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ドワーフ国壊滅、震撼する世界

 《王都・中央城政庁》


「……勇者一行より返答が届きました」


 重々しい声とともに、報告の文が読み上げられる。

 報せを受け取った政庁会議の空気が、一気に重くなった。


  ――《我々は現在、ドワーフ国にて装備の強化・補充を行っている最中です。しかしながら、伝説の鍛冶職人と名高いグラド=ハンマル氏が、非協力的な姿勢を崩さず、装備の調達が難航しています。出撃準備が整わない限り、我々の参戦は不可能であることをご理解ください》――


「……これは……」


 魔王対策本部の長官が、深く眉をしかめる。


「要するに、“動けない理由”をグラド一人のせいにしてるだけじゃないか」


「しかし、これを無視すれば……」


 補佐官が呟く。


「彼らは本当に動かないでしょう。現に、過去何度も要請にも応じていません」


 沈黙が落ちる。

 その場にいた高官たちは理解していた。

 魔王軍の侵攻はすでに世界の三割を飲み込み、刻一刻と前線は崩壊しつつある。

 今、勇者たちの力を借りられなければ――


「だがドワーフ国は、交易の要であり、同盟国だぞ。下手に文句をつければ外交問題に……」


「ならば、穏便に“お願い”をする形にしてはどうか。協力を要請する、という建前で――」


 交わされる意見は激しく、しかし皆一様に“グラドという一点”を見据えていた。

 王都としても、勇者の機嫌を損ねるわけにはいかない。

 ならば、多少の犠牲は――


「……では、“異議申立て”という形でドワーフ国へ通達を」


 最終的に、重鎮の一人が口を開いた。


「“非協力的な職人がいるために勇者の動きが阻害されている”と、正式に」


 その言葉に、誰も反対はしなかった。


「……グラド=ハンマルか。あの男は……昔、我々も世話になったが」


「だからこそ苦しい。だが、世界が滅ぶよりはマシだろう」


 静かに、決定が下された。

 こうして王都は、ドワーフ国に対し正式に“異議”を申し立てる。

 対象は、かつて“伝説の鍛冶職人”と称えられた男――グラド=ハンマル。

 勇者の偽りの言葉が、王都を動かした。

 その代償が何を生むかなど、誰も想像していなかった。




 《ドワーフ国・王宮執務室》


 堅牢な石造りの執務室に、王都から届いた文書が静かに置かれる。

 それを読み終えたドワーフ国王――グルム=ハンマル三世は、重く沈黙した。


「……王都が、異議を申し立ててきたか」


 太く老いた指が、文書の端を押さえたまま動かない。

 厚い眉の奥の双眸は伏せられ、やがて深いため息が漏れる。


「かつて、あの国は……誇り高き王都であった」


 呟きは誰に向けたものでもなかった。


「民を思い、友邦を敬い、正義を振るうことを恥じなかった……。だが、今は勇者一行などという若造どもに振り回され、こんな文書を寄越してくるとはな」


 憤りというより、そこにあったのは――嘆きだった。


「陛下……いかがなされますか」


 傍らに控えていた老臣、宰相ドルマスが低く尋ねる。

 国王は視線を上げないまま、静かに目を閉じた。

 グラド=ハンマル。

 かつて、この国の栄光を支えた伝説の鍛冶職人。

 戦乱の時代に幾度も英雄たちの武を鍛え、国を救い、敵すらその名を恐れた男。

 ――だが、その誇り高き理想は、時代にそぐわなくなっていった。


「……貢献において、あの男に肩を並べる者などおらん」


 王の声には揺るぎがない。


「たとえ今、火酒にまみれた酔いどれであろうと――あの槌の魂だけは、国宝と呼ぶに相応しい」


 静かな言葉に、ドルマスも深く頷いた。

 王は立ち上がり、玉座の背に手をかける。

 その瞳に一瞬、かつて戦場を駆けた若き日の光が宿った。


「……だが、魔王の脅威もまた確か」


 拳を握る。


「この国とて、他国の崩壊を見過ごして成り立つものではない。世界が滅びれば、我らも土と化す」


 その思考に至ったとき、彼の口元が皮肉げに歪んだ。


「ふ……結局、わしも――衰えたということか」


 昔であれば、王都の浅はかさなど一笑に付し、グラドを守り抜いていたかもしれない。

 だが今は違う。民の生活、国の存続、そして“世界”を守るための現実的な判断が求められていた。

 王は深くため息をつき、脇に控える大臣へ視線を投げる。


「忠告の文を出せ。“今、お前が背を向けるものは、この世界そのものだ”とな」


 大臣は静かに頷き、筆を取る。

 それは命令ではない。強制でもない。

 あくまで、王としての立場で贈る、一通の忠告。

 信義を重んじるこの国の王は、剣を取らず、言葉を選んだのだった。


 煤けた手で、グラド=ハンマルは一通の書状を手に取った。

 封には、ドワーフ国王家の刻印。かつてはその重みと誇りを胸に刻み、幾度となく王命を受けてきた。

 だが今、その刻印はただの印に過ぎなかった。

 無言で読み終えたグラドは、皺だらけの指先で書状をそっと折りたたみ――そして、くるりと身を返し、長年眠っていた炉へとそれを放り込んだ。


 火を灯す。


 爆ぜる音と共に炎が広がり、焦げた紙の端が赤く燃えた。

 それは、鍛冶師としての始まりを告げる火ではない。

 終わりを見届けるための、最後の火だった。


「……やはり、あれが限界か」


 グラドは、かつて夢を描き、理想を追い求め、命を削るようにして鍛え上げた工房の内を見渡す。

 壁に刻まれた試行錯誤の痕、砕けた試作品の刃、若き弟子たちと交わした言葉の残響。

 だが今や、そこに灯りはない。

 彼が最後に希望を託した“勇者一行”が、腐っていたのだ。

 強さを誇り、名声に酔い、他者の技術を己の戦果の装飾にしか見ていない。

 そんな彼らを見た瞬間、グラドは悟っていた。

 もし、彼らがかつての自分のように、ただ武を求め、強さを目指し、誰かを守ろうとする意思を持っていたのなら――消えたはずのこの心にも、再び火が灯っていたかもしれない。

