彼方へ還る声
夜が明けた。
森の朝霧が、拠点をやわらかく包み込む。
昨夜の喧噪と笑い声が嘘のように、今は鳥のさえずりすら控えめだった。
収穫祭の飾りがまだそのまま残っている。
色鮮やかな布のひらめきや、吊るされた灯籠の明かりの名残が、
まるで――“楽しかった昨日”をまだ離したくないと訴えるように揺れていた。
そんな中、拠点の片隅。
そこには、小さな丘と一本の木。
その根元に、新しく作られた墓があった。
墓の前には、セリナが残した《クローヴァの印》と、彼女の手で作られた聖女の短剣。
それがまるで、彼女の代わりに静かに眠っているようだった。
――拠点の仲間たちは、全員そこにいた。
バニッシュ、リュシア、セレスティナ。
そしてグラド、ザイロ、メイラ、フォル、ライラ。
さらにツヅラ、フィリア、セラ、そして神鳥パグ。
誰もが言葉を失い、ただ墓を見つめていた。
「うあぁぁぁ……セリナさん……」
墓の前に膝をつき、ライラが嗚咽を漏らす。
その小さな背中に、メイラが静かに手を添える。
「泣いていいんだよ……ライラ」
母の声は、やさしく、けれど哀しかった。
リュシアとセレスティナもその少し後ろに立ち、
二人とも目元を真っ赤に腫らしていた。
一晩中泣き続けたのだろう。
「……昨日まで、一緒に笑ってたのに……」
リュシアの呟きは風に消え、セレスティナの手がその肩にそっと触れる。
「彼女は、最後まで私たちを想っていました。……それだけは、きっと本当です」
その言葉に、リュシアは唇を噛み締め、何も言わずに墓の前へと一歩進んだ。
少し離れた場所で、腕を組んだまま空を見上げていたグラドが小さく呟く。
「……そうか。セリナが、な……」
その声はいつもの豪快さを失っていた。
バニッシュは墓の前に立ち、静かに拳を握り締める。
その横顔には深い悔しさが刻まれている。
「……すまない。俺がもっと……もっと早く、気づいていれば……」
拳を握る音が、やけに大きく響いた。
誰もその言葉を否定しなかった。
否定できる者などいない。
そんな彼の背で、低くも温かな声が響く。
「お前のせいじゃねぇさ」
グラドがゆっくりと歩み寄り、空を仰ぐようにして言葉を続ける。
「世の中どうしようもねぇことなんざ、ごまんとある」
短く、けれど深く心に刺さる言葉だった。
バニッシュは肩を震わせる。
その横で、ザイロが無言のまま分厚い手を伸ばし、バニッシュの肩にそっと手を置いた。
「……あまり、自分を責めるな」
それだけ言って、彼は静かに目を伏せる。
ツヅラが、扇を閉じて胸に当てる。
「……せやな、バニッシュはんのせいやない。あの子は、もう覚悟を決めてしもうとったんや」
その声は静かで、けれど涙をこらえるように震えていた。
フィリアも眼鏡の奥で目を閉じる。
「……彼女は、最後に自らの意思で人を選んだ。それが、せめてもの救いだ」
それでも、悔しさは消えなかった。
バニッシュは拳を握り直し、唇を強く噛みしめる。
――助けられなかった。
ただ、それだけの事実が胸を焼いた。
そのとき、グラドがふと動いた。
セリナの墓に歩み寄り、そこに添えられていた聖女の短剣を手に取る。
「この聖女の短剣な……」
彼はその刃を静かに見つめ、そしてゆっくりと、墓の中央へ突き立てた。
ガキン――と、硬い音が響く。
「グラド……?」
バニッシュが目を見開く。
突き立てられた短剣の装飾――そこに刻まれた聖教を模した紋が、朝の光を受けて淡く輝いた。
それはまるで、十字の墓標。
セリナ自身が自らの意志で刻んだ“覚悟”の形のようだった。
グラドは腕を組み、短く息を吐いた。
「この子の魂は、初めから……覚悟してたのかもな」
その言葉に、バニッシュは唇を噛み、ただ空を見上げる。
涙をこらえるように、青く澄んだ空へと視線を向けた。
――その時。
上空から、一筋の光が舞い降りた。
「……あれは……?」
リュシアが顔を上げる。
それは、翼を広げた光の鳥。
柔らかな羽をきらめかせながら、まっすぐバニッシュのもとへと降りてくる。
それは、セリナが放っていた聖鳥伝声だった。
光の鳥はバニッシュの目の前でふわりと羽ばたき、そのまま彼の肩に降り立った。
次の瞬間――ぱっと弾けるように光が散る。
そして、かすかな声が響いた。
『……たすけて……――バニッシュ……』
その声は、間違いなくセリナのものだった。
ほんの一瞬で消えたその声が、刃のように胸を刺す。
バニッシュは動けなかった。
ただ、握った拳が小刻みに震える。
――あの時、いやもっと前から彼女は、助けを求めていた。
けれど自分は、何もできなかった。
唇をかみ、空を見上げる。
朝の光がまぶしいほどに降り注ぐのに、その光は、胸の奥の闇を少しも照らしてはくれなかった。
「……セリナ。お前の声、確かに届いた」
風が吹いた。
クローヴァの印が小さく鳴り、まるで頷くように光った。
バニッシュの拳に力がこもる。
悲しみの奥に、かすかな決意が芽生えていた。




