動し、鈍く不吉な光を放っていた。


「やはり、貴女の魂は上質だ。恐怖、絶望――。すべてを混ぜ合わせたこの香り……まさに、闇への供物に相応しい」


 空を覆う黒雲が雷鳴を轟かせ、城の尖塔を閃光が貫いた。

 だが、フードの男は動じない。むしろその光を浴び、愉悦に震えるように口元を吊り上げた。

 風が鳴き、闇が笑い、夜が深まる。

 フードの男の手の中で、黒いオーブは静かに鼓動を打った。

 闇を孕んだ風が吹き抜けた、そのとき。


「……ずいぶんご機嫌なようね。ヴェイル=ラグレス」


 背後から、女の声がした。

 澄んでいながら、どこか嘲りを含んだ声音。

 ヴェイルは振り返る。

 その動きは、まるで風すら止まるように静かだった。

 そこに立っていたのは――異形の女。


 赤黒く艶めく肌。

 黒目の中に銀の光を宿す瞳。

 銀糸のように輝く長髪が風に揺れ、背には夜を切り裂くようなコウモリの翼。

 その身体を包むのは、露出の多い黒鋼のアーマー。

 それは、戦場と快楽の狭間を生きる者の装い。

 ヴェイルはゆっくりとフードを傾ける。

 その奥から、湿ったような笑い声が響いた。


「おや……これはこれは。お目にかかるのは久しいですね――七魔将の一人、颶風姫(ぐふうき) メルカ=ヴァルゼではありませんか」


 メルカは紅い唇を歪め、挑発的に微笑む。


「ふん。その様子じゃ、計画は順調のようね」


 彼女の翼がひらりと揺れ、冷たい風が吹き抜ける。

 ヴェイルは小さく笑い、手に持つ黒いオーブへ視線を落とした。


「ええ……もちろんですとも」


 オーブの中では、赤黒い光がゆっくりと脈打つ。

 それはまるで、血潮を得た心臓のように――新たな命を宿しているかのようだった。


「闇は満ちつつあります」


 ヴェイルの声は静かだが、その奥に潜む狂気は隠しきれなかった。

 メルカはその様を見て、ふっと鼻で笑う。


「そう……ならいいわ」


 メルカ=ヴァルゼは銀の髪を風になびかせながら、紅の唇を歪めた。

 その目には、試すような光が宿る。


「同じ七魔将として――その責務、全うすることね」


 その声は甘く、それでいて刃のように鋭い。

 風が一瞬止み、空気が張りつめる。

 ヴェイル=ラグレスはフードの奥でくぐもった笑い声を漏らした。


「ふふふ……ご安心を。――時期に、すべてが終わりますよ」


 そう言いながら、ヴェイルはゆっくりと城門の先へ視線を向けた。

 遠く、荒野の向こうから地響きのような足音が響く。

 その音は次第に近づき、やがて黒雲を裂いて、漆黒の影が姿を現した。


 その先頭に立つのは――勇者カイル。

 漆黒の鎧が月光を拒むように輝き、肩に翻るマントはまるで闇そのものを纏ったかのよう。

 左の頭部には、刈り取った鬼人族の角を飾りのように突き立てている。

 その角は乾いた血で黒く染まり、まるで彼自身が“鬼”と化したことを象徴していた。


 その背後には、屈強な鬼人族の戦士たちが跪くように従っていた。

 かつて敵であったはずの彼らは、今や黒き勇者の名のもとに鎖で繋がれた兵。

 血の契約によって屈服し、魂を縛られた者たちだった。


 カイルは城門をくぐると、冷ややかに空を仰いだ。

 その瞳は狂気と自信を宿し、かつて“人間の正義”を掲げた男の面影は、もはやどこにもなかった。

 その笑みは、人智を超えた何か。

 神に届こうとする傲慢の象徴。

 メルカは一瞥をくれ、興味深そうにその光景を見下ろした。

 翼が音を立て、風がうねる。


「……期待しているわ」


 その一言を残し、メルカ=ヴァルゼは空へと舞い上がった。

 風が渦を巻き、颶風とともにその姿は闇の彼方へと消えていく。

 ヴェイルは残された風を受けながら、静かにオーブを掲げた。

 その中で、不吉な光が脈動する。


「そう――もう少し。もう少しで、全てが……」


 フードの奥から、愉悦と狂気が入り混じった声が漏れる。

 黒雲が渦を巻き、雷鳴が大地を裂く。


 重く響く足音が、玉座の間にこだました。

 一歩、また一歩――その音だけで空気が震え、兵が思わず息を呑む。

 漆黒のマントが揺れ、冷たく鈍い光を放つ鎧が月の残滓を反射する。

 黒き勇者カイルが、堂々と玉座の間を歩く。


 彼の背後には、誰もいない。