 だが。


「……腐っていたのは、あいつらだけじゃねえ」


 ぼそりと呟く声は、炎の中へと吸い込まれるように消えていった。

 彼は知っていた。

 信じる者がいないことに絶望し、信じようとすることすらやめていた自分もまた、同じ穴の狢なのだと。

 その工房を、夢を、己の手で焼くのは――失った誇りに、けじめをつけるためだった。

 そして、燃える火を前に、グラドは背を向けた。

 踏みしめる床が、微かに軋む。

 その音すら、まるでかつての弟子たちの声のように、彼の背中を追ってこなかった。

 ただ一人、炎だけが、彼を見送っていた。


 ゴォオ……と、赤黒い炎が唸り声を上げる。

 炉に灯された火は、瞬く間に工房全体へと広がり、年季の入った木棚や積まれた図面、埃を被った工具の数々を赤々と呑み込んでいく。

 パキ……パキ……ッと、焼け焦げた梁が音を立て、天井から黒煙が立ち昇った。

 それでも、グラド=ハンマルは振り返らなかった。

 焼ける音、崩れる音、全てを耳にしながら、彼はただ静かに背を向けたまま、足を一歩、また一歩と踏み出す。

 未練など、とうに捨てた。

 悔いもない。迷いもない。

 ――あの火は、夢の終わりに捧げる葬送の炎だ。

 かつて自らの手で築き上げた工房。

 理想を追い、技を磨き、魂を注ぎ込んできた場所。

 その終焉を見届けたことで、グラドの中にあったすべての“炎”は静かに燃え尽きた。


「誰かが悪いわけじゃねぇ……そういう時代になっちまっただけだ」


 呟いた声は、焼け焦げた空気にかき消された。

 魔王の脅威とは、それほどのものなのだ。

 国を腐らせ、人の心を歪ませ、正しき者さえ道を見失わせる。

 己の信じた正道が通じぬ世界ならば――

 鍛冶師など、もはや不要なのかもしれない。

 炎の色が空に染み、煙が空を覆っていく。

 だが、グラドはもう顔を上げることすらしない。

 燃え尽きた世界に背を向け、彼は静かに歩き出す。

 どこへ行くあてもない。

 誰かを待つつもりもない。

 ただ、滅びゆく世界を――

 誰もいない場所で、一人で迎えるために。

 音もなく、影のように。

 グラド=ハンマルは、沈む夕日の中へと歩を進めていった。


 夕陽が赤々と地平を焼き、灰色の煙が空を漂っていた。

 その道の先に、奴らはいた。

 ――勇者一行。

 焼け落ちた工房の方角を見やりながら、カイルが不敵な笑みを浮かべていた。


「よぉ、グラド=ハンマル。ちょうどいいところで会えたな」


 まるで待っていたかのように。

 否、最初からそのつもりだったのだろう。

 グラドは無言で足を止める。


「見たぜ、お前の工房。あれじゃもう、どこにも行けねぇだろ?」


 ガルドがニヤニヤと笑いながら言う。

 ミレイユは腕を組み、横から見下ろすように口を開いた。


「でも安心しなさい。私たちが拾ってあげる。誇り高き“伝説の鍛冶師様”を、ね」


「魔王を倒すためには、お前みたいな才能が必要なんだよ。……なあ、俺たちと一緒に来いよ」


 カイルがふっと笑って、グラドの肩に手を置いた。

 その声は、どこまでも甘く、軽く、空虚で。

 まるで――悪魔の囁きだった。


「……なるほどな」


 グラドは静かに呟いた。

 肩に置かれた手を見下ろし、そして目を細める。


「お前たちの言葉……どれひとつ、鉄の重みがねぇ」


 そう言った次の瞬間だった。

 グラドの拳が、唸りを上げてカイルの顎を捉えた。


 ――ドガッ!!!


 鈍い音が響く。

 カイルの身体が数メートル吹き飛び、地面を転がった。


「なっ……グラド、テメェ……!」

 ガルドが斧を手に叫ぶが、グラドは一歩も引かない。

 その全身から発せられるのは、かつて戦場を駆け抜けた“職人”の覇気。

 研ぎ澄まされた鉄の意志、そのままの質量。


「どの面下げて来やがった……! 俺を拾うだぁ?笑わせんな、クズが」


 グラドの声は低く、だが怒りに満ちていた。


「俺が槌を振るうのは、魂を持つ者だけだ。腐った目で他人を値踏みしてるような連中のために、鉄は打てねぇ」


 その言葉に、ミレイユとセリナが息を呑む。


「てめえ……勇者に手を上げる気かよ!」


 ガルドが踏み出しかけるも、グラドはすでに構えていた。

 赤く煤けたコートの下、彼の拳には――焼け跡の灰がまだ残っていた。


「俺はもう何もねぇ。国も、工房も、名も……誇り以外は全部燃やした」


「だから――今なら、どこまでも拳を振れる。後悔も、遠慮も、しがらみもねぇッ!」


 その目は、まるで――かつて伝説と呼ばれた頃の、獣の眼だった。

 勇者一行が一瞬たじろぐ。

 それは、彼らが初めて感じた“本物”の気迫だった。

 グラドは一歩、また一歩と踏み出しながら言い放つ。


「失せろ。今度また俺の前に立ったら――今度は、本当に潰す」


 「このクソじじいが――!」


 カイルの怒声が響くと同時に、勇者一行が一斉に武器を構えた。

 ガルドが大斧を振りかぶり、ミレイユが詠唱を開始する。怒りと羞恥を誤魔化すように、彼らは暴力の矛先をグラドに向けていた。


 だが。


 その瞬間――空が、唸った。


 ――グオオォォォォオオオッ!!!


 まるで天地を裂く咆哮が、あたり一帯を揺るがした。

 風が渦巻き、音が割れ、空が震える。

 勇者一行が一斉に顔を上げる。

 そこにいた。

 空を覆う、巨大な影――蒼黒い鱗に覆われた竜、ドラゴンが、大気を震わせて羽ばたいていた。


 その背後には、黒雲のごとく湧き出る“魔物の群れ”。

 無数の飛行型魔獣、黒翼のバットドラゴン、毒の霧をまとう浮遊体、雷光を纏った猛禽型の異形。

 その全てが――ドワーフの大地を飲み込もうと、空を埋め尽くしていた。


「な、なによ、あれは……っ!」


 ミレイユが絶句する。

 地鳴りのような振動。

 それは上空からの脅威だけではなかった。


 ズズズ――ズドォォン!!


 地を穿つような衝撃。

 地平線の先から押し寄せる、魔獣の奔流。

 巨大な魔獣が地を踏み鳴らし、中型の突撃型魔物が隊列を組み、地表を飲み込むように襲い来る。

 ――そう、これは侵略ではない。

 殲滅だ。

 ドワーフの国そのものを、まるごと“滅ぼす”ための、本格的な魔王軍の侵攻だった。


「こ、こんな……早すぎる……! まだ東側が踏みとどまってたはずじゃ……!」


 セリナが青ざめる。


 巨躯のドラゴン。眼光は地を貫き、あの瞬間に見た“老いた鍛冶師”と、かつての“勇者一行”を標的として捉えていた。


 「やべぇぞ……逃げ――」


 言葉が終わるより早く、ドラゴンが咆哮した。


 ――グアアアアアオォォオォッ!!!