 ただ、その存在そのものが軍勢に等しい威圧を放っていた。

 マントを翻し、カイルは玉座へと腰を下ろした。

 肘置きに腕を乗せ、拳の上に軽く顎をのせる。

 その姿は――かつて狂気に飲まれ、怒りと憎悪だけで染まった男ではなかった。

 今のカイルの瞳には、静かな威厳があった。

 狂気の奥に潜む、研ぎ澄まされた支配者の眼差し。


「……いるんだろ。出てきたらどうだ?」


 低く響く声。

 その言葉が空間に放たれると、玉座の間の影が一瞬揺らいだ。

 やがて、黒い霧のように影の中からそれは現れる。

 フードを深く被り、存在そのものが薄闇と混ざり合う男――ヴェイル=ラグレス。

 ゆるやかに歩み出て、胸に手を当てると、恭しく頭を下げた。


「お帰りなさいませ、カイル様。……無事に、鬼人族を従えられたようですね」


 フードの奥から響くその声は、常にどこか愉悦を含んでいる。

 カイルはわずかに口角を上げ、鼻で笑った。


「当たり前だ。この俺にかかれば造作もないことだ」


「それは喜ばしい限りです」


 ヴェイルは軽く頭を下げ、フードの奥で微笑んだような気配を見せた。

 その笑みは決して感謝ではない。

 むしろ、己の仕掛けが着実に進行していることへの確信から生まれた歪な悦び。

 カイルはふんと鼻を鳴らし、玉座に深く背を預ける。

 その動きだけで、周囲の空気が再び沈み込むように重くなる。


 玉座の間に沈むような静寂。

 燃える燭台の明かりが、冷たい石壁に赤黒い影を揺らしていた。

 ヴェイル=ラグレスは、いつものように音もなくカイルの傍らへ歩み寄る。

 そして、ゆっくりとフードの奥から視線を上げた。


「――失礼ながら、それは……」


 ヴェイルの視線の先。

 カイルの左の額から、異様な形で突き出た“黒い角”があった。

 それは人間のものではない。

 鬼人族の象徴、誇り、力そのもの――。

 カイルはわずかに口角を上げ、フッと笑った。


「これか?」


 そう言って、指先でその角を軽くなぞる。

 硬質な音が響いた。


「これはな――鬼人族の中でも最強と謳われた男の角だ。奴を殺し、この手で奪い取った。そして、俺の力として食らったのだ」


 その声には、誇りとも傲慢ともつかぬ響きがあった。

 しかし、そこにはかつての人間であったカイルの面影は微塵もない。

 代わりにそこに立っていたのは、狂気の王――いや、黒角の支配者だった。

 ヴェイルはわずかに顎を引き、フードの奥で笑う。


「なるほど……通りで以前よりも圧が増しておられるわけです」


「そうだ」


 カイルの声が低く響く。

 拳を握るたび、筋肉の下で黒い瘴気が流れるように揺らめいた。


「最早、俺に敵う者などいない。この力をもって――あの男との因縁を断ち切る」


 その瞳には、血のような赤が宿っている。

 それは復讐ではなく、世界そのものへの宣戦布告。

 ヴェイルは一歩、カイルに近づいた。

 そして、ゆっくりと手を広げ、まるで舞台の幕を上げるように語る。


「……素晴らしい。実に、素晴らしい」


 フードの奥で、音もなく唇が歪む。

 その笑みは喜びでも、忠誠でもない。

 ――狂気を餌に、さらなる破滅を楽しむ“観客”のような笑みだった。

 玉座の炎が揺れ、二人の影が壁に伸びる。

 王と狂信者、あるいは支配と傀儡。

 その境界は、もはや誰にも見分けがつかなかった。


 「――それで、奴の居場所は掴めているのか?」


 玉座の上から放たれた声は、低く鋭く、重圧を帯びて玉座の間を震わせた。

 その視線の先で、黒衣のフードを被った男――ヴェイルが静かに一礼する。


「ええ、大方の場所は。ですが……少々、厄介な問題がありまして。少し時間を取らせていただきます」


 ヴェイルの声音はいつも通り冷静だった。

 かつてのカイルであれば、その報告を聞いた瞬間、怒声と共に剣を抜いていたかもしれない。

 だが今は違う。

 カイルは玉座の肘掛けに頬杖をつき、わずかに笑んだ。

 その笑みには、怒りではなく――圧倒的な自信と威圧が宿っていた。


「……いいだろう。時間はくれてやる」


「かしこまりました」


 ヴェイルは深く頭を垂れ、黒い靄のように姿を消す。


 その直後、扉が重々しく開かれた。