 怒涛の突風と共に滑空し、獲物を狩る猛禽のように襲い掛かってくる。

 その背後から、まるで波のように魔物の軍勢が押し寄せる。

 地を揺らす巨体のオーガ、空中から針を飛ばすスティングバット、鋼の甲殻を持つバジリスクの群れ――


「クソッ!迎え撃て!!陣形を――」


 カイルが叫ぶが、もはやその声も届かない。

 すでに“補助役”であるバニッシュを欠いたパーティーの陣形は、ただの寄せ集めに過ぎなかった。

 ガルドが一体の魔物に斧を叩きつけるが、すぐに背後から爪が迫る。

 ミレイユの結界魔法は詠唱が間に合わず、裂傷を負って悲鳴をあげる。


「チィッ……バニッシュのやつがいねぇだけで、ここまで回らねぇとは……!」


 その中で、老いたグラドが片膝をつきながらも、工房の裏から持ち出した古びた鉄槌を振るっていた。

 筋力も反応も、昔のようにはいかない。

 それでも――彼は、一歩も退かなかった。


「うぉおおおおおおっ!!」


 火花を散らして魔物を殴り飛ばすが、肩で息をする。

 その顔には、敗北の影が色濃く刻まれていた。


「くっ……! セリナ、転移石だ!!早く!!」


 カイルの怒声が飛ぶ。

 セリナは震える手で転移石を取り出し、魔力を注ぎ始める。

 転移先は――王都。


「グラドはどうすんのよ!?」


「知るかッ!こんなジジイのために死ねるかよ!!」


 その瞬間。

 ――空が、焼けた。

 ドラゴンの口から放たれる、灼熱のブレス。

 地を溶かし、金属を赤く焼き、世界を飲み込む災厄の火線。


「伏せろ――ッ!!」


 セリナの転移魔法が発動した、まさにその瞬間だった。

 転移魔法陣とブレスの灼熱波が交錯し、空間が激しく“撹乱”される。


 ――ドガアアアアアアアアアアアッ!!!


 世界が歪む。耳が破裂するかのような爆音。

 爆風と火炎が周囲を包み込み、あたり一帯が灰と化す。

 その中で、転移魔法が弾けた。

 魔力の渦に巻き込まれたグラドの身体が、鮮やかな閃光と共に――その場から、消えた。


――その日、世界は悟った。

 


 ドワーフ国滅亡。



 それは、地図から一国が消えたという単なる出来事ではなかった。

 かつて鋼鉄の技術と誇りをもって、幾多の戦を支えてきた“地下の王国”。

 その堅牢な城壁も、幾重にも仕掛けられた結界も、

 魔王の軍勢の前では紙のように破られ、瓦礫と化した。

 炎に焼かれ、毒に侵され、大地ごと引き裂かれるような猛攻。


 あまりにも――一方的だった。


 そしてその直後。

 王都・グラン=アルグレアの転移陣に、血と灰に塗れた一行が転送されてくる。


「……こ、これは……!?」


 見張りの騎士が声を失う。

 転移陣の中で崩れ落ちるのは、無残なまでに傷ついた――

 勇者カイル率いる、希望の光――“勇者一行”だった。


 片脚を失った戦士、焼け焦げた服の魔法使い、泣き叫ぶように呻く僧侶。

 そして中心に倒れ伏した、血に濡れた勇者カイル。


「た……助け……ッ……!」


 その声を最後に、彼らは意識を手放した。

 王都の民は見た。

 あれほど讃えられ、神の加護を受けたと信じられていた勇者たちが――

 無様に、打ち砕かれて帰ってきたのだと。

 そして、同時に届いた報せ。


 ドワーフ国――壊滅。


 その日、世界は震えた。

 魔王の脅威は、もはや“遠い国の話”ではなかった。

 最強と謳われた鍛冶の国が滅び、

 希望の象徴だった勇者一行すら止められず、命からがら逃げ帰った。

 民は、王族は、他国の将軍たちは――恐れた。


「もう、この世界に“勝てる者”などいないのではないか」と。


 静かに、しかし確かに、

 この日を境に、世界は《希望》ではなく、《絶望》を数え始めた。


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