 入ってきたのは、二人の鬼人族。

 一人は筋骨隆々とした巨体に似合わぬ気弱な瞳をした男――阿久羅。

 青黒い肌と青い角を持ち、両手をもじもじと合わせながら、怯えるように玉座の前に立つ。


 もう一人は対照的に、小柄で怠そうな顔つきの青年――黄苑。

 片目を金色の髪で隠し、黄色い角を生やしたその男は、やる気のない声を漏らす。


「カイルさまー……あの男、信用できるんすかねぇ~?」


「そ、そんなこと言うもんじゃないよ、黄苑!」


 阿久羅が慌てて小声で注意するが、黄苑はあくびを噛み殺しながら肩をすくめる。

 カイルは二人の様子を見て、わずかに口元を吊り上げた。


「ふん。お前たちは気にするな。目的を果たした後で――俺があいつを始末する」


 その言葉に、室内の空気が一瞬で凍りつく。

 だが、カイルはそれを楽しむように薄く笑った。


「なら、いいっすけどね~。めんどくせぇ話はごめんですから」


 黄苑は両手を頭の後ろで組み、だるそうに言う。


「あ、あの、カ、カイル様……お、俺らは、な、何をすれば……?」


 阿久羅が怯えたように尋ねると、カイルの瞳が怪しく光った。


「お前たちには――やることがある」


「やること……?」


「ああ。お前たちを含め、俺が従えた鬼人族は百。だが、まだ力が足りん。お前たちには、更なる力をつけてもらう」


 その声音には、圧倒的な支配者としての威厳があった。

 阿久羅は思わず背筋を伸ばし、黄苑は片目の奥を細める。


「めんどいっすねー……」


 黄苑の気だるげな声が、玉座の間に響く。

 その隣で、阿久羅がもじもじと手を擦り合わせ、怯えるように口を開いた。


「そ、そんなすぐに……お、俺たちも、力はつけられないと、思うんですけど……」


 カイルはゆっくりと立ち上がった。

 玉座の間が軋むような気配を放ち、その双眸が見開かれる。

 そこに宿ったのは、かつて勇者と呼ばれた男の瞳ではなかった。


「――心配するな」


 その声は低く、そして禍々しく。

 空気を震わせるほどの威圧が、二人の鬼人族を圧倒する。


「お前たち鬼人族は、人を食らうほどに力を増すのだったな」


 言葉の意味を理解した瞬間、阿久羅の顔から戸惑いの色が見える。


「な、なにを……」


「この城には、各地から集めた荒くれどもが数千はいる。獣のような連中だ、どうせ使い物にならん。――食らえ」


 カイルは嗤った。

 それは狂気の笑み。

 理性も、倫理も、何もかもが吹き飛んだ、支配者の微笑みだった。


「いいんっすか? 戦力、減りますけど?」


 黄苑は口の端を吊り上げながら、半ば挑発するように言う。

 だがその黄の片目が、カイルの瞳と交わった瞬間、全身に冷たいものが走る。

 その眼光は意見を述べるという行為そのものを許さぬ、絶対的支配の光だった。


「構わん。力のない雑魚の大群より――選りすぐりの精鋭のほうが、遥かに価値がある」


 ゆらり、と黒い魔力の靄がカイルの身体を包む。

 まるで狂気そのものが形を取ったように、冷たく美しい。


「……っ、へいへい。なら、遠慮なく食らわせてもらいますわ」


 黄苑は肩をすくめ、薄く笑った。


「へ、へへ……」


 阿久羅は気弱な笑みを浮かべながらも、その瞳の奥には獣の本能が疼いていた。


「さあ――この城に巣食うクズどもを、食らい尽くせ!」


「御意」


 二人の鬼人族は深く頭を垂れ、静かに玉座の間を去っていった。

 重い扉が閉まる音だけが、虚しく響く。


 やがて、静寂。

 カイルはゆっくりと玉座に身を預けた。

 天を仰ぎ、目を閉じる。

 瞼の裏に、過ぎ去った過去が浮かび上がる。


 ――まだ勇者と呼ばれる前。

 ――光を信じ、正義を貫こうとしていた頃。


 そして、あの男。

 同じ理想を語り、同じ夢を見た男。


 「……バニッシュ」


 その名を、唇の奥で呟く。

 それは怒りか、憎しみか、あるいは……かつての友情か。

 魂の奥底に残された、かすかな光と闇が、再び蠢き始める。


 バニッシュが過去へと誘われたように――カイルもまた、過去へと引きずり込まれていくのだった。

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